19. 宮女の身上書
羽和の死体は昨日と同じ、下に水が流れる寝台の上に安置されていた。いくら冷やしているとはいえ、そろそろ死臭が気になってくる。
――ここを待ち合わせにするのは、さすがにどうかと思う。
長く居たいと思う場所でないのは確かだ。
「鄭掌衛がお待ちです」
黙祷して目を開けたら、部下らしい宦官に告げられた。
――最初から別の場所を待ち合わせにしてほしい。
そうぼやきたかったけど、ただの使い走りに言っても困るだろう。
「来たか」
通されたのは昨日昼餉を摂った部屋だった。のんびりと茶を飲んでいるが、手元には報告書らしきものがあった。どうやら読み終わった直後らしい。
「進展が?」
「まずは茶でもどうだ」
掌衛が手づから茶を注いでくれたから、有難くいただく。
――清涼感が強めだ。
少々、臭いが気になる場所にいたからか、特に美味しく感じる。
スッキリとした香りと仄かな苦みが、やや男性的で引き締まった雰囲気だった。
――まるで笹が風にそよぐような。
柳と同じように、華やかではないけれど柔らかな女性的な感じではなかった。
なのに無骨でもない。
個人的な好みから言えば、昨夕の姑姑が淹れてくれた茶が一番。
でも今はこのお茶が良い……。
「美味しいですね」
鼻に抜ける香りも素晴らしい。
故郷では茶を飲む習慣はなかったけど、蔦華国に来てすっかり馴染んだ。帰る時には茶を大量に持って帰り、交易品として定期的に取り寄せようと思うほどに。
窓の外で風鐸が音を立てる。
「茶を美味そうに飲むな」
「実際、美味しいですからね。茶葉の選び方も秀逸です。外の暑さや疲れまで加味されて、一番合うお茶を出しているでしょう?」
思わずニンマリと笑ってしまった。
お世辞なんかではなく、本当に美味しい。「子犬を餌付けしている気分だ」と聞こえた気がするけど、多分気の所為。そんな失礼なことを言う筈がない…………と思う。顔を合わせて二日目だから、全然わからないけども。
ゆっくりと茶を楽しみ、未練たっぷりに飲み終えて卓に戻した。
「まずは昨夜の薬包の中身だが、杏仁毒で間違いなかった。それも作ってそう時間が経っていない」
「おおよその時間までわかるんですか? 種類だけでなく?」
正直、驚いた。薬の専門知識があると、そんなところまでわかるのか。
「杏仁毒はわかりやすい……らしい。なんでも『潮解』というのか、湿気を吸って溶ける性質があるらしくてな。押収したものは密閉が甘いのに、潮解していないと言っていた」
故郷の薔国は今時分でも乾燥しているから、カビたり溶けたりというのは少ない。
蔦華国とは真逆の気候だ。
「では何年も前に作られた線はナシ、今年の杏子の種から取り出されたと考えられるのですね」
「そうなる」
すごくわかりやすい。
でも普通の女の子に作る知識と技量があると思わないのが普通。
「……宮に仕える者たちの素性がわかったんですね?」
「これだ」
紙の束を寄越す。一番上は光雪だった。二枚目が僕を栢修容の元に連れて行った、確か美琳と呼ばれていた侍女だった。三枚目に妃本人。
どうやら下手人の可能性が高い順に並んでいるらしい。
最初の数人分を一気に読む。
「岳光雪は今までの証拠で引っ張れそうですね。侍女は……少し難しそうですけど、どうにかなりそうです。妃は駄目みたいですね」
田舎の出身で、近くに杏子の木が何本もあった。二種類の木の区別がついて当たり前の環境で生まれ育っている。今は両親が生家を引き払い、宮廷のあるここ玄安に移り住み、貴族の家人になっていた。
「そうだな……。お前ならどうする?」
「僕ですか?」
なぜ試すようなことを聞く、と言いたい。
ただの下っ端宦官で、何より掌衛の部下でもないにわか衛士モドキに。
「取敢えず夕餉の後、できれば陽が落ちた直後くらいに岳光雪を拘束します。夜中に尋問して、朝一番、できれば朝餉の前に美琳を拘束するのと同時に宮も閉鎖。栢修容の実家も、朝イチで押さえるでしょうね」
公子殺しは大罪だ。
皇帝の息子、即ち皇族殺しだから。
例え親が中書令のような高い地位についていたところで、まったく意味を為さないくらい。
「及第だな」
――だから何の?
僕は部下にならないと、この二日ほど言い続けているのに。
「誰でもわかる道理でしょう?」
夜なら動きが取りづらい。
陽が暮れた後、動くと思ってもいないだろうし。
後宮を出るには門衛に用件を告げねばならず、常なら息が掛かった衛士がいるか、鼻薬を嗅がせられる。
でも今は目の前の男が手配した、融通の利かない者に配置換え可能だ。実家への連絡も含め、外部の伝手を頼る手段が絶たれる。時間さえあれば、素人の小娘一人、堕とすのは造作もない。
「栢修容は岳光雪が下手人として、監視対象になっているのを知らないのでは?」
「ああ、参考程度に話を聞いたと思っているだろうな。首を吊った方をあからさまに疑ってみせたお陰で」
僕は羽和が怪しいとも下手人とも言わず「わからないから話を聞く」という姿勢を貫いた。
でも掌衛は下手人扱いをしていたらしい。
光雪のことは、あくまで友人枠という態度だったのかも。
「今日も、羽和を下手人扱いのまま処理を進めている振りを?」
「事件を片付ける振りをしている。お前を呼んだのも労う体裁だ」
「だったらわざわざ死体の前で待ち合わせなくて良かったのでは……?」
「下手人を再確認する。普通だろう?」
うっかり溜息を吐きそうになった。「無神経」と人から指摘された経験がないのか、この男は。
初夏の今、できてから三日目の死体がどれほどだと思っているのか。蔦華国は湿気が多い分、故郷よりずっと臭いが強いのだ。勘弁してほしい。
「なるほど。では協力した褒美がいただけると……?」
半ば八つ当たり気味に問う。
報酬が昨日の昼餉と何度かのお茶だけなのは御免だ。
「何が欲しい?」
「えっと……蜂蜜?」
「何で疑問形なんだ」
「いや、その……」
言葉に詰まった。本当は茘枝と言いたかった。でも蔦華国では栽培できないか、できたとしてずっと南の地方だ。傷みの早さもあって、取り寄せるなら昼夜を問わず馬を駆る労力が必要になる。
さすがに掌衛の実際の官位が高くても無理だ。
「もっと欲しいものが? あるなら言ってみろ。言うだけなら無料だ」
「……………………茘枝というものを食べてみたくて。見たこともないし、名前しか知らないので」
王女という身分を以てしても難しい果実を、下級宦官に窶している身で食べたいとは言い難い。
「俺も食ったことはないな。見た事ならあるが」
「だから止めたんです。口に出すの」
さすがの名門出身でも無理なのか。褒美に求めなくて良かった。
「賢明な判断だが、どこで知ったんだ?」
「尚書局の管理する竹簡の中で。類まれなる美味とありました」
「なるほど。確かに美味いらしいが、どちらかと言えば権力の味だ」
労力が半端ない、という意味か。歴代の美妃が愛した味というから、味わい深いのだと思っていたのに。
「しかし蜂蜜も大概だぞ?」
「僕の故郷では庶民でも食べられたので。蔦華国ではそれほど高価なんですか?」
「貴族の味だ。庶民が食べるのは……。田舎の方なら珍しくない」
蜂の巣を見つけたら食べられる。貴族に献上できないほど田舎なら、そのまま自分たちが口にできるという意味か。
「だったら何か適当な菓子でも……」
「無理だとは言っていない。今夜の働き次第で考えてやろう」
ニヤリと笑う掌衛に、まんまと嵌められたらしかった。




