日々
割った石の断面に、きらきらと光る青と灰色の粒。
「きれい……」
あの頃、五歳下の弟はまだ赤ちゃんだったと思う。ぼんやりとした、霞の向こうの記憶。
「いろが、かわるのですね」
危ないから触ってはいけないよ、という父の言いつけを破るまいと、小さな手をぎゅっと握りしめる。
「これ、おとうさまのもの?」
「いや……国のものだ」
はじめて聞く父の硬い声に、何か悪いことが起こっているような心細さを覚えた。
フェルミ領で採掘に成功した鉱石は国の管理下に置かれ、父は王都での勤めにかかりきりになった。
幼いアンナは寂しさに泣いて、泣いて、泣くと母が痛いのを我慢するときの顔になるのに気づいて、それから良い子になった。
厳しい箝口令が敷かれ、存在を隠された石。
夢の中ですみれ色を垂らした濃い青が、エリクスの瞳と重なった。
◇◇◇
白い漆喰壁に木目の家具、飾り気のないカーテンはくすんだ緑色。朝の鍛錬を済ませ汗を流したのち、ひとり朝食室の席につく。よあけのかみさまに食前の祈りを捧げ、白湯をゆっくりと飲んだ。
今日の朝食は卵を落とし薄切りの燻製肉を乗せたそば粉のガレット。領地にいた頃からの、アンナの好物だ。素朴なそれは王都流におめかしされ、彩りに刻んだ香草をひと散らし、添えられた匙には粗く潰した黒胡椒。アンナの塩梅で量を選べるようにとの配慮だろう。料理人の優しさが嬉しい。つぷり、刃を差し込むと、温かい黄身が濃厚なソースとなって流れた。
週に三度花嫁修業でガルシア子爵邸に通うほかは、アンナは王都のタウンハウスで静かに過ごしている。綺麗に見える街だがその治安を信用はできない。故郷を離れる当時には楽しみにしていた王都見物を、アンナは早々に諦めた。
いまもアンナの移動には、ガルシア家の護衛を借りている。ガルシア邸の周りは軍の治安部隊の巡回路に組み込まれているそうだ。練兵場で耳にする軽口にはヴィルヘルムの家族愛を揶揄するものもあったが、アンナは不器用なそれを尊いと思う。
◇◇◇
「こちら、理由書の添付がないので差し戻します」
王城での仕事が忙しい父に代わり、領の采配は母が回している。せめて、嫁ぐまでの短い間でも王都タウンハウスの家政は手伝いたいと、使用人越しに父の許可を得てアンナは日中執務室に篭もる。
最近ようやく帳簿の整理にも慣れ、父の決済前の書類を優先順に整えるところまで成った。
「領地の傷痍軍人保護施設閉鎖案……これは収容者がほとんどいなくなり、役目を終えたと判断されたのでは?」
「ほとんどいない、ということは、少しはいる、ということでしょう」
「それはまあ、そうですね」
何を当たり前のことを、と補佐についた使用人が首をひねる。
「お国の大事に身を挺し、私たちをお護りくださった恩人がたです。さいごのおひとりまで安らかにお過ごしいただく場所を、こちらの都合でなくしてはいけません」
言い切る少女に気圧されたように、彼は生唾を飲み込んだ。
「失礼しました……お嬢様の仰る通りに」
「はい。よろしくお願いいたします」
緊張で冷たくなった指先をそっとさする。一礼して背を向けた使用人が、こっそりと誇らしげに口元をゆるめたことに、アンナは気づかなかった。
「……おとうさまは、今日はお帰りになりますか?」
「いいえ、まだしばらくは泊まり込みのご予定です」
「そうですか……」
その声は、思いのほかさびしげな色を帯びてしまったようだ。
「急ぎのご用がおありでしたら、私がお伝えに上がりますが」
いらぬ心労をかけてしまった。まだまだ自分は自制が足りないと反省する。
「いいえ、問題ありません。ただ、お体が心配です」
「僭越ながら……報告書ではないお手紙を書かれると、旦那様はことのほかお喜びになるかと存じます」
「まあ。お手間をとらせてしまうと申し訳ないわ。お話をするのは、お会いできたときのお楽しみにとっておきます」
話をしたい、会いたいと思う。しかしわざわざ多忙の両親をつかまえて、娘のとるに足りない愚痴に付き合わせる勇気はない。
「…………かしこまりました。余計なことを申しました」
「いいえ。お気づかい、とてもうれしく思います」
恐縮する彼ににこりと微笑んで見せ、ふたたび書類に戻る。
アンナは数字を扱うのは好きだ。答えが揺れないものは、迷わずに作業に没頭すればいずれもっとも良い形におさまる。
心地よい静けさの中、開けた窓から乾いた葉が一枚舞い込んだ。




