詰問
「…そんなことがあったのですか。まったく、負けず嫌いと言いますか……」
やや荒っぽいハンドルさばきで運転しながら、レイはため息をついた。
「二人ほど、倒してしまいましたが……大丈夫でしょうか……」
「霧矢さんが心配なさる必要はございません。大丈夫です。数日、休みを与えておけば、回復するでしょう。あのチームは、意外とタフですから」
レイはくすくすと笑いながら、交差点を左に曲がった。霧矢はほっと息をつくと、座席の背もたれに体重を預けた。
「それにしても、霧矢さんもなかなか戦いに慣れてこられたようですね。あの二人はそれなりに荒事には慣れているのですが、一蹴するとはさすがです。まあ、元旦のあの戦いを見て、あなたが強いことは十分承知いたしておりましたが」
レイがアクセルを踏み込むと、車はスピードを上げていく。霧矢は揺さぶられて顔が青くなっていた。やはりレイの運転は苦手だった。それは隣の霜華も同じようで、霧矢と同じく顔を青くして、先程からずっと沈黙を続けていた。
二人とも昼から何も食べていないので吐くことはないが、気持ちが悪くなっていたのは同じだった。特に、帰宅時間帯のラッシュの中、混雑する道路を無理に走り抜けているため、もともと快適とは言い難いレイの運転が、さらに過激なものとなっていた。
「すみません、もう少し、スピードを下げてください……私、酔いそうです」
ずっと沈黙を続けていた霜華が、ここにきてやっと口を開いた。レイはすまなさそうな表情を浮かべると、ゆっくりとアクセルを戻した。
顔を青くしていた霜華も少し顔に色が戻り、ずっとうつむいていた顔を上げた。
「……私、車は苦手みたいだよう…」
「バスは平気だったようだが、自家用車はダメなのか……」
思い返してみると、霜華と一緒に自家用車に乗ったことはなかったような気がする。バスには数回一緒に乗ったが、その時は平然としていた。
もっとも、今回に限っては、車がどうこうという問題でもない。あくまで運転の腕の問題と言うべきだろう。少しはましになったとはいえ、決して上手いとは言えないレイの運転に二人で耐えていると、やがて、車はゆっくりとホテルの前で止まった。
「…すみません。僕も少し酔いました。少し休んでから、また、戻りましょう…」
霧矢はふらふらとした足取りで車から這い出るようにして降りると、同じように足元が揺れている霜華の肩を支えながら、ホテルのロビーに向かおうとした。レイは運転席の窓を開けると二人に呼びかけた。
「申し訳ありませんでした。それと、お二人はご夕食をまだお取りになられていないでしょう。ちょうど良い機会なので、適度に時間が経ったら、またお迎えに上がります。霧矢さん、携帯をお借りしてよろしいですか?」
「ああ……そういえば……」
霧矢は昼間美香に消されたレイのデータのことを思い出す。まだ数時間しか経っていないのに、妙に昔のことのように感じられた。
データを再び交換すると、レイは携帯を返した。霧矢は車が荒っぽい走りで去るのを見届けると、ふらふらしている霜華とともにロビーに入った。
とりあえず霜華をロビーのソファーに座らせると、霧矢は気分を落ち着かせるために深呼吸した。それを何回か繰り返して、ようやく荒っぽい運転による感覚のブレを修正することができた。霜華も霧矢をまねて深呼吸していたが、彼女の回復は霧矢より遅かった。
「まあ、落ち着いたら、どっかに食べに行こう」
まだ目の焦点が合わないで頭を揺れている霜華を眺めていると、ホテルのエントランスの自動ドアが開き、夕食帰りと思わしき三人組の姿が現れた。
「……おや、霧矢までいるんだ」
「随分とご機嫌だな。それより、木村はどうした」
本来ならばもう一人、この場にいるはずなのだが、その一人の姿が見えない。霧矢の質問に、晴代は不機嫌な表情を浮かべると、乱暴に霧矢の隣に腰を下ろした。
「文香ったら、あたしとの夕ご飯の約束を勝手にドタキャンして、どこかのレストランで、一人で食べてるんだよ。信じられる?」
「静かに夕食を味わいたいと思っているのなら、十分ありうる話だな」
「ひどい!」
真顔で返した霧矢に、晴代は憤慨する。少し遅れて、杖を突きながら西村は霧矢の向かいのソファーに腰かけた。彼の隣にセイスも座る。
「ところで、霜華ちゃんは大分、元気がないけど、何かあったの?」
「…大丈夫、車に酔っただけだから……」
弱った声で答えた霜華に、晴代はふむと簡単にうなずくと、霧矢の顔を凝視した。
「あんまりじっと見るな。僕に何か聞きたいことがあるなら、口で言え」
「うーん。どうやら、引っぱたかれた痕はないか。と言うことは、まだなんだね」
「何の話をしてるんだ」
意味がわからず、呆れた口調で尋ねた霧矢に答えたのは、晴代ではなく西村だった。
「お前のお母さんが、霜華にお前を引っぱたくように言ったそうだ。俺はそう聞いた」
「そうそう。霧矢が京浜製薬のお嬢様と婚約するとか何とか……」
「とんでもないことを言うな! 確かに、美香は父さんから許可は貰ったとか言っていたが、僕の意志はノーだからな!」
四人から疑いの眼差しが向けられる。霧矢は顔を赤くすると大声でまくしたてた。
「…そもそも、美香の両親に僕はまだ会ってないし、それ以前に、僕はさっさと浦沼に帰りたいくらいなんだよ!」
「彼女、昼に、今夜も一緒に寝ていいとか言ってたけど?」
霜華の発言で、その場にいた全員が驚愕する。特に、晴代に至っては目を輝かせて続きを聞きたいと顔で語っていた。
「昨夜は、危うく一緒に寝かされるところだったが、何とか別の部屋にしてもらった。むこうは本気のようだったが、僕は願い下げだ……」
自分でも何ということを話しているのだろうと情けなく思いながら、霧矢は答えた。
「三条、お前……」
「だ・ま・れ! どうせ、何てもったいないことをしたんだとか言うつもりだろう! だがな、万が一、そんななし崩し的に美香と関係を持とうものなら、僕の周囲からの信用はがた落ちになるだろうが!」
「そんなことになったら、信頼以前の問題だよね。まあ、霧矢は分別のある人間だから、そんなことはないと思うけどね」
「いやいや、霜華ちゃんがこんなに心配するくらいだし、霧矢だって男の子だから…」
「晴代、剣と力砲。好きな方を選べ」
晴代は沈黙した。霧矢の声は本気の殺意を帯びていた。しばらく、沈黙があたりを支配したが、やがて、セイスがその沈黙を破った。
「……ところで、霧矢はいつまで東京に留まるつもりなの?」
「あ、そうそう。私もそれを聞きたかった」
「残念なことに、片平社長夫妻がアメリカから戻ってくるまで、滞在させられることになった。まあ、一週間以内には戻れるかな……多分」
霧矢の答えに、霜華は怒ったような表情を浮かべた。霧矢はため息をつく。
「今、理津子さんから命令されたことを、ここで実行してもいいんだよ?」
「…何を命令されたのかはわからないが、暴力沙汰なら勘弁してくれ」
霜華は片手を大きく振り上げて、霧矢の頬を狙おうとしていた。霧矢は逃げるようにしてソファーから立ち上がると、自動販売機の前に立った。
お気に入りの銘柄の缶コーヒーを買おうとしたが、つい数刻前の様子が克明に脳裏に浮かんできた。美香の投げた空き缶が霜華の頭部に命中し、彼女の理性が吹き飛びかけたあの様子だった。霧矢は恐怖を振り払うように頭をぶんぶんと振ると、何も買わずに踵を返した。しかし、ご機嫌斜めの霜華のそばに寄る気にもなれなかった。しばらく自動販売機の前で棒立ちになっていると、やっと状況を打破する存在が現れた。
「…おや、全員いたのか」
エントランスのドアが開き、眼鏡を掛けたミスマッドサイエンティストが入ってきた。
しかし、後で霧矢は思い知ることになる。彼女は状況を打破するどころか、さらなる問題を持ち込んできたことを。




