裏話
「困りましたね……」
「……本当に、すみません……」
しばらく駅の中で立ち往生していた霧矢と、駐車場に車を止めていたレイが合流するのに、かなりの時間をロスしていた。
「電車に乗ったとは考えにくいですが、断言はできません……」
「…連絡が取れないとなると、僕としても、どうしてよいのやら……」
人ごみの中で、霧矢は頭を抱えていた。美香を見失ってしまうとは予想もしておらず、また、彼女の外出は霧矢が信頼されているからこそ許されている。こんな面目丸潰れ級の失態を犯してしまうなど、不覚としか言いようがない。
「…迷子放送……お願いしますか?」
「十六歳の高校生の迷子放送ですか……」
レイは苦々しい表情を浮かべて腕組みする。しばらく考え込んで、首を横に振った。
「おそらく、もう駅構内にはいないでしょう。外をうろついているはずです」
「……どうしてわかるんですか?」
「長年の勘です。大体、私の考え通りの行動をしますから」
「なるほど」
霧矢はうなずくと、美香のスマートフォンを取り出すと、再びレイに預けた。レイはそれを手提げかばんの中に入れると、自分の携帯電話を取り出した。
「……では、美香は東と西、どっちに行ったと思いますか?」
「…性格的に、西だと思います。東は昨日行ったばかりですし、ああ見えて、人ごみはあまり好きではないですから…西、さらに北側、板橋方面ではないかと……」
レイは携帯電話を操作しながら答える。霧矢は腕組みしながら尋ねた。
「新宿の方へ行ったという可能性は?」
「…考えられなくもないですが、可能性は低いと思われます。昔から、散歩するときは必ずと言っていいほど、まず北の方へ行く癖があるのです」
メールを打ち終えて送信すると、レイは大きく息を吐いた。
「屋敷の方へ連絡が入ったら、私に連絡するように、全使用人に伝えました。そのうち、知らせが入るでしょう。それまでは待機することにしましょう」
「…わかりました。で、その間、ずっとここに立っているんですか?」
霧矢は疲れた目をすると、レイにつぶやいた。レイは霧矢の顔を凝視すると、忘れていたことに気が付いたような顔で、頭を下げた。
「申し訳ございません。もうお昼時です。昼食をお取りになりたいと思うのも、真っ当なことです。どこかの店にでもお入りになりますか?」
「……お任せします。でも、できるだけすぐに動けるように、本格的なランチメニューとかじゃなくて、喫茶店とかの軽食の方がいいと思います」
霧矢は駅ビルのテナントに目を走らせる。レイはゆっくりとうなずくと、霧矢を連れて手近な喫茶店のテナントに入った。
世間知らずの美香とは異なり、非常に手慣れた様子で注文をすると、レイは下座側の椅子に腰を下ろした。霧矢はテーブルを挟んでレイの向かいに座ると、店のカウンターに視線を走らせた。
(……特に何もないか……)
何の変哲もない喫茶店ではあるが、霧矢はどうも落ち着かなかった。
「…慌てる必要はありません。そのうち連絡が入るでしょうから。こんなことは別に珍しいことではありませんから、別に霧矢さんがそこまでそわそわする必要はないですよ」
レイは優しい表情で霧矢に語り掛けた。霧矢は少し落ち着くと、レイの顔を見る。
「…レイさんは、美香とどれくらいの付き合いになるんですか?」
霧矢の問いかけに、レイは少し驚いたような表情をした。霧矢が自分について聞いてくるとは予想していなかったのだろう。しかし、彼女は、別にためらうこともなく、平然とした様子で淡々と質問に答えた。
「そうですね、十年以上にはなりますね。私が小学校を卒業した頃からです」
「……そんなに長い付き合いなんですか?」
「もともと、母が片平家の家政婦として働いていたのですが、片平家のお嬢様の世話役として一人、小学生高学年から中学生にかけての娘を一人、求人がありました。それ以来、私が、世話役を務めさせていただいております」
「……と言うと、美香が……」
指を折りながら数えている霧矢に、レイは「三歳の時です」と答えた。彼女の言葉が正しければ、レイの現在の年齢は大体二十五歳ほどになるのだろうか。
注文した料理が運ばれてくると、霧矢はコーヒーに口をつけた。
「……もう一つ、聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
霧矢は深呼吸すると口を開いた。この質問は勇気を必要とするものだったからだ。
「美香は、本気で僕と婚約したいのでしょうか」
レイはしばらく沈黙していた。霧矢の顔を観察するように眺めていたが、やがて、霧矢が真剣であることを察すると、硬い表情になりながら口を開いた。
「……はい。あなたのお父様、三条淳史博士にも、その旨を伝えています。旦那様も奥様も、旧知の間柄である三条博士の息子ということで、決して悪くは思っていません。三条博士も霧矢さんの意志次第だと仰いました。それに、博士自身、この縁談を決して、悪くは思っていないと思われます」
「…本気なんですね」
「霧矢さんはどうして嫌がっているのですか? やはり、気に入らないのでしょうか」
レイはやや真剣な顔つきで尋ねた。霧矢はレイから少しだけ視線を逸らすと、カウンターの方を見ながら、小声で答える。
「まだ、僕は婚約者を決めるような歳ではないです。それに、僕も美香も、お互いのことをあまりよく知らないし、そんな話、すぐにはうなずけない」
「では、お嬢様のことが嫌いとか、好みではないとかではないのですね」
霧矢は黙ったままうなずいた。美香は確かに行動的すぎる面もあるが、嫌いと言うレベルにまで達しているわけではない。しかし、婚約者としてよいかという点については、霧矢は何とも言い難かった。
「それだけで、お嬢様は喜ぶと思います。霧矢さんが『嫌いじゃない』と一言でも伝えたら、とても嬉しく思うでしょう」
「……僕のような人間に、そんな気の利いた振る舞いを求められても……」
霧矢は小声でつぶやくと、何とも言えない居心地の悪さに耐えかねて、サンドイッチ一切れを丸ごと口の中に押し込んだ。それを、喉が悲鳴を上げているのを無視して、まだ十分熱いコーヒーで飲み下すと、霧矢は天井に視線を移した。
「そういえば、一つお聞きしたかったのですが……」
レイがやや遠慮がちな声を発したので、霧矢はキョトンとした表情でレイを見た。
「お答えになりたくないのなら、別に構わないのですが、霧矢さん……」
「…何ですか?」
レイはしばらく躊躇していたが、やがて意を決したように尋ねた。
「霧矢さんは、霜華さんのことをどう思っていらっしゃるのですか」




