表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Absolute Zero 5th  作者: DoubleS
第五章
PR
46/86

即発

 警視庁の正面玄関を出たところで、霧矢は大きく深呼吸した。都会の澱んだ空気だったが、それでも夜の冷たい空気は、重い頭に良き清涼剤として作用してくれた。

 このまま、皇居のまわりでも歩いて、夜桜でも堪能しようかと思っていたが、背後から感じる剣呑なオーラが、それを挫いていた。

「はあ……」

 霧矢はため息を漏らしながら、とぼとぼと無言のまま歩き続けた。後ろの二人も無言のままだったが、お互いに何を思っているのかは容易に察することができていた。

 駅の入り口まで来て、霧矢は立ち止まった。

「…有楽町線に乗って池袋まで戻れ。僕は、美香を送らなきゃならない」

「では、霜華さん。ごきげんよう」

 猫なで声で別れを告げた美香に、霜華は目を吊り上げた。霧矢をにらみつけたが、霧矢も美香を送らなければならず、方向も違うため、やむを得ないと言えばそこまでだった。

 しかし、霜華としては、そこで納得はできなかった。口に出す気にはなれなかったが、霜華も本音としては霧矢にホテルまで送り届けてほしかった。

「ねえ、霧君。片平家までここからどれくらいかかるの?」

「……数駅だ。駅からの徒歩を含めても、二十分くらいだろうか」

「だったら、私もついていく。その後で送り届けてちょうだい」

「はあ?」

 困惑する霧矢に霜華は微笑を浮かべた。美香はいかにも邪魔が入ったとばかりにしかめ面を浮かべた。

「だって、私も地下鉄はよく知らないし。携帯だって持ってないし」

「時間の無駄だ。そもそも池袋まで乗換はないから、迷うこともないだろ。大体……」

 霧矢はそこで言葉を切った。霜華の目が殺気を帯びたものとなっていた。これ以上何か言おうものなら、氷の矢が脳天に突き刺さる恐れがある。

「……わかったよ。いったん美香を家まで送ったら、お前をホテルまで送り届ける。それでいいな?」

「ちょっと、霧矢!」

 霧矢はため息をつくと、美香を無視して地下鉄の階段を下りていく。その後ろに嬉しそうな顔をした霜華と、恨みがましい視線で霧矢の背中をにらみつける美香が続いた。

 電子マネーを持っていない霜華が、券売機で麻布十番までの切符を買うのを、霧矢は遠い目で眺めていた。その隣で美香が霧矢の膝の裏を軽く蹴り続けていた。

 改めて霜華の後姿を眺めてみても、やはり女の子としては可愛い部類に入ると認めざるを得なかった。また、隣の美香を見ても上位に位置づけることができるという点では、同じだった。

 相変わらず美香は霧矢の足を蹴り続けていたが、霧矢は平然とした表情をしていた。雨野との訓練に慣れてしまった以上、箱入りお嬢様の蹴りなど痛みすら感じなかった。しかし、その平然とした霧矢の様子が余計に彼女の癪に障っていた。

「ねえ、何か言いなさいよ」

「……知るか」

 とげとげしい雰囲気の美香に背を向けると、自動販売機の方へ歩き、霧矢は缶コーヒーを買った。手元で缶をくるくると弄びながら霜華が切符を買い終えるのを待っていた。

 軽く顔のあたりの高さまで缶を回転させながら、放り投げては手元でキャッチするということを繰り返していたが、ついに不満を爆発させた美香が、缶が空中で回転しているところで横から奪い取った。

「返せ」

 一言だけ霧矢が告げたが、美香は完全に拗ねた表情で何も言おうとしない。霧矢はため息をつくと、切符を買い終えて戻ってきた霜華に改札口の方向を指さした。

 霜華が歩き出すと、霧矢もゆっくりとした動きで改札に向かって歩き出した。美香は壁を軽く蹴ると、霧矢から奪い取った缶コーヒーを開け、思い切り飲み干した。

「いい加減にしなさい!」

 飲み干した空き缶を握ると、霧矢の後頭部に向けて思い切り投げつけた。霧矢は反射的に動いてしまったが、キャッチするのではなくかわしてしまった。

 そして、それが、本日最大の失敗となってしまった。

「あいたっ!」

 霧矢がかわしたため、缶は霧矢の前を歩いていた霜華の頭に命中してしまった。

(ゲッ……)

 その瞬間、霧矢は胃が凍る思いをした。霜華の顔から完全に笑顔が消えていた。

 缶がカラカラという音を立てて床を転がるのと同時に、霧矢は霜華と美香の間にすかさず割り込んだ。

 霜華は無言で美香の方へ向かって歩いていく。霧矢は冷や汗を浮かべながら、美香を守るべく戦いの構えを取った。

(ヤバい…今ので、霜華のやつ、完全にキレやがった……浦沼ならともかく、こんな人目のある中で、術なんて使ったら……)

 雨野との訓練を経て体術の心得もできているので、霜華が暴れる前に実力で叩き伏せることもできなくはないだろう。しかし、忘れてはいけないのは、まわりから見る限りでは、霜華は単なる一般人に過ぎないということだ。こんな人ごみで霜華に体術をかけようものなら、暴力行為で警察に通報されてしまっても文句は言えない。

「落ち着け! こんなところでやり合うのはダメだ!」

「どいて!」

「やめろ。あいつはただの一般人なんだぞ。お前とは違う! それにまわりを見ろ!」

 夕方ということもあって、駅にいる人数は多い。しかし、霜華はもう完全に堪忍袋の緒が切れていた。霧矢の言葉など聞く耳を持たず、ただ怒りに任せて動いているようだった。

(仕方ない……)

 霧矢はポケットからカードを取り出すと、霜華の額に突きつけた。霜華は一瞬立ち止まったが、負けじと霧矢をにらみ返した。霧矢は低い声で言った。

「…まわりを見てくれ。この人ごみの中でやり合ったら人目を引くだろ」

 霜華は黙っていた。彼女の目の光を見る限り、この場で美香とやり合うかどうか、少し躊躇をもっているようだった。霧矢は迷ったものの、あと一押しで何とか抑えられそうだということで、とどめの殺し文句を言うことに決めた。

「頼むから『僕のため』だと思って、この場は収めてくれ。な!」

 この言葉で霜華は折れた。渋々といった表情で美香に背中を向けると、そのまま自動改札機に切符を放り込み、階段を下りて行った。

(…た、助かった……)

 霧矢は大きなため息をついた。意識して力を込めていなければ、そのまま膝が床と激突しかねなかった。それだけの緊張だった。

 重量のあるカードをポケットに戻すと、霧矢は美香についてくるようにと、無言で合図を送った。美香は無表情のまま、霧矢に従って歩き出した。

「まったく…何でそんなことをした」

「腹が立ったから」

 美香は悪びれる様子もなく答えたが、霧矢はもはや怒る気力すらなかった。

 普通であれば、霜華に謝るようにと美香に諭すところだろう。しかし、美香が霜華に謝ったところで、今は何の意味も持たないだろう。むしろ、寝た子を起こすような結果にもなりかねないのではと思われた。

 とりあえず、今の最優先事項は、このまま事を荒立てることなしに、美香を家まで送り届け、そのあと霜華をホテルまで送り届けることだ。しかし、それだけのことなのに、今の霧矢にはそれがひどく難しいことのように感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ