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蔦華国後宮事件譚  作者: 紫月 由良
杏仁(アンニン)の章

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06. 尚食局

 ついて来いとだけ言われて、鴨の雛よろしく黙って後ろに付き従う。


 気配を消しながら少しずつ距離をとって逃げようかなと思ったけど、名前と居場所は既に割れている。

 下手を打って不興を買うより、諾々とした方がマシな気がした。


 しばらく歩いて辿り着いたのは尚食局だった。

 毎日の食事のために通っている場所だけど、妃たち向けの料理は別の場所で供されていて、そちらに立ち入るのは初めてだった。

 宮女たちは「また来たのか」という溜息をつきそうな顔。そして怯えたような顔の半々。


「もう一度、話を聞かせてくれ。こいつに」

 僕をグイと前に出す。


「すいません、お願いします」

 ペコリと頭を下げる。

 仕事の手を止めさせる相手というだけで歓迎されない存在なのだ、僕たちは。


「昨日のことを聞かせてください」

 不快感を持たれないように尋ねる。


 初めての経験だから、どこから聞けば良いのか全然わからない。取り敢えず無難そうなところから。

 質問に答えてくれるのは、薄紫色の制服を着た宮女だった。色で大雑把な階級がわかるのだが、上から二番目に偉い人の色だった。ほかの宮女は全員が紺色。翠色の僕より上級職だった。


 ――機嫌を損ねないようにしよう。

 目の前にいる人だけでなく、この場の全員に気を遣わねば、後が怖そうだった。


「昨日は杏仁(カン)(杏仁を使ったとろりとした汁物の甘味)を作ったの。暑くなってきて、公子や公主方の食欲が落ちてるって聞いていたから」

「まとめて作るような料理なんですか? それとも一人分ずつ?」


 言葉は幼いころから学んでいるけど、流石に子供向けの食事がどういうものかまでは知らない。当然、作り方だって同じ。

 僕の後ろにいるはずの掌衛(しょうえい)は、出自が良さそうだから食べたことはあるかもしれない。でも作り方までは知らないと思う。


「全員分まとめて作るの。一応、お妃様方の希望も聞くけど、基本はみんな同じ料理よ。公子や公女の菓子なんかも同じ。一つの鍋で作って、それぞれの器に盛りつけるの」

「じゃあ、一人分だけ毒を混ぜるのは無理なんですね……。でも器に入れておけば出来るのかな?」


「そんなこと、誰もしないわ」

 説明してくれた宮女が呆れたように返してくる。

 疑うのは基本だと思ったんだけど、どうやら間違ったらしい。


「すみません、お気を悪くしたなら謝ります」

「いいのよ、事情を知らないみたいだから……」

 小さく溜息をついた後に説明が始まった。


「ここで働くのは身元がはっきりした宮女だけなの。私たちは一つの四合院(中庭を囲む作りの建物)で暮らしているのだけど、働きぶりはもちろん、私生活も見られているわ。ほかの妃の紐付きでないのも確認済み。昔、買収された宮女が毒を盛った事件があったらしいのだけど、そのときは連座で職場の全員が処刑されたらしくって……」


「全員ですか……」

 それはなんとも恐ろしい。

 さすがに一般の宮女や宦官の料理を作っている宮女は対象外だったと思うけど、それでも十分に大人数だ。

 今、この厨房で働いている宮女は十人以上いそうだ。


「あり得るんですか?」


 部署の全員をまとめて処分するのは当たり前なのか、後ろを振り向いて尋ねる。事件に関わる職なら、その辺は詳しいだろう。

 掌衛(しょうえい)は少し離れたところで余所見をしていた。多分、こちらを向いていると宮女が怯えると思ったんだろう。

 顔は逸らしていても話はしっかり聞いていた。


「陛下や皇太子を狙ったのなら十分あり得る話だ」

 そうか、あるのか。なんとも恐ろしい……。


「だからね、あり得ないのよ。ここの宮女が毒を盛るなんて。もし本当に盛られたとしたら宮に戻る最中か、宮の中でだと思うわ」


 絶対の自信を見せながら言う。気になるなら、妃様たちの料理を任せている宮女たちの名簿を出しても良いが、何も出てこないだろうとまで言われた。

 流石にそこまで要求すると疑っているようなので遠慮する。


「尚食局のこと全然知らなくて。勉強になりました」

 来た時と同じようにペコリと頭を下げる。


「あ、でもご飯が美味しいのは知っています! 毎日、すごく美味しくって! 『ありがとうございます』って伝えてくれると嬉しいです」

 お世辞ではない。本当に食事が美味しいのだ。あまり良い暮らしをしていなかった人たちなら、食事のためだけに年季が明けても残りそうなくらい。


「料理人冥利に尽きるわね。ここに配属されるまで、宮女とか宦官向けの大鍋をかき混ぜてたから嬉しいわ。ちゃんと伝えておくわね」

 心からの笑顔で返された。「失礼します」ともう一度頭を下げ、尚食局を後にする。出るときに振り返ったら、ほかの宮女も手を振ってくれていた。


「お前、人たらしだな」

 眼光鋭く見下ろしながら僕を評する。

「美味しかったら、きちんと美味しいって言わないと駄目でしょう? 例え仕事だったとしても、感謝の言葉は必要です」


「そういうものか?」

「そういうものです」

 融通が利かなさそうだと思ったけど、ここまでとは。

 きっと仕事とは全力を尽くすものであって、誰かに認めて貰うために、やるものではないと思っていそうだ。


「じゃあ、次に行くぞ」

「まだ続くんですか……?」


 宮女に話を聞くって言うから、てっきりここだけだと思ってたのに……。

 妃なら少々の威圧くらい、権力でどうにかしそうだし、僕がいなくても困らないだろうなんて油断していた。「えー……」とかぼやきたいところだけど、本当に言ったらまた威圧感たっぷりに睨まれそうだから止めておく。


 ――早く解放してほしいけど、今日一日は付き合わされるんだろうな。

 夕餉の時間までの我慢だと思いながら、今日だけは付き合うつもりで腹を括った。

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