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父と父

 レグナリア王国いちの発展を誇る王都とはいえ、黄昏時を過ぎてのち貴族が外を出歩くことはない。夜の闇は深く、命をおびやかすほどの危険がそこかしこに潜んでいる。

 この国の武門をつかさどるガルシア家当主だからこそ、その不文律をないがしろにはしない。己の軽挙が他者を巻き込み悲劇を生むなどと、到底許されることではない。


 

 既に日が暮れて久しい王城内の政務棟。壁面灯が弱々しく照らす、機能的を超えて殺風景にも覚える廊下を歩いていると、親しげに声をかける者があった。

 

「やあ、ガルシア卿」

「……フェルミ伯」

 

 ヴィルヘルムはぴたりと足を止めて敬礼した。

 

 現れたのはクラウス・フェルミ伯爵。息子の婚約者であるアンナ・フェルミの父。

 背丈は高いが軍人とは違う文法でできた体格。柔らかく細められた目元は容易く思考を読ませない。

 きっちりと撫でつけられた茶色の髪と、仕立ての良い誂えの上下揃い。磨かれた革靴。

 彼とは二年ほどの関わりになるが、それらが崩れたところをいまだ見たことがない。

 

 軍人の礼節に、クラウスも整った紳士の礼を返す。

 

「先日は助かりました。ご尽力に感謝を」

「構わない」

 

 過日依頼を受け、フェルミ領からの荷の搬送を警護した。恙無く完了したそれについて語ることは最早ない。

 

「貴方も泊まり込みですか。お互い大変ですね」

「問題ない」

「それは羨ましい。私などは仮眠用の硬い簡易寝台が堪えます」

「……そうか」

「ここで立ち話も何です。一杯付き合って貰えませんか。寝酒を求めて這い出してきたのですよ」

「構わない」

 

 男たちは連れ立って、談話室へと向かった。



◇◇◇

 

 政務棟の談話室。食堂とは別に、ちょっとした打ち合わせや休憩に使えるようにと設計された空間。開かれた場所に見えるが、王城から持ち出せない機密も雑談の顔をしてひっそりと取り交わされる。

 

 ヴィルヘルムとクラウスが揃って入室すると、ざわり、空気が揺れた。

 

 この夜更けにも、己と同様夜を徹して仕事を片付ける者は多い。

 衝立で仕切られた長椅子の並ぶ区域と、肘をついて立ち話をするのにちょうど良い高さの卓が並ぶ壁際の区域に別れる。

 壁の棚にいくつかの酒瓶が並ぶ一角に陣取ると、給仕係が小さな蝋燭を二人の間に置いた。小さな錫の盃とガラスのグラス。両方に透明な蒸留酒が注がれる。

 目の高さに持ち上げ無言で乾杯を交わす。ひと口含み、酒精を舌で転がした。当てに塩辛い干し肉が欲しいところだが、ここで酔うほどに飲むつもりはない。

 

「ようやく仕事がひと段落つきましてね、あくる月からは自宅の寝台で大の字になって眠れそうです。今夜はその、祝杯をあげたかったのですよ」

「それは……ご苦労お察しする」

「ふふ。ありがとう」

 

 くい、と飲み込むひと口が大きい。さてはいける口かと見当をつける。

 

「こちらからも感謝を。貴領の施設、存続を決められたと伺った」

「ああ、あれは娘の仕事ですよ」

「フェルミ嬢の?」

「ええ、あの子も幼い頃からよく慰問に出かけてましたからね」


「そうか……」

 

 腑に落ちた。この父娘にとって、戦争の痕跡は生活と地続きなのだと。

 

 大人しいが兵士を恐れぬ娘。

 あの日教会で、無理を堪える姿に危機感を覚え保護した。所詮は子供の気まぐれ。すぐに放り出しても構わない、程度のつもりでいたものが、彼女の練兵場通いは早や一年を超えた。

 むくつけき男どもに怯えず、媚びず、礼を尽くし淡々と課題をこなす。その姿勢にいつしか兵士たちは陥落し、彼女の差し入れる柑橘水は彼らの楽しみになった。

 致命的なまでに剣の才がないのが惜しまれる。

 

「あの子、運動能力が散々でしょう?」

「ごほっ」

 

 気管に液体が入った。睨みつけると、してやったりと言わんばかりの薄ら笑いが恨めしい。

 

「ふふ。執事の報告によると、ダンスのステップを、エントランスで一人練習しているそうなんです。もうすぐそれに付き合ってやれると思うと嬉しくて」


「ああ……」


「年に一度とはいえ、国内の貴族を集めての大舞踏会なんてものが出来るようになるとは、戦後三十年の長さを実感します」


「……まだ、三十年だ」


「ええ。まだ、です」

 

 ヴィルヘルムは沈黙を苦と覚える性質ではない。言葉の途切れたこの時間は悪くない。

 

「……ところで気になっていたんですが、なぜ、貴方だけそんなお洒落な高盃なのです? 私、何度もここで飲んでいますが、はじめて見ましたよ」

 

 クラウスが細い目をさらに眇める。

 

「…………ガラスはすぐに壊れるから好かん」

「ふうん。そうですか……」

 

 暖色の光を柔らかく受け止める磨き込まれた飴色の胡桃材に、ことり、クラウスのグラスが置かれた。すぐに代わりが注がれる。やはり、いける口だ。

 

「ああ、どうも王都の酒は風味がなくて味気ない。我が領の酒はね、焼いた樽にこれを入れて寝かせるのです。十年も経てばえも言われない香りと琥珀の色が付く。田舎の酒ですが、これがなかなか美味いのですよ」

「……十年とは、贅沢なことだ」

「ええ、本当に。ですが人も仕事も酒も、一端(いっぱし)になるにはそれ程の時間を要するものなのでしょう」

「……そうか……」

 

 もうひと口飲むと、酒精が強いばかりの辛い酒が喉を焼く。

 

「私が領を離れた年に仕込んだ樽が飲み頃になったことでしょう。今度ご自宅に贈りますよ」

「……自宅、ではなく、自宅の私の執務室宛にしていただけるとありがたい」

 

 クラウスが笑いを無理に飲んだ音がした。

 ヴィルヘルムは左の眉を釣り上げる。

 

「ふふ、夜明けは、そう遠くありません」


「……ならば良い」


 

 執務室の抽斗に隠した錫の高盃。

 あれで息子と酒を組み合わせる日はいつになるだろうか。

 

 王都の夜は、静かに更けてゆく。


 

 

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