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Absolute Zero 5th  作者: DoubleS
第四章
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襲撃

 あらかた見ようと思っていた大学のキャンパス見学を終えた木村文香は、池袋に戻るため、駅に向かっていた。日はすでに沈んでおり、夕食を求めて胃は空腹を訴えていた。しかし、夕食に関しては晴代との約束があり、どこかで食べて夕食が食べられなってしまったのでは困る。仕方なく、空腹については我慢を続けていた。

 帰宅するサラリーマンが駅から住宅街に向けて歩くのとは逆に、文香は駅に向かって歩き続けていた。田舎暮らしの人間にとって、通勤や日々の買い物で、旅行でもないのに県境をまたぐというのは、非常に珍しいことに思えた。

 川を挟んでむこうは東京都、こちらは神奈川県。県境といえば千メートルクラスの山の尾根というイメージしかない雪国の人間にとって、カルチャーギャップを同じ日本人であるにもかかわらず感じてしまう。

 人の波に逆らいながら、文香は歩き続ける。しかし、駅の正面まで来たところで、腕時計が接している左手首の肌に微弱な痺れが走った。

(…火の魔族、あるいは契約主?)

 腕時計の裏側には火の人工魔術刻印章が貼り付けてある。装備していると火焔を操作できるようになるが、副次的な使い方として、近くで火の魔族や契約主が術を行使すると、微弱な痺れという形で探知することができる。

 もっとも、誰の監修も受けず、本に書かれていたことに自分なりのアレンジを加えて作り上げた試作品であるので、誤作動である可能性もある。しかも、人口が浦沼の数十倍に及ぶこの地区で、火の魔族が数人いたとしても別に驚くことでもないはずだった。

 それでも、文香は何か胸騒ぎを感じた。先月の事件は、記憶にまだ色濃く残っているが、その時感じたものとどこか似たようなものが、背筋を伝っていた。論理を抜きにして、感触や気分といったもので行動するのは自分らしくないが、それでも、自分らしくないやり方で動かなければならないほどのものがあった。

 周囲に注意しながら、文香は慎重にあたりを見回した。契約主ではなく、魔力分類器も持っていない以上、魔族や契約主を判別することはできないが、不審な行動をとっている相手を見つけるくらいのことはできるはずだろうと考えていた。

 そして、しばらくあたりを見回していると、自分と同じように誰かを探すような動きをしている男の姿が視界に入った。その男は長髪で、後頭部で髪をくくって束にしていた。その点では割と目立ちやすい格好だったが、服装は黒のズボンに灰色のセーターを着込み、紺色のコートを羽織ったスタイルで非常に周囲に溶け込んでいた。注意して探していなければ、きっと見落としていただろう。

 男は何かを発見したように背筋を伸ばすと、そのまま早足で歩き始めた。文香は追うべきか、そのまま池袋に戻るべきか逡巡した末に、男を追うことに決めた。

 普段の文香の格好ならば周囲から目立ちすぎるため、人を追いかけるなどという行動はできなかっただろう。しかし、今日は白衣ではなく普通のコートだったため、十分こっそり追いかけることも可能だった。いざという時に備えて、閃光を発する目くらまし用のマジックカードもポケットに忍ばせてある。

 男はしばらく物陰に隠れながら歩き続けていた。男の視線の先に目を凝らすと、帽子をかぶった金髪の女性の姿があった。文香の視力は矯正してもあまり良いとは言えず、さらに、夕方の薄暗闇の中に溶け込んでいたため、女性の細かい特徴まではよく見えなかった。それでも、その女性からは不穏な何かを感じた。

 まわりに人が多いので、男は何もできない様子でただ女を追いかけていた。しかし、その男は単なるストーカーではないことは明らかだった。動きが非常に周囲に溶け込んでおり、まわりから不審に思われないように心がけているようだった。文香のように特に意識して彼を見ていない限り、誰にも気づかれることはないだろう。おそらく、塩沢や水葉のような、その筋のプロではないかと推察される。

 住宅街を抜け、女は歩き続けている。住宅街から遠ざかるにつれて人気はますます薄れていく。そして、工場のような建物がある広い敷地を囲む塀の通用口を開けようとした瞬間、男が動いた。

 足音を抑えて男は女の背後に近寄る。そのまま、背後から拳銃を取り出した。

「危ない!」

 文香が叫ぶと同時に、女は鍵を開錠すると、そのまま中に転がり込んだ。鋼鉄製のドアが閉まると同時に、ドアに銃弾が命中する音が響いた。

「……っ!」

 その瞬間、女の顔を文香は見た。

「……よくも邪魔をしてくれたな」

 女の顔を見たことで、文香の反応は少し遅れた。男は憤怒の表情で文香をにらみつけていた。文香は後ずさりをしながら、隠れることの出来そうな場所を探したが、この道は残念なことに見通しは比較的良いところだった。

(…どこか隠れられるところさえあれば……閃光で目くらましを……)

 ポケットに忍ばせたカードを指で挟むと、男の隙をうかがう。しかし、男は先程女に向けた拳銃を文香に向けようとはしなかった。

「……さっさと行け。騒ぐな」

 文香は拍子抜けしてその場に立ち尽くしてしまう。最悪の場合、口封じのため殺される可能性も覚悟していたのに、こんなにあっさり見逃されるとは予想外だった。

 本来ならば、ここで逃げるべきだろう。しかし、文香は眼前の男はそこまで危険な人間ではないと思えた。そこで、文香はあえて相手の懐に飛び込むことにした。

「どうした。殺されたいのか?」

 逆に近づいてきた文香に、男は奇妙な表情を浮かべた。文香は男のすぐ近くで立ち止まると、先程見た女のことを口に出した。

「何故、マリー・ハーシェルの命を狙っているのか、私は知りたいのだ」

 男は焦りの表情を浮かべると、拳銃を取り出そうとした。しかし、文香の動きの方が早かった。男が懐に手を入れる前に、文香の取り出したカードが男の眉間に突きつけられた。

「狙いがマリーなのだから、このカードが何なのかも知っているだろう」

「……君は、何者だ。普通の女子高生だと思っていたが……」

「普通の女子高生で間違いはない。単なる知識として、そちらの世界を知っているだけだ」

 淡々とした口調で告げる文香に、男は顔をしかめた。

「君は、マリー・ハーシェルのことをどこまで知っているのか、聞きたい」

「……火の魔族のハーフ。先月起きた、学校襲撃事件に関与。救世の理のエージェントの一人。契約主は中里時雨。それくらいだ」

 文香の言葉に男は感心したように声を上げると、一瞬の隙を突いて文香から距離をとった。そのまま、文香に拳銃を向ける。

「君、本当に普通の女子高生か? その情報は裏社会の人間でしか知りえないはずだ」

「…知っているとも。私は当事者だったのだから。私は浦沼高校に在籍している」

 学生証を提示しながら話す文香に、男は納得したようにうなずくと、銃を下ろした。

「なるほど。では、中里時雨とは知り合いなのか?」

「……友人だ。事件以後、まったく連絡は取れていないが」

 男は黙っていた。文香は、絶対にこの男は時雨について何かしらの情報を知っていると確信した。何としてでも聞き出したいとの意志の下、問いを発した。

「中里時雨について、何か知っていることがあれば、教えてほしい。私も、そちらが知りたい情報があれば、知っている範囲で答える」

「…君の情報があてになる保証はない。僕には何のメリットもない」

 平坦な口調で答えた相手に、文香はカマをかけるつもりで、ある言葉を口にした。

「……相川探偵事務所、塩沢雅史、古町水葉」

 その言葉を聞いた途端、相手は苦々しい表情を浮かべた。

「何だ。君はあの二人の知り合いなのか?」

 無言でうなずいた文香に、男は文香に対して不審な表情を向けながらも、渋々受け入れたようだ。

「君は、スパイではなさそうだ。いいだろう。どこかで夕食でも奢ってあげよう。詳しい情報は、そこで交換しよう。時間がないんでね。嫌ならここでお別れだ」

 文香は迷ったものの、晴代との夕食の約束を反故にしてもやむを得ないと判断した。時雨の消息についての情報は、それくらいの価値がある。

「わかった。私は木村文香。あなたの名前を聞きたい」

 男は片目を閉じると、気障な笑みを浮かべた。

「僕の名はクリストファー・クロカワ。まあ、クリスと呼んでくれ」

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