期限
「……せっかくいい気分だったのに、何でこうなるかな。あなたはともかくとして、どうして隣にそいつがいるのか。聞いてもいいですか? 内野巡査部長」
「…ほろ酔い気分で気持ちよく帰ってきたところ、本当に申し訳ないんだけど、急に聞かなきゃいけないことができてね。クリス君、悪いが、中に入れてくれるかい」
残念そうな口調で、内野は顔を赤くしたクリスに答えた。クリスはため息をつくと、事務所の鍵を開け、廊下に立ち尽くしていた二人を中に招き入れた。
事務所の照明のスイッチを入れると、クリスはカバンをデスクの上に放り投げ、乱暴にソファーへ体を投げ出した。
「で、聞きたいことって、何ですか?」
「今日の午後、池袋で爆発事故が起きたことは知っているかい?」
「…まあ、ニュースで聞いたくらいだね。で、わざわざあなたが出てくるということは、異能がらみの何かだったってことかな?」
「……証言から、犯人は中里時雨とみて間違いない。で、動機は、裏社会の仕事人を抹殺することだったようだけど」
内野は書類カバンの中をごそごそと漁ると、男の写真とその身上が書かれた調査報告書をクリスの前に差し出した。
クリスは書類を受け取ると、面倒くさそうに拾い上げ、書類に目を通した。写真を見た途端、クリスの表情が固まった。
「横越が、病院に運ばれた?」
写真の男はクリスの良く知る人物だった。
「その横越源太郎の話では、お前の依頼でマリー・ハーシェルを狙って、あと一歩のところで逃したそうだ。そして、その制裁ということで、中里時雨にやられたらしい」
「…それで、横越は!」
「…一命を取り留めたよ。偶然通りかかった一人の女の子のおかげでね」
内野は塩沢と顔を見合わせると、一気に酔いの醒めたクリスに答えた。クリスは顔色を青くすると、水差しからコップに水を注ぎ、心を落ち着かせるように口に水を含んだ。
「…お前は横越にマリーの暗殺を頼んだのか?」
「ああ。あくまで頼んだのは偵察だけど、チャンスがあれば狙えとも言った。だが、まさか制裁に来るとは…しかも、よりによって中里時雨が、危険を冒してまで……」
「……クリス君、君らしくもない。何でそんな裏社会に入って日の浅い人間に、そんな暗殺なんて大それたことを頼んだんだ。別に責めるわけではないけれど……」
内野は腑に落ちないといった顔で尋ねる。クリスはやや困った顔で首を横に振った。
「他に適当な人材がなかったからさ。普通なら懸賞金狙いで、マリーじゃなくて中里時雨を狙うだろう。僕の言うことを聞いてくれそうな人間、つまり、中里時雨に手を出さないと思われる人間は、彼しかいなかったのさ」
クリスは残念そうにつぶやいた。内野は塩沢を一瞥すると腕組みする。
「塩沢か古町、あるいは中条さんに助けてもらえばよかったんじゃ……」
「俺を除いて、全員忙しい。特にここしばらくの間、中条さんと水葉は、香港の麻薬ブローカーを潰すため、日本を空けている。他のメンバーもいろいろあって動けない」
「それに、君と組んで仕事をすると、必ずと言っていいほど失敗するというジンクスがあるからね。ガス漏出事件にしても、神戸の密輸グループ調査とかね」
クリスは塩沢を眺めると、うんざりしたような口調で言い放った。塩沢は反論することもせず、目を細めて窓から外の様子を眺めていた。
「…で、その唯一の協力者が倒れた今、君の作戦はどうなるんだい?」
「変わらないさ。急いで、マリーの息の根を止める。それだけだ」
「だったら、悪い知らせが一つある」
「……何だよ」
横槍を入れた塩沢に、クリスは不愉快そうに表情を歪めた。塩沢はクリスに背中を向けたままで口を開いた。
「マリーが明日か明後日に、日本を離れるらしい。中里時雨を日本に置いたままな。予定では半月ほど東南アジア方面に向かうらしいが、具体的な行き先まではつかめなかった」
「半月だって? 半月もあれば、中里時雨は仕留められてしまうぞ!」
「お前もあいつを追って日本を出ると言うのならともかく、日本国内で済ますというのなら、タイムリミットは明日か明後日だ。一応、忠告しておくが……」
クリスは歯噛みした。相棒である横越が動けなくなってしまった以上、明らかに人手が足りない。そして、自分自身も戦闘や暗殺はあまり得意ではない。それらを大の得意とする暇人は目の前にいるが、その男と組むと必ず失敗するというジンクスがある上に、彼とはずっと反りが合わなかった。彼と共に仕事をするなど願い下げだった。
「僕は無理だよ。警察官に暗殺の手伝いなんて頼まれても困る」
「ああ、わかってるよ。いくらなんでもそんなことを頼んだりはしない」
クリスは苦々しい口調でそう答えると、頭を抱えた。
「とりあえず、僕も協力できることがあるのなら、協力することもやぶさかではないけれど、今回で、僕にできそうなことと言えば、特にないだろう?」
「ああ、残念ながらない。お心遣いどうもありがとう」
感謝の気持ちが微塵も込められていない声で、クリスは礼を言った。内野は残念そうに首を振ると、この話は終わりだと告げた。
「…ところで、さっきまで随分と上機嫌だったようだけど、何をしていたんだい。女の子をナンパでもしていたのかな」
「内野巡査部長。警視庁であなたが嫌われている理由がわかったような気がするよ」
「だが、事実だろうな」
嫌味を込めた口調で返したクリスに、感情のない声で塩沢がさらに返した。
「……ああ、そうだよ。女子高生と食事をしていたんだ。しかも、君のことを知っている女子高生だ。驚いたかい?」
塩沢はピクリと動く。目を細めて振り向き、初めて塩沢はクリスと視線を合わせた。
「…木村文香。中里時雨のことについて聞いてきたから、教えてあげたよ。彼女が第一級危険人物に指定されたことをね」
「木村文香だと? 彼女も東京に来ているのか?」
塩沢は低い声で唸った。内野は塩沢に誰のことかと問いただしたが、塩沢はその質問を無視すると、クリスに食ってかかった。
「彼女が何者か知った上で、話したのか?」
「…中里時雨の友人だとか。あの雨野レポートの作成者と親しく、マジックアイテムの開発にハマっていると話していたな。君と水葉のことを知っているとも言っていた」
「…それだけか?」
「それだけだよ。別に、彼女は何か早まったことをするような人間には見えなかったし、話しても問題ないと思ったけどね」
険悪な表情を浮かべている塩沢を気に掛けることもなく、クリスは淡々と答えた。そして、話の筋から内野は塩沢が何を考えているのかを大体察した。
「塩沢。もしかして、その木村文香という女の子は、さっきの北原霜華や三条霧矢とも親交があるのかい?」
「親交があるどころではない。もはや彼らは一体となって行動していると言ってもいい。だから、この馬鹿のおかげでまずいことになるかもしれん」
聞き捨てならないとばかりに、クリスは顔を赤くして大声を上げた。
「誰が馬鹿だ! 僕のことを馬鹿というからには、何故、僕のなした行動が馬鹿と非難されなければならないのか、ここで、説明してもらおうか!」
塩沢はため息をつくと、クリスから視線を逸らし、内野と顔を合わせた。
「彼女は、もう霧矢君たちにこいつから聞いたことを話しているだろうな」
「僕もそう思うけれど、まずは、クリス君に説明してあげなよ」
塩沢は露骨に嫌そうな表情を浮かべたが、そうする他に妥当な選択肢もなかった。




