制御
「辛すぎる……」
「ほら、言わんこっちゃない」
水と担々麺を交互に口にしながら、霧矢は涙目になっていた。そんな霧矢を、霜華は半分呆れたような表情で見つめていた。
もう四杯目となるコップの水を飲み干すと、霧矢はため息をついた。唇は腫れ上がる寸前となりつつある。
「それにしても、前々から思っていたけれど、どうして霧君はそんなに非効率な行動をとるのかなあ。利己主義者を自称しているのに」
「……中途半端だからさ。僕にとって物事を極めるなんてことは無理なのさ」
自分で言って情けなくなったが、それは紛れもなく真実だった。
「中途半端っていい言葉だよね。それだけで、大体の矛盾が正当化されるんだから」
霜華の言葉はとげとげしさを含んでいた。霧矢は敢えてそのとげとげしさには気付かないふりをして、やたらと辛みの強い麺をすすった。
「矛盾のない人間なんているものか。もしいるとするならば、そいつは思考能力の欠けた人間だ。矛盾があるのは思考している証拠でもあるからな」
「そうやって、すぐ反論できない一般論を持ち出して、話題を逸らして問題から逃げる。霧君の良くないところだよ。現実の問題を直視しなよ」
「直視したところで、解決できるような問題だったのならば、それでもいい。でも、今回の問題がそうだとでも思っているのか?」
霜華は言葉に詰まってしまう。霧矢はため息をつくと、水差しを取り上げ、空になったコップに追加の水を注いだ。
「片平家の問題はともかく、中里の問題は、僕たちにはどうにかしたくても、どうしようもない。友達の命に関わる問題ではあるが、僕や西村では解決できない」
「随分と淡々と言うんだね。本当はショックなんて受けてないみたいに」
霧矢はその言葉に対しての返答はしなかった。
本当はショックなんて受けていないというのは、もしかしたら真実なのかもしれない。事実、霧矢は西村と違い、時雨についての話を聞いた後でも平然としていた。そして、この場で、平然とした表情で夕食を口にしている。
時雨に対しては、気の毒だとは思うものの、だからといって、自分の身に起きている問題と同様に考えているわけではない。極論すれば、所詮は他人事なのかもしれない。
(我ながら、薄情者だな……まあ、いいか)
辛口のスープを全部残して箸を置くと、霧矢は背もたれに体重をかけた。食べ終わった霧矢に、霜華はチャンスとばかりに質問を始めた。
「じゃあ、この話題は終わりにして、解決可能な問題について、話すことにしましょう」
「……解決可能な問題だって?」
「中里さんの話題じゃなくて、片平家のお嬢様についての話題だよ」
「悪い。急に胃が痛くなってきた。体調が悪いから、そろそろ戻らせてくれ」
霧矢はわざとらしく鳩尾のあたりを手で押さえる。霜華は表情を硬くすると、霧矢をにらみつけた。彼女の手には氷の針が握られている。
「目に突き刺すよ。これ以上ふざけたら」
「………おっかないことを言わないでくれ。それに、僕の目を突き刺さなければいけないほど、重要な質問なのか? それは」
「言うに及ばず。理津子さんから頬を引っぱたけとまで言われたんだから」
霜華は即答する。霧矢は仏頂面を浮かべたまま、沈黙していた。
「で、どうするつもりなの? 片平社長が帰ってきたら」
「……会うだけ会って、そのまま帰るつもりだ。どんな話題について話すことになるのかは、まだ何とも言えないが……」
霜華は霧矢を疑いの眼差しで見つめていた。疑念に満ちた声でさらに質問する。
「……本当に婚約を申し込まれたら?」
「断る。そういうことを決めるには、僕はまだ若すぎる」
「……本当なんだね?」
「僕に嘘をつかなければならない理由はない。それについては同意見だと思うが?」
霧矢は真剣な表情を浮かべると、霜華の顔を凝視した。霜華はまだ疑念の表情を崩していなかった。仕方なく、霧矢はダメ押しの一手を打つことにした。
「……美香のやり方は嫌いなんだ。正攻法で行くんじゃなくて、相手の退路を断ったり、無力化することしか考えてない。そんなやり方で来られても好きになれるはずがない」
美香のやり方は嫌いという言葉に、霜華は反応した。
「そっか……なら、一安心かな」
表情を綻ばせると、霜華は霧矢から目を逸らした。
美香の話題に関して、霜華の扱い方のコツをつかめたことで、霧矢は一安心した。少なくとも、これで、脳天を氷の矢で貫かれるリスクは大幅に減少した。後は、慎重に話題を選び、相手を刺激せずにこの場を切り抜けることができれば、万事解決と言えるだろう。
「いずれにしても、まあ、もともと予定は一泊なんだろう。僕はそのうち戻るから、安心してくれ。明日帰るときは、駅までちゃんと見送ってやるから」
「そう。ありがと」
店を出ようと椅子から立ち上がろうとしたその時、霧矢のポケットが振動した。
「レイさんだな。電話じゃなくて、メールか……」
彼女のメールには、ホテルの前で待っているので、そろそろ戻ってきてほしい旨が記されてあった。また荒っぽい運転に付き合わされることになりそうだが、それはそれでやむを得ない。霧矢は苦笑いを浮かべると、再び夜の街に足を踏み出した。




