ガラス玉と砂糖菓子
きっかけは、エリクスから贈られた髪飾りだった。
繊細な針金でできた櫛に、紅水晶に似た大粒のガラス玉がいくつも付いている。
淡い色のついた透明なガラス玉を磨きあげ、宝石のような意匠に仕上げたそれを、今様の言葉ではビジューと呼ぶらしい。
ソフィアの指に胸元に輝くそれを、綺麗だなといつもアンナは眺めていた。
うれしく思いさっそく自らの髪につけ披露すると、エリクスとソフィアは喉にパンが詰まったような不思議な表情をして、アンナは髪の手入れのやり方を指導され、帰りに青いガラス瓶に入った香油を持たされた。
◇◇◇
今日、アンナはガルシア邸の居間にて、かつて腕を通したことのないような、あざやかな黄色のドレスをまとっている。ふわふわと幾重に薄い生地が重ねられたそれは、金糸雀のようでとても愛らしい。
だがアンナは、袖口からのぞく自分の手首が黒くくすんで見えて、少し悲しくなった。
「ね、ね、かわいいでしょこのドレス! ひまわり色とさんご色で迷ってね、どっちも作ったの! わたしはさんご色を着るからアンナさんはひまわり色ね! うふふ、おそろいうれしいわ。まるでなかよしの双子みたい」
同じ意匠で色違いのドレスを着こなすリリアは、さながらおとぎ話に出てくる花の精のよう。リリアの指示で、ガルシア家のメイドがアンナの目元に淡いみずいろの粉を乗せる。練りおしろいでそばかすを隠され、あんず色の口紅を塗られながら、慣れたその様子に自分がここに来るまでの彼女らの時間の長さと密度を思った。
「できたわ! かわいい! エリにいさま、ソフィおばさま! ほら、見てあげて! はやくはやく!」
リリアに手を引かれ、婚約者が入室する。
「リリア待って、そんなに引っ張らなくてもアンナは逃げやしないよ。やあ、アンナ。かわいくしてもらったか、い?………………」
エリクスは微笑みの形のまま動きをとめ、そのまま硬直した。
「ね? かわいいでしょう? アンナさんたらわたしとサイズがおんなじなの! ふたりおそろいで、お花の国のお姫さまみたい!」
「……ああ、そうだね……」
くるり、リリアが回転するとスカートが広がり、まさに大輪の花のように映った。どこか気まずそうに目をそらすエリクス。
そのうしろから入ってきたソフィアが濃青の瞳をすがめる。
「ええ……ドレスとお化粧はかわいいわ……」
メイドに手渡された手鏡をのぞくと、妙に顔色の悪い、服に着られたような滑稽な己が映った。
淡い緑地に小花を散らせた壁紙の、白い猫脚家具に金めっきをほどこした、ガラスのシャンデリアがきらきらと光をはじくこの豪奢な部屋で、夢のようなドレスと洗練された化粧の似合わない自分はさぞかし道化のように見えるのだと自覚して、アンナはそっと目をふせた。
◇◇◇
「はあ……」
こぼれたため息はどちらのものであっただろう。己か、目の前に座る、不機嫌を隠そうともしない未来の義母か。優雅にあおがれる扇子からジャスミンの香りが広がる。
腰に共布のベルトを締めた飾り気ない濃紺のワンピース。木綿の襟と袖口は交換式で常に白い。化粧を落として慣れた服に着替えるあいだに、エリクスとリリアは遊戯盤で遊ぶのだと、エリクスの部屋に行ってしまった。
くすくすと秘密を含んだ笑い声が、廊下のむこうに消えた。
使用人が複数人居合わせるから問題はないのだとソフィアは言う。故郷に近い年頃の貴族子女が弟しかいないアンナにはよくわからない。
「アンナさん、これはあなたを責めるつもりで言うわけではないと、知っておいて欲しいのよ」
「……はい」
「あなた、少し美容に対する心構えが足りないのではなくて? いずれガルシア家の看板を背負って社交場に立つ身、美しさは武器であり盾でもあるのです。それをないがしろにしてみすぼらしい姿で笑いものになるなど、わたくし、けっして許しません」
今日のソフィアの装いはつやのある薄紫色のドレス。袖口と、スカートの切れ目から機械織りの繊細なレースがたっぷりとこぼれ出る。耳と胸元には橄欖石に似た淡緑のガラスビジューがきらめく、補色が奇抜にならない絶妙の取り合わせ。透ける光は本来夜の社交のものだと聞くが、優しい色のきらめきが春の陽光を思わせ、昼間でも嫌味にならない。
「先だってわたくしがさしあげるまで、髪に香油を付けたこともなかったと言ったわね。故郷のお母様はいったい何をなさっていたのかしら」
ちらと視線を寄越され、厚みのあるスカートの上で、アンナはぎゅっと手を握りしめた。
娘とその婚約者の顔合わせを済ませ、何度も何度もアンナの頬にキスの雨を降らせてから慌ただしく領地に戻った、愛する母の名誉を損ねたくない。
「母は……父が王都詰めになって以来、領地の采配と幼い弟の世話に忙しく……私の細かな身のまわりまで、手がまわらなかったのかとぞんじます……」
「んまぁ!」
ぱちり、扇子を閉じる音に、アンナの肩がはねた。
「そういうご事情でしたらわかりました。アンナさん、これからはお母様に代わってわたくしが厳しくあなたを仕込んでさしあげます。覚悟してちょうだい」
「はい……」
女主人の合図に、優美な曲線の持ち手のある薄い磁器の茶碗に暖かい練乳茶が注がれ、色とりどりの茶菓子が並べられる。
ソフィアがガラスビジューに似た砂糖菓子をひとつつまみあげ目配せすると、使用人たちは再び壁際に下がった。
「それと、これはあまり言いたくはないのだけれど。アンナさん、あなたリリアちゃんに冷たくはないかしら」
「……え?」
「一生懸命あなたに話しかけていたでしょう? それをぜんぶ無視して。ドレスを借りたお礼も言わない。あの子、傷ついていたわよ。だから今はあえてあなたと引き離して、エリクスがなぐさめているの」
「そんな……」
たちまち目元に熱が集まる。こみ上げるものを人前でこぼすまいと、強く意識して胸を張り、ソフィアを正面から見つめた。
「彼女には、正式な紹介を受けておりません。であれば貴族の一員として、お話をすることはかないません。私が勝手気ままにその線を踏み越えることこそ、彼女に対する無礼かと愚考いたしました」
「…………は?…………」
己にやましいことはない。丸く開いた、すみれ色をたらした濃青の瞳を見つめ返す。
「どういうこと? 慰霊祭で会ったでしょう」
「お会いはしました。しかし紹介はうやむやのまま途切れており……」
「んまぁ……」
扇子をこつこつとはじく、その爪の先まで淡色の紅がほどこされた様を、綺麗だと思った。
「そう……この件はわたくしが預かります。ひとまずは、それでいいかしら?」
「はい。夫人におまかせします」
少しぬるくなった香辛料入りの練乳茶。その強い甘味が、いまはありがたいと思った。




