03. 祥安と仲間たち
「承成殿、一緒に戻りましょう」
そう言いながら、左の二の腕を持って両手で引き上げ……ようとしたが難しかった。
自分より背も横幅もある男の上体を支えるには、少々僕の腕には無理があったらしい。
馮承成は宦官にしては細身といえど、しっかり筋肉がついていて、まるで武官を思わせるほどだった。
つまり重い。
このまま放置もできなくて、どうしたものかと思っていたら、仲の良い宦官仲間が右腕を持ってくれる。
「代るよ」
そう言って承成の左腕を持ってくれたのは、同じく宦官仲間だ。
両腕を持って立ち上がらせると、肩を貸しながらゆっくりとその場から移動する。
少し先には座れる場所があった。池のほとりにある亭子(四阿)で、本来は妃嬪たちのためのものであるが、まだ起床前の今なら、大目に見てもらえるはず。
「あ、ありがとう……」
初めて礼の言葉を聞いた。殊勝な態度も珍しいというか、こちらも初めてかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「ああ……」
承成は憔悴しきっていて、朝だけど今日は仕事にならなさそうだ。
それどころか気を落ち着かせる薬でも飲ませて寝かせた方が良い程だった。
「水です」
気が付いたら宦官仲間が杯を差し出していた。いつも三人一緒にいるのに見かけないなと思ったら、先回りして水を汲みにいっていたらしい。
僕と違って随分気が付く。
承成は両手で杯を受け取って、ゆっくり喉を潤した。
「珍しいですね。承成殿が物置に行くなんて」
普段は僕たち後輩宦官に雑用を押し付けて、自分は上司の目に留まるような仕事ばかり選ぶのに。
「庭の手入れのためだ。あそこは白洋山の近くだからな」
承成の言う場所は、花の季節には茉莉花で辺り一面が白くなる人工丘だ。確かに宮女が首を吊っていた物置は一番近い。
「あそこは杜賢妃がお好きだった場所だ」
誰だろう?
賢妃がどういう地位の妃かはわかる。でも妃の名が違う。
「先代皇帝陛下のお妃様だよ」
疑問に思っていたら、小声で教えてくれた。
「後宮に入って何もわからない小僧だったときに、よくしてくれたんだ」
どうやら世話をしてくれた妃に恩を感じているらしい。
いつもの承成らしくない。よほど優しくしてもらったのだろうか。
「取敢えず、今日は休んだ方が良いと思います。医局で薬を貰ってきますか?」
普段の厭味ったらしい態度だったら気遣いなんかしないけど、憔悴している状況で放置するのは気が引けた。
「職場の人には休むって伝えておきます」
「食事は運びますか?」
僕の問いに続けて、宦官仲間も承成に声をかけた。
――みんな気が良い奴らだもんな。しょっちゅうイビられてても弱ったら放っておけない性質なのだ。
「大丈夫……いや、今日は部屋で休ませてもらうよ。食事は自分で食べに行く。上司には頼む」
そう言うと立ち上がり、ふらつく足取りで自分の房の方へ歩き出した。
「安安、弱ってる人に嫌味は駄目だよ」
仲間の一人に指摘されたけど、何が良くないのか本気でわからなかった。
「僕、何か悪いことを言ったっけ?」
「物置に行くのが珍しいって、普段は仕事をしてないみたいだよ」
「あ……」
指摘されて、そういう捉え方もあるのかと思い当たる。
「でも普段の行いを見てたら、掃除とかしなさそうじゃないか」
「そうなんだけどね……」
はぁ、と三人同時に溜息を吐かれた。
「ところで、承成殿ってそんなに杜賢妃に優しくしてもらってたの?」
「僕が来る前だからわからないな」
「僕も知らない。先代陛下のお妃様だってくらいしかわからないんだ」
どうやら三人が宦官になる前のことらしい。
先代皇帝が崩御したのが四年ほど前。
仲間たちの年齢を考えると知らないのも頷ける。
「いつも白洋山の辺りはすごく綺麗で、落ち葉の一つもないくらいだったから、皇后陛下か四夫人の誰かのお気に入りの場所だと思ってたよ」
「まさか承成殿だったとは、わかんないものだよねえ」
「うん……」
後宮を歩き回っているときに何度か通ったことがある。茉莉花の良い香りがする場所だけど匂いが強すぎる。人の気配が読みにくくなるから好きじゃない。
それと香りは良いけど花自体は小さくて、大貴族出身の身分の高い妃たちが好むようには思えなかった。芍薬とか牡丹のような華やかな花が好きなのだろう、というのは勝手な思い込みだけど。
「そういえば、安安は大丈夫? 羽和って娘を間近で見たんだよね?」
「うん、問題ないけど?」
承成が気分を悪くしたから、僕のことを心配してくれた?
確かに苦悶に満ちた表情とか、慣れてないと夜中にうなされそうだった。でも慣れれば大したことはない。
「死体見たんだよね? 近くで」
「ああ……。何度も見てるから」
「えっ!?」
三人が異口同音の驚き方をする。
「僕は砂漠を渡ったからね。隊商ってよく野盗に襲われるんだ」
「肌が白いから胡人かと思ってたんだけど、やっぱり」
「元は良いトコの家の人かなって思ってたら、胡人だったんだ」
僕の出身は西域だ。多分、仲良くしている仲間たちが知らないほど遠い国が故郷だ。華人とは肌や目の色が違うし顔立ちも違う。
とはいえ髪は茶色で瞳は黒に近い蒼。もっと西の金髪碧眼よりは目立たない色だ。
「もしかして気を使わせてた? ごめん、気付かなくて。僕は単に砂漠の向こうの国の出ってだけ」
まさか没落した家の息子だと思われていたとは。
隊商が襲われて孤児になった設定だったんだけど。
「西の方って言うと煌州の辺り?」
「もっと西、風国を越えた、更に先だよ」
仲間たちが知っていそうな地名を口にした。
煌州は蔦華国の西端付近にある都の一帯だ。風国は砂漠を越えた先にあって名前だけは知られている。多分、世界の果てくらいの意味だろうけど。
僕の故郷が薔国だと言ったところで、多分わからない。蔦華国人にとって蔦華国が世界の中心だから。国の西端に砂漠があって、越えると風国があるというのは聞いたことがあっても、その先にもっとたくさん国があるなんて、知らない人の方が多い。
西征とか北征をする武人とか、貿易を営む商人なら知っていてもおかしくないというか、知っていて当然だろうけど、それ以外なら貴族でも知らない人の方が多い気がする。
でも悪いことじゃない。蔦華国の文化は進んでいる。世界中の物が集まるし、世界中に物が広がる、そういう国なのだから。
「野盗に襲われたって言っても、目の前で人が死んだりはしないよね?」
「死んだよ。 爸爸は目の前で斬られた。荷物は無事だったけど、隊商の人も随分死んだんだ」
だから死体を前にしても平気だと言外に匂わせた。
実際は死体を作る側だったから、怯えるようなヤワな根性をしていないだけなんだけど。
戦場では「女だから」は通用しなかった。剣を抜く時は斬られる覚悟をしなくてはいけない。命のやりとりをしているのだから。
「ごめん、思い出させて……」
再び謝られた。
本当は両親は生きている。少なくとも最後に顔を合わせたときは元気だった。跡取りの兄も、弟妹達もみんな元気いっぱいで、早々にくたばりそうにない。言えないけど。
蔦華国の胡人たちの間には強い絆がある。旅の途中で親が殺された孤児の少年がいたら、見ず知らずの相手でも助けて故郷に送り届けてくれる。
だから……後宮の宦官になるのは不自然だった。
そのため設定を作り込んだ。万が一、見とがめられたときのことを考えて。
華人商人の家で年季奉公をしながら路銀を溜めていたら、主人に騙されて売られたと。借金を抱えて没落した所為だったとすれば、経歴を辿られにくい。親はおらず元の隊商は解散して幾つかの隊商に吸収された。奉公先は潰れて一家離散。
下級宦官に紛れてひっそり行動している限り、詮索する人はいないと思ったけど、本当に念のためのものだった。
まさか仲間と呼べるような友達に、気を使わせる結果になるなんて思ってもいなかった。
「こっちこそごめん。もう何年も前のことだし、全然気にしないで口にできるようになってたから、気を使わせるなんて思ってもなかったんだ」
本当に悪いことをした。
保身のための嘘が、友人に罪悪感を植え付けたなんて。
「本当に気にしないでほしいんだ。でも悪いと思ってるんだったら夕餉の肉を貰ってもいいかな?」
「それは話が違う」
駄目出しされた。
食べ盛りだけあって、主菜を寄越すにまではならないようだった。




