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Absolute Zero 5th  作者: DoubleS
第五章
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火焔

 デザートのアイスクリームをスプーンですくいながら、文香は心の中で雨野に詫びていた。一方、クリスは満足そうな笑みを浮かべて、コーヒーを口に運んでいた。

「いやはや、予想以上だ。雨野光里。こりゃあ、将来有望だね」

 感心したようにクリスは雨野のことを評価していた。しかし、裏社会の人間に将来有望だと言われても、雨野は嬉しいと思うだろうか。文香はとてもそうだとは思えなかった。

「……約束通り、雨野光里の情報については答えた。今度はあなたの番だ」

 文香は固い口調で時雨についての情報を要求する。クリスは短く、いいだろう、とだけ答えた。文香は深呼吸すると、まず一番知りたかった情報について尋ねた。

「……今、時雨はどこにいる?」

「君と出会った場所。つまり、川崎市の廃工場だが、そこを本拠地にしているようだ。マリーと比べるとあまり外には出てこないが、出てくる時はいろいろと変装して、マリーと同じように、狙われにくい人気の多い場所を選んで移動している。ちなみに、中には教団関係者以外は入れてくれないから、会おうとしても無理だよ」

 だから、出入りの瞬間を狙うしかなかったのだが、とクリスは付け加えた。

「おっと、乗り込もうだなんて考えないでくれ。今日、警視庁のある筋から聞いた話だが、あの工場には、大量の危険物が保管されているらしいんだ。TNTとか、ガソリンとかだ。君も、化学に関して一定の知識があるようだから、わかるだろう?」

 文香は悔しさを抑えてうなずいた。そんな危険物の多い場所で火の魔族や契約主と喧嘩を繰り広げることになったら、間違いなく大惨事となってしまう。

「……では、時雨を狙っている裏社会の人間はどれくらいいるのだ?」

「正確にはわからない。だが、関東圏の認定組織のほぼ全てが彼女を狙っている。ざっと三百人は下らないだろう。そのうちの何人が本気でやるつもりなのかは不明だが、拘束が難しいと見るや、殺害も辞さない連中もいるのは事実だ」

 クリスは苦々しい口調でつぶやく。文香は質問を続ける。

「今までで、彼女を狙った人間はどれくらいいるのだ?」

「僕の知る限り、昨日、三人が彼女を生かしたまま捕らえようとして失敗した。全員、それなりに裏社会じゃ名の知れた奴だったが、それでもダメだった。今のところ、それで死んだ者はまだいないが、いずれも大火傷を負って搬送されている。まあ、さっきも言った通り、まだ危険人物指定が発表されたばかりで日が浅いからこの程度なんだろうけど、この調子だと、拘束をあきらめて殺害にシフトする連中が出てくるのも、時間の問題かもしれないな……」

 時雨が殺される。あまりにも非現実的なことではあったが、裏社会の一面を垣間見た文香にとって、想像が及ぶ範囲のこととなっていた。

「彼女が、活動の拠点を首都圏に移してから、どれほどの事件を引き起こしてきたのか。教えてもらいたい」

「知ったら、ショックを受けるかもしれない。本当に、聞く覚悟はあるのかい?」

 クリスの口調はかなり優しさに満ちたものだった。そして、暗にそれについては聞くなとも言っていた。しかし、文香は知りたかった。

「ある。聞く覚悟はあるのだ。教えてほしい」

「今月に入ってから、十件以上の放火事件が発生しているが、それらのほぼ全てに関与しているようだ。重軽傷者は合わせて二十人以上。死亡者も一人出ている。ターゲットは、あの教団やその協力者の目の上のタンコブだった人物や組織だが、それを潰す過程で、一般人も何人か巻き込まれているし、その一般人の中でも、顔に痕が残るレベルの大火傷を負った人もいる。資料で見たけど、あれはひどかった」

 クリスの話を聞いているうちに、文香は、自分があまりショックを受けていないことに気付いた。クリスもそれに気付いたのか、意外そうな表情を浮かべた。

「あれ? 君、もしかして、意外と平然としている?」

「そうかもしれないな。私は、外的なショックを受けても、平然としていることが多いからな。時雨の事件の直後も、私はいつもと変わらなかったとまわりに言われた」

「ふむ。君も、なかなかの猛者のようだ」

「…単に、感情が欠落しているだけかもしれない。私が猛者だなんて、そんな」

「いや、感情ってのは強力な武器にもなるけど、最大の弱点にもなる。軍隊の教練で、一番重視されるのは、恐怖心の克服であることが、何よりもそれを物語っているしね」

「私は軍人になるつもりはないし、裏社会の暗殺者になるつもりもない。確かに、多少戦闘に役に立つ技術の開発をしているが、それだけの存在だ」

 文香は落ち着いた声で憤慨した。しかし、クリスは今の文香の言葉に興味を持った。

「戦闘に多少役立つ技術?」

「人工魔術刻印章の研究だ。一応、プロトタイプは完成したが……」

「どういうマジックアイテムだい? 僕には初耳だが…」

「火焔の操作だ。火をつかんでも火傷しない。ただし、攻撃には不向きだが」

 文香はテーブルの上に置かれているキャンドルを手元に寄せると、火に手を突っ込んだ。その瞬間、キャンドルの火が消え、文香の手に燃え移った。

「ちょっと、君!」

 クリスは驚嘆する。文香の手のひらで火焔が燃え続けていた。しかし、彼女の手が焼けることはない。そのかわりに、彼女の瞳孔が赤色に発光していた。

「まあ、こんなものだ。それと、相手が火の魔族であれば、多少の索敵もできる」

 手のひらの火焔を文香は宙に放り投げる。そのまま、燃やすものをなくした炎は空中で消え去った。そして、瞳孔の発光も消えた。

「これを、君が作ったのか?」

「……設計図は古い魔術書に書いてあった。それに、私なりのアレンジを加えて完成させた。ただ、原理はまだ自分でもよくわかっていない」

 淡々と答えた文香に、クリスは驚愕の表情を浮かべていた。

「いけるかもしれないな。君のその力があれば……」

「だが、今のところ、量産は不可能だ。それに、未契約の火の人間にしか扱えない」

「……だが、火を制御できるのであれば、あのアジトに乗り込めるかもしれない」

 クリスの発言に、文香の心は一瞬だけ躍った。しかし、文香自身がこのマジックアイテムの弱点はよく知っている。それは、身をもって味わっていた。

「難しいだろう。これは、火を操ることはできても、爆風までは操れない。この前の事件で、私は爆発に巻き込まれたが、爆炎を打ち消すことはできても、爆風までは消せなかった。派手に吹き飛ばされて叩きつけられた。あの程度だから怪我はしなかったが、TNT爆薬の爆風となると……」

「……そうか。なら、厳しいな」

 悔しそうな声を上げたクリスに、文香も残念な思いで顔を歪めた。

「君は、いつまで、東京に留まるつもりだい?」

「明日には戻るつもりだった。しかし、時雨のことを聞いたとあっては……」

 滞在を延長することもできなくはないが、資金的な意味でも限度がある。しかも、一日や二日、帰郷を延期したとして、何か解決するかと聞かれても、その答えは否だった。

「君は友人想いのいい子だ。でも、あんまり、深入りしちゃいけないよ」

「……ああ」

 文香は、何となくそう答えた。しかし、心の中では別のことを考えていた。

 西村龍太がこの事実を知ったら、果たしてどんな行動をとるだろうか。彼が、中里時雨に対して抱いている想いは、木村文香が有しているそれとは、異質にしてはるかに強い想いである。

 あくまで「親友」に過ぎない自分でさえ、こんなに心が揺れ動いている。危険だとわかっていても、彼女に会いたいと思っている。自分と同じ立場である三条霧矢も、このことを知ったらそう思うだろう。

 親友以上の存在である西村龍太が、彼女に会いたいと思っていることは、疑いの余地すらない。間違いなく、彼は彼女に逢いたいと思っている。そして、並大抵のことでは、その想いを止めることはできない。彼はどんなリスクでも冒すだろう。

「だが、奴は手負いだ……」

「手負い?」

 小さな声ではあったが、文香の内心は声として外に漏れ出していた。クリスは興味深そうな表情を浮かべたが、文香は沈黙を貫き通した。

「……無理はしないでくれ。君には大切な家族がいるだろうし、君を大切に思っている人もいる。ああいう仕事をするのは、僕みたいな人間だけでいいんだ」

 クリスは優しげな声で話を終わらせると、席を立った。

「マスター、お会計だ。それと、彼女にタクシーチケットを」

 財布から一万円札を数枚取り出してカウンターに置くと、クリスはそのまま店から出て行った。

 タクシーが到着するまで、文香は落ち着かない気分で椅子に座り続けていた。

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