02. 宦官 張祥安
注:死体描写があります
本編はここからスタートです。
「ギヤァァァァッ!!」
犬が絞殺されるような絶叫だった。
早朝の慌ただしくなる前の時間。妃嬪たちが起き出すより早く、庭や回廊などの掃除を始める時間だ。
初夏の頃だから、既に陽はそれなりに高い。
――面倒だな。
騒ぎというのは面倒事だ。
特に下っ端というのは、色々と押し付けられやすい。その他大勢の下級宦官の一人である僕は、何かにつけ良い様に扱われやすい立場なのだ。
――嗚呼、本当に面倒臭い。
悲鳴の方に足を向けるのは嫌だったが、行かないのも不審な気がする。
「はぁ……」
小さく溜息をつくが。行かないという選択肢はない。
嫌だなと思いながら僕――張祥安は悲鳴のした方向に足を向けた。
小さな物置の前で、馮承成が尻もちをついていた。身体が小刻みに震えている。
普段は僕たち下っ端に偉そうにしたり意地悪をする年長の宦官だが、今はそんな素振りは欠片もない。
既に何人も人が集まっており、口元を押さえたりしていた。
――何が?
ヒョイと物置の中を覗く。
宮女が一人――――――――――――首を吊っていた。
服装からすると下級宮女だ。ガクリと首を垂れた格好だから顔は見えない。だが髪の艶感からすると年若そうだ。自分とさほど変わらない。多分、十代後半。
外からわかるのは、この程度だった。
気付いたら怖いもの見たさなのか人が増えていた。ざわめきが大きくなっている。思ったより長く観察していたらしい。
――面倒に巻き込まれる前に離脱したいけど。
だが皆が中を覗こうとしているのに、一人だけ真逆の行動を取って目立ちたくない。
どうするべきか悩んでいる間に、複数の荒々しい足音が聞こえた。
警備を担当する宦官たちだった。
群がる者たちをどかしながら前に進み物置の前に陣取る。責任者っぽい宦官が部下に宮女を下ろすように命令した。
ちょっとばかり偉そうで、権威主義っぽい感じがした。
「承成殿……」
腰を抜かしたままだった馮に声をかける。放置しておきたかったが、死体を運び出すのに邪魔そうだった。
反応はない。軽く肩を叩いても変わらなかったから身体をゆすって、ようやく言葉が返ってきた。
「人が……」
「死んでますね」
邪魔になりそうです、と伝えると「腰が抜けて立てない」と返された。
仕方がないので腕を持って引っ張ったが、自分より背の高い男を立ち上がらせるのは思った以上に大変だ。少しだけ引きずって、戸口の前からずらすのが精いっぱいだった。
でも縄にぶら下がっていた宮女が、戸板のようなものに乗せられて外に出されるのには間に合ったらしい。
「――羽和っ!!」
勢いよく駆け付けた下級宮女が、死んだ宮女に抱き着いた。二人は同じ制服を着ている。最下層とまではいかないが、僕と同じような官職のない下っ端だ。
「どうして……」
泣きながら追い縋る。余程、親しかったらしい。
死体に布が掛けられていないせいで、丸見えだったのが良くなかったのだろう。誰だかわからなければ、親しい友人がこうやって泣きながら邪魔をすることもなかった。
観客には態度のデカい宦官たちも、泣く宮女に対しては弱いらしく、どうして良いかわからずオロオロし出した。
「姑娘」
名がわからないし、宮女殿と呼びかけるに状況的に堅苦しそうだったので、小声で呼び掛けた。
「どうして……。昨日、立ち直ったみたいだったのに……」
手で目を拭う。「昨日」「立ち直る」という単語が出て来る辺り、随分思いつめていたのかもしれない。
再び小声で「姑娘」と呼びかける。本人にだけは少し大きな声になるよう、口を耳元に近づける。
僅かに杏仁の匂いがした。泣く宮女の方か、死んだ宮女からなのかはわからない。
穏当に引き剥がそうとしながら、ちらりと死体の顔を見た。
苦悶に満ちた顔は、夢でうなされそうなほど凄い形相だった。口の端に血が付いている。梁から下ろすときに擦れたのか、口から頬にかけて細い筋になっていた。
そして死ぬのを躊躇ったのか縄で擦れたような傷と鬱血した痕。
「知っている顔か?」
頭上から問われる。硬質な声だった。
――なんか融通が利かなさそう。
かなり失礼な感想だろうけど、割と当たっている気がする。
「はい、羽和って言います。石羽和。董昭容付の宮女です。私たち同じ時期に後宮に上がって……」
見上げるように宦官に顔を向けながら妃の名を口にした途端、周囲の空気が変わった。
当然だ。
昨日、公子を亡くした妃付の宮女なのだ。何か因果関係があると思うのが普通だろう。
もう一度、羽和と呼ばれた死体をマジマジと見た。
髪や着衣に乱れはない。汚れは下級宮女の仕事柄、それなりにある。洗っても落ちない薄汚れから昨日付いたようなものまで。
裙(スカート)には僅かな赤茶けた色のシミがあった。
――花粉?
それなりに目立つ色だが、少量だから気付かれないかもしれない。その程度。縋りつく宮女を止めるようにしながら、その汚れを少し触る。ちょっとやそっとで落ちなさそうなところを見ると、百合の花粉だろうか。
でも百合なら腰の位置よりもっと下の膝から太腿にかけてな気がする。
「お前の名は」
「私……、岳光雪って言います」
疑われていると思ったのか、宮女の声が少しだけ震えた。表情はわからない。彼女の後ろにいるから。
単に尋ねた声が怖いからなのか、顔が怖かったという理由も考えられる。……もしかしたら両方かもしれない。何せ融通の利かなさそうな声と口調だ。威圧感たっぷりだし。
「昨日、何があった?」
「泣いてて……、それから『どうしよう』って言ってました。多分、景徳公子が亡くなったからだと思います。羽和が運んだ料理を食べた直後に亡くなったのを、酷く気にしてたから……」
光雪の言葉に、再び周囲がざわりとなった。
この場の誰もが、公子の死と宮女の死に関係があったのかもしれない、と思ったのだろう。
少なくとも僕はそう取ったし、質問する宦官も同じように思ったみたいだった。
「また聞きたいことがあったら呼び出すから、心得ておくように」
言い置くと、今度は誰にも遮られることなく死んだ宮女の身体を運び去るのだった。
「羽和……」
光雪と名乗った残された方は、まだグズグズ泣いていたが、遺体が去った直後に同僚らしい宮女たちに連れられて立ち去った。
承成は未だ土の上にへたり込んでいる。
「承成殿、一緒に戻りましょう」
「腰が……」
立ち上がろうとするが、身体に力が入らないようだった。
締まらないと思うけど、初めて穏やかではない人の死を見たら、こういうものかもしれなかった。




