第二十七話 最初の一滴
王国で春灯祭が行われる日の朝。
カルドラ山麓。
本実験場の外では,
夜から続く雨が、激しく地面を叩いていた。
山の斜面を流れ落ちた雨水が。
施設を囲む排水路へ、濁流となって流れ込んでいる。
時折。
低く垂れ込めた雲の中が白く光った。
遅れて響く雷鳴が、地上の建物だけでなく。
地下へ造られた実験区画の壁まで、僅かに震わせた。
だが、外の天候がどれほど悪化していても。
本実験場の準備は止まらなかった。
◇
五人は。
起床を告げる鐘が鳴るよりも前に、目を覚ましていた。
正確には、夜中の同じ夢から目覚めてから。
眠り直せた者は、ほとんどいなかった。
寝台から起き上がり。
川。
二つの湖。
火山。
白い衣の人物。
空を飛ぶ巨大な影。
そして。
川の流れから、何かを受け取る器。
互いが見たものを確かめた後。
五人はもう一度、身体を横にした。
だが、目を閉じても。
夢の中で聞いた川の音が、耳の奥から消えなかった。
「起床時刻です」
扉の外から声が掛かる。
廊下で待機していた兵士が。
鍵を開けた。
部屋へ入ってきたのは。
昨日とは別の軍医と、二人の技術兵だった。
「これより身体検査を行います」
軍医が告げる。
「昨夜、体調に異常があった者は申告してください」
五人は、すぐには答えなかった。
どこまで話すのか。
夜のうちに決めた通り。
アイラが代表して口を開く。
「五人全員が、夜中に目を覚ました」
軍医が記録板へ視線を落とす。
「原因は」
「夢を見た」
「悪夢ですか?」
「そう呼ぶべきかは分からない」
アイラは答えた。
「だが、五人とも似た内容の夢を見て、ほぼ同時に目を覚ました」
記録していた技術兵の手が止まった。
軍医も顔を上げる。
「五名全員が、同じ夢を見たということですか?」
「全く同じではない。重なっている部分が多かった」
「具体的な内容は」
「体調の検査に必要なのか」
アイラが聞き返す。
軍医は少し言葉に詰まった。
代わりに。
技術兵が一歩前へ出る。
「昨日確認された、第六反応との関連を調べるためです」
レナが寝台の端へ腰掛けたまま、顔をしかめる。
「夢まで実験記録にするつもり?」
「赤晶石を装着した状態で起きたことです。無関係とは断定出来ません」
「便利ね」
レナは言った。
「何が起きても、指輪と実験に結び付けられる」
技術兵は答えなかった。
ソフィアが、自分の指輪へ触れる。
「目を覚ました時、指輪が少し温かくなっていました」
軍医が反応する。
「現在は」
「今は、殆ど感じません」
「痛みはありましたか」
「ありません」
カティアが続ける。
「私も同じです。起床時には僅かに熱を感じましたが、現在は平常に戻っています」
ミリアも頷いた。
「私も」
レナは自分の左手を見る。
「同じ」
最後に、アイラも短く答える。
「私もだ」
軍医は五人の脈拍と体温を順に調べた。
目の反応。
指先の感覚。
赤晶石に触れた周囲の皮膚。
どれにも、目立った異常は見つからなかった。
「共通する夢の内容については、後ほど改めて聞き取りを行います」
技術兵が言った。
アイラは答えなかった。
話さないとは言わない。
だが、全てを話すとも言わなかった。
◇
同じ頃。
管制室では。
昨日の試験記録が、壁一面に並べられていた。
五つの波形。
アイラ。
レナ。
カティア。
ミリア。
ソフィア。
それぞれの赤晶石が示した反応は。
接続を切った後、予定通りに低下している。
問題は、その五つの間に現れた、もう一つの波形だった。
「赤晶石単体では再現しませんでした」
技術主任が報告する。
「五名の指輪を個別に測定しましたが、第六反応は確認されていません」
オスカー・グラウ大佐は、記録盤を見たまま尋ねる。
「中心青晶石からの反射は」
「除外出来ます。青晶石側の反応よりも早く、第六波形が生じています」
「外部の赤晶石が混入した可能性は」
「施設内にある赤晶石は、全て照合しました。該当する波形はありません」
「ならば、五人を同時に接続した時だけ現れる反応か」
「現時点では、その可能性が最も高いと考えられます」
技術主任の答えに。
アルト・ヴェルナー大佐が口を開く。
「原因は不明のままだ」
「少なくとも、装置の故障ではない」
グラウが言った。
「故障でないから安全とは限らない」
アルトは、六つ目の波形を見た。
昨日。
その反応が強まった時。
胸の奥に感じた熱。
今は消えている。
身体検査でも異常は出なかった。
だからこそ、誰にも言うことが出来なかった。
ただの疲労だった可能性もある。
施設の空気が悪かっただけかもしれない。
そう考えようとするほど。
あの熱が、第六反応と同時に生じたことが引っ掛かった。
「五人の身体状態は」
グラウが尋ねる。
別の記録係が答える。
「現在、軍医が確認中です。起床時、五名全員が同時刻に目を覚ましたとの報告があります」
「あと、似た内容の夢を見た、と」
管制室の者達が。
一斉に記録係を見る。
グラウの眉が僅かに動いた。
「五人全員が同じ夢を見たのか」
「全く同じではないようです。共通する内容があったとだけ」
「詳細を聞き取れ」
アルトが、グラウへ目を向ける。
「待て」
「何だ」
「五人は殆ど眠れていない。第六反応も解明されていない。この状態で今日の試験を行うつもりか」
グラウは記録盤から目を離さなかった。
「身体検査で異常がなければ行う」
「昨日と同じ基礎接続試験ではない」
アルトの声が低くなる。
「今日は、実際に星の力を流す予定だ」
「だからこそ、予定通りに進める必要がある」
「理由になっていない」
「第六反応が、採掘時にも現れるか確認する必要がある。接続だけで生じた反応なのか、星の力の流入によって変化するのか。それを確かめなければ、原因の切り分けも出来ない」
グラウが振り向く。
「君も分かっているはずだ」
「分かっている」
アルトは答えた。
「だから、先に止めるべきだと言っている」
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
技術兵達は口を挟まない。
グラウは再び、並べられた波形を見る。
「本日の第一試験は、最低出力で行う」
「オスカー」
「採掘口を開くのは、数えるほどの時間だけだ。中心青晶石へ流入を確認した時点で遮断する」
「その最低出力が、正しい保証はない」
「昨日までの試験では、制御装置に異常は出ていない」
「昨日は、実際に力を流していない」
アルトは一歩近付いた。
「計算が合っていることと、現実に制御出来ることは違う」
グラウは答えなかった。
その時。
軍医からの検査結果が届いた。
五名とも、脈拍に僅かな上昇はある、睡眠不足も認められる。
だが、試験を中止するほどの身体異常はない。
グラウは報告書を閉じた。
「予定通り行う」
アルトの表情が硬くなる。
「異常が出た時は、すぐに止めろ」
「当然だ」
「数値だけを見るな。五人の言葉を聞け」
「君に言われるまでもない」
グラウは短く答えた。
◇
朝食の後。
五人は、再び接続室へ連れていかれた。
昨日と同じ部屋。
同じ五つの立ち位置。
中央には、人の背丈ほどもある青晶石が置かれている。
昨日と違うのは、青晶石から部屋の奥へ伸びる管の一部に。
新しい計測器が取り付けられていることだった。
壁際にも、昨日にはなかった技術兵が何人も立っている。
アイラは中央の青晶石を見た。
「今日は何をする」
管制窓の向こうにいたグラウが答える。
「第一次採掘試験を行う」
ミリアが、僅かに身を強張らせる。
昨日までは、接続を確認するだけだと言われていた。
今日は違う。
実際に、星の力を地下から引き出す。
「採掘量は、最低制御値に固定する」
グラウは続けた。
「地下の採掘系統を短時間だけ開き、五名の赤晶石を経由させる。中心青晶石への流入が確認された時点で遮断する」
カティアが尋ねる。
「短時間とは、具体的にどれくらいですか」
「最大で十数える間だ」
「中心青晶石への流入が、それ以前に確認された場合は」
「その時点で遮断する」
アイラが口を開く。
「停止条件は」
グラウの視線が、管制窓越しにアイラへ向く。
「五名の身体負荷が規定値を超えた場合。同期率に大きな乱れが生じた場合。赤晶石、中心青晶石、採掘系統のいずれかに異常が確認された場合だ」
「第六反応が出た場合は」
カティアが尋ねた。
管制室が僅かに静かになる。
「反応が出ただけでは停止しない」
グラウは答えた。
レナが眉を寄せる。
「昨日は、それで試験を止めたでしょう」
「昨日は基礎接続試験だった。今日は、第六反応が実際の採掘へ影響するかも確認する」
「都合よく試験項目を増やすのね」
レナの言葉に。
グラウは反応しなかった。
代わりに。
管制室の別の場所から、アルトの声が流れる。
「僅かでも異常を感じたら申告しろ」
五人が管制窓を見る。
アルトは、グラウから少し離れた場所に立っていた。
「痛みだけではない。熱、寒さ、息苦しさ、眩暈。昨日と違う感覚があれば、全てだ」
アイラが、アルトを見る。
「申告すれば止めるのか」
アルトはすぐには答えなかった。
決定権を持っているのは自分ではない。
「止めるよう、私が判断する」
アルトは言った。
それが今の彼に言える限界だった。
アイラは短く頷く。
「分かった」
五人は。
それぞれの位置へ立った。
アイラが前。
レナが右。
カティアが左。
ミリアが後方右。
ソフィアが後方左。
赤晶石の指輪を嵌めた左手を。
中央の青晶石へ向ける。
足元の線が、一人ずつ、淡い赤色を帯びていった。
「基礎接続開始」
管制室から声が響く。
指輪が温かくなる。
アイラは目を閉じなかった。
中央の青晶石を見ながら。
昨夜話し合ったことを思い出す。
掘るのではない。
削るのでもない。
既に流れているものへ。
器を差し出す。
「同期率、上昇」
記録係の声が響く。
レナの苛立ち。
カティアの警戒。
ミリアの恐怖。
ソフィアの祈るような落ち着き。
昨日よりも、それぞれの感情が近く感じられた。
だが、昨日のように、互いへ押し寄せてはこない。
五人は、同じものを思い浮かべていた。
暗い川。
二つの湖。
その間から流れ出す、細い水の流れ。
「同期率、昨日の安定値を超えました」
技術兵が報告する。
グラウが記録盤を見る。
五つの波形は、昨日よりも綺麗に重なっていた。
「何をした?」
グラウが尋ねる。
五人は答えない。
言葉にしなくても。
今は互いに分かっていた。
汲み上げようとしない。
無理に引こうとしない。
ただ、流れの中へ、器を置く。
ミリアが、ほんの少しだけ、左手を握る。
頭に浮かんだのは。
夢の中にあった器ではなく。
帝都の店で見た、取っ手の付いた大きな容器だった。
またバケツ。
レナの呆れたような感覚が伝わってくる。
それでも、五人の緊張が、僅かに緩んだ。
「同期、安定」
記録係が続ける。
「赤晶石五基、異常なし」
グラウは、採掘系統の責任者を見る。
「最低制御値まで開け」
「採掘系統、開放準備」
技術兵達が。
一斉に操作盤へ手を伸ばす。
部屋の奥で。
重い金属が動く音がした。
青晶石から伸びる太い管が。
内側から押されたように、小さく震える。
「最低制御値、固定」
「採掘口を開放します」
アイラは息を整えた。
「来る」
誰に告げた言葉なのか。
自分でも分からなかった。
次の瞬間。
足元の遥か下で。
何かが動いた。
音ではない。
揺れでもない。
けれど、五人全員が、同時にそれを感じた。
夢の中にあった川が。
現実の地面の下にも存在している。
暗く。
深く。
触れられないほど大きな流れ。
その表面へ。
五つの赤晶石が繋がった。
冷たい感覚が、指輪から腕へ入ってくる。
その直後。
冷たさとは反対の熱が。
胸の奥から指先へ向かって広がった。
ミリアが息を呑む。
ソフィアの呼吸が僅かに乱れる。
レナは歯を食いしばり。
カティアは感覚を見失わないよう、中央の青晶石を見つめた。
アイラは、五人の間にある流れを押さえようとした。
「身体負荷、上昇」
「規定範囲内です」
「同期率、維持」
管制室に報告が飛び交う。
そして、五つの波形の間に薄い六つ目の線が現れた。
「第六反応、確認」
記録盤に現れた第六反応は。
昨日よりも明確だった。
五人の波形に混ざるのではない。
そのすぐ外側を、同じ方向へ流れている。
「第六反応、上昇しています」
「五名への干渉は」
グラウが問う。
「ありません。同期率は安定したままです」
「採掘を継続」
アルトがグラウを見る。
「時間を延ばすな」
「まだ、三つも数えていない」
グラウが答えた。
接続室では。
五人が同じ流れを感じていた。
自分達が引き上げているのではない。
器を置いた場所へ、流れの方から入り込んでくる。
始めは、本当に一滴だけだった。
冷たいものが、赤晶石を通り抜け。
五人の間を巡り、中央の青晶石へ触れた。
青晶石の奥に。
針先ほどの光が灯る。
「中心青晶石への流入を確認!」
技術兵が声を上げた。
「星の力です!」
管制室の空気が変わる。
誰かが息を呑んだ。
記録係の手が止まりかけ。
慌てて数値を書き写す。
人の手によって、星の力が地下から引き出された。
帝国が長い時間を掛け、多くの人間を使い。
ようやく辿り着いた瞬間だった。
「採掘成功」
技術主任が言った。
その言葉と同時に、中央の青晶石が青く光った。
針先ほどだった光が瞬く間に、石の内部へ広がっていく。
「流入量、上昇!」
記録係の声が裏返る。
「最低制御値を維持しています!」
「採掘量を確認しろ!」
グラウが命じる。
「採掘量は予定範囲内です! ですが、蓄積反応が想定値を超えています!」
「どれほどだ」
「算出中!」
青晶石の光が強くなる。
部屋の壁が青く照らされ。
五人の影が、床へ伸びた。
カティアが目を見開く。
流れ込んでいる量は多くない。
夢の川に例えるなら。
器の底を濡らすほどの水しか入っていない。
それなのに、その一滴が持つ力は。
五人が想像していたものとは、比べものにならなかった。
「遮断しろ!」
アルトが叫ぶ。
ほぼ同時に、グラウも命じた。
「採掘口を閉じろ!」
技術兵が制御器を戻す。
部屋の奥から重い金属音が響いた。
採掘系統が閉じる。
だが、青晶石への流入は、すぐには止まらなかった。
「流入継続!」
「採掘口は閉鎖しています!」
「緊急遮断弁!」
「閉じています!」
数えるほどの間。
青晶石の内部へ、青い光が流れ続けた。
やがて、細い流れが途切れる。
五人の指輪から、急速に熱が引いていく。
「流入停止!」
「中心青晶石、蓄積状態を維持!」
「五名の同期値、低下!」
接続室の足元から。
赤い光が消えていく。
アイラは大きく息を吐いた。
レナが僅かに膝を曲げる。
隣にいた技術兵が動きかけたが。
レナは片手を上げて制した。
「立てる」
カティアは。
青く光り続ける中央の青晶石から目を離せなかった。
ミリアが、掠れた声で言う。
「今のが……採取?」
ソフィアも青晶石を見る。
「ほんの少しだけだったはずです」
夢の中では。
器へ入ったのは一滴だけだった。
だが、現実の青晶石は、その一滴を受けただけで。
昨日までとは全く違う光を宿している。
レナが、自分の指輪へ視線を落とす。
「一滴で、これなの」
◇
管制室では、技術兵達が記録の確認に追われていた。
採掘口を開いていた時間。
最低制御値。
五人の身体負荷。
赤晶石の反応。
中心青晶石へ蓄積された量。
第六反応の変化。
どの記録を見ても。
採掘そのものは成功していた。
地下から引き出した量は僅かだった。
本格採掘で予定されている量と比べれば。
試料と呼べる程度に過ぎない。
だが、その僅かな量が示した反応は。
計画段階の予測を、大きく超えていた。
「計算をやり直せ」
グラウが命じる。
「三度確認しました」
技術主任が答える。
「計測器の故障ではありません。中心青晶石に蓄積された星の力は、採掘量から予測されていた値を遥かに上回っています」
「どの程度だ」
技術主任は、手元の記録を見た。
すぐには口に出来なかった。
「本格採掘の第一段階で想定していた出力に、既に達しています」
管制室が静まり返る。
グラウは、青く光る中心青晶石を見た。
最低制御値。
数えるほどの時間。
実際に汲み上げられたのは。
全体から見れば、僅かな量だけだった。
それでも、本格採掘のために設定していた第一段階と。
同等の力が蓄積されている。
グラウの顔から、初めて明確な余裕が消えた。
「これほどとは……」
小さな声だった。
アルトにも聞こえていた。
アルトは、驚きより先に、別の記録を見ている。
採掘口を閉じた後も、流入が続いた時間。
第六反応が、採掘中だけ大きく上昇していたこと。
そして、五人の身体負荷が、遮断直前に急激に増えていたこと。
「今日の試験は、ここまでだ」
アルトが言った。
グラウは答えない。
「五人を検査する。採掘装置を全て再点検。採掘量と蓄積反応が一致しない原因を調べる。第六反応についてもだ」
「採掘には成功した」
グラウが言った。
「成功したからこそ止める」
アルトは、青晶石を指した。
「我々は、あれがどれほどの力を持っているのか、何も理解していなかった」
「今、理解するための数値を得た」
「違う」
アルトの声が強くなる。
「得たのは、これまでの予測が間違っていたという証拠だ」
グラウがアルトを見る。
「最低出力で、予定していた第一段階の値に達した。遮断してからも流入は続いた。制御出来たのではない。今回は、流れが止まってくれただけだ」
「緊急遮断は機能した」
「止まるまでに時間が掛かった」
「許容範囲内だ」
「今日の量ならな」
アルトは記録盤を叩いた。
「本格採掘で同じ遅れが出たら、中心青晶石が耐えられる保証はない。五人が耐えられる保証もない」
管制室の技術兵達は。
二人の大佐を見ていた。
グラウは、再び中心青晶石へ視線を戻す。
青い光。
帝国が求め続けた力。
計画が正しかったことを示す。
初めての成果。
それは、危険を示すものでもあった。
だが同時に。
これを手放せば、二度と同じ条件を作れない可能性もある。
「中央からの命令は変わっていない」
グラウが言った。
「小規模採掘の成功を確認後、本格採掘へ移行する」
「この結果を中央へ送れ」
「送る」
「返答を待て」
「それでは遅い」
アルトの目が細くなる。
「何に遅れる」
グラウは答えなかった。
外では雨が続いている。
山麓の状態は悪化し。
施設へ続く道の一部では、既に土砂が流れ始めていた。
本実験場が、明日も同じ状態で使える保証はない。
五人の同期も。
第六反応も。
次に同じ形で現れるとは限らない。
成功した今。
進める。
それが。
中央から、この場所を任されたグラウの判断だった。
「五人を検査する」
グラウは言った。
「装置も点検させる。数値の再計算も行う」
アルトは黙って聞いている。
「異常がなければ、予定通り本格採掘へ移る」
「オスカー」
「最大出力では行わない。段階的に引き上げる」
「最低出力で、この結果だ」
「だからこそ、実際の数値を基準に修正する」
アルトは青晶石を見た。
僅かな量しか入っていない。
それでも、石の奥には、目を離すことが出来ないほど強い青い光が宿っている。
「五人を殺す気か」
アルトが言った。
グラウの表情が変わる。
「そのつもりはない」
「つもりの話ではない」
「私も、彼女達を失えば計画が成立しないことは理解している」
「計画が成立するかを聞いているんじゃない」
アルトの声が低くなる。
「五人を生きて帰す気があるのかと聞いている」
グラウは、すぐには答えなかった。
管制室に低い雷鳴が届く。
地下の壁が、ごく僅かに震えた。
「本格採掘は、夕刻から開始する」
グラウは告げた。
「それまでに、全系統を再調整する。五人の身体検査を実施。異常があれば延期する」
「異常が数値に出なければ進めるのか」
「そうだ」
アルトは拳を握った。
だが、この場所で決定権を持っているのは。
グラウだった。
「本格採掘準備」
グラウの命令が、管制室へ響く。
「採掘量は、先ほどの実測値を基準に再設定。中心青晶石の蓄積上限を再計算。赤晶石五基の負荷を確認しろ」
技術兵達が、一斉に動き始めた。
青晶石の光を見上げ、成果を口にする者。
記録を抱え、数値を確認する者。
次の試験へ向け、装置の調整を始める者。
誰もが、人の手で星の力を得たことに、興奮していた。
その中でアルトだけが。
採掘を終えた後も残っている、第六反応の波形を見ていた。
その線は、五人との接続が切れた後。
ゆっくりと薄くなっている。
外では、朝から降り続いていた雨が、少しずつ、弱まり始めていた。
◇
小規模採掘を終えた五人は、再び、同じ待機室へ戻されていた。
軍医による検査は、一人ずつ、念入りに行われた。
脈拍。
体温。
視覚。
聴覚。
指先の感覚。
赤晶石を嵌めていた左手だけでなく。
腕。
肩。
胸元まで調べられた。
結果は五人とも、目立った異常なし。
僅かな疲労と、睡眠不足。
採掘中に脈拍が上昇していた以外には。
試験を中止する理由になるような数値は出なかった。
「本当に、どこも痛くないの?」
軍医達が退室した後。
ミリアが、自分の左手を握りながら尋ねる。
「私は、少し指先が変な感じする。痛くはないけど」
「私もです」
ソフィアが答える。
「まだ冷たいものが残っているような感覚があります」
カティアも、自分の指先を何度か曲げた。
「感覚そのものに異常はありません。ただ、採掘を止めた時の冷たさを、身体が覚えているような感じはあります」
「それを軍医に言った?」
レナが尋ねる。
「言いました」
「何て?」
「感覚検査では正常だと」
「そうでしょうね」
レナは壁へ背を預けた。
「数値に出なければ、異常なし。便利な検査だわ」
アイラは、部屋の中央に置かれた水差しを見ていた。
表面は静かだった。
夢の川とも、地下で感じた巨大な流れとも違う。
ただの水。
手を伸ばせば、誰でも汲むことが出来る。
「採掘は成功した」
アイラが言った。
ミリアが顔を上げる。
「やっぱり、成功なんだよね」
「管制室の者が、そう言っていた」
「成功したようには思えないけど」
レナが言う。
「最後、止まらなかったじゃない」
カティアが頷く。
「採掘口を閉じた後も、流入が続いていました」
「どれくらい?」
「正確には分かりません。数えるほどの時間です」
「短いじゃない」
ミリアが言う。
「今日の量なら、です」
カティアは答えた。
「より多くの力が流れている状態で、同じだけ遮断が遅れたらどうなるかは分かりません」
部屋が静かになる。
五人は、中央の青晶石が放っていた光を思い出していた。
器へ入ったのは、一滴だけだった。
少なくとも五人には、そのように感じられた。
だが、その一滴が青晶石へ触れた瞬間。
部屋全体の色が変わった。
「あれ、本当に私達がやったのかな」
ミリアが呟く。
「私達が引っ張った感じはしなかったけど」
「引っ張ってはいない」
アイラが答える。
「川の中へ、器を置いただけだ」
ソフィアが頷いた。
「力の方から入ってきました」
レナがミリアを見る。
「バケツにね」
「そこはもういいでしょ」
「あなたが思い浮かべたんでしょう」
「分かりやすかったんだから仕方ないよ」
「おかげで、星の力の最初の採取道具がバケツになったわね」
「正式記録には残ってないから大丈夫」
ミリアが答える。
一瞬だけ、レナの口元が緩んだ。
だが、カティアの表情は変わらない。
「私達のイメージが、同期を安定させた可能性は高いと思います」
「やっぱり、夢のおかげ?」
ミリアが尋ねる。
「断定は出来ません。ただ、昨日より同期率が高かったのは事実です」
カティアは、左手の赤晶石を見る。
「問題は、私達が流れを安定させたのか。それとも、既にあった流れに同調しただけなのかです」
「何が違うの?」
「前者なら、私達がある程度制御しています。後者なら、私達は流れに合わせただけです」
ソフィアが、僅かに表情を曇らせる。
「流れそのものは、止められないということですか」
「まだ分かりません」
カティアは答えた。
「ですが、採掘口を閉じてもすぐに止まらなかったことを考えると、施設の装置だけで全てを制御出来ているとは思えません」
その時、待機室の扉が叩かれた。
五人が、一斉にそちらを見る。
扉が開く。
入ってきたのはアルトだった。
廊下には、二人の警備兵が立っている。
アルトは、兵士達へ振り返った。
「中で話す」
「グラウ大佐からは、監視を続けるよう命じられています」
「扉の外にいろ」
「しかし」
「五人の身体状態について確認する。技術顧問としての聞き取りだ」
警備兵は迷った。
やがて扉の外へ下がる。
アルトが扉を閉めた。
室内に、六人だけが残される。
アルトは、五人の顔を順に見た。
倒れた者はいない。
外傷もない。
それでも、昨日までとは違う疲れが、全員の表情に出ている。
「体調は」
アルトが尋ねる。
レナが、すぐに答えた。
「軍医から聞いてないんですか」
「報告は受けた」
「なら、異常なしです」
レナの声には。
はっきりと棘があった。
アルトは反論しなかった。
「本格採掘が決まった」
五人の表情が変わる。
ミリアが目を見開いた。
「今日、もう一度やるんですか?」
「夕刻からだ」
「さっきの結果を見ても?」
カティアが尋ねる。
アルトは頷いた。
「採掘量そのものは僅かだった。だが、蓄積された力は本格採掘の第一段階で想定していた値に達している」
「それって」
ミリアが言葉を探す。
「予定より、ずっと多かったってことですか」
「そうだ」
「どれくらい?」
「現時点では正確に言えない。計測方法そのものを見直す必要がある」
カティアが、僅かに目を細めた。
「それでも続けるのですか」
「私は止めるべきだと進言した」
レナが短く笑う。
「進言」
アルトを見る目が冷たくなる。
「止められなかったんですね」
アルトは答えなかった。
その沈黙が、答えになっていた。
アイラが口を開く。
「大佐は、何をしに来た」
「本格採掘の前に、君達へ結果を伝えるためだ」
「結果だけか」
アイラの声は静かだった。
「私達が何をさせられているのか。今度こそ説明するためではないのか」
アルトの表情が硬くなる。
レナが壁から背を離した。
「ちょうどいいわ」
一歩、アルトへ近付く。
「私達も聞きたかったの。大佐は、どこまで知っていたんですか?」
「レナ」
ソフィアが小さく呼ぶ。
だが、レナは止まらない。
「赤晶石が媒介になること。私達の身体を通して、星の力を青晶石に溜めること。本実験場で、実際に採掘を行うこと」
一つずつ、確かめるように並べていく。
「どこからが、大佐の知らなかった計画なんですか?」
アルトは、五人から目を逸らさなかった。
「赤晶石が媒介になることは知っていた」
「私達を使うことも?」
「五人の同期を利用する構想は、私が立てた」
ミリアの顔から、僅かに血の気が引いた。
分かっていたことだった。
会議室でグラウから聞かされている。
それでも、アルト本人の口から聞くと、重さが違った。
「では」
カティアが尋ねる。
「私達の身体を星の力が通ることも、最初から分かっていたのですか?」
「理論上は」
「どうして説明しなかったのですか」
アルトは、すぐには答えられなかった。
答えを探しているのではない。
どの言葉を選んでも、自分を正当化することになる。
そう分かっていた。
「安全性を確認出来ていなかった」
アルトは言った。
「第三庁舎で行っていたのは、五人の同期と赤晶石の反応を確認するための試験だった。実際に星の力を流す段階へ進めるつもりはなかった」
「いつか安全になったら、説明するつもりだった?」
レナが尋ねる。
「そう考えていた」
「説明する前に、私達を訓練していたのに?」
アルトは答えられない。
レナの声が強くなる。
「私達は、何のための訓練かも知らなかった。指輪が何に繋がるのかも。五人で同期した先に、何を流されるのかも」
「それは」
「言えなかった?」
レナが遮る。
「それとも、言えば拒否されると思ったんですか」
「違う」
アルトは答えた。
だが、その言葉に続く説明が出てこない。
アイラが、レナの隣へ立つ。
「私達は軍人だ」
アルトは、アイラを見る。
「国のために必要だと説明され、命令されれば、従う覚悟はある」
アイラの声は、怒鳴ってはいない。
だからこそ、一つ一つの言葉が重かった。
「問題は、命令の出し方だ」
アルトは黙っている。
「目的を隠し。安全性も分からないまま訓練させ。別の施設へ連れてきてから、実際の計画を聞かせた」
アイラは続ける。
「それは命令ではない。逃げ道を塞いでから、選ばせたように見せているだけだ」
「その通りだ」
アルトが言った。
レナが、僅かに目を見開く。
言い訳をすると思っていた。
中央の命令だった。
自分には権限がなかった。
安全のために必要だった。
そのように答えると思っていた。
だが、アルトは否定しなかった。
「私は君達に、最初から目的を説明するべきだった」
アルトは言った。
「説明出来ない計画なら、訓練を始めるべきではなかった」
「大佐」
ソフィアが、静かに尋ねる。
「私達を、最後にはどうするつもりだったのですか」
アルトから言葉が消えた。
「採掘が成功した後です」
ソフィアは続ける。
「何度も同じことをする予定だったのですか。それとも、青晶石に必要な力が溜まるまでですか?」
「それが終わったら、私達は元の部隊へ戻れたのですか?」
カティアが尋ねる。
「赤晶石を外して。もう実験に関わらずに済んだのでしょうか」
アルトは答えられなかった。
計画書には、採掘成功後の運用案が幾つも記されていた。
継続的な採掘。
同期精度の向上。
より高い出力への対応。
別の五人を選抜するための基準作り。
だが、最初に選ばれた五人を。
いつ計画から外すのか。
どうすれば、元の生活へ戻せるのか。
明確な終わりは、どこにも記されていなかった。
アルト自身も、そこまで辿り着く前に、安全な方法を作ればよいと考えていた。
危険であれば止める。
必要なら計画そのものを中止する。
自分が責任者でいる限り。
そう出来ると思っていた。
だが、責任者から外された後。
計画は止まらなかった。
五人も、彼の手を離れた。
守るつもりだった。
その言葉だけでは、何の答えにもならない。
「分からない」
アルトは言った。
ミリアが、顔を上げる。
「分からない?」
「君達をいつ計画から外すのか。元の部隊へ戻すのか。そこまで、私は決めていなかった」
レナの表情が歪む。
「何、それ」
「危険性を下げることを先に考えていた。実際の運用へ進む前に、赤晶石と青晶石だけで制御出来る方法を作るつもりだった」
「つもりだった」
レナが繰り返す。
「そればっかり」
「そうだ」
アルトは否定しなかった。
「私は、つもりで君達を計画へ入れた」
部屋が静まり返る。
外の廊下を、兵士が歩く音だけが聞こえた。
ミリアは、自分の指輪を見た。
「じゃあ」
小さな声だった。
「私達がいらなくなる方法を作る前に、私達を使い始めたってことですか」
「そうなる」
「それ、順番が逆じゃないですか」
アルトは答えられなかった。
ミリアは、怒っているというより。
理解出来ないような顔をしていた。
その表情が、アルトには、レナの怒りよりも辛かった。
アイラが尋ねる。
「本格採掘は、どの程度危険だ」
「分からない」
今度は逃げずに答えた。
「小規模採掘では、採掘口を閉じた後も流入が続いた。中心青晶石に蓄積された力も、想定を超えている。五人の身体負荷は規定内だったが、本格採掘で同じとは限らない」
「中止させられないのか」
「今の私には決定権がない」
アイラの目が僅かに細くなる。
「それでも進言したと言ったな」
「ああ」
「グラウ大佐は聞かなかった」
「検査と再調整を行い、異常がなければ続けるという判断だ」
レナが自分の腕を広げる。
「ほら。異常なし」
皮肉を込めて言う。
「軍医のお墨付きです。痛くもない。熱もない。立って歩ける。だから、もう一度使える」
「クロフト中尉」
アルトが呼ぶ。
「何ですか」
「僅かでも異常を感じたら、申告してくれ」
「申告したら、大佐が止めてくれるんですか?」
「ああ」
「どうやって?」
アルトは答えに詰まる。
レナは短く息を吐いた。
「決定権、ないんでしょう?」
「それでも止める」
「さっきは止められなかったのに?」
「次は」
「次は違う?」
レナの声が低くなる。
「それを信じろって言うんですか?」
アルトは、何も言えなかった。
信じてほしい、その言葉を口にする資格が、今の自分にはない。
カティアが、アルトを見る。
「一つ、報告があります」
レナがカティアへ顔を向ける。
「話すの?」
「全てではありません」
カティアは答えた。
それからアルトへ向き直る。
「採掘中、私達は星の力を引き出そうとはしていません」
「どういう意味だ」
「川の流れを想像しました」
アルトの表情が変わる。
「川?」
「既に流れているものです。私達が掘るのではなく。流れへ器を置き、入ってきたものを受け取る」
「それで、同期が安定したのか」
「可能性はあります」
「なぜ、そのイメージを」
カティアは、一度、四人を見る。
「昨夜の夢です」
「共通して見た夢か」
「はい。ただし、詳しい内容については、まだ話せません」
アルトは、聞き出そうとはしなかった。
「分かった」
その返答に、カティアが僅かに目を見開く。
アルトは続ける。
「必要だと思った時に話してくれ。それまでは、無理に聞かない」
「グラウ大佐にも?」
「私からは伝えない」
レナが疑うように見る。
「技術情報でしょう」
「君達が自分で見つけたものだ」
アルトは答えた。
「少なくとも、話すかどうかは君達が決めるべきだ」
アイラは、暫くアルトを見ていた。
完全に信用したわけではない。
これまで隠されていたことも。
夕刻に本格採掘が行われることも変わらない。
だがようやく、アルトが自分達を計画の一部ではなく。
五人の人間として見ようとしていることだけは分かった。
「第六反応は」
アイラが尋ねる。
「まだ、分かっていない」
「本当に何も分からないのか」
「五人以外の独立した反応だということだけだ。中心青晶石からの反射でも。施設内の赤晶石でもない」
アルトは答えた。
「本格採掘でも現れる可能性が高い」
カティアが言う。
「小規模採掘では、昨日より明確に現れていた」
「次は、さらに強くなるかもしれない」
アルトは五人を見る。
「第六反応へ意識を向け過ぎるな。何かを感じても、無理に探ろうとするな」
「理由は?」
アイラが尋ねる。
「相手が何なのか分からない」
「今さらね」
レナが言った。
「何も分からないものだらけじゃない」
アルトは否定出来なかった。
扉の外から。
兵士が声を掛ける。
「ヴェルナー大佐。管制室より、至急お戻りくださいとのことです」
アルトは扉を見る。
時間は残されていない。
「夕刻まで、出来る限り身体を休めてくれ」
五人へ告げる。
「本格採掘の前に、もう一度検査がある」
「異常なしって言われるための?」
レナが尋ねる。
アルトは、答えないまま扉へ向かった。
取っ手へ手を掛ける。
「大佐」
アイラが呼び止める。
アルトが振り返った。
「私達は、軍人として命令に従う」
アイラは言った。
「だが、それは道具になったという意味ではない」
「ああ」
「次に止めるべき時が来たら」
アイラの目は、真っ直ぐにアルトへ向けられていた。
「今度は、止めろ」
アルトは。
短く頷いた。
「ああ」
扉が閉まる。
アルトの姿が見えなくなった後も。
五人は暫く、誰も口を開かなかった。
やがて、ミリアが小さく息を吐く。
「言っちゃったね」
「まだ足りないくらいよ」
レナが答える。
「でも」
ミリアは、閉じた扉を見る。
「大佐、本当に知らなかったこともあるんだね」
「知っていたことも多過ぎます」
カティアが言った。
ソフィアは、アルトが立っていた場所を見つめた。
「止めてくれるでしょうか」
誰も、すぐには答えられなかった。
◇
午後。
本実験場では、本格採掘へ向けた準備が進められていた。
小規模採掘で得られた数値を基に、制御装置の設定が変更される。
当初予定していた採掘量では、中心青晶石が短時間で上限へ達する危険があった。
そのため、採掘口の開放幅は、大きく引き下げられた。
第一段階。
小規模採掘と同じ最低制御値。
第二段階。
五人の同期と青晶石の蓄積状態を確認しながら、僅かに引き上げる。
第三段階。
第二段階が安定した場合のみ。
本格運用値へ移行する。
グラウは、最大出力を使うつもりはなかった。
最初から、施設の限界まで力を引き出すわけでもない。
一段ずつ進める。
異常が出れば止める。
書類上では、慎重な手順に見えた。
だが、アルトには分かっていた。
最低制御値でさえ、既に予測を超えている。
一段目と二段目の間に、どれほどの差があるのか誰にも分からない。
制御器の目盛りは、人間が計算した予測に基づいて作られている。
その予測が間違っていた以上、段階という言葉に。
どれほどの意味が残っているのかも分からなかった。
「再計算、完了しました」
技術主任が報告する。
「中心青晶石の蓄積上限を、小規模採掘の実測値に合わせて修正。緊急遮断は二重化します」
「採掘口閉鎖後の残留流入は」
アルトが尋ねる。
「補助青晶石へ逃がします」
「間に合うのか」
「計算上は」
その言葉に。
アルトの表情が硬くなる。
「計算上は、か」
技術主任は答えなかった。
小規模採掘の前も。
計算上は制御出来るはずだった。
「第六反応の検出値も停止条件へ加えろ」
アルトが言った。
技術主任は、グラウを見る。
「必要ない」
グラウが答える。
「五名の同期率と身体負荷に影響が出た場合に停止する」
「第六反応が急上昇してから、五人へ影響が出るまで待つのか」
「反応が何であるかも分かっていない。停止値を定める根拠がない」
「なら、昨日の最大値を基準にしろ」
「根拠のない数値を停止条件には出来ない」
「何も決めないよりはましだ」
二人の視線がぶつかる。
技術主任は、どちらの指示へ従うべきか判断出来ずに立っていた。
グラウが先に視線を外す。
「警戒値として設定しろ」
「停止ではなく?」
アルトが尋ねる。
「警戒値だ」
それ以上は譲らなかった。
技術主任が操作盤へ戻る。
その時、地上区画から報告が届いた。
「雨がやみました」
管制室にいた者が、僅かに顔を上げる。
「急だな」
グラウが言った。
「風も止まっています」
「雲は」
「上空を覆ったままです」
朝から、施設の壁を震わせ続けていた雷鳴も。
いつの間にか聞こえなくなっていた。
地下の管制室では、機器の作動音だけが続いている。
静かだった。
それまでの嵐が、嘘だったように。
「地上設備を確認させろ」
グラウが命じる。
「落雷と浸水による損傷がないか、本格採掘開始前に全て点検しろ」
「承知しました」
報告係が動く。
グラウは、雨がやんだことを。
試験を進めるための好条件として受け取った。
アルトは、別のものを感じていた。
嵐が去ったのではない。
何かが起きる前に、世界の方が息を止めたような静けさだった。
◇
夕刻。
五人は、三度目の身体検査を終えた。
結果は、全員、異常なし。
睡眠不足。
僅かな疲労。
指先に残る違和感。
どれも、本格採掘を中止する理由にはならなかった。
待機室の扉が開く。
「移動時刻です」
兵士が告げた。
五人は、それぞれの寝台から立ち上がる。
ミリアが、自分の左手を見た。
赤晶石は、何の光も発していない。
「ねえ」
小さく声を掛ける。
四人が、ミリアを見る。
「また、川を思い浮かべる?」
レナが息を吐いた。
「他に方法がある?」
「ないけど」
「なら、同じでいい」
カティアも頷く。
「小規模採掘では、同期を維持出来ました。少なくとも、グラウ大佐の言う採掘をそのまま思い浮かべるよりは安全だと思います」
ソフィアが、左手を胸元へ当てる。
「今度は、器を大きくするのでしょうか」
「それは駄目だ」
アイラが答えた。
四人の視線が集まる。
「向こうが、どれほど力を増やそうとしても。私達は器を変えない」
アイラは言った。
「さっきと同じだ。掘らない。引かない。流れへ手を伸ばし過ぎない」
レナが頷く。
「勝手に大きな器へ交換されるのは、ごめんだわ」
「バケツのままでいい?」
ミリアが尋ねる。
「もう好きにしなさい」
レナは答えた。
ソフィアが、小さく笑う。
カティアも、僅かに肩の力を抜いた。
アイラは扉へ向かう。
「行くぞ」
五人は、兵士達に囲まれながら。
接続室へ続く廊下を歩いた。
◇
接続室の中央では。
青晶石が、小規模採掘で得た光を残していた。
朝よりは弱い。
だが、完全には消えていない。
石の奥で青い光が、ゆっくりと揺れている。
まるで、次に流れ込んでくるものを待っているようだった。
五人が、所定の位置へ立つ。
管制室では、グラウが中央の記録盤前に立っていた。
アルトは、緊急遮断装置の近くにいる。
本来は、技術兵が操作する場所だった。
だが、アルトはそこを動かなかった。
グラウも、今度は何も言わなかった。
「赤晶石五基、反応確認」
「中心青晶石、蓄積状態安定」
「採掘系統、第一段階へ設定」
「緊急遮断装置、主系統及び補助系統、異常なし」
報告が続く。
「第六反応監視、開始」
五つの記録線の横に。
もう一つ、空白の欄が用意されていた。
そこにはまだ、何の波形も現れていない。
グラウは、接続室の五人を見る。
「これより、本格採掘を開始する」
五人の指輪が、同時に、淡い赤色を帯びた。
「第一段階は、先ほどと同じ最低制御値から開始する。中心青晶石への流入が安定した後、第二段階へ移行する」
アイラは、管制窓の向こうにいるアルトを見た。
アルトも、五人を見ている。
次に止めるべき時が来たら。
今度は、止めろ。
数時間前に交わした言葉が。
二人の間に残っていた。
「基礎接続を開始」
足元の線が赤く光る。
五人の感情が、互いへ繋がっていく。
恐怖。
不安。
怒り。
それでも。
誰一人として、その場から逃げようとはしなかった。
五人は、同じ川を思い浮かべる。
暗く。
深く。
遥か遠くから流れてくる川。
その流れへ、小さな器を置く。
「五名同期、安定」
「赤晶石、異常なし」
「中心青晶石、受入準備完了」
グラウは、採掘系統の責任者へ目を向けた。
「本格採掘」
一度、呼吸を置く。
「開始」
技術兵の手が。
採掘口を開く制御器へ掛かった。




