第十六話 鍵の証明
五人が地下実験場を出た後も。
室内の慌ただしさは収まらなかった。
観測装置の確認。
記録用紙の整理。
青晶石に残された反応の測定。
研究員達が行き交う中。
アルトは中央の円形窪地を見下ろしていた。
先程まで、五人はそれぞれの台座に立っていた。
目を閉じ、意識を集中させた。
そして、五つの指輪がほぼ同時に光を放った。
ほんの僅かな時間だった。
だが、間違いなく起きた現象だった。
「主任」
観測装置の前にいた研究員が声を掛ける。
アルトは振り返る。
「発光時間の算出が終わりました」
「何秒だ」
「最初の指輪が発光してから消失するまで」
研究員は記録を見る。
「四秒弱です」
短い。
それでも、これまで何の反応も無かった事を考えれば。
十分過ぎるほど長かった。
「発光の順序は」
「ほぼ同時です」
研究員が答える。
「完全な同時発光ではありません」
「ですが、最初と最後の差は測定誤差の範囲内です」
アルトは小さく頷いた。
五人のうち、誰か一人だけが起動させた訳ではない。
全員が揃った事で、指輪は反応した。
少なくとも、現時点ではそう考えるべきだった。
「青晶石側は」
別の研究員が振り返る。
「壁面北側で三か所」
「床面伝導路で七か所」
「微弱な反応を確認しました」
机の上へ記録用紙が広げられる。
青晶石の配置図。
反応が確認された場所には。
小さな印が付けられていた。
台座付近。
床面の伝導路。
そして、中央の窪地へ向かう線上。
アルトは指で印を追う。
「反応は中央へ移動したのか」
「そのように見えます」
研究員は慎重に答える。
「ただし」
「数値が小さ過ぎます、偶然の変動である可能性も否定出来ません」
「分かっている」
アルトは言った。
一度の反応で、結論を出す事は出来ない。
同じ条件で、同じ結果が得られるのか。
条件を変えた場合。
反応に違いが生じるのか。
調べるべき事は多かった。
「指輪側の記録は?」
「発光以外に変化はありません」
女性研究員が答える。
「温度上昇無し」
「重量変化無し」
「装着者の脈拍にも大きな異常は確認されませんでした」
「体調変化も報告されていない」
アルトが呟く。
少なくとも、最初の接触で五人へ悪影響が出た様子は無い。
それは大きかった、計画を進めるためだけではない。
彼女達を危険に晒さないためにも、確認しなければならない事だった。
「成功と判断されますか」
研究員が尋ねた。
アルトはすぐには答えなかった。
成功。
その言葉は簡単だ。
だが、何をもって成功とするのか。
それすら、まだ完全には定まっていない。
施設は完全起動していない。
意思共有も起きていない。
星の力へ接触した証拠も無い。
起きたのは。
指輪の発光。
そして、青晶石の微弱な反応だけだった。
「実験全体としては成功ではない」
アルトは答えた。
研究員達が静かになる。
「だが」
アルトは机の上の記録を見る。
「指輪が鍵として機能する可能性は確認出来た」
「第一段階としては十分だ」
補佐研究員が小さく頷いた。
「再現実験を行いますか」
「ああ」
アルトは答える。
「ただし今日は行わない、今回の結果を先に精査する」
「装着者の意識状態」
「五人の距離」
「呼吸」
「発光直前の観測値、全て洗い直せ」
研究員達が一斉に動き始める。
その中で、一人の若い研究員だけが。
観測記録へ顔を近付けていた。
「主任」
「何だ」
「少し気になる数値があります」
アルトがそちらへ向かう。
研究員は記録の一部を指差した。
「指輪が発光する直前」
「この青晶石だけ、一度反応しています」
示されたのは、中央窪地から少し離れた場所。
壁面に埋め込まれた、小さな青晶石だった。
「時間は」
「指輪の発光より僅かに前です」
「どの程度だ」
「一秒にも満たない差ですが」
研究員は困ったように眉を寄せる。
「本来なら、指輪の発光後に反応するはずです」
アルトは記録を見つめた。
測定装置の誤差。
地中からの振動。
他の器具による干渉。
考えられる原因はいくつもある。
「機器の状態を確認しろ」
「はい」
「記録は消すな、異常値として残しておけ」
研究員は頷いた。
アルトはもう一度。
壁面の青晶石を見る。
今は静かだった、何の光も発していない。
先程の現象が、五人と指輪によって起きたものなのか。
あるいは、別の何かが影響したのか。
現段階では分からない。
だが。
分からないからこそ。
記録する必要があった。
◇
数時間後。
第三庁舎。
研究主任室。
机の上には、整理された実験報告書が置かれていた。
アルトは一人、最終確認を行っている。
実験日時。
参加者。
指輪の発光時間。
青晶石の反応位置。
五人の体調。
全てが細かく記載されていた。
報告書の最上部には、簡潔な結論が書かれている。
『起動用媒体としての機能を確認』
断定はしていない。
あくまで可能性の確認。
それが現時点で出せる、最も正確な結論だった。
扉が叩かれる。
「入れ」
研究員が入室した。
「中央研究局より連絡です」
「本日の結果について、説明を求められています」
アルトは報告書を閉じる。
予想していた事だった。
魔王出現の可能性。
王国からの警戒勧告。
計画の前倒し。
上層部が結果を急ぐのは当然だった。
「いつだ」
「今から一時間後です」
「分かった」
研究員が一礼する。
だが、すぐには部屋を出なかった。
「何かあるのか」
アルトが尋ねる。
「本実験場への移行を、求められる可能性があります」
アルトの表情は変わらない。
返事までに僅かな間があった。
「まだ早い」
「私もそう思います」
研究員は言う。
「ですが」
「今回の結果を成功と見れば、上層部は次の段階を急ぐでしょう」
アルトは窓の外へ目を向ける。
厚い雲が帝都の空を流れていた。
本実験場。
カルドラ山麓。
仮設実験場とは比べものにならない規模の設備。
大量の青晶石。
そして。
地下深くに設けられた巨大な接続機構。
本来なら、仮設実験場で十分な結果を得た後。
慎重に移行する予定だった。
「再現性が確認されていない」
アルトは静かに言う。
「一度光っただけで、本実験場へ移す事は出来ない」
研究員が頷く。
「それに」
アルトは続ける。
「仮設実験場と本実験場は、同一の共鳴規格で設計されている」
「はい」
「片方で得られた反応が、もう片方でも同様に起きるとは限らない」
「設備の規模が違い過ぎます」
研究員が答える。
その通りだった。
二つの施設は、同じ青晶石の共鳴方式を用いている。
仮設実験場で得た情報を、本実験場へ移行出来るようにするためだ。
研究効率を考えれば、当然の設計だった。
だが、規模が違う。
蓄積される力も。
接続される青晶石の量も。
何もかもが違っていた。
「上層部には」
アルトは報告書を手に取る。
「起動媒体の可能性を確認したと報告する」
「同時に」
「本実験場への移行は時期尚早だと伝える」
「承知しました」
◇
一時間後。
中央研究局。
地下会議室。
長い机の向こうには。
軍と研究局の上層部が並んでいた。
将官。
研究局幹部。
特殊開発局の責任者。
星巫女計画に関わる。
限られた者達だった。
アルトは一人。
机の前に立っている。
「報告を」
正面に座る男が言った。
アルトは書類を開く。
「本日、仮設実験場において、起動用媒体の初回試験を行いました」
静かな声が室内へ響く。
「候補者五名が指輪を装着、所定位置で意識集中を行った結果」
「五つの媒体が発光しました」
室内の空気が僅かに変わる。
「同時に、施設内の青晶石の一部で、微弱な共鳴反応を確認しております」
一人の将官が身を乗り出す。
「施設は起動したのか」
「いいえ」
アルトは即答した。
「完全起動には至っておりません、意思共有も確認されていない」
「星の力への接触も未確認です」
「では失敗か」
「違います」
アルトの声は変わらない。
「指輪が起動媒体として機能し得る事は確認出来ました」
「計画は一段階進んだと判断しております」
幹部達が小声で言葉を交わす。
「本実験場で試せば良い」
一人が言った。
「仮設で反応が小さいなら、より大規模な設備を使うべきではないか」
アルトはその男を見る。
「反対です」
室内が静まる。
「理由は、再現性が確認されていません」
アルトは答えた。
「発光条件」
「候補者同士の影響」
「青晶石側の反応経路、全てが未確定です」
「本実験場は、一度起動すれば停止が困難になる可能性があります」
「可能性の話だろう」
「だからこそです」
迷いの無い返答だった。
「分からないものを、規模だけ大きくして試す事は出来ません」
会議室に沈黙が落ちる。
軍人としての階級は大佐。
この場には、アルトより上位の者も多い。
だが。
星巫女計画の実質的責任者はアルトだった。
実験の危険性を、最も理解している者でもある。
「では、どの程度必要だ」
正面の男が尋ねる。
「仮設実験場での再現試験を行います」
「最低でも複数回、条件を変え、反応の規則性を確認する必要があります」
「時間は、可能な限り短縮します」
アルトは続けた。
「安全確認を省くつもりはありません」
長い沈黙。
やがて、正面の男が頷いた。
「よかろう、仮設実験場での継続を許可する」
「ただし」
「王国からの警戒情報は撤回されていない、時間に余裕があるとは考えるな」
「承知しています」
アルトは一礼する。
「次回の試験結果を、直ちに報告せよ」
「はい」
会議は終わった。
アルトは書類を閉じる。
上層部へ一礼し、
地下会議室を後にした。
重い扉が閉まる。
足音が廊下の奥へ遠ざかっていく。
だが、室内に残った者達は、
誰一人として席を立たなかった。
しばらく沈黙が続く。
最初に口を開いたのは、
特殊開発局の責任者だった。
「慎重過ぎるな」
誰の事を指しているのか、確認する者はいなかった。
正面に座る男が、閉じられた扉へ視線を向ける。
「慎重でなければ、ここまで計画を進める事も出来なかった」
「それは認めています」
特殊開発局の男は答えた。
「ですが、状況が変わりました」
机の上には、アルトが残していった報告書がある。
五つの指輪。
青晶石の微弱な共鳴。
初めて得られた明確な反応。
小さな成果だった。
だが、帝国が長年求めていたものでもある。
「開発局の方はどうなっている」
一人の将官が尋ねた。
特殊開発局の責任者は、手元の資料を開いた。
「星の力を利用した兵器開発については、現在も試作段階です」
「進んでいないのか?」
「動作そのものは確認出来ています」
責任者は慎重に答える。
「ですが、安定した力の供給方法がありません」
「青晶石だけでは不足している?」
「はい」
「蓄積された力を放出する事は出来ます」
「しかし」
「失われた力を補充する方法が確立されていない」
一度使えば終わる。
兵器としては、致命的な問題だった。
「星巫女計画が必要という事か」
「その通りです」
候補者達を媒介に。
星の力へ接触する。
そして、青晶石へ力を供給する。
それが実現すれば、兵器開発も大きく進む。
星巫女計画は、対魔王戦力の確立だけを目的としたものではなかった。
「重要な実験である割に」
将官が報告書を指先で叩く。
「動きが鈍い」
「アルト大佐は安全を優先しています」
「時間があるなら、それでも良い」
別の男が言う。
「だが、魔王出現の警戒情報が出ている」
室内が静かになる。
王国神殿から届いた警戒勧告。
発生位置は不明。
反応の種類にも不一致がある。
それでも、完全な誤報とは言い切れない。
「王国への問い合わせは?」
正面の男が尋ねた。
外交担当の者が書類を確認する。
「返答が届いております」
「内容は」
「現在も再精査中、発生地点は特定出来ていない」
「警戒情報を撤回する予定も無い」
一人が鼻を鳴らした。
「結局、何も分かっていないという事か」
「それだけではありません」
外交担当者は続ける。
「こちらからは」
「魔王出現とは何を意味するのか」
「過去の反応と今回の反応に、どのような違いがあるのか」
「その本質についても説明を求めています」
「王国は答えたのか」
「明確な回答はありません」
室内に小さなざわめきが広がる。
魔王が現れた。
その言葉だけが先行している。
何を観測したのか。
なぜ魔王と判断したのか。
発生源はどこなのか。
肝心な部分が明らかにされていない。
「本当に把握していないのか」
特殊開発局の責任者が呟く。
「あるいは、我々へ隠しているのか」
誰も否定しなかった。
王国は情報を持っている。
だが、帝国へ全てを伝えていない。
そう考える者もいた。
反対に、王国側が混乱を起こすため、
意図的に曖昧な警戒情報を流したと疑う者もいる。
「いずれにせよ」
正面の男が言った。
「王国の返答を待っている余裕は無い、帝国は帝国で備える」
「そのための星巫女計画だ」
全員が黙る。
「次の実験でも、同程度の反応しか得られなかった場合は」
少し間を置く。
「計画の指揮体制を見直す」
一人の研究局幹部が顔を上げた。
「アルト大佐を外すのですか?」
「可能性の話だ」
正面の男は淡々と答えた。
「完全に外す必要は無い、技術顧問として残せばいい」
「ですが」
研究局幹部は反論する。
「実験設備を最も理解しているのは彼です」
「候補者達の選抜も、訓練計画も」
「アルト大佐が中心となって進めてきました」
「理解している」
「だが」
正面の男の声は変わらない。
「計画を進める者が」
「計画を止める者になってはならない」
室内の空気が僅かに重くなる。
アルトは慎重だった。
不明なものを。
不明なまま動かそうとはしない。
それは研究者として。
正しい姿勢だった。
だが、上層部が求めているのは。
正しさだけではない。
結果だった。
「次回の進捗次第では、実験の決定権を上層部直属へ移す」
「アルト大佐には、技術面の管理だけを担当させる」
誰もすぐには答えなかった。
反対する理由はある。
だが、魔王出現の可能性を前に。
時間を理由に押し切られる事も理解していた。
「候補者五名については?」
将官が尋ねる。
「現状のまま継続する、既に指輪へ反応を示した」
「今さら変更する理由は無い」
研究局幹部が僅かに眉を寄せる。
「候補者達には、指揮体制を見直す可能性を伝えますか?」
「必要ない」
即答だった。
「彼女達の役目は実験を成功させる事だ」
「誰が指揮を執るかまで知る必要は無い」
部屋が静まる。
五人の知らないところで、彼女達の今後が決められようとしていた。
一人の将官が報告書を閉じる。
「次回の結果を待つ、それまではアルト大佐に任せる」
少し間を置く。
「だが、進展が見られなければ、計画の決定権を上層部へ移す」
反対する者はいなかった。
正面の男が立ち上がる。
それを合図に、幹部達も席を離れ始めた。
資料を抱え、それぞれの扉から会議室を出ていく。
やがて。
室内には二人だけが残った。
研究局幹部と、特殊開発局の責任者だった。
研究局幹部は、机の上に残された報告書へ手を伸ばす。
頁をめくる。
指輪の発光。
候補者五名の状態。
青晶石の反応位置。
その途中で、指が止まった。
「これは何だ」
特殊開発局の男が近付く。
示された箇所には、短い記録が残されていた。
『指輪発光直前、北側壁面の青晶石一基に微弱反応』
男は数秒、その記述を見つめる。
「測定誤差ではないのか」
「現場もその可能性を考えている」
「なら問題は無いだろう」
研究局幹部は答えなかった。
指輪が発光する前に、青晶石が反応した。
順序が逆だった。
僅かな差。
一度だけの異常値。
それだけで何かを判断する事は出来ない。
「削除しますか?」
特殊開発局の男が尋ねる。
研究局幹部は首を横に振った。
「残しておけ」
「理由は?」
「分からないからだ」
報告書が静かに閉じられる。
「分からない記録ほど、後になって必要になる事がある」
特殊開発局の男は何も言わなかった。
二人も会議室を後にする。
重い扉が閉じられた、誰もいなくなった室内。
机の上には、初回実験の報告書だけが残されていた。
指輪が光った。
青晶石が反応した。
計画は前へ進んだ。
今分かっているのは。
それだけだった。
◇
談話室には、午後の光が静かに差し込んでいた。
地下実験場を出た五人は、それぞれ思い思いの場所へ腰を落ち着けている。
窓際にはアイラ。
長椅子にはミリアとソフィア。
向かいの椅子にはレナ。
カティアは机の近くに座り、
早くも手帳を開いていた。
五人の胸元には、同じ銀色の鎖が下がっている。
その先で揺れているのは、赤い結晶の付いた指輪だった。
研究用の器具。
そう説明されている。
それでも、五人が同じ物を身に着けている光景は、どこか不思議だった。
ミリアは指輪を指先で持ち上げ、光に透かすように眺める。
「こうして見ると、本当にお揃いですね。地下実験場にいる時より、普通の装飾品みたいに見えます」
嬉しそうな声だった。
レナは椅子へ深く腰掛け、腕を組んだまま答える。
「見た目がどうであれ、研究器具である事に変わりはない。何が起きるか分からない以上、扱いには注意した方がいい」
厳しい口調だった。
だが、レナ自身も一度だけ、
胸元の指輪へ視線を落としている。
それを見て、ミリアは少しだけ笑った。
「分かっています。でも、クロフト中尉も気になっているんですよね?」
「異常がないか確認しただけだ」
「そういう事にしておきます」
レナは答えなかった。
隣では、ソフィアが二人のやり取りを見ながら、
穏やかに微笑んでいる。
淡い金髪が肩から流れ。
優しい目元には、実験を終えた安堵が浮かんでいた。
一方、カティアは会話へ加わる様子もなく、
赤い結晶と銀の鎖を交互に観察していた。
眼鏡越しの視線が。
留め具。
結晶の固定部分。
鎖の接続箇所へと細かく動いていく。
「指から外した状態でも、反応が継続するのか確認する必要があります」
カティアは独り言のように呟いた。
「皮膚との接触が必要なのか。それとも、装着者の近くにあるだけで良いのか。次回は条件を分けた方が良いかもしれません」
ミリアが顔を向ける。
「ローゼン少尉は、実験が終わってもずっと研究の事を考えているんですね」
カティアは不思議そうに首を傾げた。
「他に何を考えるのですか?」
「似合っているか、とかです」
カティアは自分の胸元を見た。
数秒。
本当に検討してから答える。
「比較対象がないので判断出来ません」
ミリアはゆっくり額へ手を当てた。
「そういうところです」
小さな笑いが談話室へ広がる。
アイラも窓際で、僅かに口元を緩めていた。
だが、笑いが静まった後も。
五人は誰も席を立とうとしなかった。
各自の部屋へ戻ってもいい。
休んでもいい。
資料を読んでもいい。
アルトからは、そう言われている。
それでも、先程の実験について、まだ誰かと話していたい。
そんな空気が残っていた。
ミリアは胸元の指輪から手を離す。
そして、他の四人をゆっくり見回した。
「皆さんに、一つ聞いてもいいですか?」
先程までより、少し落ち着いた声だった。
四人の視線が集まる。
「地下実験場で台座に立っている時、皆さんは何を考えていますか?」
突然の質問だった。
レナが腕を組んだまま、僅かに眉を寄せる。
「何を考えるとは、どういう意味だ」
「目を閉じて、意識を集中するように言われますよね」
ミリアは説明する。
「同じ場所に立って、同じ訓練を受けています。でも、目を閉じた後に皆さんが何をしているのかは、一度も聞いた事がありませんでした」
確かにそうだった。
同じ五つの台座。
同じ指輪。
同じ指示。
だが、それぞれの意識が、どこへ向いているのかは分からない。
ソフィアがミリアへ穏やかに顔を向ける。
「ミリア少尉は、何を考えているのですか?」
「私は皆さんへ話しかけています」
ミリアは少し笑った。
「聞こえますかとか、誰か返事をしてくださいとか。なるべく分かりやすい言葉を、心の中で繰り返しています」
そこで、少しだけ視線を逸らす。
「時々、今日の夕食は何だと思いますか、と聞く事もあります」
レナが深く息を吐いた。
「国家機密の実験中に、食事の相談をしていたのか」
「何が届くか分からないから、色々試しているんです。難しい言葉より、普段の会話の方が届くかもしれないでしょう?」
ミリアなりに、考えた末の行動らしい。
ただふざけている訳ではなかった。
レナもそれを理解したのか、それ以上は責めなかった。
「私は呼吸と姿勢に意識を向けている」
レナは続ける。
「余計な思考を入れず、一定の呼吸を保つ。何か変化が起きた時、すぐに対応出来る状態を維持する。そのために、頭の中を出来るだけ空にしている」
指揮官らしい答えだった、未知の現象を前にしても。
慌てず、変化へ対応出来るように備えている。
「私達へ話しかけたりはしないんですか?」
ミリアが尋ねる。
「していない」
レナは即答した。
「少しくらい話しかけてください」
「なぜだ」
「クロフト中尉だけ何も返してくれないと寂しいからです」
「今のところ、誰からも返事はないだろう」
短いやり取りに、ソフィアが小さく笑う。
次に、カティアが手帳から顔を上げた。
「私は指輪と青晶石の反応経路を考えています」
予想通りの答えだった。
「赤い結晶から力が流れているのか。青晶石側から刺激が返されているのか。それとも、装着者の身体が双方を繋ぐ媒介になっているのか。発光条件が分かれば、意思共有が成立しない理由も推測出来ます」
話しながら、カティアの表情は少しずつ真剣になっていく。
未知のものを考えている時の彼女は。
周囲の声が聞こえなくなるほど集中する。
アイラが確認するように尋ねた。
「つまり、訓練中も私達ではなく、指輪の構造を考えているのか」
「はい」
カティアは迷わず頷いた。
「考えている途中でミリア少尉の声が届いても、気付かない可能性があります」
「届く前から無視される事が決まっているんですね」
ミリアは少し肩を落とした。
カティアに悪気はない、それが余計に面白かった。
ソフィアは少し考えてから、静かに口を開いた。
「私は皆さんの状態を気にしています」
ミリアの顔が少し明るくなる。
「私と同じですね」
「少し違うと思います」
ソフィアは困ったように微笑んだ。
「呼吸が乱れていないか。具合が悪くなっていないか。無理に身体へ力を入れていないか。目を閉じていても、近くにいる方の呼吸や衣擦れの音は聞こえますから」
衛生兵として、人の小さな変化を見逃さない。
それは、考えて行っているというより、長く身に付いた癖なのだろう。
「指輪が光った時も、自分の指輪より先に、皆さんが苦しそうではないかを考えていました」
その言葉に、ミリアの表情が柔らかくなる。
「やっぱりソフィア軍曹ですね」
「どういう意味でしょう?」
「優しいという意味です」
ソフィアは少し照れたように、目を伏せた。
そして、四人の視線が最後の一人へ集まる。
窓際に座っていたアイラだった。
黒髪を後ろで束ねた姿。
日焼けした健康的な肌。
座っていても姿勢は崩れず。
窓の外を見ながら、しばらく自分の考えを整理していた。
「私は」
アイラはゆっくり答えた。
「全員がいる事を確かめている」
ミリアが瞬きをする。
「私達がですか?」
「ああ」
アイラは頷いた。
「目を閉じれば、周囲が見えなくなる。だから、呼吸や足音で他の四人がどこにいるかを確認している。誰か一人でも、いなくなっていないかを」
第三山岳国境警備隊にいた頃。
吹雪や濃霧の中では、視界がほとんど役に立たない事があった。
そんな時は、仲間の足音や呼吸を頼りに進む。
その経験が、今もアイラの中に残っている。
本人は、特別な事を言ったつもりではなかった。
だが、部屋は僅かに静かになった。
ミリアが小さく微笑む。
「ベルク少尉らしいです」
「何がだ」
「何でもありません」
アイラは眉を寄せたが、それ以上は聞かなかった。
五人は、互いの答えを思い返す。
仲間へ言葉を送る者。
自分の呼吸を整える者。
指輪の仕組みを考える者。
全員の体調を気にする者。
誰も欠けていないかを確かめる者。
同じ場所へ立ちながら。
意識は、全く違う方向を向いていた。
カティアが手帳へ視線を落とす。
「これでは、意思共有が起きないのも当然かもしれません」
レナが顔を向ける。
「理由を説明しろ」
「全員が別のものへ意識を向けています」
カティアは答えた。
「同じ台座へ立っていても、思考の起点が揃っていません。共鳴に共通の対象が必要なのだとすれば、今の状態では成立しにくいはずです」
「それなら」
ソフィアが胸元の指輪へ触れる。
「全員で同じ事を考えてみるのはどうでしょうか」
カティアは少し考え、静かに頷いた。
「試す価値はあります。ただし、五人全員が明確に覚えているものが必要です」
ミリアは、しばらく天井を見上げていた。
やがて、何かを思い付いたように顔を上げる。
「五人で帝都へ出掛けた日の事はどうですか?」
部屋が静かになる。
「全員が同じ場所にいました。同じ物を見て、同じ店へ入りました。あの日なら、皆さんも覚えていますよね」
レナは腕を組んだまま考える。
「一日全てでは範囲が広過ぎる」
「では、正門前へ集まった時から始めましょう」
ミリアはすぐに答えた。
その言葉で、五人の中に同じ日の光景が浮かぶ。
第三庁舎の正門前。
約束の時間より少し前。
最初に到着していたのはアイラだった。
濃い茶色の上着。
動きやすい長ズボン。
丈夫そうな革靴。
軍服ではない。
確かに、私服だった。
だが、アイラの実直な雰囲気は、普段とほとんど変わらなかった。
「ベルク少尉は覚えやすいです」
ミリアが楽しそうに言う。
「私服なのに、これから山岳任務へ向かう人みたいでした」
「動きやすい服を選んだだけだ」
アイラは平然と答える。
「休日でも動きやすさを最優先するところが、ベルク少尉らしいんです」
「何か問題があるのか」
「問題ではありません。想像通りだっただけです」
アイラは納得していない顔だった。
その隣で、レナが僅かに視線を逸らす。
ミリアはすぐに気付いた。
「クロフト中尉も同じでした」
黒を基調とした上着。
細身のズボン。
栗色のショートヘアも。
隙のない立ち姿も。
軍服を着ている時と、それほど大きくは変わらなかった。
「正門前で、お二人は一度顔を見合わせていましたね」
ソフィアが穏やかに言った。
「互いの服装が似ていると気付いたように見えました」
アイラとレナは、同時に相手を見る。
その反応まで、あの日とよく似ていた。
「軍服の親戚です」
ミリアが呟く。
レナの切れ長の目が、少しだけ鋭くなる。
「その言葉は忘れろ」
「無理です」
短い返答だった。
談話室に、小さな笑いが落ちる。
笑いが静まると。
アイラは、正門へ現れたソフィアの姿を思い出した。
淡い色のワンピース。
薄手の上着。
長い薄金の髪。
清潔感のある柔らかな姿は。
軍服の時とは印象が大きく違っていた。
「ソフィア軍曹が来た時は」
アイラが言う。
「少し驚いた。普段とは雰囲気が違ったからだ」
ソフィアが少し恥ずかしそうに笑う。
「何か変ではないかと心配していました」
「似合っている」
あの日、最初に答えたのはレナだった。
迷いのない言葉だった。
ソフィアは、その声も僅かに柔らかくなったレナの表情も覚えている。
「嬉しかったです」
ソフィアが静かに言う。
「クロフト中尉が、すぐにそう言ってくださったので安心しました」
レナは僅かに顔を逸らす。
「事実を言っただけだ」
「はい」
ソフィアは微笑んだ。
「それでもです」
次に思い出されたのは。
カティアだった。
服装そのものは整っていた。
だが、胸元にはペンが三本。
肩掛け鞄は資料で膨らみ。
手には本が二冊。
軍服ではないのに、完全に研究者だった。
「ローゼン少尉の場合、服より荷物の方が印象に残っています」
ミリアは丁寧に説明した。
「本、資料、筆記用具、予備のノート。それに定規まで入っていました」
カティアは眼鏡の位置を直す。
「必要になる可能性がありました」
「休日の外出で、何の長さを測るつもりだったんですか?」
「それは現地で決まります」
迷いのない返事だった。
ミリアは、あの日と同じように顔を覆った。
それを見て四人が笑う。
カティアだけが、今も何がおかしいのか分からない顔をしていた。
「ファークナー少尉は」
今度はソフィアが、ミリアへ顔を向ける。
「とても楽しそうでしたね」
ミリアが少し驚く。
「正門前からですか?」
「はい」
ソフィアは頷いた。
「柔らかな色の服を着て、皆さんが揃うたびに嬉しそうにしていました。自分だけが外出を楽しみにしているように見えないか、少し心配していたようにも思います」
ミリアは、自分の私服姿を思い出す。
柔らかな色の上着。
長いスカート。
肩から下げた小さな鞄。
普段よりも、少しだけ時間を掛けて選んだ服だった。
「せっかく五人で出掛ける日でしたから」
ミリアは少し照れたように答える。
「皆さんにも、休日らしい気分になってほしかったんです」
だからこそ、アイラとレナを見て天を仰いだのだろう。
「その気遣いは理解していた」
レナが言う。
「ただし、服装を批判される理由にはならない」
「軍服の親戚だった事は変わりません」
「忘れろと言ったはずだ」
再び、小さな笑いが起きる。
正門前の記憶から、五人の意識はその先へ進み始めた。
開かれた門。
休日の帝都。
人々の声。
蒸気機関の音。
並ぶ店。
最初は、ミリアが一人で少し先を歩いていた。
時折振り返り、四人が付いて来ているかを確かめている。
だが、アイラとレナの方も周囲の人の流れや路地。
他の三人の位置を無意識に確認していた。
「正門を出た直後は」
ミリアが言う。
「ベルク少尉とクロフト中尉が、ずっと周囲を見ていました。休日なのに警備任務をしているようでした」
「人の多い場所では当然だ」
レナが答える。
「だが」
アイラは少し考える。
「帰り道では、それほど確認していなかったと思う」
ソフィアも頷いた。
「皆さんが近くにいる事が、分かるようになっていたのかもしれません」
その一言でアイラは夕暮れの帰り道を思い出した。
隣を歩く四人。
話し声。
笑い声。
自然と揃っていた足音。
確かに、あの時は振り返らなくても。
誰も離れていないと分かっていた。
カティアが思い出したのは、通りの一角に残されていた。
古い蒸気設備だった。
足を止め、鞄から資料を取り出し。
普段よりも早口で、構造について説明していた。
ミリアには、説明の内容はほとんど理解出来なかった。
だが、その時のカティアの表情は、よく覚えていた。
「ローゼン少尉は」
ミリアが言う。
「珍しい機械を見るたびに、目が輝いていました」
カティアは、自分の目元へ触れる。
「自覚はありません」
「本人には見えませんから」
ソフィアも微笑む。
「説明している時、とても楽しそうでした」
カティアは少しだけ黙った。
自分では知らない表情を、他の四人は覚えている。
その事が、少し不思議だった。
そして。
五人の記憶は、小さな菓子店へ移る。
焼きたての甘い香り。
窓辺の席。
机の上へ並べられた、何種類もの焼き菓子。
注文を決めたのはミリアだった。
皆で分ければいいと、次々と菓子を選んでいった。
「ミリア少尉は」
ソフィアが言う。
「私達が食べている時、何度も顔を見ていましたね」
ミリアは少しだけ視線を逸らす。
「皆さんの口に合うか、気になっただけです」
「本当にそれだけですか?」
ソフィアは穏やかに尋ねた。
ミリアはすぐには答えなかった。
五人で同じ机を囲んでいる事が、嬉しかった。
その気持ちは、隠そうとしても表情へ出ていたのだろう。
「ソフィア軍曹は」
アイラが話を引き継ぐ。
「店員が忙しそうなのを見て、皆へ茶を配っていた」
皿を寄せ。
茶を注ぎ。
菓子を取りやすい場所へ置く。
誰かに頼まれた訳でもない。
自然に、身体が動いていた。
「四人が落ち着いて食べられるようにしたかっただけです」
ソフィアは答えた。
「それに」
レナが補足する。
「誰が何を好むのか、よく見ていた」
ソフィアは少し考える。
意識していた訳ではない。
だが、誰が甘い物を選ぶのか。
誰が少し迷うのか、確かに見ていた。
「クロフト中尉が」
ミリアは思い出したように言う。
「甘い焼き菓子を気に入っていたのも、その時に分かりました」
レナの表情が僅かに固まる。
「気に入ったとは言っていない」
「二つ食べていました」
「余っていたからだ」
「三つ目です」
「数えるな」
短いやり取りに、今度はアイラまで笑った。
それを見たレナが、少しだけ目を細める。
「ベルク少尉も、あの日は随分笑っていた」
アイラが顔を向ける。
「私が?」
「ああ」
レナは答えた。
「最初は菓子を食べる時まで任務中のような顔をしていた。だが、ミリア少尉が菓子を落としかけた時には、普通に笑っていた」
アイラは、その時の事を思い出す。
皿の端から転がる焼き菓子。
慌てて両手で受け止めたミリア。
一瞬固まった後、皆で笑った。
だが、自分がどんな顔をしていたかは、自分では見えない。
「とても自然に笑っていました」
ソフィアも言う。
「普段より、少しだけ年相応に見えました」
アイラは返事に困った。
自分の知らない自分を、他の四人は知っている。
部屋は、ゆっくりと静かになった。
正門前。
帝都の通り。
古い蒸気設備。
菓子店。
夕暮れの帰り道。
同じ一日を過ごした。
だが、一人一人が覚えている場所は違う。
見ていた相手も、心に残った表情も違っている。
「服装だけではありませんね」
カティアが静かに言う。
手帳へ、一つずつ書き留めていく。
「声」
「仕草」
「視線」
「表情」
「自分では確認出来ない情報を、他の人が記憶しています」
ソフィアが胸元の指輪へ触れた。
「焼き菓子だけを思い浮かべるなら、一人でも出来ます」
そして、他の四人を見る。
「でも、あの日一緒にいた皆さんを思い出すなら、一人だけの記憶ではなくなります」
ミリアも、ゆっくりと頷いた。
「自分が見た皆さんだけではなくて、皆さんから見た自分も、意識するという事ですね、同じものを見るのではなく」
カティアが言葉を継ぐ。
「同じ記憶の中にいる、互いの存在を認識する」
アイラは。
四人の顔を順に見た。
五人が台座へ立った時。
目を閉じても。
全員がそこにいると分かる。
だが。
次は、ただいると確かめるだけではない。
相手がどんな人物なのか。
どんな顔で笑うのか。
どんな姿で、同じ記憶の中にいたのか。
そこまで思い浮かべる。
「次の訓練で試してみよう」
アイラは静かに言った。
「正門前の光景から始める」
「誰がどこに立っていたか」
「どんな服を着ていたか」
「どんな表情をしていたか」
「そこから」
少し間を置く。
「あの日の記憶を、五人で辿る」
ミリアの顔が明るくなる。
「決まりですね」
レナは。
すぐには答えなかった。
だが、胸元の指輪へ触れながら。
静かに頷く。
「成功する保証はない、だが、今までよりは筋が通っている」
カティアは。
新しい訓練方法を手帳へ書き始めた。
ソフィアは、そんな四人を穏やかに見つめていた。
五人で帝都へ出掛けた日。
あの時は、ただの休日だった。
互いの私服に驚き。
街を歩き。
同じ机で菓子を食べ。
一緒に帰っただけの日。
だが、それぞれの中に残っていた記憶を持ち寄る事で。
一人では見る事の出来なかった一日が。
少しずつ、形を持ち始めていた。
五人の胸元で、同じ銀の鎖に通された指輪が。
静かに揺れていた。
◇
翌日。
地下実験場には、いつもと変わらない青い光が満ちていた。
壁面へ埋め込まれた青晶石。
床を走る結晶回路。
中央に設けられた巨大な円形窪地。
その周囲には、五つの台座が等間隔に並んでいる。
研究員達は既に配置へ就き、観測装置の確認を始めていた。
記録用紙を用意する者。
青晶石の基準値を測る者。
指輪の発光を記録する装置を調整する者。
その中央で、アルトは前回の実験記録へ目を通していた。
「候補者五名、入ります」
扉の近くにいた研究員の声が響く。
アルトは資料から顔を上げた。
アイラ達が実験場へ入ってくる。
全員が軍服姿だった、胸元には銀色の鎖、そこへ通された指輪が、
歩みに合わせて小さく揺れている。
昨日までと、何も変わらないように見えた。
だが、アルトはすぐに違いへ気付いた。
五人の表情が、以前よりも落ち着いている。
緊張が消えた訳ではない。
未知の実験へ臨む警戒心も残っている。
それでも、どこか空気が柔らかかった。
ミリアは何かを堪えるように、僅かに口元を緩めている。
その隣を歩くレナも、普段ならすぐに注意しそうなものだが、今日は何も言わなかった。
カティアは観測装置へ興味を向けながらも、一人で先へ進まず、他の四人と同じ歩調を保っている。
ソフィアの表情も穏やかだった。
アイラはいつも通り真面目な顔をしている。
だが、時折。
他の四人へ視線を向けていた、確認するというより、何かを共有しているような視線だった。
アルトは手元の資料を閉じる。
「何かあったか」
五人の足が止まった。
アイラが代表するように一歩前へ出る。
「昨日の実験後、五人で訓練方法について話し合いました」
アルトの目が僅かに細くなる。
「訓練方法を?」
「はい」
アイラは頷いた。
「これまで私達は、同じ場所へ立ちながら、それぞれ違う事を考えていました。ミリア少尉は心の中で話しかけ、クロフト中尉は呼吸を整え、ローゼン少尉は指輪の構造を考えていました」
アイラはそこで一度、ソフィアへ視線を向ける。
「エーレン軍曹は全員の体調を気に掛け、私は他の四人がそこにいるかを確認していました」
アルトは黙って聞いている。
五人が訓練中に何を考えているか、そこまで細かく確認した事はなかった。
集中の方法は各自へ任せていた、意思共有という現象そのものが、まだ仮説の段階にあったからだ。
「全員の意識が違う方向を向いている事が、共鳴が起こらない原因ではないかと考えました」
アイラが説明を終えると、今度はカティアが口を開いた。
「正確には、原因の一つである可能性を考えています」
眼鏡の位置を整えながら、アルトへ向き直る。
「共鳴に共通の思考や記憶が必要なのだと仮定した場合、これまでの訓練では条件を満たしていませんでした。そこで今回は、五人全員が経験した同じ出来事を起点にします」
「どのような出来事だ」
アルトが尋ねる。
カティアは答える前に、僅かにミリアを見た。
それだけで、ミリアの口元がまた緩んだ。
「以前、五人で帝都へ外出した時の記憶です」
アルトは少し意外そうに五人を見た。
軍事訓練でも。
第三庁舎での講義でもない。
休日の外出。
「なぜ、その記憶を選んだ」
今度はソフィアが穏やかに答える。
「五人全員が同じ場所にいましたが、それぞれが見ていたものは少しずつ違っていたからです」
ソフィアは自分の胸元へ触れた。
銀の鎖に通された指輪が、指先の近くで僅かに揺れる。
「誰がどんな服を着ていたか。どんな表情をしていたか。何を見て、何を話していたか。自分自身では見えなかった姿を、他の誰かが覚えています」
「共通の記憶でありながら」
カティアが言葉を継ぐ。
「一人だけでは完成しない記憶です」
アルトはすぐには答えなかった。
五人を一人ずつ見る。
昨日まで、彼女達はアルトの指示に従い、与えられた方法で実験を行っていた。
今日は違う。
自分達で話し合い、仮説を立て試すべき方法を持って来ている。
「面白い」
アルトが静かに言った。
ミリアが少し目を丸くする。
褒められるとは思っていなかったらしい。
「方法として成立するかは分からない」
アルトは続ける。
「だが、試す価値はある」
五人の表情が僅かに明るくなる。
「今回は諸君の方法で行う」
「ありがとうございます」
アイラが頭を下げた。
他の四人もそれに続く、アルトは研究員達へ向き直った。
「通常の観測に加え、五人の脈拍と呼吸の変化を個別に記録しろ」
「思考開始の合図から、各指輪の発光までの時間差も測定する」
研究員達が一斉に動き始める。
「承知しました」
「観測装置を再設定します」
「生体記録を五系統へ分離」
短い報告が飛び交う。
五人は銀の鎖から指輪を外し、それぞれ自分の指へはめた。
赤い結晶は、まだ何の光も発していない。
台座へ向かう途中、ミリアが小さな声で言った。
「最初は正門前からですよ」
レナが横目で見る。
「分かっている」
「軍服の親戚を思い出してください」
「その言葉は必要ない」
「でも、一番覚えやすいです」
レナの目が少し鋭くなる。
だが、本気で怒っている訳ではなかった。
アイラは小さく息を吐く。
ソフィアは笑いを堪え。
カティアは真面目な顔で言う。
「共通認識としては有効です」
「ローゼン少尉まで肯定するな」
レナの声が、実験場へ僅かに響いた。
近くにいた研究員が、不思議そうに五人を見る。
これから未知の実験を行う者達には見えなかったからだ。
アルトも、その様子を静かに見ていた。
緊張していない訳ではない。
ふざけている訳でもない。
五人は、これから何を思い浮かべるのかを知っている。
だから、少しだけ楽しんでいるように見えた。
これまでの実験では。
失敗しない事。
異常へ対応する事。
指示通りに集中する事。
そればかりを考えていた。
今日は違う五人にとって、その記憶は恐れるものではない。
互いの姿を思い出す事は少なくとも、苦痛を伴う訓練ではなかった。
「配置に就け」
アルトが告げる。
五人はそれぞれの台座へ上がった。
アイラ。
レナ。
カティア。
ミリア。
ソフィア。
定められた位置へ立つ。
目を閉じる前に、五人は互いの顔を見た。
誰からともなく僅かに頷く、その動作は小さかった。
それでも、アルトは見逃さなかった。
「準備は」
「出来ています」
アイラが答えた。
声は落ち着いていた、アルトは片手を上げる。
研究員達が観測装置へ集中する。
室内から、少しずつ物音が消えていく。
「始めろ」
五人は目を閉じた。
最初に思い浮かべたのは、第三庁舎の正門だった。
約束の時間より少し前。
濃い茶色の上着を着たアイラが、正門脇で腕を組んで待っている。
それは、アイラ自身の記憶にはない光景だった。
自分の目で、自分の立ち姿を見る事は出来ない。
だが、他の四人は覚えていた。
アイラは、不思議な感覚を覚える。
正門脇に立っている自分を、少し離れた場所から見ている。
黒髪を後ろで束ね、周囲へ警戒するように視線を向けている。
濃い茶色の上着、長ズボン、丈夫そうな革靴。
そして門番の兵士が、少し困った顔をしている。
それは、誰の記憶なのか分からなかった。
次に、黒を基調とした私服姿のレナが現れる。
正門前で、アイラとレナが互いを見る。
何も言わず、同じような服を選んでしまった事へ気付く。
その少し後ろから、二人を見ている視線があった。
柔らかな笑み淡い色のワンピース、ソフィアだった。
さらに、遠くから駆けて来るミリア、二人の服装を見た瞬間。
笑顔が消え、天を仰ぐ。
そして聞こえた。
『軍服の親戚じゃないですか』
声だった。
ただ思い出しただけではない。
すぐ近くで、ミリアが話しているような声だった。
アイラの眉が僅かに動く。
レナの指先も、小さく反応する。
観測装置の前で研究員が息を呑んだ。
「脈拍が」
五人の脈拍が、ほぼ同じ瞬間に僅かに上昇していた。
呼吸も、少しずつ近い間隔へ揃い始めている。
アルトは五人から目を離さない。
表情は穏やかだった、目を閉じたまま。
ミリアの口元が僅かに笑っている。
ソフィアも柔らかな表情をしていた。
レナはいつも通りに見える。
だが眉間にあった力が、少しだけ抜けている。
カティアは、何かを観察する時の顔ではない、自分では見る事の出来なかった。
他の四人の記憶へ、意識を向けていた。
そしてアイラは、全員がそこにいる事を確かめていた。
だが今回は呼吸や足音だけではない、
正門前に立つレナ。
少し恥ずかしそうに笑うソフィア。
資料で膨らんだ鞄を持つカティア。
頭を抱えるミリア。
目を閉じていても、四人の姿が見える。
赤い結晶がほんの僅かに光った。
一つではなかった。
最初にアイラ、続いてレナ。
カティア。
ミリア。
ソフィア。
前回よりも、明確な順序を持ちながら、五つの光が繋がるように灯っていく。
「発光を確認」
研究員が声を上げる。
「五基全てです」
別の観測装置で針が動き始めた。
壁面の青晶石。
床を走る結晶回路。
五つの台座から、中央の円形窪地へ向かって淡い光が伸びていく。
前回よりも長く、そして、明らかに安定していた。
アルトの目が細くなる。
「記録を続けろ」
声は冷静だった。
だがその視線は、これまでになく鋭かった。
五人が自分達で考えた方法が。
初めて明確な結果を生み始めていた。
五つの台座から伸びた淡い光は、中央の円形窪地へ向かっていた。
完全には繋がっていない。
途中で弱まり、やがて静かに消えていく。
それでも前回とは明らかに違っていた。
偶然ではない、五人が同じ記憶を辿り、互いの姿を意識した事で反応は生まれた。
「発光終了」
研究員の声が響く。
「青晶石の反応も低下しています」
アルトは片手を上げた。
「実験を終了する」
五人がゆっくり目を開く。
最初に見たのは観測装置でも、自分の指輪でもなかった。
正面や左右に立つ他の四人の姿だった。
しばらく誰も言葉を発しなかった。
だがミリアの顔には、隠し切れない笑みが浮かんでいる。
ソフィアも穏やかに微笑んでいた、カティアは驚いたように自分の指輪と四人を交互に見ている。
レナは表情を崩していない、それでも僅かに目元が柔らかかった。
アイラは四人がそこにいる事を確認すると、静かに息を吐いた。
「成功ですか?」
ミリアが尋ねる。
アルトはすぐには答えなかった。
観測装置。
青晶石。
五人の呼吸と脈拍。
そして互いを見る五人の表情、それらを順に確認する。
「少なくとも」
アルトは静かに答えた。
「昨日よりは前へ進んだ」
ミリアの笑みがさらに広がる。
レナが小さく息を吐いた。
「まだ成功とは言われていない」
「でも前進です」
ミリアは答える。
「それなら十分です」
アルトはその言葉を否定しなかった。
五人は与えられた命令に従っただけではない。
自分達で考え、互いを見て初めて一つの結果へ辿り着いた。
指輪は確かに反応した、だがそれだけではなかった。
この実験を動かした鍵は、赤い結晶だけではない。
五人の中に生まれ始めていた、互いを思い浮かべる事の出来る関係。
それこそが閉ざされていた扉を、初めて動かしたものだった。




