戦闘
頭上に無数の雹が降り注いだ瞬間、正体不明の女は怯んだ。しかし、霜華は逆にこの程度の攻撃でこれほどの効果があることに面食らっていた。
(…この路地を黒焦げにしたほどの使い手なのに…どうして…?)
相手は痛みにうめきながら、足元に転がっている氷のつぶてを蹴飛ばした。霜華は相手からさらに距離をとると、相手の周囲に大量の冷気を発生させる。
急激に冷やされた空気中の水分が凍り、相手の周囲でダイヤモンドダストが発生する。一気に氷点下を下回ったことで、相手の呼吸は乱れ始めた。ゼイゼイと荒い音を立て、周囲に白い息を吐きながら、手で胸を押さえている。
「…単なる水の魔族じゃなくて、氷の使い手……」
相手は苦しそうな表情で霜華を見た。しかし、霜華は相手が何もしかけてこないことが非常に不気味に思えた。
「うっ……」
低いうめき声を上げると、相手の片膝が地を突いた。そのまま苦しそうな息をしたまま、うずくまっている。一瞬、油断させるための演技ではないかとも疑ったが、本気で苦しんでいるとわかった。
(もしかして……)
あまりにもあっさり動きを封じてしまったことで、霜華は相手の正体について察した。
「あなたは、魔族じゃなくて、契約主だね?」
火の魔族であれば、周囲の冷気を自身の熱で相殺することなど朝飯前のはずだ。それができないのであれば、もはや火の魔族と名乗る資格すらない。つまり、彼女は魔族ではない。一種類の契約異能のみを操る契約主に他ならない。おそらく、熱を操る能力ではなく、何かを発火させる能力と考えて間違いないだろう。
周囲を見回してみると、もはや可燃物と思わしきものは、ほぼ燃え尽きており、コンクリートや金属といった不燃性の素材でできたものしか残っていない。そのため、もはや彼女は何かを発火させて攻撃することができなくなっていたのだろう。
「…終わりかな?」
霜華は相手との距離を詰める。しかし、その瞬間、相手はポケットから透明な液体の入ったペットボトルと取り出し、それを足で踏み潰した。
「まだまだ!」
液体が地面に漏れ出すと、霜華はそれが何であるかを理解した。しかし、霜華が距離をとって防御姿勢をとる前に、相手は動いていた。
轟音とともに爆風があたりを薙ぎ払った。小柄な霜華は踏みとどまることができず、仰向けに地面に叩きつけられた。それでも、とっさの術は成功し、爆炎は冷気の壁で阻まれ、霜華の体を焼くことはなかった。それでも服は埃まみれになっていた。
爆音による耳鳴りと叩きつけられた痛みをこらえながら霜華は立ち上がった。先程までペットボトルがあった場所では、路面のアスファルトがすり鉢状にえぐれていた。
視界がはっきりしたところであたりを見回してみると、そこにはもはや彼女の姿はなく、気配もなかった。死体も被服の残骸もないので爆発に巻き込まれたわけでもない。逃げおおせたとみて間違いない。
(…自分で起こした爆発は平気なのか……)
擦りむいた手のひらから血が滲んでいた。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。もっと重傷の人間がいる。
「ちょっと、大丈夫!?」
霜華は先ほどまで殺されかけていた男に近寄ると、体を揺さぶった。倒れ伏していたのが幸いしたのか、致命傷までは負っていないようだった。しかし、頭部からは出血しており、体のあちこちで傷や打撲が見られた。
脈をとってみると、生きてはいるようだが、それでも重傷であることは間違いない。霜華は男を仰向けにし、彼のポケットを探ると、携帯電話を引っ張り出した。
救急に通報して、応急手当てをしていると、意識を取り戻したのか、まぶたを開いた。
「お…俺は……」
「動かないで。安静に」
男は霜華の顔を見た途端、目を見開いて慌てだした。傷ついた腕を必死で動かして、霜華を追い払おうとするが、腕が折れているのか、痛みで声を上げると、腕を下ろした。
「大丈夫。私はあなたに危害を加えるつもりはないから」
「……俺は、助かったのか?」
「一応は。今、救急車を呼んだから、そのうち来るはず」
男は涙を浮かべると、空を仰ぐ。しみじみとした口調で独り言を言った。
「やっぱり俺にこの仕事は向いてなかったんだ。もう足を洗う。あんたは命の恩人だよ」
「あなたいったい何者なの?」
霜華の問いかけに、男は空を眺めたままで答えた。
「新米の何でも屋さ。主に殺しと情報集めが仕事だけどよ。どっちも腕はダメダメだ……」
「さっきの人、明らかに裏側の人間だよね。心当たりは?」
「…お嬢ちゃん。その口調、あんたもそっち側かい? まあ、その力、そうだよな」
「いいえ。単に事情を知ってるだけで、裏社会の人間ってわけじゃない」
男は意外そうな表情を浮かべると、首を動かして霜華を見た。霜華は続ける。
「あなた何をしようとしたの? 命を狙われるだなんて、余程のことじゃないと…」
「…ある裏組織の人間を殺ろうとして失敗したんだ。その制裁ってことで、あいつが来た。まあ、結局のところ、自業自得だったのかもな」
男はそれっきり黙り込んでしまった。やがて、救急車のサイレンが聞こえてくると、霜華はその場から立ち上がった。
「この路地に車は入れないから、救急隊の人、呼んでくる」
「ありがとう……この恩は忘れない。君の名前を教えてもらえるか?」
「私は、北原霜華」
「霜華…か。その名前、一生忘れないぜ……」
男はゆっくりと微笑みを浮かべた。霜華はサイレンの聞こえる方へ向かって走り出した。




