紹介
上野から池袋方面に向かって突っ走っている車の中に、青い顔をした霧矢が座っていた。
「急いでちょうだい。少しゆっくりしすぎたわ」
「誰のせいでこんなに急ぐ羽目になったと思ってるんだ……」
もともとそれほどで丁寧ではないレイの運転は、美香に急かされたことで、さらに荒っぽくなっていた。それほど乗り物に弱くはない霧矢でさえ、気分が悪くなっている。
渋滞を避けるために、レイは裏路地を縫うように進んでいるが、それ故に、右折、左折、急ブレーキ、急発進といった、まるでカーチェイスを繰り広げるかのような乱暴な運転になっていた。吐くほどではないが、それでも、霧矢の目は回っている。
「……お前、よく平気だな」
「……あなたが弱いだけじゃないの?」
「…申し訳ございません。こう時間がないとなると、多少の快適さは……」
レイが済まなさそうに謝るが、霧矢としては別にレイを責める気はなかった。むしろ、時間が迫っているにもかかわらず、すべての絵を観ようとした美香の方に問題があったと言うべきだろう。
時計を見ると、十一時四十五分を回り、霜華の乗った電車が到着するまで残り二十分を切っている。別に五分や十分くらい遅れたとしても、気にするような相手ではないのだが、美香は、相手につけ入る隙を与えたくないなどと訳のわからないことを言っていた。
「時間を守れないような、ルーズな女だなんて言われたら、軽くショックだわ」
「……だったら、絵なんてじっくり観るなよ」
霧矢の言葉を美香は無視する。サンシャインシティのビルが見えてきたところで、カーラジオの時報が正午を知らせた。
「本当にまずいわ、レイ、急いで!」
「……別に、多少遅れても構いませんから、交通ルールを守ってください。事故が起きてからじゃ遅いんですから」
「かしこまりました」
人通りの多い交差点を突っ切り、車は池袋駅のロータリーに進入した。車が止まると、霧矢はドアを開けて車から飛び出した。美香も霧矢に続く。
「ついてくるなよ!」
「あら、いいじゃない」
得意の俊足を生かして美香を振り切ろうとも考えたが、残念なことに、田舎の駅と違い、池袋駅では人や障害物が多すぎるため、全力疾走することはできなかった。
時計を見ると、電車が到着した時間からすでに五分ほど経っている。携帯電話に着信はまだ入っていないが、霜華がこの駅の構内にいることは間違いない。
美香を苦々しい視線でにらみつけながら、霧矢は改札口に向かって歩いていく。人ごみの中でも、歩行杖をついた青年、金髪の少女、そして長い黒髪の薄着女を見つけるのに、そう苦労しなかった。
「……何でお前までいるんだ。昨日退院したばかりなのに、こんなところで何してる」
霧矢の問いかけに彼は無言だった。隣に立っている金髪の少女は、苦笑いを浮かべて、霧矢とアイコンタクトを取った。
「…なるほど。大体わかった」
霧矢は二人に背を向けると、薄着の女に向かって凄んだ。
「何でわざわざ追いかけてきた。放っておいても、僕はそのうち戻るんだから、大人しく待っていればいいものを」
「理津子さんが、至急、霧君のことを追いかけなさいと、私に言った」
「母さんが?」
怪訝な表情を浮かべた霧矢に、霜華は説明しようとする。しかし、霧矢の背後に立っている人間の姿を認めた瞬間、表情が固まった。
「お久しぶりです。もっとも、このように直接あなたとお話しするのは初めてになるのでしょうが、片平美香と申します。北原霜華さん」
表面上は丁寧な口調で美香は霜華に挨拶する。しかし、彼女の目には相手に対する敬意というものが感じられず、挑戦的な光を帯びていた。
「……初めまして。私は北原霜華です。復調園調剤薬局で働いています」
一方、霜華は固い口調で美香に返事をする。表面上は笑顔を浮かべていた美香とは対照的に、霜華の表情には一切の笑みがない。美香はやや嬉しそうな表情を浮かべると、霜華から視線を逸らし、霜華の隣の二人の方を向いた。
「お初にお目にかかります。私は、片平美香と申します。京浜製薬代表取締役、片平義仁の長女です。お二人のお名前をお伺いしてよろしいですか?」
今度の美香の口調は、霜華に対するそれよりもさらに柔らかくなっており、相手に対する敬意というものも含まれていた。
「西村龍太です。そこの三条とはクラスメートです」
「…私は、セイス・ヒューストン。龍太の契約魔族」
西村はややかしこまった口調で答えた。さすがに、初対面の人間に対して、軽い口調で話すほど常識がないわけではない。一方、セイスは美香のことをあまり信用していない様子の視線を投げかけていた。
「龍太さんとセイスさんですね。では、今後ともよろしくお願いしますね」
西村は納得したような表情を浮かべ、セイスは無表情だった。霧矢は美香と西村の間に割って入ると、西村をにらみつけた。
「おい、何でそんな体で旅行なんかしようと思った。傷が開いたらどうする気だ!」
「……どうも、気分が沈んでてな……旅に出たいと思ってたら、上川が…」
「断れ! いくらなんでも、現在の自分の体の状態がどうかは理解しているだろう!」
大声を上げた霧矢に、霜華が一歩近づく。
「霧君、わかってあげなよ。西村君だって、気持ちの問題が……」
霜華は霧矢の袖を引っ張る。乱暴に払いのけようとしたが、霜華の表情が憐れみに満ちていたので、霧矢はこれ以上西村を責めるのをやめることにした。
「…悪いな。お前に迷惑を掛けたりはしないから」
いつもの西村らしくもない静かな反応に、霧矢は驚いてしまう。いつもならば、適当な言い訳をするか、根拠のない虚勢を張ったりするのに、今日に限って彼は謙虚だった。
「……行こうぜ、セイス。横浜に連れてってやる」
西村は美香に一礼すると、セイスを連れて、切符売り場に向かった。セイスは霧矢に微笑みかけて手を振る。そのまま二人は人ごみの中に消えた。
あとに残されたのは、呆然とした霧矢と、火花を散らす二人だった。




