アンナの願い
衣装が決まったこと、ソフィアへの返礼品に悩んでること、エリクスと諍いになったことを、アンナはできるだけ感情的にならないよう、父に伝えた。
「……それは、エリクス殿から距離を置きたいと告げられた、ということかい?」
「いいえ! いいえ……きっとたまたま少し虫の居所が悪かったのだとぞんじます。私がいたらぬばかりに、おとうさまにまでご心配をおかけしました」
「アンナ……しかし」
さらに言い募ろうとする父を制す。
「それに、この縁談はお国の大切な事業ですもの。私……きっと立派に務めあげてみせますわ」
この婚約は王命。『気に入らないから』くらいの軽い理由で反故にはできない。父にだってどうしようもないことは、アンナにもわかっている。
「それよりも、おとうさま。ガルシア夫人への贈り物を、いっしょに考えてくださいませ」
無理に浮かべた笑顔が痛々しい。クラウスは明らかに話を逸らされたことを理解しながら、ひとつ息を吐き、表情を整えた。
「デビュタント衣装の返礼品か……ガルシア夫人は当代きっての洒落者と名高い。選ぶのが難しいな。アンナはどういった物を考えているんだい?」
「おとうさま……よあけのかみさまでは、いけませんか?」
「アンナ、それは」
秘されたその名を口にした途端、父の顔色が変わった。
八年前、突如現れてフェルミ家のあり方を変えてしまった宝石。
運命を動かす力を持ったそれに、アンナはいつも祈りを捧げてきた。つらいことも悲しいことも、乗り越えられるように。
「……あれは、黎明石は、最早父の手を離れた物だ。管理権限も鉱山ごと王家に移った。私が娘可愛さでどうこうできる物ではないのだよ」
「はい……ぞんじております……」
愛し愛されなくていい。エリクスに嫌われたのはどうにもならなくても、せめて婚姻後ガルシア、フェルミ両家が円満であれるよう務めたい。
ならば、アンナの知る限りの、いっとう素晴らしい物を義母となる方に贈りたいと願った。
普段わがままひとつ言わぬ娘がこればかりは引けぬと見つめ返す様に、クラウスはその固い覚悟を見る。
「…………噂を流すのだよ」
「噂……ですか?」
「夏恒例の和平会議に、我が国からは王族が出席なさることは知っているね」
「はい」
夏の和平会議。
終戦から三十年。戦勝国不在のまま終わった戦争の熾火はいまだ各国に燻り続けている。次の火種を生まぬため、終戦記念日の前後に開かれる各国間の友好確認の場だ。
アンナは己のごく個人的な願いから世界平和へと、あまりに大きく飛躍した話に困惑する。
「その場で、我がレグナリアの国力を示すため、王族が黎明石の装飾品を身に付けることが決まった」
「まあ」
「その前段階として、国内で有力な婦人にあれを身に付けさせ『レグナリアには希少な資源がある』と諸国に噂を流す。その広告塔となる候補に、ガルシア夫人の名も上がっている」
「まあ……そのような……」
「……国家管理資源を我が家の私的な事情に使うことはもちろんできない……が、彼女を議会に推薦することはできる」
「……おとうさま……」
声が震える。鼻の奥が痛くて目がかすんだ。
「こんな事しかできない、不甲斐ない父を許してくれるかい?」
「そんな、許すだなんて……ああ、感謝します。おとうさま……」
「私はね、娘が可愛いのだよ」
十年ぶりの父の体温に包まれ、安心からか、アンナはそのまま眠りに落ちた。
それからデビュタントまで二つの月をまたいだが、アンナとエリクスが言葉を交わすことはついぞなかった。
◇◇◇
レグナリアの夏離宮。
硬い防衛機構を備える本城とは違い大舞踏会が行えるよう整えられたそれは、国内最大のダンスホールを備え、左右対称の前庭には四頭立ての馬車が余裕をもって行き交える馬車回しを持つ、豪華な建物だ。
夜の治安が悪いレグナリアでの社交とはもっぱら昼に集まるものであるが、年越しのこの日だけは国内の貴族が一堂に会し王家に忠誠を誓う。そして十六歳の新成人を披露目するデビュタントも、この日に行われる。
「いち、に、さん……右、後退……左、寄せて…」
アンナはガルシア家、ロゼール家合同でおさえた離宮の控え室にて着付けを終え、ダンスのステップを確認していた。
「ねえねえ! アンナさん、王子さまと踊るんだって! いいな、ずるいずるい!」
「回転のあと、礼……」
「わたしも王子さまと踊りたい!」
「王太子殿下の足を踏まない……」
「エリにいさま! アンナさんたらずっとこの調子なの。せっかくのダンスなんだから、もっと楽しめばいいのにね。ほら、あれ! 慰霊祭の広場のダンス! あれみたいに!」
「ああ、そうだね……」
「いち、に、さん……」
「うふふ、王子さまにはご婦人の親衛隊? がいるんだって。にいさまにもいるのよ。アンナさん、きっといっぱいうらやましがられちゃうね」
「ふうん……」
「いいなあ。その青いビジューもすてき。今日の主役はアンナさんね!」
「……絶対に踏まない……」
高位貴族は王家にあわせて出産するので、アンナの世代には貴族の子どもが少ない。はからずもこの年ではいちばん高位の新成人であるアンナは、代表で王族とのダンスを披露する役目を仰せつかったのだ。
マダム・モンテス渾身のドレスは織りで唐草の地模様が入った純白の絹。ギャザーをとらずあえてふくらみをおさえたスカートの後ろ裾を長くとり、アンナの長身をすっきりと引き立てる。肩を出した意匠が、長い首と鎖骨を魅力的に見せた。濃青に銀糸で縁どりをしたサッシュと青いガラスの装飾品が、白を上品に引き立てる。流行りの形ではないが、アンナを美しく飾るのに、これ以上はないとマダムが胸を張る出来栄えだ。
「いち、に、さん……」
「アンナ」
声をかけられ我に返る。
「エリクスさま……」
婚約者と顔を合わせるのは四阿での邂逅以来。エリクスも気まずいのだろう、何かを言いかけて、口を閉じるのを幾度か繰り返した。
「あのさ、このあいだは」
「にいさま! マントが裏返ってる! ほらここ、ちゃんとしないと!」
リリアがエリクスのぺリースのめくれを直した。
「……ありがとう」
「ううん。いいの! ね、もう時間だって!」
「そうね、わたくしたちも行きましょう」
ソフィアとリリアの両親が席を立ち、アンナもそれに倣う。エリクスは動かない。
「エリクスさま?」
「……ええと……うん。あの……今日は、お父上が来られなくて残念だったね」
「はい。領地で父にしか対応できない問題が起きたそうです」
「そっか。うん、でも……楽しめばいいよ。王太子殿下は優しいお方だし。かっこいいし」
「はい。ありがとうぞんじます」
「じゃ、そろそろ行こう」
「……はい」
長い手袋の皺を直し、差し出された軍服の肘に手を添えた。エリクスのエスコートで迷路のような順路を進む。
暗い壁が額縁のようにホールの景色を切り取った、開かれた扉を抜ける。
アンナとエリクスの初舞台。
大舞踏会がはじまる。




