22. 幻夢之址
――日常が返ってきたなあ……。
関係者の処分が終わって七日、掌衛の顔を見る日はなかった。
光雪は自身の知らぬ間に毒を運ばされたと、多少、罪が軽くなった噂が流れている。当初、下手人と目された羽和と共に「公子殺しなんてできるはずがない」と生前に親交があった宮女たちが口を揃えた。
本当は違うと思っていても、庇い立てすれば自分に火の粉が飛んで来ると思って口を噤んでいただけ。生前の彼女たちを知る友人たちは、誰も下手人だと思っていなかった。
友人を手に掛けた光雪も、実際は悪い人でなかったのだろう。
事件の噂も三日が過ぎるころには誰の口にも上ることはなくなった。既に過去の事件という扱いだ。
捜査の手伝いをした僕の噂も、じきに消えると思いたい。
と思っていたのに……………………。
「よう、久しぶりだな」
夕餉の後に見かけたのは、たった三日一緒に行動しただけなのに、何か月も行動を共にしたんじゃないかってくらい、濃い印象を残した掌衛だった。
「お久しぶりです。一段落したみたいですね」
ようやく解放されたのに再会してしまった、という失望が顔に出ないよう外向きの笑顔を作る。
「事の顛末を知りたいんじゃないかと思ってな」
「表には出せない事情もおありでしょう。でもまあ妃とその実家の処分まで済んだのでしたら、上々ではありませんか」
噂では栢修容は廃妃の後に毒杯を賜った。妃の実家は親族もろとも財産と身分を没収され、流罪になって南方に旅立った。
「予想以上に早く解決して、陛下もお喜びだった」
子を殺された方も、子を殺した方も自分の妃だったけど、それはあまり気にしているようには聞こえなかった。
――何十人も妃がいればそうなるか。
九嬪といえばそれなりに高い地位にあるけど、上には更に五人以上も、もっと身分の高い妃がいるのだ。
「光雪を取り調べた翌日には栢家の官職を剥奪したんでしたっけ?」
「ああ、そうだ」
大抵の国と同様、ここ蔦華国でも貴族は官吏として仕えている。逆を言えば官職を持たない貴族なんて、不名誉なだけでなく没落待ったなしだ。
「自白だけでなく証拠も揃っていたからな。あっという間に処分まで処分まで済んだ」
「一族全員が南方に流罪だと聞きましたが、それほど過酷な場所なんですか?」
玄安は初夏とはいえ結構暑いし湿気が多くて黴が生えやすい。南ならもっと暑くて湿気が多くて大変そうだ。
「まず虫が多い。それに人の気質が違うし、言葉も違うからな。苦労の連続だ」
「でも家人が残っているから、身の回りのことを自分でやる必要はないんじゃ……?」
「家人も財産だぞ? 当然、取り上げられる。そのうち宮女として後宮に入ってくるだろう」
そういえば蔦華国では家人は奴隷だった。正確には自由身分の庶民と売り買いされる者と半々くらいの割合らしいけど、故郷ではない習慣だから間違える。
「光雪の両親は?」
「不当に家人にされていた。ほかにも同じような者が何人もいたから、まとめて解放した」
さすがに栢家の内部事情までは、後宮に入ってこなかった。
どうなったのだろうと気にはなっていたが、知る術はなかったのだ。
「家人にされて支払われなかった給金は、没収した栢家の財産から支払われた。ついでに不当に奪われた財産の補填も。一年分の給金を上乗せしておいたから、行き倒れることはないだろう」
言ったのは自分だけど、本当に通るとは考えてもいなかった。
ただその日を暮らすのがやっとの安い賃金しか得られない彼らが、栢家を出たあとに困らなければと思っただけで。
「あとな……。岳光雪は杏仁毒を煽って死んだ」
「斬首では? 温情で非公開になったと聞きましたが」
毒を許されるのは貴人だけ。平民の光雪が毒を与えられるのは通常考えられない。
「本人の希望だ。友人を苦痛に満ちた死に追いやったのを気に病んだのだろう。一瞬で死ぬ斬首ではなく、同じように苦しんで死ぬのが贖罪だと」
「悔やんでいたのですね……」
自分が苦しんで死ぬのが、友人を殺した罪を贖うことになるかは疑問だが、本人なりに考えた結末にケチをつける気はない。
自供を始めてからの光雪はとても素直だった。
多分、本来の彼女は、気立ての良い女の子だったのだろう。
「立ち合いは?」
「俺が……。苦しみながら謝っていたよ」
後宮で出会った二人の行く末が死だったというのは無常だ。身を守る術がなければ、ただ蹂躙されるだけ。
「栢修容も同じ毒だ。本来は苦しまずに逝ける毒を与えられるのだが、幼い子を手に掛けたのを鑑みられた。侍女は腰斬りだ」
光雪に続いて黒幕の処分内容だった。
「それは……まあ、当然かもしれませんが」
故郷の方が血の気が多いと思ったけど、蔦華国も中々だ。
腰を斬るのは首を落とすのと違って即死しないから。
要は「苦しんで死ね」という意味なのだ。
「結局、黒幕はどちらだったのですか?」
董昭容に嫉妬した妃か、塞ぐ妃を慮って侍女が暴走したのか。
「侍女だった。だが毎日のように死ねば良いと怨嗟の言葉を吐き散らしていたらしいからな。修容が望んだと言っても過言ではない」
「毎日それでは……。殺す気になりますね。一体、彼女はなぜそれほど 董昭容を? 妃ならほかにも大勢いるじゃないですか。九嬪に限っても、昭儀の方が身分が上ですし」
九嬪で一番高い地位が昭儀で昭容はその次だ。更に昭媛、修儀と続いて修容になる。董昭容よりも上がいるし、自分と彼女の間にも二人の妃が挟まっている。
「嫉妬だよ。家格はまあ、九嬪だからほとんど似たり寄ったりだが、昭儀の実家は頭一つ出ている。董と栢家は同等だが。それと子供だな。九嬪では二人だけが子を産んでいる」
「自分は女児なのに、向こうは男児だったから? まさかそんな理由で?」
「そのまさか、だ」
ほんの些細なことで人を呪うなんて世も末だ。
本来は王女の身分の自分が言うべきではないのだろうけど。
女でなければ、こんな不本意な輿入れはしなくて済んだ。
男であれば国を離れず、兄の右腕になれたのに……。
広くガランとした宮の中に一人でいると、たまに思うことがある。
何故、吾は此処にいるのだ、と。
政略のためにならない境遇で、ただ流されるだけの無為な日々。
吾なんかよりずっと充実している分際で……!
「下らない……」
気付いたら吐き捨てていた。
本当に下らない。
「ああ、つまらぬ嫉妬だ」
「そんなものの所為で、幼児が殺され、無辜の少女が二人も命を落としたなんて」
あまり感情的にはならないようにしよう、そう決めていたのに怒りが止まらなかった。
「お前でも感情的になることがあるんだな……」
「たかが数日、一緒にいただけで何がわかるんです?」
苦笑する掌衛にも怒りが湧いた。
――駄目だ、感情を抑えないと襤褸が出やすくなる。
自分を抑えようとして…………上手くいかなかった。
そんな中、大きな手でがしりと幞頭(男性用の被り物)ごと頭を掴まれた。そのままぐりぐりと撫でられる。
「何ですかっ!」
「なに、お前にも歳相応のところがあるかと思ってな……」
言いながらも、手は僕の頭に置いたままだ。
「掌衛様と違って! 僕はまだ育ちざかりですから!!」
「…………理衡だ。鄭理衡。お前、俺だけ役職名で呼ぶだろう。名で呼べ」
「いえ……」
今後、二度と、関わり合いになる気がないから名前を覚えませんでした。とは言いにくい雰囲気だった。
「どうした?」
「えっと…………………………鄭掌衛?」
「役職名はいらん。それと姓で呼ぶな、名を呼べ」
「そんな、恐れ多い………………」
名を呼んだら、今後も関わり合う気があると思われるじゃないですか。嫌です。
そう言えたらどれほど良いか。
しかしこういう手合いは、拒むと喜んで絡んでくるから厄介だ。
「そうか、これはいらんか」
手にしていた包みを目の前に出された。
袱に包まれているから何かわからない。
「蜂蜜だ。欲しいと言っていただろ?」
「それは……!」
結構大きい壺だ。一体、どれほどの量だろう。
「理衡様……?」
「なぜ疑問形かわからんが…………まあいいだろう」
そういって包みごと渡される。
両手で受け取るとズシリと重量が両手にかかった。
――すごく重い!
少しばかり期待に心が弾む。
「ありがとうございます……」
気付いたらあれほど怒りに呑まれた心が凪いでいた。
――甘味の力は偉大だ。
そのまま舐めるのも良いし、庭で採れる大量の果実の蜂蜜漬けを作っても良い。
「包み替えるので、四阿にでも寄りたいのですが」
「そのままが良い。何せ陛下に献上されるような銘品だ。包みも壺も次に会う時に受け取ろう」
「…………………………………………はい?」
今、陛下という単語を聞いた気がする。銘品? 容れ物を回収する必要がある?
一体、どれだけの物を持ってきたんだ。
これだから名門出身の若君は……。
「どうした、要らんのか?」
「要ります」
皇帝陛下に献上されるような高級品を手放す阿呆なんかいない。
少しばかり身体を盾にして壺を守る。
「そうか、それほど重要か」
星が見え始めた空に理衡の笑い声が吸い込まれていった――――――。




