提携
「届けてきた。相手は確かに読んだはずだ」
「そりゃ、お疲れ様。でも、報告なら電話でいいだろう。何でわざわざ戻ってくるんだ」
不愉快な口調で、クリスは塩沢に告げた。塩沢はクリスに目を合わせずに、クリスの机に背を向けてソファーに腰を下ろした。
そのまま、塩沢は無言でソファーに座り続けていた。クリスは苛立って机を叩いた。
「僕はマリーを追わなきゃならないから、そろそろ出かけなきゃいけない。君にここに居座られると迷惑なんだ。君が留守番してくれるというのならともかく、そうでもないなら、早いところ、帰ってくれないか?」
「……俺も手伝おう。お前のその仕事を」
クリスは塩沢が何を言っているのか理解できず、何も言い返せなかった。塩沢は続ける。
「相棒が病院送りにされてしまってどうしようもないんだろう。幸か不幸か、俺の手は今空いている。一人よりも二人、手伝ってやると言ってるんだ」
クリスに背を向けたまま、塩沢はつぶやくように語った。クリスは呆気にとられてしばらく沈黙していたが、やがて判断力を取り戻して口を開いた。
「仮に手伝ってくれるとして、君は何をしてくれるんだ?」
「決まっている。銃火器を使用しての火力支援だ。それ以外に俺に何ができると思ってる」
「マリーの頭に鉛弾をぶち込む。君らしいと言えば、君らしい」
クリスは皮肉を込めた口調で答えた。塩沢は厳しい表情を浮かべて口を開いた。
「俺としては、失敗のジンクスは、今回で終わりにしたい」
クリスは席を立つと、塩沢の向かいのソファーに腰を下ろした。
「もし、ジンクスが破れなかったら、君はどう責任をとるつもりだ?」
「…責任なんて取れるか。俺は別に、報酬目当てで手伝うわけじゃない。無償の仕事だ」
クリスは塩沢の目をにらみつけた。塩沢は平然とした様子で天井を眺めている。
今までにこの二人が組んで受けた仕事はことごとく失敗し、何一つとして成功例がない。塩沢の腕は確かなものだが、それがクリスを躊躇させた。
それでも、今はとにかく人手が足りない。人を雇おうにも、誰も賞金のかかっていないマリーなど狙おうとはしない。雀の涙のようなクリスのギャラを受け取るよりも、直接時雨を狙って賞金を手にした方がよっぽど得だからだ。
唯一の例外が横越だったが、それは単純に、横越に恩を売っていたからで、それに加えて、横越も裏社会の人間として失格なレベルに恩に篤かったからに過ぎない。
そうなると、もう残された方法は一つしかない。クリスは胸の奥で渦巻く抵抗感を無理矢理に抑えつけた。むかつきをこらえて、拳を握りしめる。
「わかった。じゃあ、運転を頼む」
「俺は車で待っている。準備を済ませたら来い」
素っ気ない口調で塩沢は言い放つと、そのまま部屋から出て行った。残されたクリスはしばらく閉じたドアを眺めていたが、やがてゆっくりと息を吐きながら立ち上がった。
金庫の鍵を開け、中から拳銃を取り出しカバンにしまった。そして、机の引き出しから数枚のマジックカードを引っ張り出すと、背広の内ポケットに納める。
「本当に、あのジンクスは、終わりにしないと」
スーツのネクタイを締めて気合を入れると、クリスは事務所からゆっくりとした足取りで出た。エレベーターで正面玄関に出ると、何度か乗ったことのある車が停まっていた。
一呼吸おいて助手席のドアを開けると、クリスは中に乗り込んだ。塩沢は仏頂面で車のキーを回し、エンジンをかけると、初めて自分からクリスに視線を合わせた。
「それで、目的地はどこなんだ?」
「二度手間で悪いけど、川崎の例の廃工場に向かってくれ。マリーは、まだ今日は外に出てないはずだから」
塩沢はギアをドライブに入れると、アクセルを踏んだ。ゆっくりと車は動き出し、大通りに出た。赤信号で車を止めると、塩沢はハンドルを指で叩きながら尋ねる。
「どうして、マリーがそこにいるとわかる。もうすでに移動しているかもしれないのに」
「……廃工場のすべての出入り口に監視カメラとレーダーをセットした。人の出入りは、すべてチェックしてある。昨夜以来、マリーは外に出ていないから、中にいるはずだ」
信号が青に変わり、塩沢はアクセルを踏んだ。再び車は神奈川県へと向かって進みだす。
「ところで、君の手紙の渡し方もカメラで見ていたけど……」
塩沢は顔をしかめると、アクセルを強く踏み込んだ。車は急加速し、横を向いていたクリスはシートの背もたれに叩きつけられた。
「…文句でもあるのか?」
「いや、君らしくもない平和的な渡し方だなと、そう思っただけだよ」
塩沢は車のスピードを緩めると、ゆっくりと息を吐いた。
「仕方ないだろう。無理に受け取らせれば角が立つ。下手をすれば、そこで抗争の幕開けにもなりかねない。特に、俺はそれなりに顔が知られているんだから」
「今時、葬儀屋の異名をとる裏社会の仕事人が、ピンポンダッシュなんてね」
クリスはくすくす笑いを浮かべた。塩沢はため息をついた。
「それでも、きちんと応対の人間は手紙を拾ったんだから、問題ないだろう。ただ、中身を読んで、彼女が指定された場所まで来るかどうかまでは保証できない。文句あるか?」
「別に僕は、君にケチをつけているわけじゃないんだけどね……」
クリスは正面を向くと、晴天の東京の空を眺めた。空気は乾燥しているが、決して不快な気候ではない。むしろ、穏やかな日差しが心地よかった。
信号待ちの間、塩沢はゆったりとした仕草で欠伸をした。それを見て、クリスはやや落ち着いた気分になるのを感じた。
「君も、たまには息を抜いたらどうなんだ? 最近は、ずっと働き詰めだと聞いたけど?」
塩沢は伏し目になると、棘のある口調で答える。
「嫌味のつもりか? 俺は常に動いていないと不安定になることを知っているくせに」
「それは悪かったね。でも、僕からしたら、君は働き過ぎだ」
塩沢は常に何かしていないと精神的に不安定になる人間であるということは、クリスも昔からよく知っていた。しかし、最近はその度がさらに増しているようにも思えた。
精神的に何らかの特異性があるのは、裏社会の人間にとって決して珍しいことではない。それが仕事に支障をきたすのならともかく、今の塩沢は仕事を完璧にこなしている。別段、クリスがとやかく言うべき問題でもない。
それでも、今のクリスの目に、元同僚は少し疲れているようにも見えた。




