万華鏡
天井が高い。
シャンデリアの灯りが高窓のガラスに反射する。
人いきれとおしろいと、香水の匂い。
広いホールに王族と貴族たちと楽団、給仕に立働く使用人も合わせれば二百人ほどはいるだろうか。今まで見たことのない大人数と緊張に、アンナは息が止まりそうだった。
「レディ、お手を」
金茶の髪の王太子はアンナより十以上は歳上だが見目は凛々しく整っており、貴婦人がたの憧れの的なのだという。
楽団がメヌエットを奏でる。
流石は王族と言おうか安定したリードのおかげで、アンナは失敗なく踊りきれそうだ。そうなると心持ちにゆとりが出るもので、ターンに合わせて周りを見ることもできた。
二段ある雛壇の最上段には玉座におわす王陛下と王妃殿下をはじめ王族の面々。王族席の一段下には政務各署の長に混じって軍部の高官ヴィルヘルムの姿も見える。
エリクスとソフィア、共にいるリリアとその両親の位置まで確認した。
「いち、に、さん、回ったあと、礼……」
王太子が手を離す。曲が終わり、弦の余韻にあわせて礼。
粗相なくやりきれた。肩の力が抜け、アンナは思わず笑みをこぼした。
王太子が王族席に戻れば次はエリクスとのダンス。こちらも失敗できない。改めて気を引き締め、迎えに来るはずの婚約者がいる一角に目を向けた。
「え……?」
他の新成人たちに混じってホールにすべり出たのは、咲き誇る白いラナンキュラス。
重力を感じさせない軽いステップに、くるり、くるりと広がるスカート。リリアの微笑み。
花を抱いて踊るのは、黒い軍服姿の婚約者。
その瞬間、世界から、音が消えた。
ひるがえる黒いぺリースの、裏地の真紅がやけに目についた。
きらきらと光を反射するシャンデリア。
高窓の外に見える夜空。
熱いほどに脈打つ己の鼓動。
楽団の揃った弦の動き。
内心の伺えない王の視線。
寄木細工の床
壁面灯の蝋燭の炎が揺れる。
視界の端で、ヴィルヘルムが動いた。
貴族たちの好奇の目つき。
顔半分を扇で隠したソフィア。
ふわり、花金鳳花が宙に舞う。
「にいさま! もっと高く!」
王妃が何事か、扇の影で侍従に指示を出した。
手をきつく握りしめると、絹の手袋が不快な音を立てた。
長机に並んだ泡葡萄酒のグラス。
天井には、シャンデリアが輝く。
「はっ……はぁ……はぁ……」
自分の息づかいがやけに大きく聞こえた。
息がうまくできない。
音は戻った。ここで取り乱してはいけない。早く二人を追わねば。ホールの対角線上、アンナからいちばん遠いところまで行ってしまった、二人に合流して、笑って許して、何事もなかった顔でエリクスと踊らねば。もうじきに、曲が終わる。
「うふふ、にいさま。もっともっと!」
リリアの鈴の声が響く。まずい、間に合わない。
慣れないドレスに足をとられたところを、しっかりとした厚い手のひらに支えられた。
「……閣下……」
しっかりとした支え。詰襟の軍服の硬い布地。胸の勲章がこすれあう金属音。崩れかけた姿勢が強引に正される。
助けられた。研ぎ澄まされた刃色の瞳に、泣きたいほどの安堵が押し寄せる。
「フェルミ嬢、お相手いただけますかな?」
「…………はい」
息を整え、差し出された白い手袋に導かれてホールに立つと、貴族たちのどよめきが聞こえた。それが自分と将来の義父に向けられたものなのか、それとも二曲目を踊り出したエリクスとリリアへのものなのか、アンナにはわからない。
「……愚か者が」
向かい合って踊るアンナには、ヴィルヘルムの怒りが直に伝わる。恐れから乱れた足元を、軍人の体捌きは軽々と補助した。
「私の肩を見て踊ると良い。このまま顔は作れるな?」
「はい。問題ありません」
アンナがここで崩れるわけにはいかない。社交界の恐ろしさは、この二年でソフィアからさんざんに叩き込まれた。
「……あれらの処罰はこちらに任せて貰えるだろうか」
「……はい。閣下のよろしいように」
大人が動くのだ、と理解した。
王国の、文武融和政策のための婚約。
ただ一曲、つつがなく踊るだけで示せるはずの場だった。
よりによって連続二曲、真偽はともあれ親密な男女の仲であると、あの二人は他者に見せてしまった。
「今夜は愚妻が貴女の傍で立つ。苦しい思いをさせるが……頼む」
「……かしこまりました……」
気が付けばエリクスとリリアの姿は、ホールから消えていた。
曲が終わり、互いに礼。軍式の敬礼ではなく、貴族紳士の礼をヴィルヘルムにされるのははじめてだと、現実逃避ぎみに思った。
その夜、アンナはソフィアの隣で、淑女の微笑みを浮かべながら立ち続けた。せめて、ガルシア家とフェルミ家の関係は円満なのだと、文武の融和は成っているのだと示すために……
慣れないコルセットに締め付けられて、アンナの胸がきしんだ。




