01. 皇帝妃沙月の不遇なる日々の始まり
注:
倒叙ミステリーなので、ここからが本来の主人公目線で話がスタートします。
ちょっと主人公の設定を盛々にしたら、2話目もプロローグ的な内容になりました。
冗長ですみません。本編は次話から始まります。
婕妤:
二十七世婦の一つで、皇后、四夫人、九嬪と続く妃の更に下。
衣食住に困らず侍女や宮女に傅かれる身分だが、皇后や四夫人のような贅沢は無理。
「こちらが泉婕妤の宮にございます」
郷里の名ではなく蔦華国語名で泉と呼ばれるのにはまだ慣れていない。そもそも家名は訳語でもなく、単に地元の中でも水が豊富な土地だからという理由だけでの名乗りだから。
手を取られ支えながら、もう片方の手で長い裙(スカート)の裾を持ち腰から下りた。
老女と言って差し支えない年頃の宮女が先頭に立つ。吾自身は歩いても良かったが、後宮の入口から宮まで結構な距離があり輿に乗せられた。徒歩で移動するのは、よほど下位――妃嬪とは名ばかりの実態は宮女――くらいらしい。
嫁入りというか入内の荷物は宦官が担ぐ。蔦華国より遥か西、砂漠を越えた先の国から嫁いだこともあり、荷物の量だけ見れば相当な物だと思う。
四合院と呼ばれる蔦華国の特徴的な建物は、四角くてわかりやすい間取りだ。
室内に灯りが無く、その所為で少々薄暗いけど内部はきちんと掃き清められ悪くはない。
しかも寝台には布団が用意されていた。地元の常識では、布類は花嫁が用意するものだけど、遠方過ぎて持ってこれなかったものだ。
――ありがたい。
吾のような蛮族の姫など、蔦華国人からしたら、些末すぎる存在だと思っていた。だが思い違いだったらしい。
もしかしたら現王朝である蔦王朝だけが大らかで、それ以前の王朝だったら想像通り不遇を囲ったのかもしれないが。
荷物は指示された通り、各部屋に運び込まれた。すぐに必要になるものは取り出しやすい場所に。季節外れの衣類などは物置に。
『マーファル様、すべて終わりましてございます』
郷里の言葉で付き従ってくれた侍女が知らせる。月を意味する名前であり、ここ蔦華国では沙月と名乗ることになる。
マーファル、と呼ばれるのもこれで最後かもしれなかった。
本来、侍女は後宮に入れないらしいけど、家族と離れ只一人嫁ぐ吾のために、特別に侍女が住まいを確認する許可を出してくれたのだ。
配慮が行き届いている。
感謝しつつ、侍女たちに別れを告げる。
『元気で。父上と母上たちによろしく伝えてほしい。吾は蔦華国で大切にされていると……』
生まれた時から一緒だった侍女を、ぎゅうぎゅう抱きしめた。
* * *
大切にされているのだと思い込んだのは、初日だけだった。
否、夜の帳が下りるよりも早い時間までだ。
すぐに人が来ると老女は言ったが誰も来ない。
ポツリと広い宮に一人取り残されたまま、食事すら運び込まれなかった。
――騙されたらしい。
気が付いたらフツフツと怒りが沸いた。
しかし吾は屋敷に閉じ込められるようにして育った箱入りの姫ではない。馬を駆り弓で獲物を仕留められるような女である。
たかが食事の用意がないくらいで死ぬほどヤワじゃないのだ。
夕食を待っている間に陽が暮れたので、手持ちの保存食で済ませた。
翌日は庭でたわわに実った果実を食べた。みずみずしくて美味しかったけど、郷里の果実の方が甘みは強かった。
二日目、吾は宮を出てこっそりと木に登って観察した。
三日目も同じく。……そして日が暮れてから動いた。
手には一揃いの衣装。下級宦官の制服である。衣装が置いてある部署の物置から失敬した。
妃のままでは食事に有り付くのもままならない。
観察してわかったことは、階級ごとに制服が違う事。服地や色は階級ごとに違うけど、細部もかなり違う。もしかしたら割と服装は自由なのかもしれない。
下っ端はたくさんいて、手の空いたときに食事場所に行って食べてから持ち場に戻る事。後宮だけで千人以上の人がいるから、制服を着て堂々としていれば、怪しまれずに後宮内を歩き回れる事。
――これで食事にありつける。
宦官は男だけど男じゃない。去勢されているから。
吾が男の中に混じっても違和感しかないけれど、男の精を失って女性的というか、男っぽくなくなった中に混じれば、なんとかなりそうな気がした。少なくとも十代前半の若い見習いみたいな年頃の子たちもいるから、線が細かったり背が低くても誤魔化せる。
では宮女の中に混じればどうかと言えば、体格が良すぎて違和感が出るのだ。下級の宮女になるような女の子たちは、お腹いっぱい食べられないような貧しい家の出身が多かった。だからあまり背が高くない。妃としては多分、普通なのだと思うけれど、間違っても下級宮女の中に混じるのは無理だ。
何より所作が雑で、女の子らしくないのだ。間違いなく宮女に化けるより宦官に化ける方がバレにくい。
――温かいご飯が吾を待っている。
ニマニマしそうになるのを抑え込んで、宦官たちの中に紛れ込んだ。
名は張祥安、泉婕妤付きという設定を作ってある。
多分、これで何とかなるはずと思いながら食事場所に行ったり、後宮の中を仕事をする振りをしながら歩き回った。
「君、新入り?」
食事中だった。十代半ばくらいの子が声をかけてきた。おずおずといった感じで。
「うん、まだよくわからなくて……」
困ったように言うと「僕もなんだ」と返ってくる。
「あ……、僕もなんだ!」
近くにいた同い年くらいの子も言い出した。ここがわからない、ここが困るなんてわいわい話しながら食事を終えて仲良くなった。
一月経つ頃にはすっかり「安安」と気安く呼ばれるほどの仲に。
――ご都合主義って本当にあるんだなあ。
騙しているのが申し訳なく思うほど良い人たちだった。
でも……実家から侍女を連れて来られないなどと嘘を吐き、吾を孤立させた奴を許す気はない。
――縊り殺しても許されるよね?
胸中でそんなことを思いながら、気の良い宦官仲間と今日も雑用を片付ける。




