対立
北原霜華と片平美香はお互いに無言のまま立っていた。霜華は無表情で美香を見据え、美香は余裕の表情で視線を霧矢に向けている。
「ところで霧矢さん、これからどこへ行きますの?」
「…猫を被るのやめろ。気色悪い」
猫なで声のお嬢様口調で話しかけた美香に霧矢はぴしゃりと言い放つと、視線を霜華に向けた。霜華は少し表情を綻ばせて霧矢を見た。
「そう言えば、晴代と一緒だったはずだろ。あいつは、どこへ行った?」
「さあ……改札から出た途端に、一言『解散』とだけ言って、東口から飛び出して行ったけど……」
「……まあ、そんなことだろうと思ったさ。あいつが池袋に来たら最初に行くところといったら、あの場所しかないな」
呆れたようにため息をついた霧矢に、霜華は付け加えて言う。
「ちなみに、文香は大学の見学に行くって言ってた。そのまま、新宿の方へ行ったよ。西東京と、神奈川県のキャンパスらしいけれど」
「大体わかった。で、今日は、どこに泊まるんだ?」
「晴代が手配してくれた東池袋のホテル。ツインルームでセイスと同じ部屋だよ。ところで、霧君はどこに滞在してるの?」
問い返してきた霜華に、霧矢は返答に窮してしまう。二人のやり取りを眺めていた美香は、ここぞとばかりに割って入る。
「その気になったのなら、私の部屋で寝てもいいわ。今日『も』ね」
その言葉を聞いた途端、霜華の表情が凍り付く。一瞬置いたのち、今度は満面の笑みを浮かべた。しかし、目が全くと言っていいほど笑っていない。
「…霧君、ちょっと、お話聞かせてもらっていいかな?」
言葉は疑問形だが、文脈としては命令である。霜華は霧矢の手をつかむと、そのままどこかへ連れて行こうとする。しかし、美香がまたしても動いた。
「どこへ行こうと言うのですか。世間知らずの私をこんな人ごみの中に置き去りにするなんて、ひどいですわ」
わざとらしくそう言うと、美香は霧矢の腕に抱き付いた。それを見た霜華は余計強く霧矢の腕を引っ張る。しかし、美香も負けじと霧矢の腕を引っ張り、綱引き状態になった。
「痛い! 痛いからやめろ! 人目もある! 二重の意味で痛い!」
これが大岡裁きだとすると、この場合、先に手を離した方の勝ちだが、二人の思考にそんなものはない。周囲が奇異の目で三人を見る中、二人は霧矢を引っ張り続け、当の霧矢は恥ずかしさのあまり、顔が赤くなるのを感じた。
「霜華さん、私は、この後も、霧矢さんとの予定があります。お放し下さいな」
「私も、彼の母親から伝言を預かってる。伝える必要があるから、彼を放して」
霧矢の肩の関節が悲鳴を上げ始め、霧矢は脱臼する前に何とかしなければと思った。両手が動かせず、口で言ってもわからない以上、二人のどちらかに蹴りを叩き込む必要があるが、どちらも一応女の子である。そんな乱暴なことはできない。
霧矢は力を振り絞ると、右足を軸に勢いをつけて体をねじった。急に動いた霧矢に、二人とも対応できず、足をもつれさせて転んでしまう。
「いい加減にしろ! ここは公共の場所だ、人の迷惑も考えろ!」
やっと両手が自由になった霧矢は、二人に怒鳴りつける。しかし、二人とも立ち上がると、再びにらみ合いを始めた。
「…迷惑を考えない人ですって。そんな人は困りますわ」
「どの口がそんなことを。わがままなお嬢様は、公共施設の概念すら知らないのか」
「何ですって!」
「……いえ、私の率直な感想を述べただけ。それ以上でもそれ以下でもない」
売り言葉に買い言葉で、もはや二人の摩擦は頂点に達しようとしている。それを見て霧矢が感じたことはただ一つだった。
(この喧嘩は、もう僕の手には負えない)
霧矢はそのまま、駅の出口に向かって歩き出した。そして、当の二人はもはや冷静さを失っていた。




