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ボビンレース

 時は流れ、婚約を結んでから二年の月日が過ぎた。

 

 王都に出てからのアンナの生活は、相変わらず変わりばえはしない。

 朝起きてまず軽い鍛錬で汗を流す。

 昼は、曜日によって違う。週に三度は花嫁修業のためガルシア邸に通い、一度は練兵場で剣の指導を受け、残りはフェルミ家タウンハウスの事務仕事に勤しむ。

 夜は自室で本を読んだり、手慰みに手芸を少しやったりと、静かなものだ。



◇◇◇

 

 昨年末のデビュタントで、ひとつ年上のエリクスはアンナよりひと足早く成人した。

 

 年に一度、年越しの大夜会にて新成人がお披露目される。夏離宮の大ホールが解放され、国内の貴族が一晩中踊りあかすそれは、たいそうきらびやかなものだという。

 残念ながら、未成年のアンナはエリクスのデビュタントに同席することはかなわなかったがダンスの相手をつとめたソフィアから、エリクスのまあたらしい軍服がたいそう似合って美しかったこと、ご婦人がたがその姿にうっとりと見惚れていたことを聞いた。

 それは、さぞかし物語の王子さまを見るような、美しい光景だったに違いない。

 

 エリクスは注目される場での立ち回りが上手い。

 だが、演じ慣れた台本でも読むかのように鮮やかに振る舞ったのち、必ず具合を悪くすることをアンナは知っている。

 一度、心配のあまり指摘して機嫌を損ねてしまった。

 きっと彼の矜恃を傷つけたのだろう。それ以来、合える機会がさらに減ったと感じている。

 

 アンナは、いつでも失敗する。



◇◇◇

 

 かちかち、かち……


 

 木でできた糸巻きが軽くぶつかり合う音が耳に心地よい。綿を巻いた小さな卓に型紙を置きピンを打つ。いくつもの糸巻きをあやつりながら糸を編んでいく。

 一日に指の太さほども進まぬが、幼いころから身に馴染んだ動きが、頭の中を整理するのに丁度よい。

 

 エリクスは年が明けてすぐに軍属となった。

 軍の儀礼や渉外につく立場で、父ヴィルヘルムとは離れた部署なのだという。

 

 いままでは邸に伺えばなんとなく会えていたが、慣れない仕事に忙しいのならば仕方ない。今の彼には大好きだった庭球すらできる余裕がないのだから。

 多忙の人に泣きついて困らせるのは、幼いころの失敗で懲りた。大丈夫。次の年越しでのアンナのデビュタントのあと、来年には祝言が決まっている。

 この先の長い時間をともに過ごすのだ。いずれゆっくりと言葉を交わす時間も訪れるだろう。


 

 かちかちかち……


 

 悩んでも詮のないエリクスの予定を案じるのをやめ、アンナは自分自身のことに思いを馳せた。

 アンナは、特別に偉業をなしとげるような質ではないと自認している。だからといって、日々を無為に過ごして良いわけがない。

 故郷を離れ二年。何か些細なことでも成長していたい。

 不安から逃れるように、小さな成果を指折り数える。


 背は伸びた。毎夜骨がきしきしと痛むのには困った。

 手持ちの服は作り直し、すべてお下がりに出した。

 

 木剣を振るうことには少し慣れ「型取りだけは上手くなった」と、指導役のランツ小隊長からは褒められた。

 その背後でヴィルヘルムが苦いものでも食べたような顔をしていたが、きっと苦いものを食べた直後だったのだろう。


 

 かちかち……


 

 ガルシア家の家計簿は、ソフィアから及第点をもらえた。

 ガルシア家の家政は夫婦で持ち分が完全に分かれている。軍の機密に触れる内容はすべて夫の領分となるので、妻がやるべき分量が少なくて助かった。


 

 かちかちかちかち……


 

 はじめて会った日からずっと優しいはずの婚約者との距離は縮まらない。

 アンナが贈った手編みレースのしおりは、気づけばリリアの帽子の装飾になっていた。

 

「かわいいでしょ? アンナさんもおそろいにしましょ」

 

 無邪気に笑う彼女と、気まずげに目をそらした婚約者。

 

「ごめんね、アンナ。今度埋め合わせにレースのリボンを贈るよ」

 

 いつもの軽い「ごめん」。ここでは悲しむのも怒るのも空気を冷やす蛮行になるのだと覚えたアンナは、静かにひとつ、胸の中の箱の蓋を閉じた。


 

 かち、かち……


 

 思考の海に沈んでいるうちに、モチーフがひとつ編み上がった。台座からはがし、ピンをはずす。

 幼いころから作り慣れた植物の意匠。アンナの作品を収納する箱には、いくつも同じような小品が眠る。

 

「あ、これ」

 

 ひらめきにどきどきしながら、ワンピースの付け替えの襟に縫いつけた。

 

「かわいい、かも」

 

 濃色の生地の上、白いレースがいきいきと浮かび上がる。

 次のガルシア邸訪問のときに付けていこう。エリクスには会えないだろうが、せめて、夫人とのおしゃべりが少しでもはずめばいい。

 道具を片付け、何も解決していないのになぜか肩の荷がおりたような心持ちで、アンナは寝室に向かった。



◇◇◇

 

 後日、この襟を見たソフィアが珍しく取り乱し、機械織りには再現できない、手工業レースの素晴らしさを熱意とともに懇々と語られた。

 美に造詣の深い彼女に故郷の工芸品を認められたことがことのほかうれしく、完成まで二年はかかることの了承を得たうえで、アンナは生家にレースの扇子を手配した。

 


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