20-2. 光雪の自白 ―完落ち―
「百合の花粉」
光雪の抗議を聞き流し、 証拠の一つを挙げた。
「石羽和の裙に百合の花粉が付いていたんだけど、君は気付いた? すごく目立っていたし、腰の高さだから目につきやすかったけど」
「いいえ、羽和と会ったのは夕刻だったから、わからなかった。空が赤かったし、それどころじゃなかったから……」
「そうだね。公子殺しを疑われてたんだ。すごい勢いで泣きつかれたんじゃない?」
「ええ、そうだった。『どうしよう』ってずっと言ってた」
公子が食べた料理を運んだのは羽和だ。たとえ喉に詰まらせただけだったとしても、責を問われて食べさせた侍女と連座で処分される可能性もあった。降って湧いた厄災に、動揺し取り乱したのは容易に想像できる。
だけど――――。
「君が自分で付けた汚れに気付かないなんて有り得ない」
「え? 知らないって言ったじゃない」
何を言ってるんだ、コイツという顔だった。
本当に見当違いだったら当然の態度だけど光雪のは作り物。
ただ自分の罪を否定したいだけ。
「それがおかしいんだ。百合の花の高さは腰よりもずっと低い。誰かが故意に付けたのでなければ、汚れない位置なんだよ」
「屈んだんじゃないの? 庭掃除だって私たちの仕事だもの」
道理に適った理由だけど、光雪はまだ自分で自分を追い込んでるのに気づいてない。「確かにその可能性を失念していたよ」
と返した。
「咲いている百合は栢修容の宮しかないのに?」
「え……?」
まさか広い後宮内で、百合の花がたった数輪しかないとは思ってもいなかったらしい。
「調べたんだ。昨日、後宮内を隈なくね。結果、栢修容の宮以外、どこも咲いていなかった。咲きそうな蕾さえなかったよ」
僕は再び微笑んだ。
「教えてほしい。どうやって羽和が栢修容の宮の庭を掃除したか。しかも服が汚れないように雄蕊を切り落とした花でね」
「――!!」
ヒュッと息を呑む声がした。
今までの自分の主張が、すべて見当違いだったと理解したのだろう。
だけど罪を認める気にはならなかったみたいだ。
「切り取ったのが私とは限らないじゃない。ただ働いてるってだけで」
声が震えていた。虚勢を張るのも限界が近づいてきたのかも。
光雪の様子を窺いながら、再び彼女の言葉を聞き流した。
「君の住む房で銀錠を見つけた」
「上質な絹の布に包まれてた。灰壺なんて普通は動かさないから、気付かれる心配はなかったんじゃない?」
「……」
同意は得られなかった。
僅かに目が見開かれたけど、それだけ。
自分だけしか知らない秘密を知られて動揺したのか、共同生活を送る同僚であり友人を疑ったのか、区別がつくほどの反応ではなかった。
「そもそも石羽和はどうして、暗殺の報酬を家族に送らなかったんだろう? 後宮務めの倍も貰ったのに」
「きっと動揺して……」
「人生が変わるほどだよ? 一生不自由ない暮らしはできなくても、それなりの店を持てる。親に楽をさせられただろうね」
実際のところ我を忘れるほどの状況だったら、理性なんて吹っ飛んだ行動を取るだろうけど、指摘する気はない。
「ところで、ほかの宮女と一緒に暮らしてるだろう?」
「……はい」
返答まで少し間が空いた。
突然、話題が飛んだから戸惑ったのかも。
「共同生活を送る中で、持ち物が混じらないように目印を付けると思うんだけど、実際にはどうしてる?」
「刺繍……刺繍をしてます。目立たないところに、ほかの人と違うものを」
「君たちの場合は?」
光雪たちの房に押し入ったから既に知っている。迂遠とも取れる質問だからこそ、真綿で首を絞めるような真似ができる。
「果物を。そんなに難しいのじゃなくって、少し丸の上を尖らせたとか、ちょっと楕円っぽいくらいだけど。糸の色を変えるから、一目でわかるようになってて……」
「君の場合は桃かな?」
「はい」
質問の意図がわからなくて困惑している。
記録係も、ただの雑談か決めかねて筆が止まったまま。
「どうして手巾に血が付いていたの?」
昨日、房から持ち帰った手巾を取り出すと、光雪に見えるように広げて置いた。
血の汚れは落ちにくいから、ほんの少し唇の端から垂れた血を拭っただけでもシミになっている。
「杏仁の毒はね、すごく苦しいらしいんだ。ほんの僅かな時間で死ぬんだけど、永遠にも感じられるんじゃないかってくらい苦しむらしい。喉を掻きむしって傷だらけにすることもある。石羽和も口の中を嚙み切ってた。口の端から血を流した跡と、拭った跡があったよ」
「……!」
必死で驚きを隠そうと努力していたけど、隠しきれていない。
「ただ苦くて、もがいたと思ってた?」
光雪の様子を窺いながら、一言ずつ間を空けて説明していく。
「杏仁は薬にも毒にもなる。故郷で普段よりずっと調子が悪いからって倍の量を飲んだ男がいてね。『死ぬほど苦しい、二度とやらない』って酷く後悔してた。回復するまで『死んだらこの苦しみから解放されるかも』って何度も思ったとか」
長兄に仕えていた武人が、深手を負って寝込んだときよりも大変だったと、しみじみとした口調で語っていた。
まるで陸に上げられた魚の気分だったと。
どれほど口を開け息を吸っても、息苦しさから逃れられない。息をしているのにしていないような、不思議な体験だったとも。
本物の馬鹿が居ると思ったものだ。
「もしかして公子様も……?」
「人が得られる最大の苦しみの末に亡くなっただろうね。わずか二歳にして。皇族に生まれた男児の宿命かもしれないけど、惨いと思う」
淡々と語って聞かせたら、顔が真っ青になった。
殺す気にはなっても、苦しみの末に死に追いやるような、残酷な真似をする気はなかったのだろう。「罪の無い人を二人、しかも一人は幼子を殺した気持ちはどう?」なんて安っぽい言葉は言わない。
むしろ攻めないからこそ、良心の呵責に訴えられる。
「君には野草の知識があるよね。刺繍のための糸、あれを染めてたのは君だ。竈の脇に白礬があったよ。色留めに媒染が必要なんて知識は、宮女が皆持ってるものじゃない」
「誰だってできる………………んじゃない?」
反論してきた。
まだ心は折れないらしい。
「街育ちにはない知識なんだよ」
思い違いをしているみたいだから正しておく。
「都の雰囲気に洗練されるかもしれないけど、それは着こなしとか手早く可愛い髪の結い方とかそういうものであって、機織りとか染物みたいな知識は田舎に住んでいる方が身に付くんだ。古着が買える環境じゃなく、自分たちの手で作らないと手に入らない物が多いからね」
作物の出来がイマイチでも野山の恵みがあるから、食に関して言えば街の貧民よりずっと豊富で、よほどの凶作でもなければ飢えはしない。
でも古着を買いたくてもたまの行商くらいしか来ない田舎では、機会そのものが少ない。
「君は機織りと染物が上手かったらしいね」
なんで尚服局に行かなかったのか疑問に思ったら、栢修容に引き抜かれたからだった。針仕事は苦手らしいけど、染めだけでも十分仕事が回ってきたらしい。
「君が生まれ育ったのが玄安の外というのは、もう知っている」
掌衛が調べさせたのは、宮女たちの実家と後宮に入る前の経歴。
「苦杏仁の木が近くに何本もあったのも。都の門を出てたった二日しかかからないのに医者も来なくて、だからこそ農民でも薬師の真似事で薬を作れるようになったっていうのもね」
目に見えて光雪の動揺が激しくなった。
それでも素直に自供する気にはならないようだ。
――嗚呼、抗わなければ心の内の何もかもを暴かれずに済んだのに。
この場に引き出された時点で、破滅は確定していた。
せめて一番傷が浅くなるくらいの保身を考えてくれれば、最後まで追い詰めなくても済んだのに。
「まあ供述できなくても仕方がないよね。両親を栢修容に押さえられていたら、言うことを聞くしかない。利用できると思った者の身内を、罠にはめて奴婢に落とすような相手、しかも皇帝陛下の妃だ。実家は末席とはいえ名門貴族だし」
栢家は以前の権勢を失って尚、二代に渡って娘を後宮に送り込み、どちらもが子を授かっている。
「もしかして……」
「うん、一度に僕が語っても、きっと君は納得しなくて足掻くからね。論駁させてもらった」
ついでに抵抗する気を失わすために、心を折り尽くすためだったとは、敢えて口にしないでおいた。
「全部、知ってて……」
問いには返さない。
それこそが答えだった。




