決断
ここ数週間、ずっと頭から離れなかったことがある。飽きるほどの自問を繰り返し、飽きるほどの自答を繰り返してきた。それについて、今も変わりはない。
もう答えは出ている。自分がなすべきことなどわかりきっている。
ただ、情けないことに、自分にそれをするだけの能力がない。それだけでなく、その能力を得るための時間もない。事態は一刻を争う。
仮に、その試練を乗り越えて、なすべきことをやり遂げたとしても、それは問題の解決を意味しない。物事の根本的な解決とはならない。
根本的に解決するための手段については、これもはっきりしている。しかし、それも自分の能力の限界を超えている。今の自分では到底実現不可能だった。
結局のところ、何もできないのだろう。何もできないまま、時機を逸して、そして全てが終わる。そうなるであろうことは、ほぼ確定している。
何か、超自然的な現象が起きて、今の自分が動けるようになったのなら、また話は変わってくるのだろう。しかし、そんなことは期待できない。自分の身の回りに、そんなことが可能な存在は一人としていないのだから。
「………何ということだ」
無念さが心を走り抜けていく。悲しみが加速していく。
自分は、普通の人間ではない。誇張ではなく、それは事実だ。しかし、この局面では何の役にも立たない。周囲にも、普通ではない存在が複数存在する。しかし、彼らも何の役にも立たないという点では共通している。
役に立たないというのは言い過ぎかもしれない。しかし、何か解決に役立つとしても、彼らにとって何の得にもならないことを、あえてしてくれるとは思えない。
自分にできることなどない。
しかし、本当にそうだろうか。事態に直接関与できなくても、その情報を知ることくらいのことはできるのではないだろうか。それで、事態が変わらなくとも、自分の気持ちは変わるのではないか。そうすれば、少なくともこの暗く重苦しい気分から逃れられる。
「……渋谷、クリストファー・クロカワ」
その言葉をつぶやいた途端、体がいきなり動いていた。
気が付いたら、コートを着込み歩行杖を手にした状態で、ホテルの廊下に立っていた。
「放浪癖もここまで来ると、本当に病気だね。まるで夢遊病」
後ろからかけられた声で、彼は我に返った。杖を軸に半回転すると、声の主を見つめた。
「どこに行くの?」
ふわふわの金髪の少女は、壁に寄りかかりながら、天井を見つめていた。問いかける声はとげとげしく、表情は険しい。
「……渋谷に」
「その体で? こんな時間に? しかも、一人きりで?」
腕組みしながら、彼女はにらみつけてくる。しかし、そんなことはどうでもよい。
「何も聞くな。別に危険なことをしに行くわけじゃない」
「……つまり、ついてくるんじゃないと言いたいわけ?」
「すまない。迷惑をかけっぱなしだが、そういうことだ。不満かもしれないが、我慢してくれ。これは、俺だけの問題だから」
情けないとは思う。もう少し自分に自信が持てていたのならば、詫びることなく、そのまま啖呵を切って飛び出していただろう。
「連絡はいつでも取れるようにしておく。何かあっても大丈夫だから……」
「あまり、私を怒らせない方が身のためだよ」
「なあ、セイス。昼間、俺の言ったことを思い出してくれ。俺にはどうしても、やり遂げなきゃならないことがあるんだ」
ここに至って、初めて相手の名前を口にした。セイスの顔が若干和らぐ。しかし、その和らいだ表情とは裏腹に、彼女が口にした言葉は残酷なものだった。
「なるほど。彼女が生きているうちに、一目会っておきたいと。最後のお別れの挨拶か」
その言葉が耳に入った瞬間、胸が締め付けられるような苦しさを感じた。セイスの言葉は彼女の死を避けられないものだと位置づけていた。もはや、それは運命づけられたものであり、ここ数日のうちに確実に起こるものだと考えている。
「あいつは、死なない! 俺がさせない!」
反射的に大声を出していた。しかし、大声を出したことで、傷に激痛が走った。
「ぐっ!」
「龍太!」
痛みのあまり、腹部を押さえてその場に膝をついてしまう。セイスは心配と呆れの入り混じった表情で駆け寄ると、取り落とした歩行杖を取り上げた。
「これは私が預かる。もうちょっと説得力のある言葉を用意してくることだね」
セイスは西村の体を支えると、彼の部屋のドアの隣の壁にもたれかけさせた。そして、杖を持ったまま、彼女は自分の部屋に戻って行った。
彼女が部屋のドアを閉めるのを見届けると、西村は視線を自分の足に落とした。
歩行杖を没収されてしまった以上、もはや部屋で寝ているほかない。壁伝いに歩くことはできると言っても、それは室内での移動に限られる。
「畜生、中里……」
悔しさのあまり、言葉が漏れた。
セイスの言う通り、何もしなければ、彼女の命はそう長くはもたない。何人もの凄腕の裏社会の賞金稼ぎが、彼女を狙っているのだから。
実力で自分の無力さを思い知ることになったのは、これで二度目になる。一度目は、霧矢に叩き伏せられ、そして、刺されて意識を失った。気が付いた時には、すべてが終わっていて、彼女は自分の目の前から姿を消していた。
自分が愚かな人間であることに異論はない。だが、今となっては、そんなことはどうでもよい。今はただ、彼女に会いたかった。
しかし、それすら今の自分には難しかった。ズボンに水滴が落ち、染みとなった。それは一滴だけにとどまらず、二滴、三滴と続けて落ちていく。
顔を拭うこともなく、無言のまま下を向き続けていると、いきなり肩を叩かれた。
「西村よ。こんな公共の場で大の男が泣くな。見苦しいぞ」
顔を上げると、眼鏡のミスマッドサイエンティストが自分を見下ろしていた。




