05. 宦官鄭理衡と殺人捜査
銀錠:
銀の貨幣。コイン型ではなく塊状。幾つかの形状があるが、作中では船型のものを指す。
重量にバラつきがあるため、使うときに重さを量る。
承成の前を行く宦官は明らかに雰囲気が常人のソレではなかった。
丸腰だけど、完全武装しているかのような威圧感。
知り合いを連れて行かれると思っても、声をかけるのが憚られる雰囲気だった。
――只者じゃないって程度を超えている。
武人みたい、じゃない。間違いなく武人だ。
しかも宦官ではない。大人になってからであっても、去勢したら線が細くなったりする。
ゆったりとした袍の上からでもわかる鍛えた体躯は全然衰えがない。
しかもあの所作。普段、腰に剣を佩いている人間の動き方。
何より殺気にも似た威圧感が半端ない。
――どうして誰も気づかないんだ?
アレが男だとなぜわからないか不思議でならない。
後ろ暗いところがある身としては、気配を友達と同化させながらやり過ごす以外に術はなかった。
承成は早々に解放されて帰って来た。
心配する振りをしながら、仲間と一緒に声をかける。
「死んだ宮女は死ぬまで知らなかったって言ったんだけど、中々信じてもらえなくて」
「その割には早く戻ってこれましたね」
疑われたのなら、厳しい詮議が待っていると思ったけど、そんな風には見えなかった。
「上司が呼ばれて、あと董昭容のとこの宮女なんかも呼ばれて、俺が宮に入ったことがないってわかったから」
職場の人なら庇う可能性もあるけど、殺された公子の関係者も否定したから、あっさり放免されたのだろう。酷いと疑われる本人が悪いとばかりに厳しい尋問に死んでしまうこともあるらしい。
――運が良かったのかな?
否、あの宦官に化けた男が優秀なのだ、間違いなく。
抜け目がないというより、心の奥底まで見通すような鋭い眼差しと、隙のない所作は只者では出せない雰囲気だった。
――できるだけ奴の視界にはいらないようにしよう。
そう決心したのに、あっさりと視界に入ってしまった。
と言ってもあの場に居合わせた全員に話を聞いて回っているだけ。たまたま僕たちの順番がきたのだ。
――目立たない、絶対に目立ってはいけない。
大丈夫、あの場所には大勢いた。
そう自分に言い聞かせる。
きっと大丈夫。疚しいことはしていない。少なくとも事件に関しては。
「お前たちはなぜ、あの場所に居た?」
「悲鳴が聞こえて」
「僕も悲鳴で」
口々に返す。
実際、死んだ宮女はあのとき初めて見た。多分仲間たちも一緒。仕事中はほとんどの時間を行動を共にしている。好んで妃の住まいに行こうなんて奇特な感情は持ち合わせていない。権力闘争に巻き込まれる危険があるから。みんな後宮の片隅で安穏と過ごしたいだけなんだ。
「どうして現場へ?」
「悲鳴が……」
みんなも僕と同じらしい。物置や白洋山は尚食局に向かう近道だから、あの時間あの場所は人通りが多いのだ。
そうでなかったら集まったのはほんの数人だっただろう。何せ後宮は広大だ。
「お前たちは死んだ宮女やその友達の宮女と知り合いなのか?」
「いいえ、初めてです」
「妃様付の宮女とは出会う機会がなくて」
この問いには全員が否定した。
僕らを一瞥して、真実だと取り敢えずは納得したらしい。
出世などを目論んでいる場合は、逆に雑用を手伝ったり融通を利かせるため積極的に縁を持とうとする。同じ部署にもそういった宦官は何人もいる。彼らは出世して制服の色が変わったり、持ち物が豪華になっていく。特に腰帯から下げる玉牌が高価になっていく。
でも僕たちの腰には何も下がっていなかった。
「お前たちの中に宮女の知り合いがいたようだが……?」
「本当に知らない人です」
同じ質問だ。
わざわざ表現を変えることすらない。
――確信を持っているのは?
確かに同じ職位くらい…………要するに僕たちも死んだ宮女も等しく下っ端ではあるけど、だから顔見知りだろうというのは安直すぎる。
――何を言いたい?
仲間は質問の意図を掴みきれず困惑している。
もちろん僕にもわからない。
「宮女を庇った者がいるだろう。縋りついていた方だ」
「あ……!」
あれか。
まさかあれをもって知り合いとか、庇ったと言われても困る。
声を上げたことで、ギロリと睨まれた。
同時にブワリと殺気が膨れ上がる。
嘘をついたら容赦しないと言いたげだった。
「あれは単に、宮女の死体を運ぶ邪魔になっていたから……。たまたま僕が一番近くにいたというだけです」
嘘は言っていない。必要なことを言わずして、相手の思考を誘導する気も。
「承成殿が入口の真ん前に座ってて、邪魔になりそうだったけど動けなくて。それで腕を持って少しだけ引きずったんです。だから僕たちは物置に一番近い場所にいて……。そうしたら走って来た宮女が縋りついて。離れそうにないし、運び出そうとしている方は少し迷惑そうだったから……。何か酷いことを言われる前に離した方が良いかなって」
すべて本心だ。
他意はない。本当に善意だけの行動だった。
「しかし名を呼び掛けていたと聞いたが?」
「名は呼んでいません。知らなかったので『姑娘』と」
これも本当。
彼女が名乗るまで名を知らなかった。今も、名前以外知らない。
「岳光雪という、本当に知らないのか?」
「名乗ったのを聞いたから、今は知ってます」
この質問は今更だろう。だって名を問われたとき間近で聞いていたんだから。
「では彼女が栢修容の宮付だったことは?」
「え……? でも彼女、披帛(薄布のストール)をしていなかったですよ」
下級宮女の制服には披帛がない。でも例外があって、宮付きの場合は妃ごとに共通のものを支給される。
だからてっきりどこかの局で働いているとばかり。
何より違う妃に仕えている二人が仲良くなるものだろうか?
「朝早くだったから、忘れていたらしいぞ」
「そんなこと……」
あるのか、と続けようとしたが言葉が途切れた。
衫(薄手の上衣)は釦が多くて多少は時間がかかる。
でも披帛は……?
あんなただ肩に羽織るだけのものを忘れるだろうか?
しかも衣桁にまとめて掛けるのに?
疑問しかない。
「何か言いたいことがあるか?」
ギロリと睨まれながら糺されても、知らないものは知らないとしか返せない。
「ただ、忘れるようなものかなって……。だって自分の身分を示すものでしょう? 慣れもあるから、着替えのときに無意識に羽織ると思うんです」
「詳しいな、お前」
「仲良くなった宮女のところに遊びに行ったら服が掛けてあって。披帛はなかったけど…………、あったとしても忘れないよなあって思ったんです」
着替えが楽そうだったから、僕も真似してそれっぽいものに制服をかけてある。
「目端が利くな……」
そう言ってニヤリと笑う。
褒めているようで全然褒められている気がしない。
礼を言うどころか、頷くこともしなかった。
もう何か面倒に巻き込まれる気配しかない。
なのに――。
「お前、俺の手伝いをしろ」
何故か命令されてしまった。
御免蒙る。
言い切ってやりたかったけど、言える訳もなく……。
「どうして僕が?」
「お前だけが怯えなかったからだ」
え……? と思いながら左右を見た。仲間たちの顔色はイマイチ。殺気か威圧感に当てられた感じだ。
「どうやら俺は怖いらしい。宮女は震えるばかりでな。そういう訳でお前は今から俺の配下だ」
「横暴な……」
絶対に近寄りたくないと思っていたのに、よりによって側仕えみたいな立場になるなんて。
「……………………無理です」
「駄目だ」
一応、拒否してみたが瞬殺された。
「嗚呼…………」
「鄭理衡、掌衛を任されている」
凄みのある笑みを見せながら自己紹介された。
覚える気はありません。一緒に仕事をする心算はないので。そう言えたらどれほど良かったか。
拒否権がないのが、下っ端の辛いところだった。
「お前、名は?」
物凄く、ものすごーく嫌だったけれど、自分の名を口にした。
「……………………張祥安です」




