御前会議
「これより御前会議を開会いたします」
儀典官の宣言により始まったそれは、会議と言うよりは断罪の儀式であるように思えた。
アンナは、おそらくはエリクスもソフィアも、リリアだってこのあとの概要を事前に言い含められている。
「議題は二件」
同時に、具体的な処罰内容こそまだ知らされていないが、これから告げられる事柄から逃げるすべはないのだとも。
「第一に、ガルシア家、フェルミ家間の婚約解消」
ぎり、と向かいの席からかすかな音が聞こえた。おそらくはソフィアが卓の下で扇子をきつく握りしめたのだろう。
「第二に、国家管理資源『黎明石』損壊事案に関する裁定」
リリアが何かを言おうと息を吸う。
「関係者は発言を求められるまで沈黙を保たれたし」
幸い、開いた桃色の唇は言葉を発することなく閉じられた。
アンナは、リリアの背後に立つ近衛の右手がわずかに動きそのまま戻ったのを横目に見た。
怖い。恐ろしさのあまり首すじが総毛立つ。自分の後ろにも、真正面に座るエリクスの後ろにも、いつでも抜ける剣を携えた近衛が立っている。
「では、こちらの婚約解消届に両家当主、および当該者の署名を」
渡された書面に目を通し、いつにも増して険しい顔のヴィルヘルムが署名をし、ソフィアが悲痛な表情でそれを見届ける。
ああ、自分はこの方々の娘になり損ねたのだと、朧気に思う。
「……ガルシア卿」
役人に促されても、エリクスはペンを握ったまま動かない。
「ガルシア卿」
「は……発言のお許しを……」
震える声で、エリクスが乞う。
エリクスの背後の近衛が剣の柄に手をかけた。
「許す」
「お許しを賜り感謝申し上げます」
王の許しに席を立ち一礼。
「僕は……私はアンナと……」
言いかけた言葉はすぼみ、かぶりを振るエリクス。
アンナは、今はまだ辛うじて婚約者である彼の首が飛ぶところなど見たくはない。
これまでたくさんの不義理をされた。だからといって死を望むほど憎んではいない。彼の根が善性であることも、普段は気取っているのに照れると口数が増え早口になることも、笑った顔が幼く見えて可愛らしいことも、本当は甘味が苦手なことも、アンナはよく知っている。
卓に隠して、スカートが皺になるほど強く握りしめた。
少しの間エリクスは考えをまとめるように三度深呼吸を繰り返し、やがて覚悟を決めたのか、すっと背筋を伸ばした。
「……この婚約は、レグナリアの文武融和のために結ばれたもの。私の未熟により結実が遅れたこと、平にお詫び申し上げます。この件に関してアンナ嬢に過失はありません。そして……」
再び言葉が口の中に消えていく。音の消えた場に、ちゃり、金属音が響いた。鞘を鳴らした近衛を王が手で制す。
「続けよ」
「……いえ、以上です」
「そうか。着席せよ」
「はい。ありがとう存じます」
深く礼をとり、エリクスが腰掛けた。
「ガルシア長官。頼む」
「は」
王の声かけに今度はヴィルヘルムが起立し、敬礼をとる。
「文武融和は既に成った」
思いがけない情報に、時が止まったように誰も動けない。
ややあって、こつこつ、と王太子が呆れたように卓を爪弾いた。
「ガルシア長官、あまりにも端的に過ぎよう。皆に分かるよう説明してくれ」
「失礼した。経緯が大まかに二つある。第一に婚約締結に伴い発足したフェルミ家、ガルシア家の共同事業。これを発端とし、他事業においても各地で派閥を超えた友好関係を築き成果を出した事により、両派閥の反目こそが国益に弊害を生むものと広く知らしめた」
「ふむ。確かに、この三年程で随分と円滑になった事業がいくつか思い当たる」
王があご髭を撫でながら言う。我が家の、父の仕事は王の目に届いていたのだ。
「第二に」
ヴィルヘルムの声に、横目で父の顔を覗き見していた視線を元に戻す。
「文官派の娘が、武官派の家で三年間逃げなかった」
「え」
アンナは声に出すのを、すんでのところで飲み込んだ。
「慣れぬ土地で、馴染まぬ流儀に苦労し、それでも折れず、腐らず、文武融和の為に尽くした娘がいた。軍人も貴族も、その姿を見ていた」
「は……」
声にならない吐息が漏れる。手が、足が、胸が震える。
「先に述べた事柄は結果に過ぎん。掌の皮が剥けても泣き言ひとつ零さぬ娘を前に、阿呆のようにいがみ合い続けるほどレグナリアは愚かではない」
よく研がれた刃の色の瞳がアンナを捉える。
「アンナ嬢」
「は、はい」
許可なく声を出してしまった。が、王と王太子は明後日の方向を向いている。どうやらこの不敬は不問としてくださるらしい。
「己の権益より国を護る事、皆に思い出させてくれて感謝する」
「は……発言のお許しを……」
「許す」
王が微かに笑んだ気がした。
慌てて立ち上がり、一礼する。
「そして、長い時間、貴女を当家に縛り付けてすまなかった」
ヴィルヘルムが頭を下げた。
隣のエリクスとソフィアも立ち上がり、それに倣う。
まだ、まだだ。まだ泣いてはいけない。
浅くなる呼吸をなだめようと、意識して深呼吸を三つした。故郷にいたままでは知らなかった、練兵場で身につけた、動転を逃がす手順。
「あ……頭を、どうか頭をお上げください」
三人の姿勢がゆっくりと戻る。顔立ちは母譲りのエリクスの、表情は父にそっくりだ。
この家族に入りたかった。もう実現するあてのない希望を静かに仕舞い、胸の中の箱の蓋を閉じた。
「私こそ、ガルシア家のみなさまには長くご迷惑ばかりをかけ…………」
ガルシア家のみなさまに謝罪されるのはつらかった。なら、自分も無闇に謝るのは相手の罪悪感を増やすだけと思い至る。
「……至らぬ私を、たくさん可愛がっていただきました。ガルシア家のみなさまに、心からの感謝を」
ここいちばんの場で使うようにと、ソフィアから習った王都流の優雅なカーテシー。
ソフィアの瞳からひとつこぼれた大粒の涙。
ああ、美しい方は涙まで美しいのだと、アンナはこの期に及んで妙な納得をした。
「んんっ」
王の咳払いで我に返る。
「済まぬな。これで、ガルシア卿は納得しただろうか」
「はい。ご厚情を賜り感謝いたします」
憑き物が落ちたような穏やかさで、エリクスは婚約解消届に署名をした。
続いてアンナの父クラウス。
そして、アンナの順がまわってきた。
この三年間で何度も目にしたエリクスの筆跡。少し神経質そうに角張った名前の横に、アンナはできるだけ丁寧な字で署名をした。生身ではついぞ叶わなかったぶん、文字だけでも美しい姿で彼の隣に並びたいと願った。
文官が届を回収し、王太子が確認する。
王が、承認印を捺した。
その手つきは意外にも静かで、音も立てずにアンナとエリクスの、三年におよぶ婚約関係は終わった。
「レグナリア国王陛下、ならびに王太子殿下、ご退室」
全員が起立し、最敬礼で見送る。扉をくぐる手前で、王が立ち止まり振り返った。
「アンナ・フェルミ」
「はい」
名指しされて頭を上げる。
ひたと自分を見据えるのは紫にも青にも見える瞳。夜明けの色。
「大儀であった」
軍部が見ていてくれた。
貴族が見ていてくれた。
何もできなかったアンナを王が認めてくれた。と、ほんの少しだけなら、自分を褒めてもいいだろうか。
「……恐悦至極にぞんじます」
再び下げた頭の向こうで、扉の閉まる音がした。




