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第三十話 王都の夜

揺れが収まっても、中央広場は、すぐには静かにならなかった。

泣き声。

人を呼ぶ声。

何が起きたのか尋ねる声。

倒れた屋台を動かそうとする声。

様々な声が、重なり合っていた。


広場の中央では、春の火を灯すはずだった薪組みが崩れている。

太い薪が縄を越え、濡れた石畳の上へ転がっていた。

火入れ前だったため、炎は上がっていない。

だが、周囲に並べられていた藁細工の机は倒れ。

王都中から集められた鳥や獣が、床へ散らばっていた。


花を抱えた兎。

長い尾羽の鳥。

三匹の兎。

歩く芋。

春抱き獣。

どれが誰のものだったのか、すぐには分からないほど混ざり合っている。

リアナは、両手を石畳へついたまま、顔を上げた。

耳の奥に、低い響きが残っている。

地面は、もう動いていなかった。

「エマさん」

すぐ近くに、エマがいた。

倒れた机の脚へ片手を付き、身体を起こそうとしている。

「大丈夫ですか?」

「ええ」

エマは答えた。

「驚いただけ。怪我はないわ」

リアナは、その言葉を聞いてから、周囲を見た。

「サラさんは!?」

返事がない。

先ほどまで、エマの隣にいたはずだった。


人々が立ち上がり、広場の外へ向かおうとしている。

倒れた屋台と、散らばった荷物によって、足元は歩きにくくなっていた。

「走るな!」

祭りの係をしていた兵士が叫ぶ。

「広場の外へ押し寄せるな! 建物から離れろ!」

その声が、混乱した人々の中へ繰り返し投げられる。

リアナは立ち上がった。

「サラさん!」

「ここ!」

今度は返事があった。

横倒しになった屋台の布の向こうから。

サラが這い出してくる。

頭には、春灯祭の飾り布が被さっていた。

「サラさん」

リアナは駆け寄り、布を外した。

「怪我はありませんか?」

「ない・・・かな?」

サラは答えた。

顔は青ざめていたが、手足に傷は見えない。

「店長は?」

サラが振り返る。

屋台の向こうで、ラルカ亭の店長が、大鍋を押さえながら立ち上がっていた。

鍋は倒れていない。

だが、中身の半分近くが床へこぼれている。

「こっちは大丈夫だ!」

店長が声を上げる。

「お前達は、そこから離れろ!」

リアナは、サラの腕を掴んだ。

「エマさんのところへ行きます」

「うん」

二人で、エマのいる場所まで戻る。


広場では、少しずつ人の動きが変わり始めていた。

外へ逃げようとしていた者達が、兵士の指示によって、広場の中央へ戻されている。

周囲の建物からは、瓦や看板が落ちていた。

何枚かの窓硝子も割れている。

壁そのものが崩れた建物は見えなかった。

だが、もう一度揺れれば、屋根や窓の近くは危険だった。


「広場の東側へ移動しろ!」

兵士が叫ぶ。

「あちらは屋台が少ない! 子どもと怪我人を先に通せ!」

リアナは、エマとサラを連れ、広場の東側へ向かった。

倒れた台。

転がった食器。

散らばった藁細工。

足元を確かめながら進む。

途中、座り込んでいる老人がいた。

すぐ近くにいた男達が、両脇から身体を支える。


額を切った者。

転んで手を擦り剥いた者。

倒れた荷物へ脚を挟まれた者。

怪我人はいる。

それでも、動けなくなるほどの傷を負った者は多くなかった。

人々を転ばせたのは、地震そのものだけではない。

密集した広場で、突然、一斉に動こうとしたことも原因だった。

東側の空いた場所では、祭りに参加していた神官達が、負傷者の手当てを始めている。


兵士達は、人々を家族や店ごとに集め、行方の分からない者がいないか確認していた。

リアナは、エマとサラを、広場の端へ座らせた。

周囲に高い建物はない、倒れるような屋台も。

大きな祭具も近くにはなかった。

「少し、ここで待っていてください」

リアナは言った。

「気分が悪くなったら、すぐに神官へ伝えてください」

「私は平気よ」

エマが答える。

その隣で、サラは片手を耳へ当てていた。

「どうしましたか」

「少し、耳が鳴ってる」

「頭は痛みますか」

「少しだけ」

サラは答えた。

「でも、転んだからかもしれない」

エマも、自分の額へ手を当てる。

「私も少し、頭が重いわね」

周囲を見ると、同じように頭を押さえている者が何人かいた。

吐き気を訴える者。

立ち上がった時に、ふらつく者。

怪我とは違う不調が、広場の一部に広がっていた。

だが、いずれも会話は出来ている。

意識を失った者もいなかった。


神官達は、水を飲ませ。

横になって休むよう伝えている。

「リアナちゃんは?」

エマが尋ねた。

「何ともありません」

「そう」

エマは、少し安心したように息を吐いた。

リアナは、王宮の方向へ目を向ける。

ここからでは、建物の上部が見えるだけだった。

王宮の塔は、揺れの前と変わらず立っている。

それでも、中にいるフィーナが無事なのかは分からない。

「行ってきなさい」

エマが言った。

リアナは振り返る。

「フィーナ様が心配なのでしょう」

「……はい」

「ここには兵士も神官もいるわ。店長も近くにいる」

エマは、ラルカ亭の屋台へ顔を向けた。

店長は、倒れた台を他の者達と起こしている。

時折、こちらの様子も確認していた。

「私達は大丈夫よ」

「私も行く!」

サラが言った。

「ここにいてください」

「でも」

「まだ頭が痛むのでしょう?」

サラは、耳へ当てていた手を下ろした。

「少しだけ」

「今は休んでください」

「リアナは戻ってくる?」

「フィーナ様の無事を確認したら、戻ります」

リアナは答えた。

「もう一度揺れるかもしれません。勝手に広場を離れないでください」

「分かった」

サラは、少し不満そうにしながらも頷いた。


エマが、リアナの腕へ触れる。

「気を付けて」

「はい」

リアナは立ち上がった。

エマとサラの近くには、神官と兵士がいる。

広場の混乱も、少しずつ収まり始めている。

安全を確かめてから、リアナは王宮へ向かった。


◇

中央広場を離れると、王都の様子が見えてきた。

通りには、揺れに驚いて家から出てきた者達がいる。

屋根から落ちた瓦。

外れた看板。

倒れた木箱。

割れた窓硝子。

春灯祭の飾りは、幾つも地面へ落ちていた。

それでも、家々は立っている。

石壁にも、大きな崩れは見えない。

店の者達は、周囲の安全を確かめながら、道へ散らばった荷物を端へ寄せ始めていた。


警備兵が通りを回り、火の始末と、怪我人の有無を確認している。

春の火は、まだ殆どの場所で灯されていなかった。

そのため、揺れによる火事は起きていない。

リアナは、人々の間を抜けて王宮へ進んだ。

途中、倒れた荷車を起こそうとしている者達へ手を貸した。

転がった樽を道の端へ寄せる。

泣いている子どもを。

捜しに来た母親のところまで連れていく。

それ以上は留まらなかった。


王宮へ近付くほど、兵士と伝令の姿が増えていく。

王都各所へ向かう者。

各門から戻ってくる者。

神殿へ走る者。

混乱は残っている。

だが、王宮からの指示は、既に動き始めていた。


正門は、目立った損傷はなかった。

片方の詰所で窓が割れ、壁際に置かれていた槍が倒れている。

それだけだった。

リアナが近付くと、門を守る兵士が手を上げた。

「現在、王宮への立ち入りは制限しています」

「フィーナ様の無事を確認したいのです」

兵士が、リアナの顔を見る。

「リアナ殿ですね」

「はい」

「フィーナ様に、お怪我はありません」

その言葉を聞き、リアナは息を吐いた。

「お会い出来ますか?」

「確認します」

兵士は、近くにいた者を呼び、王宮の中へ向かわせた。


待っている間にも、伝令が何人も門を通っていく。

負傷者を運ぶ姿はない。

王宮の建物にも、外から見えるほどの損傷はなかった。

やがて、確認へ向かった兵士が戻ってくる。

「こちらへ」

リアナは、兵士の後に続いて王宮へ入った。


◇

フィーナは、王宮西側の小広間にいた。

揺れの後、窓から離れた部屋へ移されたらしい。

部屋の中では、倒れた椅子や飾りが、壁際へ片付けられている。

窓硝子は割れていない。

だが、棚から落ちた本が、まだ床の隅へ積まれていた。

フィーナの傍には、侍女のセシルがいた。

リアナが部屋へ入ると、フィーナはすぐに立ち上がった。

「リアナ様!」

リアナへ駆け寄り、その両手を掴む。

「お怪我はありませんか?」

「ありません」

リアナは答えた。

「フィーナ様は?」

「私も大丈夫です」

フィーナは、自分の腕を見せる。

傷はない。

服にも、目立った汚れはなかった。

「揺れた時、窓の近くにいたので」

フィーナは言った。

「セシルが、すぐに窓から離してくれました」

「硝子が割れる可能性がありましたので」

セシルが説明する。

「幸い、この部屋では何も割れておりません」

リアナは、改めてフィーナの姿を確認した。

本当に、怪我はないかと。


「エマ様とサラ様は?」

フィーナが尋ねる。

「二人とも無事です」

「よかった」

「中央広場の安全な場所にいます。サラは少し頭痛があるようですが、神官が近くにいます」

フィーナの表情から、僅かに緊張が消える。

それでも、すぐに別の不安が浮かんだ。

「ユリウス達は?」

リアナは答えられなかった。

国境は遠い。

王都より、帝国に近い。

「今は、まだ分かりません」

リアナは言った。

「王宮で、状況も確認していると思います」

「そうですね」

フィーナは頷く。

だが、握った手を離さなかった。

リアナも、フィーナの手を握ったままでいた。


王宮の中では、伝令の足音が絶えず響いている。

命令を運ぶ声。

戻ってきた者から報告を受ける声。

王国全体の状況を知るための動きが。

急速に広がり始めていた。


◇

王宮の会議室。

王国全土の地図を広げた机へ、王都各所から届いた報告が集められていた。

「中央広場では、倒れた祭具と屋台による負傷者が出ています」

報告係が読み上げる。

「多くは打撲と擦り傷です。重傷者については、現在確認中。建物の倒壊はありません」

「火災は」

国王が尋ねる。

「確認されていません。春の火は、まだ殆どの場所で灯されていませんでした」

「王都の門は」

「全て通行可能です。北門近くで瓦の落下がありましたが、既に片付けを始めています」

「水路と井戸に異常はありません」

別の報告係が続ける。

「石橋も目視では損傷なし。ただし、明るくなってから改めて確認します」

報告が届くたびに、地図の上へ小さな印が置かれていく。


中央広場。

市場。

王都の四つの門。

神殿。

石橋。

大きな被害を示す印はない。

「近郊からの報告です」

伝令が部屋へ入ってくる。

「南の宿場では、棚や荷物が倒れたものの、建物の被害なし。西の農村でも、怪我人が数名。いずれも軽傷とのことです」

「北西の街道も通行出来ます」

続いて入った兵士が報告する。

「落石の確認を続けていますが、現時点で道を塞ぐものはありません」

王都と近郊では、揺れによる混乱は起きている。

だが、王国の機能が失われるような被害ではなかった。

確認出来ていない地域は、まだ多い。

それでも、最初に恐れられたほどの被害は出ていないことが、少しずつ分かり始めていた。


「各地への確認は続けろ」

国王が命じる。

「被害なしとの報告も省くな。川、橋、山道についても、朝になり次第改めて調べさせる」

「承知しました」

報告係が答える。

会議室の扉が開く。

王都神殿から来た神官が、記録板を抱えて入ってきた。

「地脈観測の報告です」

部屋の中にいた者達が、神官へ目を向ける。

「揺れの直前。王都の地下を通る地脈へ、急激な乱れが入りました」

「方向は」

国王が尋ねる。

「北東です」

神官は答えた。

「数か月前から確認されていた帝国領内の異常と、同じ方向です。ただし、今回の反応は比較にならないほど大きいものでした」

「王都の地下で発生したものではないのか」

「違います」

神官は、はっきりと答えた。

「北東から王都へ届き。そのまま、さらに西と南へ流れていきました」

会議室の視線が、地図の北東へ集まる。

帝国との国境、その向こうにある広大な帝国領。

「広場では、北東の空が白く光ったとの証言があります」

報告係が言った。

「王宮の見張りも、同じ方向で光を確認しています」

「帝国からの連絡は」

「ありません」

外務を担当する重臣が答えた。

「国境からも、揺れの後の報告は届いておりません」


部屋の端に立っていたレオンが、地図へ目を落とす。

「国境には、フェルト伍長らを向かわせています」

国王がレオンを見る。

「最後の報告はいつだ」

「砦へ到着した後の報告が最後です」

レオンは答えた。

「天候が悪化し、川の増水と斜面の崩れが起き始めているとありました。帝国側から国境を越える者も減っているとのことです」

その報告は、今回の揺れより前に出されたものだった。


揺れの後、砦がどうなったのか。

ユリウス達が無事なのか、帝国側で何が起きているのか。

何一つ分かっていない。

「王都まで揺れが届いた」

レオンは言った。

「発生源が帝国領内なら、国境では王都より強い揺れを受けた可能性があります」

「それだけではない」

神官が続ける。

「地脈の乱れは、北東へ近いほど強かったと考えられます」

「国境へ確認の伝令を出せ」

国王が命じる。

「既に準備しています」

軍務の責任者が答えた。

「ですが、通常の伝令だけでは不足するかもしれません。砦が被害を受けていれば、報告を持ち帰る者より救助する者が必要になります」

地図の周囲に、短い沈黙が落ちる。

王都と近郊の被害は、今のところ大きくない。

各地の確認は続けなければならない。

だが、王国の全ての兵士を、国内の救助へ回さなければならない状況ではなかった。


一方、北東国境と帝国については何も分かっていない。

「支援部隊を編成する」

国王が言った。

「国境までの街道を確認しながら進ませる。途中の町や村で被害があれば救助。国境砦へ到着後、フェルト伍長らの安否を確かめよ」

「帝国側については」

重臣の一人が尋ねる。

「まず国境から状況を確認する」

国王は答えた。

「帝国側の監視所と連絡が取れるなら、被害の有無を聞け。救助を求める者が国境へ来た場合は、身分を問わず保護する」

「国境の向こうで、明らかな被害が確認された場合は」

「現地の帝国軍と協力出来るなら、救助を申し出る」

国王は続けた。

「軍事行動と受け取られる動きは避けよ。目的は調査と救助だ」

「承知しました」

軍務の責任者が答える。


レオンが、地図上の街道を指でなぞる。

「騎馬を中心とした先遣隊を出します。軍医と救護兵。道を確認する工兵も数名同行させます」

「物資は」

「水、食料、医薬品、毛布。崩れた道を越えるための縄と道具。馬で運べる量を優先します」

「後続の物資も用意させろ」

国王が命じる。

「先遣隊からの報告を待ち、必要な量を送る」

「はい」

「出発は夜明けだ」

各所へ命令を伝えるため、兵士達が会議室を出ていく。

地図の上では、王都と近郊の状況が、少しずつ明らかになっていた。

だが、北東国境から先にはまだ何の印も置かれていない。

被害がないからではない。

確かめる者が、まだ戻っていないからだった。


◇

翌朝。

夜明け前の王城厩舎では、支援部隊の準備が進められていた。

馬の背へ、水と食料が括り付けられる。

医薬品。

包帯。

毛布。

縄。

折り畳まれた担架。

通れない場所を切り開くための道具。

支援と救助を目的とする部隊であることを示す旗も用意された。

王都では、夜の間に大きな余震は起きなかった。

新たな被害の報告もない、避難のため広場へ集まっていた者達の多くは。

夜明けを待ち、兵士の確認を受けてから家へ戻り始めていた。


王国各地への確認は、今も続いている。

その一方で、国境へ向かう道を確かめる者も必要だった。

北門が開かれる。

騎馬を中心とした先遣隊が、門の外へ進み始める。

空には、まだ昨夜の雲が残っている。

北東の空は、朝を迎えても暗かった。

国境で何が起きているのか。

帝国で何が起きたのか。

ユリウス達は無事なのか、何一つ分からないまま。

王国の支援部隊は、北東へ向けて出発した。


王国の支援部隊が、王都を出発してから、半日が過ぎた。

騎馬だけで進むなら、国境までは、一日半から二日ほど。

街道に問題がなく、途中で足を止めなければ、それだけの距離だった。

だが、今回の目的は国境へ早く着くことだけではない。

街道。

橋。

川。

町。

村。

王都から北東へ続く地域で、どのような被害が出ているのかを確かめなければならなかった。

被害を受けた者がいれば、救助も行う。

そのため、支援部隊は最初の宿場へ到着した時点で進みを止めた。

「建物の倒壊はありません」

宿場の責任者が報告する。

「棚や食器が落ちました。屋根から瓦も落ちています。ただ、怪我人は数名です。いずれも歩けます」

宿場の中央には、外へ出た者達が集まっていた。

家々の損傷は小さい、宿の壁にも目立った亀裂はなかった。


割れた窓。

倒れた看板。

崩れた荷物。

王都と大きく変わらない被害だった。

支援部隊の軍医と救護兵が、怪我人の状態を確認する。

額を切った者。

転倒して腕を打った者。

割れた陶器で手を傷付けた者。

いずれも、その場で手当て出来る範囲だった。

「揺れの後、頭痛を訴える者はいなかったか?」

軍医が尋ねる。

宿場の責任者は、少し考えてから答えた。

「いました。頭が重い。耳が鳴る。立ち上がると眩暈がする。そう言う者が何人か」

「今は」

「殆ど治まっています。まだ気分が悪い者は、宿で休ませています」

軍医は、聞き取った内容を記録する。

地震による怪我とは違う。

王都でも確認されていた不調だった。

「水と食事を取らせてください」

軍医は言った。

「症状が戻った者。意識を失った者が出た場合は、最寄りの神殿へ運ぶように」

「分かりました」


その間、工兵達は宿場の井戸と、近くを通る水路を確認していた。

井戸に異常はない。

水も濁っていない。

橋にも、目で確認出来る損傷はなかった。

それらを記録し、支援部隊は再び街道へ戻った。

最初の宿場で、半刻近くを使っていた。


◇

北東へ進むほど地震の被害は、少しずつ増えていった。

街道沿いの石塀が崩れている。

屋根の端が落ちている。

荷車が横倒しになっている。

道そのものは通れる。

だが、何も確認せずに進める状態ではなかった。


昼を過ぎた頃、前方を確認していた騎兵が戻ってきた。

「この先で、斜面の土が街道へ流れ込んでいます」

支援部隊の先頭にいたレオンが、街道の先を見る。

道は、緩やかに山間へ入ろうとしていた。

昨夜まで続いた雨によって斜面は大量の水を含んでいる。

「通れるか」

「騎馬一頭なら通れます。ただし、端へ寄り過ぎれば危険です」

「工兵を先に出す」

レオンは命じた。

「全員、一度馬を下りろ」

部隊が停止する。

工兵達が、道へ流れ込んだ土と石を確認する。

大きな崩れではなかった。

だが泥の中には、上から流れてきた木の枝と石が混ざっている。

馬が脚を取られれば、そのまま斜面下へ転落する可能性があった。


工兵達は、通行出来る幅を広げるため、石と木を道の端へ運び始めた。

他の兵士達も加わる。

泥を掘り、簡単な目印を立てる。

再び馬を進められるようになるまで、さらに時間が掛かった。

「この辺りは、揺れより雨の被害の方が大きいな」

兵士の一人が言った。

レオンは、崩れた斜面を見上げる。

「今はな」

地震によって、それまで保たれていた地面が緩んだ可能性もある。

この先、同じような場所が幾つあるのか、まだ分からなかった。


◇

夕刻。

支援部隊は、街道沿いの小さな村へ到着した。

村の入口では、数人の住民が倒れた小屋の周囲へ集まっていた。

「どうした?」

兵士が馬を下りる。

村人の一人が振り返った。

「中に人がいる!」

家畜用の小屋だった。

石造りではない、太い木材と板を組み合わせ、屋根へ藁を重ねたものだった。

揺れによって、片側の柱が外れ、屋根が内側へ落ちている。

「何人だ」

「一人です。馬を外へ出そうとして」

返事を聞く前に、工兵と救護兵が動き始める。

屋根を支えている木材を確認し、崩れないよう縄を掛ける。

板を一枚ずつ外す、小屋の奥から男の声が聞こえた。

意識はある。

だが、倒れた木材へ、片脚を挟まれていた。

「今、退かす!」

兵士達が、木材の下へ棒を差し込む。

掛け声を合わせ、少しずつ持ち上げる。

救護兵が、出来た隙間へ身体を入れた。

男の脚を引き出す、骨は折れていなかった。

だが、自力で立つことは出来ない。

男は担架へ乗せられ、村の中へ運ばれた。

「ありがとうございます」

村人達が、何度も頭を下げる。


レオンは、倒れた小屋を見る。

他の家には、目立った被害はない。

この小屋が崩れたのも、柱の根元が、雨によって弱っていたためだった。

「他に怪我人は?」

「いません」

「頭痛や眩暈を訴えた者は」

村人達が、互いの顔を見る。

「何人かいました」

年配の男が答えた。

「揺れた後から、皆、少し気分が悪いと言っていました。朝には殆ど治りましたが」

ここでも同じだった。

軍医が、症状と人数を確認する。

支援部隊が村を出る頃には、日が沈み始めていた。


先へ進むには、遅過ぎる時間だった。

その夜、部隊は村の外へ簡単な野営地を作った。

出発初日、進めた距離は、予定していた行程の三分の一にも届いていなかった。


◇

二日目。

夜明けと共に、支援部隊は再び北東へ向かった。

空は、昨日より明るい雲の切れ間も見えている。

だが、街道の土は乾いていない。

馬が通るたび、蹄が泥へ沈んだ。


二つ目の宿場では、石造りの倉庫に亀裂が入っていた。

倉庫の中にいた者は、全員、外へ出ている。

すぐに崩れる様子はない、それでも中へ戻って荷物を運ぶことは止めさせた。


近くの農村では、井戸の覆いが外れ。

落ちた木材によって、水を汲めなくなっていた。

工兵達が木材を退かし、井戸の内部を確認する。

水に異常がないことを確かめるまで、また部隊は足を止めた。


橋。

水路。

家屋。

怪我人。

頭痛や吐き気を訴えた者。

支援部隊は、通過した場所ごとに記録を残していく。

北東へ進むほど、建物への被害は僅かに増えていた。

それでも、村全体が崩れるような場所はない。

死者が出たという報告もなかった。

被害は、まだ限られている。

だが、王都から離れるほど、揺れが強くなっていたことは間違いなかった。

「この速度では、国境まであと二日は掛かります」

地図を確認していた兵士が言った。

レオンは、街道と周囲の地形を見る。

王都から国境まで、通常の騎馬であれば、一日半から二日。

だが、出発から二日目を迎えた今も、まだ半分ほどしか進めていない。


「後続へ報告を送れ」

レオンは言った。

「ここまでの街道は通れる。大きな救助は必要ない。ただし、工兵と医薬品は各宿場へ分けて送らせろ」

「承知しました」

「我々は、この先も確認を続ける」

急ぐ必要はある、だが、被害を受けた村を、見ないふりで通り過ぎることは出来なかった。


◇

二日目の午後。

支援部隊は、二つの低い丘に挟まれた街道を進んでいた。

国境まで、まだ行程の半分近くが残っている。

前方を進んでいた騎兵が、突然、片手を上げた。

部隊が止まる。

「前方から騎馬!」

兵士達の視線が、街道の先へ向く。

三頭の馬が、丘の間から姿を現した。

速度は遅い、馬の首は下がり、三人の騎手も疲れ切ったように身体を揺らしている。

それでも外套には、アルシア王国軍の印があった。

「王国軍です!」

先頭の兵士が声を上げる。

向こうの騎手も、支援部隊に気付いた。


先頭の一人が、残った力を使うように馬を進める。

「国境砦からの報告隊だ!」

掠れた声だった。

「王都へ向かっている!」

レオンが馬を進めた。

「王城騎乗隊だ。国境支援のため、砦へ向かっている」

三人の騎手が、僅かに表情を緩めた。

先頭の兵士が馬を下りる。

足を着いた直後、身体が傾いた、近くにいた兵士が支える。

「大丈夫か」

「大丈夫です」

男は答えた。

だが、二日間殆ど休まず進んできたことは、その姿を見れば分かった。

外套は泥に汚れ、顔には疲れが残っている。


「報告を」

レオンが言った。

男は、胸元から革の筒を取り出した。

砦の印で封じられている。

「地震後の国境砦の状況です」

レオンは筒を受け取った。

封を確認する。

「砦は」

「損傷しています」

報告隊の兵士が答える。

「監視塔と外壁の一部。厩舎と兵舎にも被害が出ました。ただ、砦としての機能は保っています」

「負傷者は」

「複数。殆どは落下物や転倒による怪我です」

兵士は、一度息を整えた。

「それとは別に。揺れの直後から、多くの者が頭痛、吐き気、眩暈を訴えました」

支援部隊の軍医が顔を上げる。

「意識を失った者は」

「いません。症状も、時間が経つにつれて治まっています」


王都。

宿場。

村。

そして国境。

同じ不調が、北東へ向かうほど強くなっている。

「帝国側は」

レオンが尋ねた。

「監視塔の一つが崩れました」

兵士は答えた。

「呼び掛けにも応答がありません。地震の後も、帝国側から国境を越えてきた者はいません」

「フェルト伍長は無事か」

レオンの声が、僅かに低くなる。

「無事です」

報告隊の兵士は答えた。

「揺れの後も動ける状態でした。砦の救助にも加わっています」

レオンの肩から、僅かに力が抜ける。

だが、兵士は続けた。

「フェルト伍長は、現在、砦にはいません」

レオンの表情が変わった。

「どこへ行った」

「帝国領内です」

周囲にいた兵士達が、互いの顔を見る。

「一人で入ったのか」

「いいえ」

報告隊の兵士は首を振った。

「砦の兵二名が同行しています。二人とも、国境周辺の地形を知る者です」

「目的地は」

「第三山岳国境警備隊です」

帝国側で、国境砦から最も近い位置にある駐屯地。

以前、帝国側から国境へ向かう者達が、中継地として使用していた場所でもある。


「なぜ、そこへ」

「帝国側の監視所と連絡が取れません」

兵士は答えた。

「崩れた塔にも、人影がありませんでした。救助を必要としている者がいる可能性があります。それに、第三山岳国境警備隊であれば、帝国内の状況を把握しているかもしれないと」

「砦の責任者は認めたのか」

「はい」

報告隊の兵士は頷いた。

「フェルト伍長は、最初、一人で向かうと言いました。ですが、責任者が認めませんでした」

男は続ける。

「他国へ王国軍人を一人で入れるわけにはいかない。土地勘もない者を、この状況で一人には出来ないと。同行する二人を選びました」

「出発したのは」

「我々と同じ朝です」

二日前。

報告隊が王都へ向かった時。

ユリウス達は、反対方向へ進み始めていた。

一方は王都へ。

もう一方は帝国へ。

それぞれ、何が待っているのか分からない道へ。


「この先の街道は」

レオンが尋ねる。

「通れます」

兵士は答えた。

「小さな崩れはあります。ただ、騎馬なら国境まで進めます。国境へ近付くほど、建物の被害は増えています」

「分かった」

レオンは、報告書の入った筒を男へ返した。

「これは王都へ届けろ。国境の状況と、フェルト伍長が帝国領へ入ったことを、直接報告する必要がある」

「はい」

「近くの宿場で馬を休ませろ。この状態で無理に進めば、王都へ着く前に倒れる」

三人の兵士は、揃って頷いた。

支援部隊から、水と食料が渡される。

軍医が、三人と馬の状態を確認する。


報告隊は、短い休息を取った後、再び王都へ向かうことになった。

レオンは、街道の北東を見る。

国境まで、まだ半分、その向こうには帝国がある。

ユリウスは既に国境を越えていた。

「出発準備」

レオンが命じる。

「国境砦へ向かう。街道の確認は続けるが、進める場所では速度を上げろ」

「承知しました」

兵士達が馬へ戻る。


報告隊の三人は王都へ。

支援部隊は国境へ。

街道の途中で出会った二つの部隊が。

再び反対方向へ進み始める。

王国がようやく得た国境の報告は、既に二日前のものだった。

そしてその二日の間に帝国領へ入ったユリウス達が、何を見つけたのか。

それを知る者はまだ誰もいなかった。



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