問答
赤く染まった空の下で海を見ながら佇んでいる青年と少女が、横浜の山下公園にいた。ただ、特に観光したい何かがあったわけでもなく、海が見たいと思いながら街を歩いていたら、自然とここまで来てしまっていた。
「…ねえ、龍太。どうして、そんなに悲しそうな顔をしているの?」
セイスの問いかけに、西村は海を見ながら答えようとするが、声が出なかった。
強い海風と風雪の吹き荒れる日本海と違って、穏やかで果てしない春の太平洋は、確かに少しは心を癒してくれた。それでも、自然の風景は魔法ではない。気分自体は一時的に癒してくれるにしても、その重苦しさの根本となる原因がどうにかなるわけでもなく、ましてや、それへの解決策を示してくれるわけでもない。
自分がなぜ暗い顔をしているかなど、理由はわかりきっているし、セイスもわざわざ聞くまでもなく、それを知っているはずだった。それでもセイスは尋ねてきた。そして、その問いに答える。声に出して答える。言葉にして答える。
「会いたい人に、会えないからだ」
「……やっぱり、会いたいんだ」
優しい口調でセイスは答えた。西村はゆっくりとうなずいた。セイスは海面を眺めながら、水面に映る自身の契約主の憂いの表情を読み取っていた。
「俺は、もうあいつにとって、過去の存在なのかもしれない……」
「でも、龍太にとって、彼女は現在の存在のままでしょ」
即座に返答したセイスに、西村はうつむいていた顔を上げた。セイスは微笑を浮かべながら、歩行杖で沈みゆく夕日を指し示していた。
彼女にとって、太陽とは現在の象徴なのかもしれない。その沈みゆく太陽に向ける柔和な微笑と無邪気な仕草は、少しではあるが西村に安らぎを与えた。
「そうだよ。会いたいんだ。話したいんだ」
心が苦しかった。ここしばらくの間、考えることといったら、彼女のことしかなかった。表向きは気丈に振る舞っているものの、心の中では重苦しさが渦巻いていた。
いつか、彼女を元の世界に戻してやると心に決めたものの、どうすれば実現できるのかはまったくわからない。でも、何とかしたかった。
でも、もしかしたら、彼女は表の世界に戻ることを望まないかもしれない。もし、すでに彼女にとって西村龍太という人間が過去の存在となっていたのなら、この願いは独りよがりの自分勝手なものでしかない。
「だからこそ、会って話がしたい。俺は、あいつのために何ができるのか……」
弱い調子の声で、西村は水面に映る自分の顔につぶやいた。当然、応える声はなく、カモメの鳴き声が夕焼けの中にこだまするだけだった。
しばらく、二人の間に沈黙が続いていた。そして、その静寂を破ったのはセイスだった。
「……ねえ、もし私が、教団に戻ると言い出したら、どうする?」
「…止めるに決まっている」
「その理由は? どうしてそう思ったの?」
「……あの集団は、お前のいるべき場所じゃないと思うからだ。事実、あの時、お前は戻ることを拒否した。俺を戦いに巻き込んでまで」
セイスの顔を見ずに、西村は少し強めの口調で答えた。セイスは安堵と落胆の混ざったような表情を浮かべると、水平線から目を背けた。
「私をお土産にすれば、龍太は歓迎される。そうすれば彼女に会える。運が良ければ、一緒の仕事もできる。その後、二人で隙を見て逃げ出すことができれば……」
欄干に背を預けながら、セイスは茜色の空を仰いで独り言のようにつぶやいた。
「……俺には、そんなことはできない。お前が戻りたいのならともかく、お前を犠牲にして手に入れた幸せなんていらない。そんな幸せは必要ない」
「全てがそうだというわけではないけれど、幸せを手に入れるためには、何かを捨てる必要があることが多いんだよ。私を捨てたら?」
セイスの言動に西村はやや怒りがこみあげてくるのを感じた。感情を爆発させないように自分を抑えながら、低い声で言った。
「俺は、そんなことはできない。連中のために誰かを犠牲にするなんて虫唾が走る!」
「…そっか。まあ、そうだよね」
セイスは残念そうな口調でつぶやいた。しかし、表情にはどこか穏やかな色が浮かんでいた。自分の契約主を見る目も信頼に満ちていた。
「文句あるのか?」
「全然。むしろ、少し嬉しいかな」
何だかんだで自分と彼女の間には信頼がある。そう思える。その関係を少し前まで、自分は危うく崩しかけた。そして、情けないことに、これからもそうならないという保証はどこにもない。それでも、自分をパートナーとして信じてくれる存在がいるということは、自分勝手なことではあるかもしれないが、嬉しいことだと思えた。
彼女の信頼を裏切りたくはない。しかし、もしも彼女の幸せと彼女の幸せが対立したら、どうしたらよいのだろう。いつか親友が自分へ問いかけた質問が、この埠頭へ押しては返す、さざ波のように心の中で反芻した。
この問答が持つ意味はわからない。どういう意図で彼女がこの問いを発したのかもわからない。自分は親友とは違ってだめだから。
それでも、自分の信じた道を行きたいとは思った。




