09. 昼餉
黙って後ろをついていくと後宮を抜けた。
――外に出るのは初めてだな。
とはいえ宮廷の中である。まったくと言って良いほど開放感がない。
何処を歩いているかわからないまま、同じ場所をグルグル回っているだけじゃないかって思えるほど、似たような場所を移動した。
「ここだ」
通されたのは執務室としては少し広いくらいの、外からは何の変哲もなさそうに見える部屋だった。
「食事処ではなさそうですが……」
「俺に与えられた部屋だ」
宮廷に部屋を与えられるとは、掌衛という役職は相当高いものなのだろうか……。
否、本当の役職が凄いのかもしれない。
宦官というのが仮の姿で実は武官であることは、証拠はないものの確信を持って言える。只の勘とはいえ、戦場で培ってきたものだから自信があった。
机の脚に派手な彫刻はないけど最上級の黒檀を使っている。相当に高そうだ。泉婕妤のために用意されていたものも、相当に良いものだったけど、こちらにあるのはそれより数段上の最高級品。宮廷で用意したものではなく、家から持ち込んだものかもしれない。
「どうした、キョロキョロして?」
「珍しくて……。初めて後宮の外に出たので」
嘘は言っていない。祥安なら宦官だから出る機会はあるだろうけど、本来の沙月では難しい。宴などに出席するために出られることはあっても、女性が後宮外に出るのはとても厳しいのだ。妃どころか下級宮女でさえ、奉公の年季が明けるまで外には出られなかった。
「そうか……。気に入ったものがあれば何か持って帰るか? 何なら運ばせるが」
ちょっとばかり意地の悪そうな笑みを浮かべながら言うが、下級宦官の房にあったら何事かと思われるだけだ。
――一体、何を考えているんだか。
良家の御子息は世間知らず……否、僕を試しているのか?
「こんな高そうな家具、僕に似合うと思いますか?」
「……そうなのか? 置いてあったのを使っているだけだからよくわからん」
何気ない風を装っているけど、目の奥が笑っていた。僕を試したって益なんかないのに。
「掌衛様、若造を揶揄うのはあまり良い趣味じゃないですよ」
少しむくれた振りをしながら言うと、ちょっとばかり傷ついた顔をした。暗に「大叔」みたいだと指摘したのがわかったのだろう。
――案外、繊細なんだな。
強面武官が傷つく様子に思わず笑いそうになったが、命が惜しかったので神妙な顔でやり過ごした。
「ここ、執務室なんですよね?」
「そうだが」
少し強引だったけど話を変える。
「職場なのに竹簡とかないし、あんまり仕事してる雰囲気がなくて。まるで寝る為だけの部屋みたいだなーって」
「不在時に誰が入ってくるかわからんのに、重要な物を置く阿呆はおらんだろう」
「……確かに」
役職が高そうだから、きっと重要な情報をたくさん抱えている。不用意な真似はしないってことだ。
――自分を必要以上に有能そうに演出する必要はない。
なるほどと思いながら、物珍しさに室内を見まわし続けた。
「そんなに珍しいか?」
「はい、珍しいです」
――蔦華国人の好みを反映した室内は。
貴族や王族という意味なら珍しいとは言い難い。母国では王女だったのだから。
だけど国や地域を限定するなら、やはり珍しくて興味深い。
――下級宦官なら、礼儀とか少々駄目でも許されるというか、知らないで済まされるんだから、この際しっかり見させてもらおう。
皇帝妃である泉沙月や薔国の王女マーファルとしてはできないことが、張祥安ならできるのだ。この機会を逃す気はなかった。
「そういや、この部屋って涼しいですね。陽射しが入ってこないからですか?」
開いた窓から風は入ってくるけど陽は当たらない。
「夏は陽射しが入らず、冬は入るように廂の長さを設計してある」
「凄いです!」
郷里の建物はそんなことを考えて作られていなかった。簾のように木の枝を糸で留めたものを窓に下げていただけで。
もっとも蔦華国よりもずっと乾いた土地だったから、陽除けというより砂塵除けの意味の方が大きかったけど。
土地が変われば建築も変わる。いつまで見ていても飽きなかった。
「昼餉をお持ちしました」
少しはしゃぎすぎていたのだろうか。部屋の扉が開くまで、人の気配を感じなかった。
宦官が持ってきたのは膳が二つ。
部屋に入るまで誰ともすれ違わなかったのに、さほど時間をかけず二人分が出てきたのか疑問だ。
それ以上に自分より階級が上の宦官に、食事を運ばせた方が問題かもしれない。
しかも茶まで注いでもらった。
――気付かない振りでいこう。
考えすぎたら、多分一歩も動けなくなる。
うん、それが良いと自分に思い込ませ、目の前の膳に興味の全てを注いだ。
「肉ですね!」
普段の食事の三倍はありそうな厚切り肉が美味しそうだ。
でもまずは茶を飲む。
「肉といいながら茶が先か?」
「だって喉が渇いてるんです。外は暑いし、普段と違って陽射しの下だし……」
飲み干した後、断って二杯目を注ぐ。さすがに黙って茶を飲むほどの無礼はできない。
「お代わり如何ですか?」
自分の杯を満たした直後、掌衛の杯も空になった。
「もらおう」
諾と返ってきたので、身を乗り出して茶を注いだ。
その間に肉を食べ始めていた。「お前も早く食べろ」と言われて、肉を摘む。
「おいしぃ……」
思わず涙が出そうだった。
毎日の食事はすごく美味しい。でも食材が全然違うのだ。脂がのってて柔らかいだけでなく旨味も多い。料理人の腕の違いは多分ないのだろうけど、肉の質が全然違っている。
口に入れた途端に蕩ける脂といい、ホロホロと崩れる肉といい……。
噛まなくても喉を通る。
「肉って飲み物だったんですねぇ……」
「そんな訳あるか!」
突っ込まれた。
豚肉を食べたのは蔦華国に来てからだけど、すっかりこの味にハマってしまった。本当に美味しい。
「幸せです」
「お前の幸せは安いな」
「そんなことないですよ。だって高級肉に幸せを感じてるんですから。下っ端が食べられないほどの高級肉ですよ? 安い訳ないじゃないですか」
玉が欲しい、琅玕(最高級の翡翠)の玉牌が欲しいなんて願いに比べれば、安いかもしれない。
でも手の届かないほど高価なものという意味では、肉も玉も変わらなかった。
幸せとともに食事を噛みしめ、気付いたら多すぎると思った昼餉をペロリと平らげていた。
「食べ終わったなら、宮女の話を聞きに行こうか」
「……はい!」
この日初めて、頑張ろうと思いながら席を立つ。少しばかり足取りが軽くなった気がした。




