ソフィア
エリクスとリリアは、厳重注意のうえ二ヶ月間の自宅謹慎処分となった。
婚約者より他の女性を公の場で優先した不実な男と、はじめての社交界に浮かれて羽目を外した娘。
身内の痴話喧嘩とも取れる軽い失態に対し二ヶ月、という期間は厳しすぎると思う。
しかしこの婚約の下敷きに王家主導の政治的な目論見がある以上『若者の軽挙』で済ませるわけにはいかないのだと理解して堪えた。
背後に沈み溜まる王家と議会、なにより夫の怒りを察し、ソフィアの湯を使ったばかりの首筋に、ざわりと鳥肌が立った。
鈴蘭の花を模した小ぶりのシャンデリアが、生成色の壁紙に淡く唐草模様を浮き上がらせる。帝国の最新技術で作られた型押しの壁紙は、光源の位置で昼間とは違った貌を見せるのがなんとも楽しくて採用した。バランス良く配置された木目が美しい猫足の家具。北方で採れたという白い獣の敷物が、きついハイヒールに苦しめられた足を甘やかしてくれる。
多色使いのドレスを好む己の姿を引き立てるため、あえて色数を抑えた落ち着く私室。
寝支度を整え侍女を下がらせたソフィアは、ふと卓上の違和感に目を留めた。
今朝には無かった、手のひらほどの大きさの寄木細工の小箱。
そういえば昼間にアンナがデビュタント衣装の返礼にと持参したのだったと、思い出すのに数瞬を要した。
あの大舞踏会以来、息子と姪の尻拭いに奔走し、ソフィアは疲れている。謹慎中の婚約者がいる邸に頻繁に長居しては処罰の意味が薄れると、アンナのガルシア邸通いは制限された。とはいえこの婚約に不足のないことを示すため、居心地の悪くなった茶会に彼女は二ヶ月もの間ソフィアに寄り添い隣に立ち続けた。
緑の小花の居間、いつもの長椅子に腰かけ久しぶりに正面から見た彼女の目元に隈が浮いてやつれた姿に、己もさぞかし似たような様であろうと内心自嘲した。
互いに口数は少なく、ふた言み言、労りの言葉をかけ合うにとどまった義娘との邂逅は、しごくあっさりとしたものだったと振り返る。
「どうぞ、ここいちばんの茶会にお付けくださいませ」
差し出された小箱をその場で開ける気力もなく、そのまま侍女に預けたのだ。
「ん、もう!」
小箱を手に取り、苛立ちに任せ綴織の生地を貼った長椅子にわざと音を立てて腰掛けた。
日頃子爵夫人として足元をすくわれぬよう強く立つことを己に課しているが、他に誰もいない私室でなら少しの無作法を許しても良いだろう。
ゆったりと背もたれに身を預け、小箱の滑らかな木肌をなでながら目を閉じ思索にふける。
ソフィアは終戦間際の困窮した男爵家に産まれ、華やかな衣装も装飾品も、貴族らしい教育すら諦めて育った。
先代が亡くなり急ぎ伴侶を求めたヴィルヘルムと結婚できたのは、ソフィアの人生最大の幸運だ。だからガルシア家の益となることを示すため美貌を磨き、流行の先端を担い、下位貴族の婦人をまとめあげ、一大派閥を築いた。誰がなんと言おうと勝利者である自負がある。
一見優しげな社交界の微笑みを真に受けてはいけない。いつだって破滅は手ぐすねを引いて待っている。
常に追い立てられるような心持ちの社交疲れから束の間の癒しを求め、私的な場ではただ愛しいままに息子と姪を可愛がった。それが、悪かったのだろうか。
「はあ……」
どれほどぼんやりとしていただろうか。手の温もりが移り、ぬるくなった小箱に視線を落とす。脳裏に浮かぶのは、泣き出す直前の空に似た灰色の瞳。
二年前のあの日、顔合わせの席に現れたのは地味な衣服に身を包んだ痩せっぽちの娘。その貧相な姿が、なのに何気ない仕草にあらわれる高い教養が気に入らなくてきつく当たった。噛み合わない会話に苛立ちもした。息子がたびたび彼女との約束を放り出しても「アンナに魅力が足りないから」とすら考えた。
「……はあ……」
デビュタントでのアンナを思い出す。似合うドレスを纏った彼女は美しかった。どんなに飾り立てても芋臭い娘だと思っていたが、あれは己の見立てがまずかったのだと今ならわかる。そんな不甲斐ない姑である自分に礼儀を尽くし続けた娘。息子と姪が退場させられたあとも凛と立ち続けたその姿に、目の奥が熱くなった。
「……はあ」
益体も無い思考が堂々巡りになったところで、今度は意識的にため息ではない息を強く吐き、ソフィアは立ち上がった。
部屋の装飾を兼ね鏡台に並べられた、繊細なガラス細工の香水瓶たち。中でもお気に入りのジャスミンの香水を、空間に向けてひと吹きした。好ましい香りが広がり、自分だけの聖域を取り戻したような心地になる。
長椅子に座り直し、少しの逡巡を経て開けられた小箱の中身は、華奢な美しい銀細工だった。
「……これは、かんざし?」
結った髪に差すだけの髪飾りは、帝国で大流行したのちレグナリアにもたらされた。当然ソフィアは既にいくつか持っているが、それらはもっと大ぶりでたくさんの色ガラスがついた華やかなものである。
特徴的な一本足の頭には、先のとがった五枚花弁の花が一輪。精緻なつくりからは職人の確かな腕が伺えた。花びらの一枚が、金属ではなく同じ形にカットされた青い石に置き換えられている。
小指の爪程もないその小さな石を、ソフィアはまじまじと見つめた。光の加減で濃青からすみれ色、灰色と変わる様が美しい。
「んまあ、あれとおそろいにしたのね」
デビュタントでアンナの首元を飾った青いガラス。
ドレスの礼にガラス玉とはアンナらしくもない手落ちだが、あの娘なりにソフィアの嗜好に寄り添おうと、精一杯の努力をしたのだ。なんともいじらしいことではないか。
若者の小さな不手際を笑って受け流すのも年長者の務め。いたらぬところは義母となる自分が導いてやれば良い。これまで、ずっとそうしてきたように。
決めれば、途端に過ぎたことに気を揉むのが馬鹿馬鹿しくなった。
「ま、あの子にしては悪くない見立てじゃない。わたくしの瞳に似ているところは誉めてあげる」
今度の茶会ではこれを身に付けて見せてやろう。
次にアンナと会うのは、エリクスとリリアの謹慎明けを祝う内祝い。迂闊な会であるとは重々承知しているが、リリアの精神が不安定になり、いつもの顔ぶれに会いたいと嘆くのだと聞いて不憫に思った。
そこでエリクスとリリアが詫び、ソフィアとアンナが許せば元通りだ。
仲直りして笑って、場が落ち着いたところで大人の余裕をもって、責めず、優しく、愛嬌たっぷりに、格上にガラス玉を贈るのは失礼であると教えてあげるのだ。
「だって、あの子に悪気はないのだもの」
アンナだっていい加減ガルシア子爵家の夫人らしい、愛される言い回しを学ぶべきだ。
いつも冷静なアンナが気恥しさに頬を染め、皆が微笑む場面を想像して、ソフィアは小さく笑った。
これからはそうやって、姑と嫁の、家族の微笑ましい逸話を重ねていけば良い。
「ふふ、きっと喜ぶわね」
細工を壊さぬよう、慎重に小箱に戻す。
髪飾りひとつで機嫌が治ってしまうなんて、わたくしも未熟者ね。
気が緩んだおかげかやっと訪れた眠気に誘われて、ソフィアは寝台に向かった。




