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第七話 霊峰カルドラ

帝国中央部。

巨大なカルデラ平原を見下ろすように、

一つの山がそびえている。

霊峰カルドラ。

帝国の民は親しみを込めて、

カルドラ山と呼んでいた。

春の空の下。

山は静かだった。

噴煙は無い。

火口も眠っている。


少なくとも、

人々の目にはそう見えた。

カルドラは帝国の象徴だった。

七十年前の魔王との戦争

「灰冠の戦い」

帝国は国土の多くを失った。

だが滅びなかった。

地下から湧き上がる熱。

蒸気。

鉱脈。

カルドラの恵みがあったからだ。

人々は山へ感謝していた。

そして。

山の地下深くへと手を伸ばし続けていた。


帝国中央研究院。

地下第三研究棟。

「また出ました」

若い研究員が報告書を差し出した。

机に向かっていた男が顔を上げる。

「どこだ」

「北部旧戦場跡です」

男の眉が僅かに動く。

報告書には一枚の図面。

そして。

青い鉱石のスケッチが描かれていた。

「……またか」

小さく呟く。

青い鉱石。

古戦場。

魔王伝承。

近年、

帝国研究院が最も注目している組み合わせだった。

発見される場所は違う。

年代も違う。

だが。

一つだけ共通点があった。

魔王の伝承が残る場所からしか発見されない。

「分析結果は?」

「前回と同じです」

研究員が答える。

「熱伝導率異常」

「魔力残留反応あり」

「組成不明」

男は静かに資料を閉じた。


窓の無い研究室。

灯火だけが揺れている。

机の端には、

古い文献が置かれていた。

《星巫女伝承》

数千年前の古文書を写したものだ。

男はその題名を見つめる。

そして。

小さく呟いた。

「……本当にいたのか」

その言葉に、

誰も答える者はいなかった。


アルト・ヴェルナーは報告書を閉じた。

研究主任。

そして帝国軍技術開発局上級顧問。

二つの肩書きを持つ男だった。

帝国は動いていた。

動かざるを得なかった。

七十年前。

灰冠の戦い。

あの日の記憶は今も帝国に残っている。

焼け落ちた都市。

避難民。

飢餓。

崩壊した街道。

戦争は終わった。

だが。

代償は消えない。

アルトは窓の無い研究室の天井を見上げた。

「時間が無いな……」

誰に向けた言葉でもなかった。


研究室の奥。

厳重に施錠された棚がある。

そこに保管されている資料には、

通常の研究員は触れる事すら出来ない。

表紙には記されていた。

《星巫女計画》

アルトは静かに頁を開く。

そこには古文書の写し。

壁画。

伝承。

そして候補者一覧。

数十年に及ぶ研究成果だった。

帝国の学者達は結論に辿り着いていた。

魔王との戦いには、

必ず星巫女が関与している。

青晶石。

古戦場。

黒竜伝承。

星巫女伝承。

全ては繋がっている。

そう考えていた。

だから帝国は決断した。

次の星巫女を用意する。

アルトは候補者資料をめくる。

第一条件。

身体能力。

第二条件。

精神耐久性。

第三条件。

魔力適性。

第四条件。

年齢。

第五条件。

体格。

なぜ体格が必要なのか。

誰も説明出来なかった。

だが。

古文書に描かれた巫女像。

壁画。

伝承。

全てが一致していた。

偶然とは思えなかった。

だから採用された。

軍から選抜された候補者達。

若く。

強く。

心が折れにくい者達。

その多くは志願者だった。

帝国を守りたい。

次の災厄を止めたい。

そう願う者達だった。

アルトは一枚の資料で手を止める。

若い女性士官の記録。

成績優秀。

適性評価最高。

精神安定性も極めて高い。

候補者番号第一位。

しばらく見つめる。

そして静かに閉じた。

「……すまんな」

小さな声だった。

研究者として。

軍人として。

必要だと理解している。

だが。

人一人の人生を背負わせる事に変わりはない。

アルトは立ち上がった。

机の上には青晶石の分析結果。

壁にはカルドラ山周辺の地図。

そして。

地下深部熱量上昇の報告書。

全てが一つの方向を示しているように見えた。

だから彼は進む。

帝国を守るために。



帝国南西部。

カルドラ山麓。

春の風が草原を渡っていた。

遠く。

霊峰カルドラが空を支えるようにそびえている。

巨大な山だった。

帝国の象徴。

古くから多くの伝承が残る聖なる山。

学者達はそう呼ぶ。

神官達もそう呼ぶ。

旅人達も畏敬を込めて語る。

だが。

山麓で生まれ育った者達にとっては違った。

ただのカルドラ山だった。

朝起きれば見える。

畑へ向かう時も見える。

市場へ行く時も。

祭りの日も。

雨の日も。

雪の日も。

ずっとそこにある。

だから特別ではない。

家のようなものだった。


「アイラ!」

遠くから声が飛ぶ。

若い女性が振り返る。

「はい!」

元気よく返事をする。

そして駆け出した。

訓練場の土を蹴る。

栗色の髪が揺れる。

アイラ・ベルク。

帝国軍少尉。

二十二歳。

カルドラ山麓の街で生まれ育った。

三人兄妹の末っ子。

兄が二人いる。

どちらも軍人だった。

幼い頃のアイラにとって、

兄達は英雄だった。

休日になると剣を教えてくれた。

訓練の話を聞かせてくれた。

灰冠の戦いで活躍した兵士達の話も。

だから自然だった。

気付けば同じ道を目指していた。

木剣を構える。

打ち込む。

受ける。

汗が額を伝う。

教官の怒鳴り声が飛ぶ。

同期達の笑い声が響く。

軍は厳しい。

だが嫌いではなかった。

むしろ好きだった。

帝国が好きだった。

故郷が好きだった。

カルドラ山も好きだった。

だから守りたいと思った。

その思いだけは、

昔から変わらない。


訓練が終わる頃には、

空は少し赤く染まり始めていた。

兵舎へ戻ったアイラは、

机の上に置かれた封筒を見つける。

見慣れない封蝋。

帝国中央司令部の紋章。

思わず眉をひそめた。

「……何これ」

手に取る。

重い。

表には短く書かれていた。

《本人開封》

《極秘》

《即時確認》

嫌な予感がした。

いや。

正確には。

嫌というより、

妙な胸騒ぎだった。

アイラは窓の外を見る。

夕暮れのカルドラ山。

いつもと同じ姿。

変わらない故郷の風景。


翌朝。

帝都行きの軍用列車は定刻通り出発した。

窓の外。

カルドラ山がゆっくりと遠ざかっていく。

アイラは頬杖をついた。

向かいの席には誰もいない。

極秘任務。

詳細不明。

本人のみ開封。

そこまでは分かっている。

だが。

封筒の中身はそれだけだった。

帝都中央司令部へ出頭せよ。

日時指定。

以上。

説明は無い。

「何なんだよ……」

思わず呟く。


隣の車両から笑い声が聞こえる。

他の兵士達は通常任務だろう。

自分だけが妙に浮いている気がした。

窓の外を見る。

カルドラ山。

まだ見える。

幼い頃から見続けてきた山。

遠足もした。

兄達と登った事もある。

山麓の祭りもあった。

霊峰。

聖なる山。

そんな呼び名は知っている。

だが。

正直に言えば、

地元民にとっては少し大きな山でしかなかった。

「また帰ってくるさ」

小さく呟く。


その時だった。

列車が短く警笛を鳴らす。

アイラは視線を戻した。

そして気付く。

通路の向こう。

二人の軍人が立っている。

見慣れない制服。

中央軍所属。

しかも階級章が高い。

こちらを見ていた。

アイラは思わず姿勢を正す。

二人は近付いてくる。

そして。

一人が口を開いた。

「アイラ・ベルク少尉だな」

「はい」

反射的に返事をする。

男は頷いた。

「中央司令部到着後、そのまま第三庁舎へ向かえ」

「第三庁舎?」

聞き返した瞬間。

二人の表情が僅かに変わる。

それだけで十分だった。

アイラは知っている。

第三庁舎。

帝都でも限られた者しか出入りしない場所。

軍研究局。

特殊開発局。

情報管理局。

極秘案件の中心地。

普通の少尉が呼ばれる場所ではない。

「質問はするな」

男は静かに言った。

「到着後、全て説明される」

そう言い残し、

二人は去っていく。

車両に静寂が戻った。

アイラはしばらく固まっていた。


そして。

「いや、余計気になるでしょ……」

誰もいない向かい席へ向かって呟いた。

列車は進む。

帝都へ。

そして。

アイラ自身も知らないまま。

その行き先は、

帝国が数十年追い続けてきた計画へと繋がっていた。





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