衝突
「いやいや、すみませんね。お怪我はありませんか?」
車を路肩に止めると、クリスはゆっくりと車の外から出た。相手の車の出方を慎重にうかがいながら、塩沢にも外に出るよう合図を送った。
相手の車からは、無言でターゲットが降りてきた。しかし、雰囲気から殺意や敵意といった攻撃的な印象は感じられなかった。
(…妙だな)
マリーはクリスの顔に見覚えがあるはずだ。クリスが自分の命を狙っている存在であることは百も承知のはずだ。しかし、逃げようとも戦おうともせず、相手は無言、無表情でその場に立っていた。
塩沢は片手をコートのポケットに入れたまま車から降りてきた。その片手にはスタンガンが握られているのだろう。
「あの……よろしければ、私の保険会社に連絡しますが」
クリスはぶつけた箇所のへこみを指さして告げるが、相手は無表情を崩さない。ただ、こちらに対して殺意はないものの、非常に警戒していることは、戦いの機微を感じ取ることの難しいクリスでも、理解することができた。
塩沢が気絶させる隙をうかがっているが、相手はなかなか動かない。背中は車に預け、正面もきちんと身構えている。迂闊に飛びかかろうものなら、彼女の術で焼かれてしまうだろう。
「あの、この事故は私の責任なので、あなたは黙っている必要はないのですが……」
クリスが何と言おうと、彼女は無言だった。クリスはため息をつくと、彼女に背中を向けた。その瞬間、彼女は動いた。
「ナイスだ、クリス」
クリスの背後を取って攻撃を仕掛けようとしたところに、塩沢が割って入り首筋を掴み上げた。彼女はそのまま、背中から地面に叩きつけられた。
止めの一撃として、塩沢はスタンガンを突きつけようとしたが、そこで動きを止めた。
「……お前、マリー・ハーシェルじゃないな?」
「何だって?」
衝撃的な発言にクリスはその場で硬直してしまう。塩沢は悪態をつくと、女の首筋に掛けての不自然な線を描いている筋に触れた。
「やってくれるじゃないか、デコイとはな」
塩沢はその不自然な筋に人差し指を突っ込むと、乱暴に引きはがした。
「特殊メイクを施したマスクか。連中を少し見くびっていたな」
マリーの顔と髪を模したマスクが外れ、相手の素顔があらわになる。中に入っていたのはマリーと同年代、同体型の日本人女性だった。しかし、魔力が放出されていないので、彼女は契約主か魔族かのどちらかだ。
「……じゃあ、本物のマリーはどこにいるんだ?」
「この女に聞いてみればいい」
うろたえるクリスに塩沢は淡々と答えた。相手の女は塩沢に首を締め上げられて苦しそうな顔をしていた。声を上げようにも、蹴りつけようにも塩沢の固め技が完璧すぎてまるで身動きが取れなかったのだ。そして、やがて彼女は動かなくなった。
「おい、いろいろ聞き出さなきゃいけないのに絞め殺したら意味ないだろ!」
塩沢は固めの姿勢を解くと、女の首筋に触れた。そして、鼻に耳元を近づけた。
「落ちただけだ。死んではいない。しばらくすれば意識は戻るだろう」
自分の服についた汚れを払うと、塩沢はクリスの方を向いた。
「とりあえず、この場を離れるぞ。見られたら騒ぎになるからな。クリス、手錠を貸せ」
クリスは車の中を漁ると、女を後ろ手にさせて取り出した手錠をかけた。ついでに念のためとして、タオルを口のまわりに巻き付けた。
「しかし、抵抗らしい抵抗はしなかったね。魔族か契約主のはずなのに」
女を後部座席に押し込む塩沢を横目に、クリスはつぶやいた。そして、問題はこの後だ。
「彼女の車はどうするんだ。ここに乗り捨てるのかい?」
「……とりあえず、人目のつかないところまで行こう。尋問はそれからだ。その車はお前が運転しろ。俺が先導する」
幸いあたりが暗いこともあって、誰にも見られてはいないが、この道路はそれなりに交通量がある。早めに離れた方が良いのは確かだった。
相変わらずの手際のよい元同僚の姿にため息をつきながら、クリスは女の車に乗り込んだ。そして、例のジンクスが破れなかったことを不幸に思った。




