12. さよなら平安、こんにちは不穏
「――!!」
掌衛が二口目を飲もうとして、机に零した。
勿体ない。上質なお茶なのに。
「黒といっても宮の誰かが関係している、というくらいしかわかりませんが」
「どうしてわかった?」
「花粉ですよ。羽和の裙についていたでしょう、赤茶けた汚れ。あれ、百合の花粉ですよ、多分。落ちないんですよね。そして後宮で百合が咲いているのは栢修容の庭だけです。ほかの見ていない妃たちの庭を除けば」
「わかった、ほかの妃の庭を確認しよう。しかし……予想以上の収穫だな」
ニヤリと掌衛が凄みのある笑みを浮かべる。ついでのように殺気を出した。
この人はどうしてこう、一つ一つの動作が威圧的で、偉そうなんだろう。
「それで?」
「栢修容と言葉を交わしましたが、この件に関わっているかどうかわかりません。実家から連れてきたと思われる美琳という侍女も。ただ公主様の世話係は関わっていなさそうですね。ずっと幼な子に付き添っている雰囲気でした。ちらりと見ただけの感想ですから、間違っているかもしれませんが。修容は曲者ですよ。もし踏み込むなら、言い逃れできないほどの確証を持ってからでないと逃げられるでしょう。自分が関わってなくて侍女が黒幕だったとしても庇いきれるかと」
「妃になるような女人は皆、曲者揃いだけどな」
「……でしょうね」
思わず溜息を吐く。
そうでなければ泉婕妤に、宮女の一人も付かないような嫌がらせはしないだろう。死んでも良いと思ったか、意図して死なそうとしたのかはわからないけど。
「首を吊った宮女の方は?」
「董昭容の宮は深い悲しみに包まれているのと同時に、首を吊った羽和を下手人と断定して憤ってました。でも生前の彼女は気立てが良かったみたいです。だからこそ裏切られたという気持ちが強いのかもしれません」
「こっちは妥当というか、当然の反応だな」
「ええ……。死に損でしょうね」
本当に羽和が殺したかどうか不明だ。状況的に怪しいというだけで。
しかも調べるほどに彼女が下手人ではないと感じる。
「物置には、首を吊るための道具はすべて揃ってました。衝動的に死のうと思っただけだとして、実行可能だったでしょう」
「殺そうと思ったとして、都合良く手段が揃っていたともいえるな?」
「そうなりますね」
僕が言い切ったあと、どちらも口を開かなかった。静かに茶を飲む。茉莉花の香りと茶の香りが見事に一つに合わさっている。蔦華国に来てから一番美味しいお茶が、人が二人も死んだ事件の調査中というのは素直に喜べないが。
――最初で最後というのが寂しいな。
こんな状況だったけど思い切り味わうことにする。茶葉が良いのはもちろんだが、淹れ方も素晴らしい。出迎えてくれた老女だろうけど、中々の腕前だ。
――現役時代は、さぞや重宝されただろうな。
後味までを余韻として楽しみ尽くした。
「さて――」
「行こうか」
僕は暇を乞う言葉を言おうとしたのに、なぜ次に行く話になっているのか、甚だ疑問だ。
「話を聞くだけ、という条件でしたが? それも掌衛様に怯える宮女や宦官に、との事でしたよね?」
「しかしお前の『気付き』は役に立つ」
「だから? ……最初の約束を履行してください。僕は尚書局の下っ端であって、間違っても事件を追うのは業務ではありません!」
ここまで我慢して付き合ったのだ。十分だろう。
「そんな訳で失礼します」
ぺこりと頭を下げて、仲間たちのところに戻ろうとした。
「許すとは言っていないが」
今日一番の悪い顔で嗤った。
「さあ、首を吊った宮女を確認しに行こうか」
有無を言わさぬ口調だった。
――これだから偉そうだとか、話が通じなさそうって敬遠されるんだ。
大きく溜息を吐いて不本意だと意思表示したが、意味はなかった。
羽和の遺体は寝台に寝かされていたが、下を水が流れ腐敗を少しでも遅らせるために冷やされていた。
横には所持品が並べてある。銀錠と薬包は鍵のかかる引き出しにしまってあるらしい。
――手巾が二枚と裁縫道具。
裁縫道具の中には数種類の色糸があった。制服がほつれたときなどに、手早く直すためだろう。
複数枚の手巾は汚れたときに別のものをすぐに使えるようにか……。否、誰かに手渡すためなのかも。
二枚は使い古されて、やや黄ばんだ傷んだ生地だ。片隅に桃らしき刺繍が小さく施してある。共同生活を送るから洗濯のときに紛れないような目印っぽい。董昭容付の宮女が言っていた通り、あまり刺繍は得意ではなかったらしい。少し形が歪だ。
さらに未使用の手巾が一枚。こちらは隅に青い糸で鳥の刺繍が入っていた。色からすると恋人に渡したかったのかも。桃よりずっと丁寧な仕上がりだし。
渡されなかった贈り物が、寂しげだった。
――恋人はいないって話だったけど、もしかしたら交際を周囲に内緒にしていたか、それとも人に言えない関係だったか。
少し考えるが、後宮という場所は特殊だ。たった一人の男のために集められた女人が住む箱庭なのだから、例え妃ではなく時機が来れば出ていく者とはいえ、大手を振って交際しているなんて言えるはずもない。
「気になるものはあったのか?」
「いえ、何も……」
恋人がいるかもしれないという、不確定過ぎる情報は黙っておく。もう少し確信を持てるか、少なくとも事件に関係があると分かれば説明しようと思いながら……。
「汚れというのは……?」
「これですよ、花粉」
砂金水晶色の裙に赤茶の汚れは目立つ。
とはいえほんの僅かだから見逃されたのだろう。
「見落としか……」
「節穴ですね」
口が悪くなっている自覚はある。でもヤサグレている所為だから仕方がない。
掌衛が少しばかり呆気に取られているうちに、効率よく調べていく。
まずは衣服から露出している部分。頭部とか髪、顔、首と下がって行って腕や手のひら、爪と見ていく。
――爪に何か挟まったりはしていない。
暴れて相手を引っ掻いたときに残る皮膚片とか、土汚れとか。
服の上から確認した次は、服の内側。とはいえ全裸にして死者を冒涜するような真似はしない。軽く裙の裾を持ち上げたり、衫(上衣)から覗いてみたりという程度。見える範囲だが、拘束されたような痕や、暴力の痕などはない。
裙を持ち上げたついでに沓を脱がせて襪(靴下)を確認する。足裏に土汚れなどはなかった。
「何かわかったか?」
「死体は怯えないのだから、語らせれば良いでしょう」
こちらにすべてを押し付けるな、と言ったところで掌衛は聞き流すだけだ。偉そうで困る。
「勿体をつけるな」
「では結論だけ……。この宮女は白です。殺されたんですよ。真の下手人にね」




