第六話 白壁の向こう
王宮の従者が《リリエ》を訪れたのは、
二日前の事だった。
あの日。
王宮馬車が南区の細道へ現れた時は、
通りが少しした騒ぎになった。
神殿からの来訪要請。
王宮。
白壁の向こうの世界。
サラは半分悲鳴を上げ、
エマは呆れ、
リアナは——
相変わらず穏やかだった。
それから二日。
《リリエ》は変わらず営業を続けていた。
春の花を並べ、
客を迎え、
花を束ねる。
南区の小さな花屋に、
急に何かが変わる訳ではない。
けれど。
何も変わらないようでいて、
少しだけ違う空気もあった。
明日。
リアナは王宮へ向かう。
その事実だけが、
静かに店の隅へ置かれているようだった。
夜。
閉店後の《リリエ》。
店先の札は裏返され、
窓の外には春の夜が広がっている。
昼の賑わいはもう無い。
残っているのは、
花の香りと、
柔らかな灯りだけだった。
リアナは窓辺の花へ水を与えていた。
今日最後の手入れだ。
葉先へ触れ、
明日の分の水を確かめる。
その向こうでは、
エマが帳簿を閉じている。
ぱたん、と革表紙の音。
店の一日が終わる音だった。
……のだが。
「……ほんとに明日なんだねぇ……」
まだ帰っていない人物がいた。
サラである。
椅子へ座り、
頬杖をつきながら妙に神妙な顔をしていた。
エマが顔を上げる。
「何でまだいるのよ」
「……落ち着かなくて」
「帰りなさい」
「冷たい!」
《リリエ》に小さな笑いが落ちる。
サラは頬を膨らませた。
「だって気になるもん!」
「王宮だよ!?」
「神殿だよ!?」
リアナは少し困ったように笑う。
「サラさんが行く訳ではありませんよ?」
「そうなんだけど!」
エマが肩を竦める。
「店は?」
サラが止まる。
「…………」
忘れていた顔だった。
その時。
店の外から声が響いた。
「サラー!!」
店内が静まる。
サラの顔色が変わる。
「……うわ」
《ラルカ亭》店長だった。
「何サボってんだ!」
「サボってない!」
「店閉めんの誰だ!」
「ちょっと話してただけ!」
「おまえのちょっとは何時間だ!!」
エマが肩を揺らす。
「行きなさい」
「でも!」
「帰りなさい」
サラは名残惜しそうに振り返った。
「……絶対明日顔出すからね!」
「仕事しなさい」
「冷たいーー!!」
そして——。
「待って店長引っ張らない!」
「歩け!」
「引っ張ってるーー!!」
声が遠ざかっていく。
やがて。
夜の通りに静けさが戻った。
《リリエ》には、
花の香りと灯りだけが残る。
エマが小さく息を吐く。
「……やっと静か」
リアナが少し笑う。
「賑やかでしたね」
「毎日あれなら疲れるわ」
そう言いながらも、
声はどこか柔らかかった。
春の夜風が、
窓辺の花を揺らしている。
少しの沈黙。
その静かな時間の中で、
エマがふと思い出したように聞いた。
「……で?」
リアナが顔を上げる。
「はい?」
「着ていく服」
エマは窓辺の花へ視線を向けたまま続ける。
「決めたの?」
リアナは少し自分を見る。
いつもの長衣。
花屋の仕事着。
少し考えてから、
静かに答えた。
「……いつものでは駄目ですか?」
エマが、ゆっくり顔を上げる。
「駄目じゃないけど」
少し間。
「仕事着で王宮行く気?」
リアナは瞬きをした。
「……神殿ですよ?」
「神殿でもよ」
エマは肩を竦める。
「王妃に会う訳じゃない」
「でも、人はいるわよ?」
灯りが揺れる。
《リリエ》にはもう客はいない。
リアナは少し考える。
「……では」
「どんな服が良いのでしょう」
エマは返事をしなかった。
代わりに、
ゆっくり店の奥へ向かう。
木床が小さく軋む。
リアナが顔を上げた。
「……エマさん?」
「待ってなさい」
その声はどこか落ち着いていた。
少しして。
エマは両手で小さな木箱を抱えて戻ってきた。
古い箱だった。
けれど、
丁寧に手入れされている。
灯りが木目を柔らかく照らしていた。
リアナが瞬きをする。
「……それは?」
エマはカウンターへそっと置く。
小さく埃を払う仕草。
それだけで、大事に保管されていた物だと分かった。
「昔の外出服」
悪びれもなく言う。
留め具が小さく鳴る。
箱が開く。
中には、
丁寧に畳まれた服が入っていた。
落ち着いた色合い。
派手ではない。
けれど、
柔らかな布地と控えめな刺繍には、
昔の仕立ての良さが残っている。
花屋の仕事着ではない。
けれど貴族服でもない。
少しだけ良い日に着る、
市民の外出服だった。
リアナは服を見ていた。
灯りが布へ落ちる。
エマはすぐには何も言わない。
その横顔は、
少しだけ懐かしそうだった。
「……久しぶりに見たねぇ」
ぽつりと漏らす。
エマは布を指先で整える。
皺を伸ばす仕草が、妙に自然だった。
「若い頃に着てたの」
小さく笑う。
「南祭の日とか」
「友達と出掛ける時とか」
少し間。
「……ちょっと背伸びしたい日にね」
夜風が窓辺を揺らした。
エマは服を見ている。
どこか、昔の自分を思い出しているようだった。
「懐かしいねぇ……」
その声だけが、少し柔らかい。
リアナは静かに聞いていた。
そして。
自分の髪へ触れる。
いつもの花の髪留め。
そこにある事を、確かめるように。
指先が、ほんの少し止まる。
夜の灯りの中、エマがふと笑った。
「……まあ」
リアナを見る。
「今のあんたなら」
「ちゃんと似合うと思うよ」
リアナは、まだ服を見ていた。
落ち着いた色合い。
柔らかな布地。
灯りの下で見ると、
どこか春の夜に似ていた。
少しの沈黙。
それから、
静かに聞く。
「……お借りしても、良いのですか?」
エマが鼻を鳴らした。
「借りるも何も」
服を軽く持ち上げる。
布が柔らかく揺れた。
「しまったままじゃ服が可哀想でしょ」
悪びれない声だった。
リアナは少し瞬きをする。
エマは布の裾を整えながら続けた。
「若い頃はねぇ」
「こういうの着るだけで、何か違う気がしたもんよ」
小さく笑う。
「大人になったとか」
「綺麗に見えるとか」
「……まあ」
肩を竦める。
「半分気分だけど」
夜風が窓辺を揺らした。
リアナは服を見ていた。
それから、
少しだけ首を傾げる。
「……エマさんも」
「綺麗だったのですね」
数秒。
エマの手が止まった。
そして——。
「……何その言い方」
リアナが瞬きをする。
「違いました?」
「違わないけど!」
思わず声が出る。
エマは呆れたように息を吐く。
「ほんとあんたは……」
けれど、
口元は少し緩んでいた。
灯りが揺れる。
静かな夜だった。
その時。
リアナの視線が、
ふと窓辺へ逸れた。
ほんの一瞬。
風に揺れる花。
夜空。
そのどこかを見るように。
指先が、
いつもの花の髪留めへ触れる。
誰にも分からないほど小さな間。
まるで、
遠くの声を聞くように。
そして。
リアナは静かに服へ視線を戻した。
「……では」
小さく頭を下げる。
「着てみます」
エマがふっと笑う。
「そう来なくちゃ」
夜の《リリエ》は、
まだ終わらなかった。
エマは服を抱えたまま、
リアナを見る。
「ほら」
「立って」
リアナが瞬きをする。
「……ここでですか?」
「今さら恥ずかしがる相手いる?」
《リリエ》には、もう二人しかいない。
リアナは少し考えて、
静かに頷いた。
「……分かりました」
灯りが揺れる。
夜の花屋は静かだった。
窓辺の花。
柔らかな光。
その中で、
エマは服を広げている。
「腕」
「はい」
「……細いねぇ」
「そうでしょうか」
「花持つには丁度いいけど」
布が肩へ掛かる。
少し丈を見る。
袖を整える。
その手つきは自然だった。
昔、
何度もこうしてきた人の手だった。
リアナは黙って立っている。
鏡は無い。
けれど。
服は思っていたより、
静かに馴染んだ。
エマが少し距離を取る。
見る。
そして。
「……うん」
小さく頷いた。
「悪くない」
リアナは服を見る。
指先で布へ触れる。
柔らかい。
少し不思議そうだった。
「……着心地が良いですね」
「当たり前」
エマが鼻を鳴らす。
「昔の私を誰だと思ってるの」
リアナは少し考えた。
「……綺麗な人?」
数秒。
沈黙。
そして——。
「だから何その言い方!」
夜の《リリエ》に、
小さな笑いが落ちた。
◇
翌朝——。
春の陽射しが、
窓辺へ落ちていた。
店の奥。
柔らかな朝の灯り。
リアナは椅子へ座っている。
そして。
「動かない」
エマの声だった。
「……動いてません」
「動いてる」
リアナは少しだけ困っていた。
エマは鏡の前で腕を組んでいる。
「せっかく服整えたんだから」
「少しは顔も整える」
「……必要でしょうか」
「必要」
即答だった。
派手なものではない。
ほんの少し。
肌を整え、
髪を整え、
目元へ柔らかな色を落とす程度。
花屋の娘。
そのままの延長だった。
リアナは少し落ち着かないらしい。
「……慣れません」
「皆そうよ」
エマは悪びれない。
朝の光が窓辺を照らす。
そして。
最後に。
エマが少し離れた。
「……よし」
リアナは鏡を見る。
そこには、
少しだけいつもと違う自分がいた。
服。
整えられた髪。
そして——。
いつもの花の髪留め。
変わらないものが、
そこにあった。
エマは、少し離れたまま見ていた。
朝の灯り。
窓辺。
そして、
鏡の前のリアナ。
少しだけいつもと違う。
けれど。
別人ではない。
その延長だった。
エマが小さく頷く。
「……うん」
満足そうだった。
リアナはまだ少し落ち着かないらしい。
鏡を見る。
服。
整えられた髪。
目元。
それから、
いつもの花の髪留めへ触れた。
変わらないもの。
そこにある事を、
確かめるように。
「……慣れません」
小さく呟く。
エマが肩を竦めた。
「慣れなくていいの」
鏡越しに見る。
「今日は花屋やめる訳じゃないんだから」
その言葉に、
リアナは少しだけ瞬きをした。
そして。
静かに頷く。
「……そうですね」
朝の《リリエ》は穏やかだった。
——その時。
風鈴が鳴る。
勢いよく。
「おはよーー!!」
元気な声が響いた。
エマが即座に言う。
「……来た」
扉が開く。
飛び込んできたのは——サラだった。
そしてその後ろ。
小さな影。
リコである。
「見送り!」
サラは胸を張っていた。
エマが腕を組む。
「仕事は?」
「その前!」
「偉そうに言わない」
サラは聞いていない。
いや、
もう完全に聞いていなかった。
視線は店の奥へ向く。
そして。
止まる。
数秒。
沈黙。
「…………」
目が丸くなる。
「……えっ」
隣のリコも、
ぴたりと止まった。
朝の光。
鏡の前。
リアナ。
二人の反応は、
ほとんど同時だった。
「……綺麗……」
リコが先に呟く。
サラは、
完全に固まっていた。
「……待って」
「何それ」
「……えっ」
リアナが少し困ったように振り返る。
「サラさん?」
サラは両手で口を押さえる。
「……ちょっと待って」
「何か……」
言葉を探す。
「……王宮行く人だ」
エマが吹き出した。
「当たり前でしょ」
「いやそうなんだけど!!」
サラはまだ混乱している。
リコは素直だった。
「リアナさん綺麗!」
「お姫様みたい!」
リアナは少しだけ困った顔になる。
「……そんな事ありません」
「あるーー!!」
サラが即座に言った。
そして。
何故か少し得意げに、
エマを見る。
「……でしょ?」
「何であんたが威張るのよ」
《リリエ》に、笑いが落ちた。
けれど——。
その賑やかな空気の向こう。
遠く。
石畳の方から、
小さく馬の足音が聞こえ始めていた。
石畳を叩く音は、
少しずつ近付いてきた。
かつ。
かつ。
規則正しい馬の足音。
サラが真っ先に反応した。
「……来た」
声が小さい。
エマが見る。
「何であんたが緊張してるの」
「だって来た」
「来るって知ってたでしょ」
「知ってたけど来た」
意味は分からない。
けれど、
本人は真剣だった。
リコが窓へ駆け寄る。
「馬車!」
窓の向こう。南区の細い道を、
白灰色の馬車がゆっくり進んでくる。
王宮紋章。
二頭立て。
護衛もいる。
前回と同じ馬車だった。
通りを歩いていた人達も、
自然と視線を向けている。
南区では珍しい光景だ。
リアナも窓の外を見る。
石畳。
花屋の前へ近付く馬車。
まるで、誰か別の世界がこちらへ来るようだった。
その時。リアナの指先が、無意識に髪留めへ触れる。
ほんの一瞬。
風が吹いた。
花が揺れる。
誰にも気付かれないほど小さく。
そして。
馬車は《リリエ》の前で静かに止まった。
かつん。
御者が飛び降りる。
続いて。
見覚えのある従者が姿を見せた。
二日前に来た男だった。
整えられた服装。
落ち着いた所作。
彼は店先へ歩いてくる。
風鈴が鳴った。
からり、と。
《リリエ》の扉が開く。
従者はまず一礼した。
「おはようございます」
穏やかな声だった。
エマが軽く頷く。
「ご苦労様」
従者は微笑む。
それから、店の奥を見る。
鏡の前。
整えられた服。
朝の光。
そして——。
リアナ。
従者の目が、
ほんの少しだけ見開かれた。
本当に一瞬だった。
だが。
確かに。
予想していた花屋の娘と、
目の前の姿が少し違って見えたのかもしれない。
従者はすぐに表情を戻す。
「お迎えに参りました」
丁寧に頭を下げる。
《リリエ》の空気が、
少しだけ変わった。
花屋の朝が終わり、王宮への道が始まろうとしていた。
◇
王宮。
白壁の回廊には、
春の陽射しが静かに差し込んでいた。
高い窓。
磨かれた床。
遠くから聞こえる衛兵達の声。
王宮は今日も変わらず動いている。
神殿区画も同じだった。
書類を運ぶ者。
祈りを捧げる者。
報告をまとめる者。
慌ただしさはある。
だが、
特別な騒ぎではない。
若い神官が一枚の報告書を閉じた。
「……そろそろでしょうか」
向かいの神官が顔を上げる。
「時間ならな」
机の上には数枚の書類。
王都南区。
花屋。
リアナ・エルム。
それだけだった。
若い神官が苦笑する。
「改めて見ると、本当に情報が少ないですね」
「少ないな」
即答だった。
年長の神官は肩を竦める。
「花屋の娘だ、本来なら報告書に載る方がおかしい」
それも事実だった。
未来を見る。
風を読む。
占い師。
噂は広がっている。
だが、
確かな証拠は何一つ無い。
若い神官が呟く。
「結局、ただの噂かもしれません」
「かもしれん」
否定は無かった。
部屋が少し静かになる。
春風が窓辺を揺らした。
その時だった。
別の神官が書類へ視線を落としたまま言う。
「だからこそ」
二人が顔を上げる。
「会う価値もある」
静かな声だった。
確証は無い。
だから切り捨てる。
それも一つの判断。
だが、
今の神殿には判断材料そのものが足りていなかった。
若い神官は小さく息を吐く。
「……セヴラン様はどうお考えでしょうね」
返事は無かった。
老神官の考えを、
若い神官達が読み切れるはずもない。
ただ一つ分かるのは、
今回の件を軽視していないという事だけだった。
◇
その頃。
王宮の別棟では。
「今日来るの?」
フィーナ・アウグストが聞いた。
侍女が困ったように笑う。
「来るそうですよ」
少女の目が輝く。
「ほんと?」
「ほんとです」
フィーナは椅子から身を乗り出した。
「会える?」
「会えません」
即答だった。
少女が固まる。
「えっ」
「神殿への来訪です」
「フィーナ様は関係ありません」
「えー」
不満そうな声が上がる。
侍女は慣れた様子だった。
フィーナは頬を膨らませる。
「花屋なんでしょ?」
「そうらしいですね」
「占い出来るんでしょ?」
「噂では」
「会いたい」
「駄目です」
即答だった。
フィーナは椅子へ沈む。
不満そうである。
けれど。
好奇心だけは隠せなかった。
花屋。
占い。
未来を見る娘。
王宮の外には、
まだ知らない事が沢山ある。
十歳の少女にとって、
それは十分すぎるほど魅力的だった。
窓の外では、
春の風が白壁を撫でている。
その頃——。
王宮へ向かう馬車は、
ゆっくりと王都中央区へ近付いていた。
◇
馬車は静かに王都を進んでいた。
揺れは思っていたより少ない。
向かいには王宮の従者が座っている。
必要以上に話しかけては来ない。
その配慮はありがたかった。
王都南区を抜ける。
市場通り。
見慣れた店々。
いつもの景色。
けれど。
中央区へ近付くにつれ、
街並みは少しずつ変わっていった。
道は広くなる。
建物は高くなる。
荷車よりも馬車が増え、
商人より貴族らしい者達の姿が目立つ。
リアナは窓の外を見ていた。
珍しい。
けれど。
それ以上に、
どこか懐かしかった。
「王都中央区へ入ります」
従者が静かに告げる。
リアナは頷いた。
そして。
遠く。
白い壁が見えた。
王宮だった。
春の空の下。
白壁は陽光を受け、
静かに輝いている。
高い塔。
広い庭園。
整えられた城壁。
美しいと思った。
同時に。
昔の景色が脳裏を掠める。
白ではなく灰色の城。
戦の旗が並ぶ城壁。
冬の雪に埋もれた宮殿。
燃え落ちる王城。
笑い声の響く中庭。
遠い。
あまりにも遠い記憶だった。
もう、
その国の名前すら覚えていない。
リアナは少し目を細めた。
窓の向こうの王宮を見る。
そして。
ぽつりと呟く。
「……綺麗になりましたね」
小さな声だった。
従者が顔を上げる。
「何か仰いましたか?」
リアナは瞬きをする。
それから、
小さく首を振った。
「いいえ」
穏やかな笑みだった。
従者は少し不思議そうな顔をしたが、
それ以上は聞かなかった。
馬車は進む。
白壁が少しずつ近付いてくる。
リアナは静かに眺めていた。
初めて見る景色だった。
けれど。
どこか懐かしい景色でもあった。
◇
やがて。
馬車は王宮正門へ到着した。
高い門。
槍を持つ衛兵達。
王宮紋章。
人の出入りは多い。
だが、
秩序は保たれていた。
門兵が馬車を見る。
そして紋章を確認する。
「神殿区画来訪者です」
従者が告げた。
門兵が頷く。
視線が馬車の中へ向く。
そして。
リアナを見る。ほんの一瞬だけ。
「……どうぞ」
門が開く。重い音が響いた。
馬車はゆっくりと王宮へ入る。
城壁の向こう側。
白い建物。
手入れされた庭園。
噴水。
平和な景色だった。
リアナは静かにそれを見ていた。
その横顔は穏やかだった。
まるで。
懐かしい場所を訪れた旅人のように。
馬車はゆっくりと停止した。
王宮神殿区画。
白い石造りの建物が並んでいる。
王宮本殿ほど華美ではない。
けれど。
静かな威厳があった。
従者が先に降りる。
扉が開かれた。
「到着致しました」
リアナは小さく頷く。
馬車を降りる。
石畳。
春の風。
どこか懐かしい匂いがした。
理由は分からない。
ただ、
神殿という場所は昔から変わらない。
どの時代も。
どの国も。
祈る者はいて、
願う者はいる。
それだけは変わらなかった。
リアナは建物を見上げる。
白い壁。
高い窓。
今目の前にある平穏な神殿。
「こちらへ」
従者が案内する。
リアナは歩き出した。
長い回廊。
磨かれた床。
行き交う神官達。
その中を進む。
不思議な事に、
誰もが一度はリアナを見る。
花屋の娘。
それだけのはずだった。
だが。
なぜか目を引いた。
着飾っている訳ではない。
堂々としている訳でもない。
むしろ静かだった。
それなのに。
目が離れない。
若い神官が、
すれ違いざまに振り返る。
「……?」
自分でも理由が分からなかった。
ただ。
何かが引っ掛かった。
案内された部屋では、
数名の神官達が待っていた。
机。
書類。
窓から差し込む春の光。
中央には、
年老いた神官が座っている。
セヴランだった。
リアナが部屋へ入る。
その瞬間。
部屋が少し静かになった。
神官達は視線を向ける。
そして。
予想していた姿との違いに、
僅かに戸惑った。
花屋の娘。
そう聞いていた。
だが。
目の前の娘は、
妙に落ち着いていた。
緊張はしている。
それは分かる。
けれど。
王宮に呼ばれた市民特有の萎縮が無い。
視線も自然だった。
姿勢も。
礼も。
どこか慣れている。
いや。
慣れているという表現も違う。
もっと自然だった。
まるで、
昔からこういう場にいた者のように。
若い神官が、
思わずセヴランを見る。
老人は何も言わない。
ただ静かにリアナを見ていた。
そして。
その瞳の奥に、
ほんの少しだけ興味の色が浮かんでいた。
「ようこそ」
セヴランが口を開く。
穏やかな声だった。
「リアナ・エルム殿」
リアナは静かに頭を下げた。
「お招きいただきありがとうございます」
その言葉に。
若い神官がまた違和感を覚える。
何がおかしいのか分からない。
だが。
どこか。
何かが。
思っていた花屋の娘と違った。




