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第二話 二人の兵士

翌朝。

王都の空はよく晴れていた。

花屋リリエの店先では、リアナ・エルムが朝の水替えをしている。

銀色の桶に花を浸し、茎を整え、ひとつずつ様子を見る。

急ぐ様子はない。

朝の光の中で、その手つきは静かだった。

風が通る。

花弁がかすかに揺れ、軒先の風鈴が小さく鳴った。

リアナはふと空を見上げる。

薄く流れる雲。

やわらかな春の風。

「……今日は少し風がありますね」

独り言のような声だった。

その時。

店の奥から、眠そうな声が聞こえる。

「リアナちゃん……もう開けたの?」

振り返ると、花屋リリエの女店主、エマが顔を出していた。

片手にエプロン。

まだ少し寝起きらしく、髪もわずかに乱れている。

リアナが小さく頭を下げる。

「おはようございます、エマさん」

「おはよう……」

エマは欠伸を噛み殺しながら店先へ出てきた。

「朝って早いわねぇ」

「毎日同じ時間です」

「冷たい」

「事実です」

エマは肩を竦めながら笑う。

そのまま並び始めた花を見て、少し眉を上げた。

「……今日、多くない?」

リアナも花棚へ目を向ける。

「多いですね」

「昨日、仕入れ過ぎた?」

「いえ」

リアナは花を整えながら、通りの向こうへ視線を向けた。

少しだけ考えるような間。

「……たぶん今日は、お客さんが多いです」

エマが半目になる。

「ああ、出た」

「何がですか」

「その顔」

リアナが首を傾げる。

「どの顔でしょう」

「分かってる顔」

「分かってません」

「してるのよ、それ」

リアナは少しだけ笑った。

風がもう一度通りを抜ける。

花が揺れた。

その時だった。

風鈴が、からりと鳴る。

「おはよーございます!」

明るい声と一緒に扉が開いた。

市場籠を肩に掛けたサラが顔を出す。

今日は前みたいに慌てた様子はない。

むしろ機嫌が良さそうだった。

エマが花を抱えたまま笑う。

「あら、今日は余裕あるじゃない」

「ある!」

サラは胸を張った。

「今日は急ぎじゃない!」

「珍しいわねぇ」

「ひどい!」

店に入ると、サラは籠を足元へ置いた。

少し歩いてきたらしく、頬がうっすら赤い。

「おはよ、エマさん」

「おはよう」

「リアナさんも」

リアナが微笑む。

「おはようございます、サラさん」

サラはそこで思い出したように顔を上げた。

「あ、そうそう!」

「今日は買いに来たんじゃなくて」

エマが首を傾げる。

「へぇ?」

サラは人差し指を立てる。

「報告!」

リアナが手を止めた。

「報告ですか?」

「この前の花!」

その言葉に、リアナは少し目を丸くする。

サラは待ってましたとばかりに身を乗り出した。

「すっごい評判良かった!」

朝の店に、ぱっと明るい声が広がる。

エマが嬉しそうに目を細めた。

「ほんと?」

「ほんとほんと!」

サラは大きく頷く。

「入口に置いた瞬間さ、『明るいね』とか『春っぽい』とか言われて!」

「へぇ」

「あと店長が妙に得意げになってた!」

エマが吹き出した。

「自分で選んだみたいな顔した?」

「した!」

「すると思った!」

店に小さな笑いが広がる。

リアナも肩を揺らして笑っていた。

サラは笑いながらも、少しだけ声を落とす。

「……でもさ」

彼女は店先の花を見る。

朝の光が花弁を照らしていた。

「なんか嬉しかったんだよね」

リアナが静かに聞き返す。

「嬉しかった?」

「うん」

サラは言葉を探すように視線を動かす。

「入口って、毎日見てると景色になるじゃん?」

リアナは小さく頷いた。

「それが変わった感じ」

サラは少し照れくさそうに笑う。

「……ちゃんと大事にしてる店、みたいになった」

少しだけ間があった。

リアナは花の葉を整えながら、その言葉を聞いていた。

それから顔を上げる。

柔らかな笑みだった。

「そう見えたなら」

「花も喜んでると思います」

サラは一瞬きょとんとして。

それから吹き出した。

「ほらそれ!」

エマが肩を揺らす。

「出たわねぇ」

「何ですか?」

「花の話してるようで、たまに人の話になるやつ」

リアナは少し困ったように笑う。

「花の話ですよ」

「怪しいわねぇ」

サラはくすっと笑った。

春の風が、店先の花をやさしく揺らす。

サラはその花達を見ながら、小さく頷いた。

「……でも私、それ嫌いじゃないよ」


サラはまだ花を見ていた。

店先へ並ぶ春の花。

黄色、薄桃、白。

窓から差し込む朝の光が花弁を柔らかく照らしている。

「……ほんと不思議だよねぇ」

サラがぽつりと言う。

エマが花桶を動かしながら顔を上げた。

「何が?」

「花」

サラは少し肩を竦める。

「同じ店なのにさ、置く花で雰囲気変わるじゃん?」

「変わるわよぉ」

エマは慣れた手つきで葉を整える。

「だから花屋やってるんだもの」

「食堂もそうなのかな」

サラは考えるように顎へ指を当てた。

「入口とか匂いとか、ちょっとした事で違うのかも」

リアナは花棚を見ながら小さく頷く。

「あると思います」

「ある?」

「はい」

リアナは白い花を一本手に取った。

指先で茎を確かめる。

「人って、思ってるより景色を見てるので」

サラが少し目を丸くする。

「……またそういう事さらっと言う」

エマが笑った。

「だから言ったでしょ? この子、花の話してるようで人の話になるのよ」

「いや分かるって」

サラはくすっと笑い、花束へもう一度視線を落とした。

その時。

通りの方から、足音が近付いてきた。

急いでいるような音ではない。

けれど、少し迷うような間がある。

リアナが顔を上げる。

風が通りを抜けた。

風鈴が、からりと鳴る。

店の前で足が止まった。

「あ……」

見覚えのある青年だった。

何日か前に花を買いに来た若い兵士である。

簡素な革鎧。

肩には薄く埃。

どうやら朝から任務帰りらしい。

彼は店先を見るなり、少し気まずそうに頭を掻いた。

「お、おはようございます」

リアナが穏やかに頭を下げる。

「おはようございます」

エマも顔を上げた。

「あら、この前のお客さんじゃない」

兵士は少し照れたように笑う。

「はい……その」

そこで彼は店の中を見て、一瞬言葉を止めた。

サラと目が合ったからだ。

サラは花束を抱えたまま首を傾げる。

「知り合い?」

「いや、違います」

兵士は慌てて首を振った。

その様子にエマが肩を揺らす。

「別に取って食べたりしないわよ」

「そ、そうですよね」

店に小さく笑いが広がる。

兵士は少しだけ肩の力を抜いた。

それからリアナを見る。

「あの……少し、お礼というか」

リアナが静かに首を傾げる。

「お礼ですか?」

兵士は頷いた。

けれど、どう切り出せばいいのか迷っているらしい。

視線が少し泳ぐ。

リアナは急かさなかった。

エマも口を挟まない。

春の風だけが、花を小さく揺らしている。

やがて兵士は、小さく息を吐いた。

「……何日か前、北街道の話をしたの覚えてますか」

リアナは少し考えて。

「ああ」

小さく頷いた。

「崖側の道ですね」

兵士の顔に、驚いたような色が浮かぶ。

「……覚えてたんですか」

「花屋ですので」

「いや、それ関係あります?」

エマが吹き出した。

リアナも少し困ったように笑う。

兵士はそんな二人を見てから、真面目な顔に戻った。

「……実は」

彼は言葉を選ぶように続けた。

「落石があったんです」

店の空気が、少しだけ静かになった。


「……実は」

兵士は言葉を選ぶように続けた。

「落石があったんです」

店の空気が、少しだけ静かになった。

サラが思わず瞬きをする。

「え?」

兵士は頷いた。

「北街道です」

肩に残る薄い土埃を払うように手を動かした。

「三日前、護送任務があって」

「崖側……避けたんですよ」

エマが花桶へ置こうとしていた手を止める。

「……へぇ」

兵士は苦笑した。

「大きな崩落じゃなかったんです」

「でも、通ってたら馬が驚いてたかもしれないくらいには」

サラが目を丸くする。

「ほんとに?」

「はい」

兵士は頷く。

「最初は偶然かなと思ったんですけど」

視線がリアナへ向く。

「……帰ってから、なんか気になって」

リアナは黙って話を聞いていた。

花の葉を整える手は止まっていない。

兵士は少し照れくさそうに頭を掻く。

「それで、今日は近く通ったので……お礼だけでもと思って」

少し間があった。

リアナは顔を上げる。

その表情は相変わらず穏やかだった。

「それは良かったです」

兵士は少し拍子抜けした顔になる。

「……良かったです、だけなんですね」

「はい?」

「いや、その……」

兵士は困ったように笑った。

「もっとこう、『当たりましたね』とか」

エマが吹き出した。

「それ言ったらこの子、余計怪しくなるじゃない」

「怪しいって何ですか」

リアナが少し困ったように言う。

サラも肩を揺らしている。

「いやでもさぁ」

彼女は花束を抱え直した。

「実際すごくない?」

リアナは首を横に振った。

「崖は危ないですから」

「それだけ?」

兵士が聞く。

リアナは少し考える。

窓の外へ目を向けた。

通りでは荷車が通り過ぎ、遠くで商人の呼び声が聞こえている。

春の風が店先の花を揺らした。

「……風が強かったので」

兵士が瞬きをする。

「風?」

「あと、鳥が低く飛んでいました」

サラがエマを見る。

エマは慣れた顔で肩を竦めた。

「また始まったわねぇ」

「始まってません」

リアナは真面目だった。

兵士は少し困ったように笑う。

正直、よく分からない。

けれど。

目の前の花屋娘が、冗談を言っているようにも見えなかった。

「……まあ」

兵士は小さく息を吐く。

「理由はどうでもいいです」

彼は少し姿勢を正した。

「助かりました」

その言葉は、案外まっすぐだった。

店の空気が、少しだけ静かになる。

リアナは一瞬だけ目を伏せた。

それから、小さく微笑む。

「お気を付けください」

兵士は頷いた。

「はい」

そこでエマが、ふと思い出したように口を開く。

「そういえば」

彼女は兵士を見る。

「お名前、まだ聞いてなかったわね?」

兵士は「あ」と声を漏らした。

どうやら本人も忘れていたらしい。

少し気まずそうに背筋を伸ばす。

「失礼しました」

彼は照れたように笑う。

「レオンです」

春の風が、からりと風鈴を揺らした。


エマが頷く。

「レオン君ね」

「はい」

「真面目そうな名前だわぁ」

レオンが少し困ったように笑う。

「名前で分かります?」

「なんとなく」

「それ、リアナさんと同じ事言ってますよ」

エマが肩を揺らした。

「でしょ?」

リアナは少しだけ首を傾げる。

「私ですか?」

「あなたよ」

エマは花桶へ手を伸ばした。

「風がどうとか、空がどうとか」

「人を見る時も似たような顔するじゃない」

リアナは何か言いかけて、やめた。

代わりに小さく笑う。

「……そんな顔してますか?」

「してるしてる」

サラも横から頷く。

「分かる」

「皆さん、失礼ですね」

リアナはそう言いながらも、どこか困ったように笑っていた。

レオンはそのやり取りを見て、少し肩の力が抜けたようだった。

さっきまでの緊張が、少し和らいでいる。

彼は店先の花へ視線を向ける。

色とりどりの花。

朝の光。

通りを歩く人影。

「……いい店ですね」

ぽつりと漏れた言葉だった。

エマが顔を上げる。

「あら」

サラがにやっとする。

「でしょ?」

「あんたの店じゃないでしょ」

「雰囲気込みで好きなの!」

レオンは少し照れたように笑った。

「いや……こういう所、あんまり来なくて」

彼は店先を見る。

「花屋って、もっと入りづらいと思ってました」

エマが思わず吹き出した。

「なによそれぇ」

「すみません!」

「いいのよ」

エマは笑いながら葉を整える。

「男の人、結構そう言うもの」

レオンは少し安心したように頷いた。

「何買えばいいか分からないし……」

「分かります」

サラが腕を組む。

「私も最初そうだった」

「サラさんも?」

「うん。『綺麗なのください』って言った」

エマが肩を揺らす。

「今もそんなに変わってないわよね」

「細かい事はいいの!」

店に小さな笑いが広がる。

リアナは花棚の前へ歩くと、一本の花を手に取った。

白い、小さな花だった。

レオンはその動きを目で追う。

リアナは花を見ながら、穏やかに言った。

「でも」

彼女は茎を指先で整える。

「花屋って、案外難しく考えなくていいんです」

「……そうなんですか?」

「ええ」

リアナは顔を上げた。

柔らかな表情だった。

「誰かに渡したいとか」

「部屋を明るくしたいとか」

「理由は、それくらいで十分なので」

レオンは少し黙った。

花を見る。

それから、リアナを見る。

何か言いかけて。

けれど、言葉がまとまらなかったらしい。

代わりに小さく笑う。

「……そういうもんなんですね」

「そういうものです」

その時。

通りの向こうから、小さな足音が近付いてきた。

ぱたぱたと軽い音。

勢いのある走り方だった。

リアナが先に顔を上げる。

風が通る。

そして次の瞬間——。

「リアナお姉ちゃーーん!」

元気な声が、通りへ響いた。

元気な声が通りへ響いた。

ぱたぱたと軽い足音。

次の瞬間、小さな影が店先へ飛び込んでくる。

リコだった。

肩までの髪を揺らしながら、勢いよく《リリエ》へ駆け込んでくる。

「おはよー!」

「おはようございます、リコ」

リアナが微笑む。

エマは苦笑した。

「朝から元気ねぇ」

「うん!」

即答だった。

リコはそのまま店の中へ入り——

ぴたりと止まる。

見慣れない顔に気付いたらしい。

レオンと目が合った。

店にほんの少しだけ間が落ちる。

レオンも反射的に背筋を伸ばした。

リコはじっと見上げる。

レオンは少し困ったように笑った。

「あ……おはよう?」

リコは警戒するでもなく、ただ真剣な顔で観察している。

その沈黙に耐え切れなくなったのはサラだった。

「なにその顔」

「知らない人」

リコは即答する。

「そりゃそうよ」

エマが吹き出す。

レオンは苦笑しながら頭を掻いた。

「レオンです」

リコはまだ見ている。

腕を後ろで組み、少し首を傾げた。

「兵隊さん?」

「……兵隊さん、かな」

「かな?」

「兵士です」

「ふーん……」

リコは一歩近付く。

レオンはほんの少し後ろへ引きそうになって、踏み留まった。

サラが肩を震わせている。

「リコちゃん、面接じゃないんだから」

「してないよ」

「してるのよそれ」

リコは構わず聞いた。

「悪い人?」

レオンが目を丸くする。

「えっ」

エマが笑いを堪えきれない。

「直球ねぇ」

「いや、えっと……」

レオンは完全に困っていた。

どう答えるのが正解なのか分からない顔で、思わずリアナを見る。

その様子に、リアナは小さく笑った。

「リコ」

「なに?」

「レオンさんが困ってます」

リコはきょとんとした。

それからようやくレオンの顔を見て——

少し考える。

「……困ってる」

「うん、困ってる」

サラが頷く。

リコは素直に納得したらしい。

「じゃあ悪くないかも」

レオンが思わず聞き返す。

「かも?」

「悪い人は困らないもん」

店が一瞬静かになって——

それからエマが吹き出した。

「それ誰に教わったのよ」

リコは胸を張る。

「なんとなく!」

サラが笑いながら膝を叩く。

「出た、なんとなく!」

リアナは小さく肩を揺らした。

レオンはまだ少し戸惑っていたが、

やがて諦めたように笑う。

どうやらこの花屋では、

理屈だけでは追いつかない事が時々あるらしい。

その時だった。

リコが急にリアナの袖をちょんと引っ張る。

「ねぇ」

「はい?」

リコは少し声を潜めた。

真剣な顔だった。

「今日、たんぽぽある?」

リアナは瞬きをする。

そして——少しだけ目を細めた。

「ありますよ」

店の空気が、またやわらかく動き始めた。

リアナは少し目を細めた。

朝の光が窓辺を照らしている。

リコはぱっと顔を明るくする。

「ほんと!?」

「ええ」

リアナは花棚の方へ歩いた。

レオンはその後ろ姿を目で追う。

店の中を歩く姿まで妙に落ち着いて見えるのが、不思議だった。

リコは嬉しそうに後ろをついて行く。

「黄色の?」

「黄色です」

「わぁ……!」

サラがその様子を見ながら笑った。

「リコちゃん、ほんとリアナさん好きだよねぇ」

「うん!」

迷いがない。

エマが花桶へ水を足しながら肩を揺らす。

「即答だわ」

「だって優しいし」

リコは振り返る。

「花いっぱい知ってるし」

それから少し考えて。

「あと、なんかすごい」

リアナが棚の前で振り返る。

「何がでしょう」

「なんか」

「なんかですか」

「うん!」

店に笑いが広がる。

レオンも思わず口元が緩んだ。

リアナは困ったように笑いながら、棚の下から小さな鉢を取り出した。

鮮やかな黄色。

小ぶりな花が、朝の光の中でやわらかく揺れている。

「はい」

リコが目を輝かせる。

「たんぽぽ!」

「育てやすいですよ」

「ほんと?」

「強い花ですから」

リコはそっと鉢を覗き込む。

小さな顔が真剣だった。

「……これ、元気そう」

「元気ですね」

リアナが微笑む。

「リコに少し似てます」

「えっ」

リコが顔を上げる。

サラがにやっとした。

「いいじゃん、たんぽぽ女子」

「なにそれ!」

「元気で強いやつ」

リコは少し照れたように鼻を擦る。

悪い気はしていない顔だった。

その横で、レオンがぽつりと呟く。

「……たんぽぽって、そんな見方するんですね」

リアナが顔を上げる。

「どんな見方ですか?」

「いや……」

レオンは少し言葉を探した。

窓辺の花を見る。

リアナを見る。

それから肩を掻いた。

「花って綺麗かどうかくらいしか考えた事なくて」

エマが笑う。

「男の人は割とそうよぉ」

「俺もです」

レオンは苦笑した。

「だから、強いとか元気そうとか言われると……」

少し照れたように続ける。

「……面白いなって」

リアナはその言葉を聞いて、小さく頷いた。

「花にも性格みたいなものがありますから」

「性格……」

レオンが花を見る。

サラが横から口を挟んだ。

「じゃあ私どんな花?」

エマが即答する。

「賑やかなやつ」

「雑!」

「でも明るいわよ?」

「そこは嬉しいけど!」

サラは笑いながらリアナを見る。

「リアナさんなら?」

リアナは少し考えた。

サラは腕を組んで待っている。

その表情は、半分楽しみで半分期待している顔だった。

リアナは花棚へ視線を向ける。

春の光。

揺れる花。

それから、ふっと笑った。

「……オレンジ色ですね」

「色!?」

サラが目を丸くする。

エマが吹き出した。

「花じゃないんだ」

「花もありますよ」

リアナは棚から一本の花を抜いた。

やわらかな橙色。

朝の光によく映える花だった。

サラはそれを受け取り、少し目を細める。

「……あ、好きかも」

「元気ですし」

リアナは静かに言う。

「周りを明るくします」

その言葉に、サラが少し黙る。

冗談を返そうとした顔が、少しだけ柔らかくなった。

「……それ、褒めてる?」

「はい」

サラは花を見て。

それから、照れたように笑った。

「……そっか」

その時。

エマが、ふと店の外へ顔を向ける。



「ん?」

エマが、ふと店の外へ顔を向けた。

通りの向こう。

誰かがこちらを見ているようだった。

春の陽射しの中、人通りはそれなりにある。

市場帰りの人。

荷車を押す商人。

仕立屋の前で布を選ぶ女性。

その中に、ひとり。

立ち止まっている人影があった。

サラが気付く。

「知り合い?」

エマは目を細めた。

「……どうかしら」

リアナも自然と視線を向ける。

相手は年配の男だった。

落ち着いた色の外套。

背筋は真っ直ぐで、身なりも整っている。

ただ——花を見ているというより、

《リリエ》そのものを観察しているような視線だった。

レオンも少し気付いたらしい。

表情がほんのわずかに引き締まる。

兵士という仕事柄か、そういう視線には敏感なのだろう。

けれど次の瞬間。

男は軽く会釈すると、そのまま通りを歩き去って行った。

「……なんだ」

サラが肩の力を抜く。

「お客さんじゃなかったね」

「かもしれないわよ?」

エマが言う。

「花屋って入りたいけど入りづらい人も多いし」

レオンが少し頷いた。

「ああ……それは分かります」

「でしょ?」

エマは笑った。

「男の人とか特にねぇ」

「さっき俺も言われましたよ、それ」

店に小さく笑いが戻る。

リコはそんな大人達の会話など気にしていなかった。

たんぽぽの鉢を覗き込み、真剣な顔で葉を触っている。

「……ふわふわしてる」

リアナがそっと隣へしゃがんだ。

「まだ花が若いので」

「若いの?」

「ええ」

リコは顔を上げる。

「花も子ども?」

リアナは少し考えた。

春の光が二人の横顔を照らしている。

「そうですね」

「育っていくので」

リコは感心したように頷いた。

「じゃあ大事にしなきゃ」

「そうですね」

リアナが微笑む。

その様子を、サラが横で見ていた。

腕を組み、少し頬を緩めている。

「……リアナさんってさぁ」

「はい?」

「子どもの相手うまいよね」

リアナはきょとんとした。

「そうでしょうか」

「そうだよ」

サラは笑う。

「私、子ども相手だと途中で何話せばいいか分かんなくなるもん」

エマが肩を揺らす。

「サラは自分が喋っちゃうからでしょ」

「それは否定できない!」

店がまた笑いに包まれる。

レオンも口元を緩めていた。

さっきまで少し緊張していたのが嘘みたいだった。

《リリエ》には、そういう空気があるらしい。

ふと。

リコが、たんぽぽから顔を上げた。

「あ」

小さな声だった。

「どうしました?」

リアナが聞く。

リコは通りの方を見ている。

指先が、そちらを指した。

「……あの人」

皆がつられて視線を向ける。

さっき通り過ぎた年配の男。

少し離れた角で、誰かと話していた。

相手は見えない。

建物の陰に隠れている。

けれど。

男は一度だけ、また《リリエ》の方へ視線を向けた。

その顔は遠くてよく見えなかったが——

なぜかリコは、少しだけ眉を寄せていた。

風が通る。

風鈴が、からりと鳴る。

リアナはその音を聞きながら、静かに外を見ていた。

リアナは店の外を見ていた。

通りの角。

さっきの年配の男は、もう人混みに紛れて見えなくなっている。

「……知り合いじゃなかったんだね」

リコがぽつりと言う。

エマが肩を竦めた。

「世の中、知らない人の方が多いもの」

「ふーん……」

リコはまだ少し気になっている顔だったが、やがてたんぽぽへ視線を戻した。

店の空気も少しずつ元へ戻っていく。

レオンが小さく息を吐く。

「……すみません」

「ん?」

エマが見る。

「いや、なんか長居しちゃって」

「いいのよぉ」

エマは笑った。

「花屋ってそういう場所だし」

「そうなんですか?」

「そうなの」

サラも頷く。

「分かる」

「私も気付いたら喋ってるし」

「喋ってるわねぇ」

「否定しない!」

店にまた笑いが広がる。

レオンも少し口元を緩めた。

それから、ふと何か思い出したようにリアナを見る。

「あの」

「はい?」

リアナが顔を上げる。

レオンは少し言いづらそうに頭を掻いた。

「実は……近いうち、演習で移動があるんです」

エマが花を抱えたまま聞き返す。

「演習?」

「はい。北西の方へ」

「結構遠いの?」

「三、四日くらいです」

レオンは少し笑う。

「大きな事じゃないんですけど」

そこで言葉を止めた。

視線が少し泳ぐ。

どう切り出そうか迷っている顔だった。

リアナは急かさない。

待っている。

やがてレオンは、少し照れたように笑った。

「……もし」

「何か、気を付けた方がいい事とか……ありますか?」

一瞬。

店が静かになった。

そして——。

エマが、ぽかんとした顔になる。

「えぇ?」

サラが吹き出した。

「ちょっと!」

「聞いちゃうの!?」

レオンが慌てる。

「いや、違っ……!」

「違わないでしょそれ!」

サラは笑いながら肩を揺らした。

「完全に相談してるじゃん!」

「いやその……!」

レオンは耳が少し赤くなっていた。

「この前の事があったから、つい……」

エマがにやにやしている。

「レオン君」

「はい……」

「それ、うちの花屋を何屋だと思ってるの?」

「花屋です!」

「即答ねぇ」

サラが横から乗ってくる。

「でも分かるかも」

「サラさんまで!?」

「だって私も聞きたい!」

彼女は花束を胸に抱え直した。

「ねぇリアナさん」

「はい?」

「私なんかある?」

エマが吹き出す。

「便乗した!」

「だって気になるじゃん!」

リコまで顔を上げる。

「わたしも!」

「リコちゃんまで!?」

店の空気が、一気に明るくなる。

リアナだけが少し困った顔をしていた。

「皆さん……」

「私、占い師じゃないですよ?」

「分かってる分かってる」

エマは笑いながら手を振る。

「でも、なんか言いたくなるんでしょ?」

「言いたくなる……」

リアナは少し考えた。

春の風が窓から入る。

花が揺れる。

彼女は何気なく、店先の外へ目を向けた。

通り。

空。

遠くを飛ぶ鳥。

そして——。

ほんの少しだけ、表情が変わる。

すぐ消える程度の、小さな間だった。

レオンは思わず息を止める。

リアナはゆっくり視線を戻した。

「……レオンさん」

「はい」

「演習でしたら」

彼女は穏やかな声で言った。

「靴は、少し見ておいた方がいいかもしれません」

店が一瞬静かになる。

レオンが瞬きをした。

「……靴?」

リアナは頷く。

「あと」

少し考えて。

「……夜は冷えます」

サラが思わず笑う。

「そこ!?」

エマも肩を揺らす。

「もっとこう、劇的なの想像してたわぁ」

リアナは真面目だった。

「大事ですよ?」

レオンはぽかんとしていたが——

やがて、少し笑った。

「……分かりました」

その返事は、思っていたより素直だった。

ええ」

リアナが小さく頷く。

サラはまだ笑っている。

「ねぇ、それ私にも言ってよ」

「サラさんですか?」

「そう!」

「食堂の入口の花、当たったんだから!」

エマが吹き出した。

「当たったって言い方やめなさいよぉ」

「でも気になるじゃん!」

リアナは少し困ったように笑った。

窓から春の風が入る。

花が揺れる。

風鈴が、からりと鳴った。

《リリエ》の朝は、今日も賑やかだった。


「ねぇねぇ」

「私にも何かない?」

リアナが少し首を傾げる。

「何か……ですか?」

「だからさぁ」

サラは指を自分へ向ける。

「気を付ける事とか!」

エマが吹き出す。

「完全に聞きに来てるじゃない」

「だって気になるんだもん!」

「さっきまで報告だったのにねぇ」

「報告もした!」

サラは胸を張った。

「だから半分サービス!」

「何のサービスよ」

店に笑いが広がる。

レオンも口元を押さえて笑っている。

リアナだけが少し困った顔だった。

「皆さん……」

「私、本当に占い師じゃないですよ?」

「分かってるって」

サラはにこにこしながら頷く。

「でも、なんかあるでしょ?」

リアナは少し考える。

春の風が窓から入り、花棚の葉を揺らした。

彼女は何気なくサラを見る。

肩の市場籠。

少し急ぎ足だったのか、額に薄く汗。

それから——抱えている花束。

しばらく見て。

ふっと小さく笑った。

「……サラさん」

「うん?」

「今日は慌てない方がいいかもしれません」

サラがきょとんとする。

「慌てない?」

「はい」

リアナは穏やかに頷いた。

「あと……」

少し視線を上げる。

「熱いものは、気を付けてください」

沈黙。

サラが瞬きをする。

「……熱いもの?」

「ええ」

エマが吹き出した。

「食堂なんだから全部熱いじゃない!」

「あっほんとだ!」

サラが笑う。

「それ難易度高くない!?」

リアナは真面目だった。

「大事ですよ?」

「いや分かるけど!」

レオンが横で肩を揺らしている。

さっきまで自分が聞かれていた側だったせいか、少し気が楽そうだ。

エマは花桶へ水を足しながら言った。

「でもサラ、慌てると周り見えなくなるものねぇ」

「否定できない……」

「前も転びそうになってたじゃない」

「あれは床が悪い!」

「店長に怒られるわよぉ」

サラは口を尖らせる。

「……なんか皆、私への信用薄くない?」

「あるある」

エマが即答する。

「どっち!?」

その時だった。

くい、とリアナの袖が引かれる。

見れば、リコだった。

少し背伸びをしている。

「ねぇ」

「はい?」

リコは真剣な顔をしていた。

「わたしは?」

エマが思わず笑う。

「あら、リコも聞くの?」

「うん!」

「何かある?」

リコはたんぽぽの鉢を大事そうに抱えている。

その期待に満ちた顔を見て、リアナは少しだけ目を細めた。

困ったような。

でもどこか楽しそうな顔だった。

「……リコは」

春の光が、窓辺を照らす。

リアナは鉢を見て。

それから、リコを見る。

「走る時、前を見ましょう」

一瞬。

店が静かになって——。

サラが吹き出した。

「それ普段から言われてるやつ!」

「言われてない!」

「絶対言われてる!」

リコは頬を膨らませた。

「ちゃんと見てるもん!」

「この前、パン屋の前で転びそうになってたじゃない」

エマが笑う。

「あれは石!」

「石は動かないのよぉ」

店にまた笑いが広がる。

リアナも小さく肩を揺らしていた。

その時。

風鈴が、からりと鳴る。

外を通った風が、少しだけ強くなったようだった。

リコは不満そうだったが、悪い気はしていない顔だった。

リアナも小さく肩を揺らしている。

そんな賑やかな空気の中で、

レオンだけが少し考え込んでいた。

ふと。

彼の視線が店先の花へ向く。

黄色、白、薄い桃色。

朝の光の中で、花達は静かに揺れていた。

「……あの」

リアナが顔を上げる。

「はい?」

レオンは少し迷うように頭を掻いた。

「さっきの話なんですけど」

「靴ですか?」

「いや、靴も見ます」

店に小さく笑いが起きる。

レオンは少し耳を赤くしながら続けた。

「その……演習」

「何日か家を空けるので」

言いながら、視線が花へ落ちる。

「母が、こういうの好きなんです」

サラが「あっ」と声を漏らす。

エマは目を細めた。

「へぇ」

レオンは少し照れたように笑った。

「帰る頃には多分、花駄目になってるんですけど」

「行く前に置いておこうかなって」

一瞬。

店の空気が少し柔らかくなる。

サラなんか、もう顔がにやけていた。

「えっ、優しいじゃん」

「いや、そんな……」

「母の日?」

「違います!」

「恋人?」

「違います!」

エマが肩を揺らす。

「まだ何も言ってないわよぉ」

レオンは完全に押されていた。

リアナはそんなやり取りを見ながら、小さく微笑んだ。

「どんな花がお好きなんですか?」

レオンは少し考える。

「……詳しくはないんです」

「でも」

春の風が店先を抜ける。

「明るいのが好きだったと思います」

リアナは静かに頷いた。

「分かりました」

そう言って、花棚の方へ歩き出す。

レオンはその背中を見る。

エマはにやにやしている。

サラは肘で軽く彼をつついた。

「ねぇ」

「……何ですか」

「ちゃんと喜ぶといいね」

レオンは少しだけ目を逸らした。

けれど口元には、照れたような笑みが浮かんでいた。

リアナは花棚の前で足を止めた。

春の光が窓から差し込み、並んだ花を柔らかく照らしている。

彼女はすぐには手を伸ばさない。

棚を眺める。

葉の向き。

花の開き具合。

茎の張り。

いつもの静かな時間だった。

レオンはその後ろ姿を見ていた。

なんというか——。

花を選んでいるというより、話を聞いているみたいだ。

サラが小声で囁く。

「始まった」

エマが肩を揺らす。

「始まったわねぇ」

「何がですか」

レオンが聞く。

「花選び」

サラは妙に真面目な顔だった。

「リアナさん、ここからちょっと長いよ」

「聞こえてますよ」

棚の向こうから、穏やかな声が返る。

店が少し笑う。

リアナは一本の花へ手を伸ばしかけて——

やめた。

代わりに隣を見る。

また少し考える。

レオンは思わず見入っていた。

「……そんなに違うんですか?」

彼が聞く。

リアナは振り向かない。

「違いますよ」

「同じ花でも?」

「同じ花でもです」

指先が一輪の橙色の花へ触れる。

でもまだ取らない。

「人と少し似てます」

レオンが小さく瞬きをする。

エマがにやっとした。

「出たわね」

「何ですか」

「花の話してるようで人の話になるやつ」

リアナは少し困ったように笑う。

「花の話ですよ」

サラが肩を揺らす。

「でも分かるかも」

彼女は花棚を覗き込んだ。

「同じ人でも元気な日と疲れてる日あるし」

リアナが頷く。

「ええ」

「花も同じです」

レオンは黙って聞いていた。

難しい事を言ってる気もする。

でも不思議と、分からない感じはしなかった。

その時。

リアナの手が止まる。

彼女は一本の花を静かに抜いた。

やわらかな橙色。

朝の陽に透けるような色だった。

続いて白い小花を数本。

それから淡い黄色。

エマが横から覗き込む。

「あら」

「明るい組み合わせねぇ」

「はい」

リアナは花を並べる。

色が重なり、少しずつ形になっていく。

レオンは思わず聞いた。

「……何でその花なんですか?」

リアナは手を止めない。

紐を整えながら、穏やかに答える。

「お母様、明るい色がお好きなんですよね?」

「はい」

「でも」

彼女は白い花を添える。

「きっと、落ち着く色も嫌いじゃないと思います」

レオンが少し驚いた顔をする。

「……何で分かったんです?」

リアナは少し考える。

窓から入る風が花を揺らした。

「……なんとなく、です」

サラが笑いを堪えきれない。

「出た!」

エマも吹き出す。

「便利な言葉よねぇ」

「便利じゃありません」

リアナは真面目だった。

レオンはその花束を見つめる。

まだ完成していないのに、

もうどこか——家の景色に馴染みそうな気がしていた。

その時だった。

店の外から、聞き慣れない馬の足音が近付いてきた。

軽いものではない。

複数。

石畳を打つ、規則的な音だった。

エマが顔を上げる。

「……ん?」

風鈴が、からりと揺れた。


店の外から、馬の足音が近付いてくる。

軽いものではない。

複数。

石畳を打つ規則的な音だった。

エマが顔を上げる。

「……ん?」

サラもつられて外を見る。

「お客さん?」

レオンは先に反応していた。

兵士らしく、無意識に姿勢が少し変わる。

足音は《リリエ》の前を通り過ぎ——

少し先で止まった。

店の中が一瞬静かになる。

リコはたんぽぽの鉢を抱えたまま、きょろきょろしていた。

「馬だ」

「馬ねぇ」

エマは店先から通りを覗く。

向かいの仕立屋の前。

騎馬の兵士が二人。

深い青の外套。

王宮付きの伝令らしかった。

サラが小声になる。

「王宮?」

「みたいねぇ」

レオンも外を見る。

「伝令ですね」

「分かるの?」

「装備が違うので」

リアナは花束を整える手を止めなかった。

けれど窓から入る風を、静かに感じていた。

通りでは、人の流れが少しだけ変わっている。

市場帰りの人が足を止め、

仕立屋の主人が顔を出し、

誰かが小声で何かを話していた。

けれど騒ぎというほどではない。

王都では珍しくない光景なのだろう。

エマが戻ってくる。

「うちじゃないみたい」

サラがほっとしたように笑う。

「なんだぁ」

「期待してたの?」

「ちょっとだけ」

「何期待してたのよ」

「分かんないけど、なんか!」

店に小さく笑いが戻る。

リコだけはまだ外を見ていた。

「……お馬さん、かっこいい」

「そっち?」

サラが笑う。

リアナは花束へ最後の葉を添えた。

紐を整える。

橙、白、淡い黄色。

朝の光に映える、柔らかな色合いだった。

「はい」

彼女は花束をレオンへ差し出す。

レオンは少し慌てて両手を出した。

「え、あ……」

受け取った瞬間、表情が少し変わる。

近くで見ると、思っていたより温かい色だった。

派手ではない。

でも、落ち着く。

「……綺麗だ」

ぽつりと漏れた言葉だった。

エマがにやりとする。

「良かったわねぇ」

レオンは少し照れたように笑った。

「……はい」

花束を見る。

それから、少し迷うように聞いた。

「これ……母、喜びますかね」

サラがすぐ口を開く。

「喜ぶよ!」

「即答ですね」

「するって!」

エマも頷く。

「嬉しいものよ、こういうの」

レオンは花束へ目を落とす。

何か言いかけて。

少しだけ視線が揺れた。

「……実は」

彼は少し照れくさそうに笑う。

「最近、あんまり家に帰れてなくて」

店の空気が、ほんの少し静かになる。

「だから……」

花束を持ち直した。

「まあ、埋め合わせじゃないですけど」

その時だった。

リアナが、ふと顔を上げる。

窓の外。

さっきの伝令兵達が、ちょうど馬へ乗り直していた。

風が入る。

花が揺れる。

彼女は少しだけ目を細めた。

それからレオンを見る。

「……きっと」

穏やかな声だった。

「喜ばれますよ」

レオンはその言葉を聞いて、

ほんの少しだけ肩の力を抜いたようだった。


レオンはその言葉を聞いて、

ほんの少しだけ肩の力を抜いたようだった。

「……そうだといいな」

花束を見つめる横顔は、さっきより少し柔らかい。

サラが腕を組む。

「絶対喜ぶって」

「そうですかね」

「そうだよ」

彼女は自分の花束を軽く揺らした。

「こういうのってさ」

少し考える。

「……覚えてるんだよね」

レオンが顔を上げる。

サラは少し照れたように笑った。

「もらった方って」

店が少し静かになる。

エマは何も言わず、花の葉を整えていた。

リアナも穏やかに聞いている。

サラは肩を竦めた。

「別に高いとかじゃなくてさ」

「覚えててくれたんだ、とか」

「考えてくれたんだ、とか」

「そういう方」

レオンは花束を見る。

橙と白。

柔らかな黄色。

言葉にはしなかったが、少しだけ納得した顔だった。

エマがふっと笑う。

「今日は皆いい事言うわねぇ」

「私、たまに良い事言うよ?」

「たまにねぇ」

「そこ強調しなくてよくない!?」

店にまた笑いが戻る。

その時。

外から、再び馬の足音が聞こえた。

さっきより近い。

石畳を踏む音。

そして——止まる。

今度は、《リリエ》の前だった。

店の空気が少し静かになる。

エマが顔を上げる。

サラもつられて外を見る。

レオンは無意識に背筋を伸ばしていた。

風鈴が、からりと鳴る。

店先へ影が落ちる。

扉の向こう。

王宮付きの伝令兵が一人、馬上からこちらを見ていた。

若い兵だった。

青い外套。

胸元の紋章が陽を受けている。

エマが目を瞬かせる。

「……あら?」

兵士は店先を一度見回し——

やがて視線をレオンへ向けた。

「あ」

レオンが小さく声を漏らす。

知り合いらしい。

伝令兵は馬から降りると、少し急ぎ足で近付いてきた。

「レオン!」

「ユリウス?」

レオンが驚く。

ユリウスと呼ばれた兵士は息を整えながら言った。

「探したぞ」

「え、何かあったのか?」

その声色に、さっきまでの和やかさが少しだけ薄れる。

けれどユリウスはすぐ店の中へ気付いた。

リアナ。

エマ。

サラ。

リコ。

そして花束を抱えたレオン。

一瞬だけ、少し気まずそうな顔になる。

「あ……悪い」

「取り込み中だったか?」

エマが先に笑った。

「いいのよぉ」

「花屋だもの」

ユリウスは軽く頭を下げる。

礼儀のある青年だった。

「すみません」

それからレオンへ向き直る。

少し声を落とした。

「隊長からだ」

「演習予定、前倒しになった」

レオンが目を瞬く。

「……前倒し?」

「明後日発つ予定だったろ」

ユリウスは頷く。

「明日の朝だ」

店の空気が、少しだけ静かになった。

レオンは花束を見る。

それから、外の馬を見る。

何かを考えるような顔だった。

春の風が店先を通り抜ける。

リアナはその風を静かに感じていた。


春の風が店先を通り抜ける。

リアナはその風を静かに感じていた。

「……明日の朝?」

レオンが聞き返す。

ユリウスは頷く。

「急だよな」

「俺もさっき聞いた」

彼は少し肩を竦めた。

「北西側の演習地だ」

「予定が変わったらしい」

レオンは花束を抱え直す。

驚いてはいる。

けれど兵士らしく、もう頭は切り替わり始めている顔だった。

「理由は?」

ユリウスは周りを少し見た。

花屋。

女店主。

子ども。

それから小さく声を落とす。

「詳しくは聞いてない」

「ただ……」

少し言い淀む。

「王宮が少し騒がしい」

その言葉に、サラが思わず目を丸くした。

「騒がしい?」

「噂程度だよ」

ユリウスは苦笑する。

「伝令増えてるし」

「朝から出入りも多い」

エマが腕を組む。

「珍しいの?」

「まあ……少し」

レオンも頷いた。

どうやら兵士達の間でも、まだ話が見えていないらしい。

リコだけは話より馬が気になっていた。

店先から身を乗り出している。

「お馬さん、白い」

ユリウスがようやく笑った。

「ああ」

「見たいか?」

「いいの!?」

「こらこら」

エマが苦笑する。

「勝手に近付いちゃ駄目よぉ」

「大丈夫です」

ユリウスは穏やかな青年だった。

「噛まないですよ」

「噛まないって言う人ほど——」

サラが言いかけた時。

リアナが、ふと口を開いた。

「……リコ」

穏やかな声だった。

リコが振り返る。

「なぁに?」

リアナは店先の外を見ていた。

馬。

石畳。

風。

そして、白馬の耳の動き。

「前からは行かない方がいいかもしれません」

店が少し静かになる。

ユリウスが瞬きをした。

「え?」

リアナはいつもの調子だった。

「少し落ち着かないみたいなので」

ユリウスは反射的に馬を見る。

白馬は大人しく見えた。

けれど。

耳が少し後ろへ向いている。

前脚も、落ち着かないように小さく動いていた。

彼の顔が変わる。

「あ……」

一歩、店先へ出る。

手綱を軽く撫でた。

「……すみません」

ユリウスは少し驚いた顔だった。

「気付かなかった」

エマが「へぇ」と目を細める。

サラは面白そうにリアナを見る。

「また出た」

「出てません」

リアナは真面目だった。

リコは素直に頷く。

「うしろから!」

「ええ」

ユリウスは白馬を落ち着かせながら、リアナへ視線を向ける。

どこか不思議そうな顔だった。

「……馬、分かるんですか?」

リアナは少し考える。

春の風が髪を揺らした。

「分かるというほどでは」

「ただ」

彼女は小さく微笑む。

「今日は少し、風が落ち着かないので」

ユリウスは一瞬黙った。

理解は出来ない。

けれど——。

さっきの耳の動きは、確かだった。

レオンが横で苦笑する。

「……だから言ったでしょ」

「時々こうなんだ」

「いや、あんたも分かってない顔してるわよ」

「分かってない」

即答だった。

店に小さな笑いが戻る。

けれどユリウスはまだ、リアナを少し見ていた。


レオンは少し照れたように笑った。

「そういうものですか」

「そういうもの」

エマは迷いがなかった。

花屋を長くやっている人間の声だった。

レオンは花束を見る。

少し考えて。

それから、小さく頷いた。

「……じゃあ今日、帰ります」

サラが嬉しそうに笑う。

「絶対その方がいい!」

「なんか皆、母親みたいですね」

「誰がよ!」

店にまた笑いが広がる。

ユリウスも白馬の手綱を持ちながら苦笑していた。

「悪いな、急がせて」

「いや」

レオンは首を振る。

「助かった」

花束を抱え直す。

その時、リコがそっと袖を引いた。

「ねぇ」

「ん?」

「お馬さん、さわっていい?」

リコが期待いっぱいの顔で聞く。

ユリウスが笑った。

「後ろからなら」

「やった!」

「走らない!」

エマがすぐ声を上げる。

「走らなーい!」

「今ちょっと走ったわよねぇ?」

「走ってない!」

店に笑いが広がる。

リコはたんぽぽの鉢をリアナへ預けると、白馬の方へ小走り——になりかけて、

はっと止まった。

それから真面目な顔で歩き始める。

サラが吹き出した。

「見てる見てる」

「前見てるもん!」

「えらいえらい」

ユリウスは馬の首を軽く撫でていた。

「ほら」

白馬はさっきより落ち着いている。

大きな黒い目が、リコをじっと見ていた。

リコは少しだけ緊張した顔になる。

「……おっきい」

「近くで見るとね」

サラも後ろから覗き込む。

「私ちょっと怖いかも」

「さっきまで強気だったのに?」

「見るのと近いのは違うの!」

リコはそっと手を伸ばした。

小さな指先が、馬の首筋へ触れる。

白馬は少し鼻を鳴らしただけだった。

「……わぁ」

その声は小さかった。

驚きと嬉しさが混ざっている。

ユリウスが笑う。

「大丈夫だろ?」

リコは何度も頷いた。

「やわらかい……」

「毛だからな」

「毛……」

なぜか真剣に納得している。

その様子を、レオンが花束を抱えながら見ていた。

さっきまで急な予定変更に頭を切り替えていた顔が、少し緩んでいる。

エマがその横を見る。

「……帰るんでしょ?」

「はい」

「実家、遠いの?」

「半日くらいです」

「じゃあ急がないとねぇ」

レオンは頷いた。

「昼までには出ようかと」

花束へ目を落とす。

それから、少しだけ言いづらそうに聞いた。

「……これ、水どうしたらいいです?」

エマが吹き出した。

「そこから!?」

レオンが少し慌てる。

「いや、花って詳しくなくて……!」

「いいのよいいのよ」

エマは笑いながら手を振った。

「そういう人いっぱい居るんだから」

リアナが近付いてくる。

手には小さな紙があった。

「これ」

レオンが受け取る。

「水替えと置き場所です」

丁寧な字だった。

陽の当たり過ぎない場所。

水は毎日。

少し切り戻す事。

簡単な言葉でまとめられている。

レオンは少し目を丸くした。

「……書いてくれたんですか」

「念のため」

リアナは穏やかに言う。

「お母様が長く楽しめるように」

レオンは紙を見る。

花束を見る。

そして、少し照れたように笑った。

「……ほんと、いい店ですね」

エマがすぐ乗る。

「でしょう?」

「エマさんの店みたいな顔しないでよ!」

サラが笑う。

「店じゃないの?」

「店だけど!」

《リリエ》にまた笑い声が広がる。

その時だった。

ユリウスが白馬の手綱を整えながら、ふとリアナを見る。

少し迷うような顔だった。

「……あのさ」

リアナが顔を上げる。

「はい?」

ユリウスは少し笑う。


「……俺も聞いていい?」

リアナが顔を上げる。

「はい?」

サラが即反応した。

「ほら来た!」

エマが肩を揺らす。

「始まったわねぇ」

ユリウスは苦笑する。

「いやいや」

「そういうんじゃなくてさ」

彼は白馬の首を軽く撫でた。

さっきより表情は柔らかい。

レオンより少し年上だろうか。

肩の力が抜けていて、人と話すのにも慣れている感じだった。

「さっき」

彼は馬を見る。

「こいつ、落ち着いてないって言っただろ?」

リアナが頷く。

「ええ」

「……あれ、何で分かった?」

店が少し静かになる。

サラは興味津々の顔だ。

リコはまだ馬を撫でながら耳だけ聞いている。

リアナは少し考えた。

いつものように。

すぐ答えない。

風が通る。

店先の花が揺れた。

「……耳ですね」

「耳?」

ユリウスが聞き返す。

リアナは白馬を見る。

「少し後ろを気にしていました」

「あと」

彼女は小さく微笑んだ。

「前脚も」

ユリウスは思わず馬を見る。

耳。

前脚。

確かに——。

さっきは少し落ち着きがなかった。

彼が気付かなかっただけで。

「……へぇ」

感心したような声だった。

「馬好きなのか?」

リアナは首を横に振る。

「好きですよ」

「でも詳しい訳では」

エマが横から口を挟む。

「この子、鳥でも花でも風でもそんな感じなのよぉ」

「全部ふわっとしてる!」

サラが笑う。

「ふわっとって何ですか」

リアナは少し困ったように言う。

ユリウスはくすっと笑った。

「いやでも」

白馬の手綱を整えながら続ける。

「助かったのは本当」

彼は少し考えるように空を見る。

「俺、馬は長いんだけどさ」

「慣れてくると逆に見なくなる時あるんだよな」

レオンが頷いた。

「あー……分かる」

「だろ?」

ユリウスは苦笑する。

「だからありがと」

リアナは小さく首を振った。

「お役に立てたなら」

少し間があった。

ユリウスは手綱を持ったまま、ふと笑う。

「……でも」

「聞きたいの、それだけじゃないんだよな」

サラが即座に身を乗り出した。

「やっぱり!」

エマが吹き出す。

「まだあるのぉ?」

ユリウスは少し照れたように笑った。

「いや……」

「俺ら、演習って言っても半分野営みたいなもんでさ」

リアナが静かに聞いている。

ユリウスは少し肩を竦めた。

「だからまあ」

「……靴以外に、なんかある?」

店が一瞬静かになって——

サラが膝を叩いて笑った。

「結局聞くんじゃん!」

ユリウスも笑った。

「ちょっと気になるだろ、こうなると!」

レオンは苦笑していた。

どうやら仲間が増えたらしい。

そしてリアナは。

少しだけ困った顔で、皆を見ていた。


そしてリアナは。

少しだけ困った顔で、皆を見ていた。

「皆さん……」

穏やかな声だった。

「私、本当に占い師じゃないですよ?」

「分かってる分かってる」

サラが笑う。

「でも気になるの!」

エマも頷いている。

「人間そういうものよぉ」

ユリウスは苦笑した。

「まあ……半分雑談な」

レオンが横で肩を竦める。

「俺も最初そう言った」

「最初?」

「今は靴見る」

店に笑いが広がる。

リアナは小さく息をついた。

困っているようにも見える。

でも本気で嫌がっている顔ではなかった。

彼女は少し考える。

窓から入る風。

白馬の鼻息。

通りを歩く人影。

そしてユリウスを見る。

明るい人だ。

けれど、どこか落ち着き過ぎている。

気遣うのに慣れている人の顔だった。

リアナは静かに口を開く。

「……ユリウスさん」

「はい」

「演習でしたら」

彼女は少し考えた。

「寝る前、火はちゃんと消した方がいいと思います」

一瞬。

店が静かになる。

ユリウスが瞬きをした。

「……火?」

「ええ」

リアナは頷く。

「あと」

少し視線を上げる。

「無理に見張りを代わらない方が」

サラが小さく吹き出した。

「地味!」

エマが肩を揺らす。

「でも妙に具体的ねぇ」

ユリウスは腕を組んだ。

「火……」

レオンが横から言う。

「お前、前もやってただろ」

「え?」

「焚火」

ユリウスが「あ」と声を漏らす。

サラがすぐ反応した。

「何したの!?」

「いや……」

ユリウスは少し気まずそうに笑った。

「前の演習でさ」

「消したつもりだったんだけど」

レオンが即座に言う。

「残ってた」

「残ってた……」

エマが吹き出す。

「危ないじゃないの!」

「いや小さかったんだって!」

「小さければいい問題じゃない!」

店が一気に賑やかになる。

ユリウスは苦笑しながら頭を掻いた。

「だから火は分かる」

「でも見張りは何だ?」

リアナは少し考えた。

風が窓を揺らす。

花が揺れた。

「……眠そうだったので」

沈黙。

ユリウスが瞬きをする。

「……俺?」

「ええ」

サラが吹き出した。

「そこ!?」

レオンがもう笑っている。

「当たってる」

「お前どっちの味方だよ」

「眠そうなのは本当だろ」

ユリウスは反論しようとして——

少し止まった。

そして観念したように笑う。

「……昨日、夜勤だった」

サラが膝を叩く。

「ほんとだ!」

エマが肩を揺らした。

「ちゃんと寝なさいよぉ」

ユリウスは苦笑する。

「努力します」

リアナは穏やかに頷いた。

「それがいいと思います」

白馬が小さく鼻を鳴らす。

その音に、店の空気がまた柔らかくほどけていった。







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