第一話 騶強龍弱の学舎(4)
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チップが手にした棒に向かって囁く。声は聞こえない。いわゆる無声詠唱だ。暗殺などの裏稼業を生業とする魔導士が編み出したとされる術式で、言霊に頼れない分、効果は自身の持つ魔力や霊力に大きく左右される。一子相伝の秘術とも言われており、目にするのはスパイクも初めてだった。
ふたりにまとわりついていた瘴気が一瞬にして消し飛ぶ。チップから放たれた異常な気配がスパイクの意識をも臨戦態勢へと引き上げる。すぐに対応できたのは、この気配が発する意図を修行時代に何度も経験してきた結果だ。厳しい修行から逃げ出そうとするスパイクを封じる、いわゆる金縛りの術である。気配が術として発現する前に全身防御の術を唱え、九字を切って護身の底上げを図った。
術が発現する。一瞬にしてスパイクの身体が棒立ちとなる。身動きはできずとも五感は機能していた。チップの側に浮かぶ木の棒。棒には詠唱の言葉がみっちりと刻まれている。ただの棒に素早く古式文字を刻み、宙に浮かべるだけなら大道芸の奇術師にもできるだろう。だが、上位魔導士の目には、それがただのまやかしに見えないのだ。棒が纏う尋常でない破壊力。スパイクが思い浮かべたのは英雄譚の一場面であった。強大な敵の攻撃で失われる愛剣。大魔導士が折れた剣を速やかに蘇らせ、さらなる力までも付与するという屈指の名場面。チップはその力を偶然拾っただけの小さな木の棒に与えたのだ。この棒を振るいさえすれば、凶悪な山賊だろうが六ツ首龍だろうがいとも簡単に打ち倒せるに違いない。
もちろん、棒立ちのスパイクなぞ雑魚以下でしかないだろう。身体の周囲を囲う魔法の盾も底上げの九字も、あの木の棒を弾くだけの強さはない。チップの手から放たれたが最後、簡単に急所を貫かれ絶命するのだ。
「こんな感じですかね」
限界まで硬く張った緊張の糸がいきなりフワリと弛緩する。チップが術を解いたのだ。木の棒がポトリと地に落ち、ふたりの対決を離れて見守っていた瘴気どもが再び彼らの近くまで忍び寄ってくる。死を覚悟していたスパイクは、腰が抜けたのかヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「大丈夫ですか? あ、棒をありがとうございました」
丁寧な仕草で渡された棒に古式文字は見当たらない。森によく落ちているだたの粗末な木の棒だった。
「⋯⋯なんだか不思議な気分だ。ついさっきまでこの棒に射竦められてたのかと思うとね。こんな棒切れにあれだけの殺意を纏わすことができるってことは、初級魔法もかなり強力なのが打ち込めるんだろうな」
教師らしく上から目線で語ってはいるが、腰は抜けたままである。
「それが⋯⋯実は⋯⋯」
チップは申し訳なさそうに頭をかく。
「これしかできない!?」
驚きのあまりスパイク自身も予想していない大きさの声が出た。
おそるおそる確認を行う。
「基礎的な魔法を習得することなく?」
「はい」
「師匠のもとで辛い修行に明け暮れた?」
「いいえ」
「親族や祖先に高名な魔導士がいるとか?」
「いません」
「じゃあ、なんであんなにも高度な攻撃魔法が扱えるんだ? おかしいだろう」
「ボクもそう思います。学校で知識を深めれば、理由が判明すると思っているんですけど」
「それで授業のない日は図書館に通ってるのか」
咎められると思ってか、チップからの返事はない。
「⋯⋯解明への糸口が欲しいな。なにか心当たりはないか?」
「実はボク⋯⋯戦災孤児なんです」
チップの告白を受けて、スパイクは一瞬だけ声を失った。
それから、しどろもどろになりながらもなんとか言葉を紡ぎ出す。
「そうか⋯⋯勇者との戦いも長引いたし、地方ではまだ動乱や混乱が続いているとも聞く。もちろん、孤児の多さについてもだ。世界を平和へと導く魔王軍に対する民衆の期待は大きく、我々も期待に応えるべく勉学や修練に勤しんでいるわけだが、魔王様も各所に孤児院を建設したりと忙しくされているようだし、いつの日にか皆が笑顔で暮らせて、孤児という言葉が消えてなくなる世の中にしていかないといけないな。つまり、何が言いたいのかというと、戦災孤児であろうとも負い目を抱かず、勉学に邁進することがチップ君にとってもより良い世の中になるのではないかと思う次第であって」
「大丈夫です。拾い育ててくれてボクを学校に通わせるために故郷を離れる決断までしてくれた両親には感謝しかありません。その深い愛情が今のボクの原動力になってるんですから」
「そうか⋯⋯そうだな。なんか、すまない。なんか、いろいろ取り乱して先走ってしまったようだ」
今度はスパイクが頭をかいた。
魔王と行動を共にしていた時に孤児がらみでいろいろあったのだろう。そんな気苦労が察せられる。
「糸口になるかわかりませんが、赤子だったボクを拾った時にこれを身につけていたそうです」
首に掛けてある紐を引っ張り、服の下からなにかを取り出す。宝物を扱う手つきでスパイクに差し出したのは古びた鍵であった。
小さな鍵を病気や災いから守るまじないとして子供に持たせる風習は古くからある。だが、チップの手に乗った鍵はお守りと呼ぶには大きすぎるのだ。差し込む部分に凹凸がなく、両刃の剣を思わせるフラットな形状。鍵の持ち手には遊色効果のある乳白色の丸い石が。鍵の本体部分には赤や青に輝く五色の宝石が埋め込まれていた。
『テンプル鍵』という言葉がスパイクの頭に浮かんだ。テンプル鍵とは神殿の宝物などを守るために用いられる特殊鍵の総称である。施錠にも開錠にも魔力が必要とされることから、腕の良い盗賊に狙われたとしても決して破られることはない。他の特徴としては、物理的な鍵穴が存在しないことがある。裏をかいて存在することもある。鍵穴の場所が神殿から遠く離れた山の中の洞窟の奥だったりする。複数の魔導士を揃える必要がある。など、条件をいかようにも設定できることから、鍵を手に入れたとしても開錠に挑む暇な者がまずいないのだ。そんな理由からテンプル鍵は町の古道具屋でよく売られている。
チップが持つテンプル鍵の由来も、きっとそのあたりに違いない、とスパイクは考えた。




