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ソフィアの教え

 石鹸はよく泡立てて頭皮を揉むようにやさしく洗う。

 何度もよくすすぎ、最後に柑橘を絞った水に髪をひたす。

 清潔な布で髪をこすらぬよう水気をとったら毛先に香油を塗り、髪が乾いてから香油につけた柘植の櫛で丁寧に梳く。

 ぱさぱさと広がるアンナのくせ毛は劇的に艶を増し、まとめるのがずいぶんと楽になった。

 

 今様の着こなしは相変わらず似合わない。

 アンナが着ると、すてきな花色の服がなぜか青白い顔の道化のようになってしまうので、とうとうソフィアには匙を投げられた。


 だから今日もアンナは、身になじんだ濃色のワンピースをまとう。



◇◇◇

 

「……申し訳ございません」

 

 深々と頭を下げるガルシア家の使用人にねぎらいの言葉をかけ、降りたばかりの馬車に再び乗り込んだ。


 花嫁修業のための定期的なガルシア家への訪問。今日のソフィアは外せない用で留守にしている。

 浮いた時間でエリクスと交流を深めるよう前もって指示されていたが、当の婚約者はうっかりそれを忘れて出かけてしまったらしい。……よくあることだ。

 

 陶器の板を敷かれた往来をすべるように馬車は進む。

 胸元に輝くガラスのブローチにそっと触れた。

 

「この間はごめん。これ、お詫びに」

 

 約束を反故にされるたび差し出される今様のリボンにガラスの装飾品。

 アンナの宝石箱にはそういう小物が増えていく。

 淡くて明るくて可愛い色。アンナには、似合わぬ色。

 

 輝く金髪に濃青の瞳の婚約者を脳裏に思い描く。

 

 優しい人だと思う。

 会えば微笑みを絶やさないし、軽やかに話の輪に入れてくれる。

それでもふとした瞬間、ほんの少しだけ彼の表情が冷えることに、アンナは気づいている。

 

 かつて彼も通っていた練兵場の話が禁忌なのは、早くに理解した。

 父ヴィルヘルムの名が出たときにもわずかに曇る。

 ソフィアが扇子を開く直前、リリアが「欲しい」を言い出す間際。ほんの少し、まばたきの隙間に落ちる影。

 どこにあるのかわからない落とし穴をよけながら細い綱の上を渡るような不安が、いつもアンナの胸の中に横たわる。そうして出せない話題が増えていく。

 

 繊細な人なのだと思う。

 彼は他人を傷つけないように、常に細心の注意を払っているのだろう。その、最優先がアンナではないというだけのことだ。

 

 ずるい人だとも思う。

 空気が冷えれば煙のように姿を消すし、アンナに会いたくなければ逃げる。それでも、時おり何かを言いたげにじっと見つめてくる。

 口を動かしたものの結局黙りこくってしまう癖。アンナにしか発露しないそれは、なにか特別なものだと信じたい。

 

 いつか話してくれるだろうか。

 

 抱き合って共に落ちるような、情熱的な恋でなくていい。

 人生の伴侶として、そっと手を取り合えればいい。

 そうなれるまで、アンナはエリクスが閉めた扉の前で静かに待っていようと決めている。


 

 思い出すのは生家の冬の居間。母がレースを編み、父はその隣で樽酒をちびりちびりと舐めていた。

 暖炉の火とランプに照らされた静かな部屋。

 幼いアンナが憧れた夫婦の姿。

 

 そのまま再現したいとは思わないが、エリクスと二人、似合いの形をみつけたいと、よあけのかみさまに祈った。

 

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