第十四話 前倒し
王国から報告が届いたのは。
候補者達へ外出許可を出した日の事だった。
◇
研究主任室。
窓の外では帝都の街並みが広がっている。
昼下がり。
街は休日の賑わいに包まれていた。
アルトは机に置かれた報告書へ視線を落とす。
王国西部。
神殿観測所。
異常反応感知。
推定危険度──低~中。
内容そのものは短い。
だが、国家を動かすには十分だった。
部屋にはもう一人いた。
第三庁舎所属の補佐研究員。
彼もまた報告書へ目を通している。
「どう思う」
アルトが尋ねる。
研究員は少し考えた。
「判断が難しいですね」
正直な感想だった。
「神殿が感知した以上、何らかの異常は起きています」
「ですが」
研究員は書類へ視線を落とす。
「過去の魔王出現記録と比較すると一致しない点も多い」
アルトは黙って聞いていた。
研究員は続ける。
「現段階では何とも言えません」
「私も同意見だ」
アルトは言った。
部屋が静かになる。
魔王かもしれない。
違うかもしれない。
どちらにせよ。
現時点では判断材料が足りなかった。
だが、国家は違う。
魔王という可能性が出た時点で動く。
それが帝国だった。
アルトは報告書を閉じる。
「前倒しする」
研究員が顔を上げた。
その一言で意味は伝わった。
「星巫女計画をですか」
「そうだ」
アルトは頷く。
「第二・第三段階試験」
「適性評価」
「青晶石同期試験」
「全て予定を繰り上げる」
研究員は黙る。
反対ではない。
だが、懸念はあった。
「しかし候補者達は現在外出中ですが・・・」
アルトは頷く。
先ほど、自ら許可を出した。
帝都散策。
買い物。
自由行動。
「呼び戻しますか?」
部屋が静かになる。
研究員としては当然の提案だった。
仮に魔王出現の可能性があるなら。
候補者を研究施設へ戻す。
それが普通だ。
アルトは窓の外を見た。
帝都の街並み。
人々が行き交っている。
平和な日常。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
「不要だ」
短い返答だった。
研究員は少し驚く。
「しかし」
「現時点では未確認情報だ」
アルトは言う。
「王国も神殿も警戒段階」
「出現確認ではない」
研究員は黙った。
理屈は分かる。
だが、それだけではない気がした。
アルトは続ける。
「それに」
そこで言葉が止まる。
珍しく少し考えるような間だった。
「彼女達は軍人ではあるが囚人ではない」
研究員は目を瞬く。
聞き慣れた言葉だった。
アルトは本気でそう考えている。
「外出を許可したのは私だ」
「ならば戻る時間までは自由にさせる」
静かな声だった。
研究員は小さく息を吐く。
やはりそういう人間だ。
合理性だけなら呼び戻す。
だが、この男はそれをしない。
「承知しました」
アルトは頷く。
そして再び報告書へ視線を落とした。
王国。
神殿。
異常反応。
警戒勧告。
並んだ文字を眺めながら。
アルトは考える。
もし本当に魔王なら。
時間は多く残されていないかもしれない。
だからこそ、準備は急がなければならない。
◇
翌日――
会議室。
アイラ達五人は静かに席へ着いていた。
先程から聞かされている内容だけでも十分衝撃的だった。
依り代。
青晶石。
意思共有。
そして。
星巫女計画。
アルトは静かに五人を見回した。
「星巫女計画の目的は」
淡々とした声だった。
「対魔王戦力の確立だ」
部屋が静まり返る。
誰も言葉を発しない。
アルトは机の上の書類へ視線を落とした。
昨日届いた報告書だった。
そして。
静かに口を開く。
「その話に関連して」
「昨日、王国から一つの報告が入った」
部屋の空気が変わる。
アイラはそれを感じた。
先程までの説明とは違う。
これは理論でも仮説でもない。
今起きている話だ。
アルトは机の上の報告書へ視線を落とした。
「王国西部」
「神殿観測所にて異常反応が確認された」
静かな声だった。
誰も聞き逃さない。
「現時点では未確認情報だ、神殿及び王国は警戒態勢へ移行している」
沈黙。
最初に口を開いたのはレナだった。
「魔王ですか」
軍人らしい質問だった。
余計な感情は無い。
必要な情報だけを求めている。
アルトは首を横に振る。
「不明だ」
即答だった。
「神殿は魔王関連反応と判断している」
「だが確定ではない」
レナは黙って頷く。
その答えは予想していた。
確定しているなら、こんな静かな会議では済まない。
帝国全土が動いている。
「待ってください」
今度はミリアだった。
珍しく表情が硬い。
「つまり」
「魔王が現れるかもしれないって事ですか?」
アルトは否定しない。
肯定もしない。
数秒考え。
そして答えた。
「可能性の話だ」
部屋が静かになる。
その言葉だけで十分だった。
ミリアは口を閉じる。
いつもの明るさが消えていた。
昨日まで。
休日だった。
買い物をして。
笑って。
騒いでいた。
だが。
魔王という言葉は。
そんな日常を一瞬で遠ざける力があった。
「過去の記録とは一致しない部分もある」
アルトは続ける。
「私個人としては判断を保留している」
そこでカティアが顔を上げた。
「一致しない?」
研究者らしい反応だった。
不安より先に疑問が来る。
「何が違うのですか?」
アルトは少しだけ考える。
「規模だ」
「観測値が小さい」
「発生地点も限定的」
カティアは黙り込む。
頭の中で整理しているのだろう。
ソフィアも静かに聞いていた。
彼女の手は僅かに握られている。
医師として。
研究者として。
そして一人の人間として。
魔王という言葉の重さを知っているからだ。
「だからこそ」
アルトは言った。
全員の視線が集まる。
「我々は急ぐ必要がある」
静かな声だった。
そこに迷いは無い。
「星巫女計画は予定を変更する」
「第二段階及び第三段階試験を前倒しする」
アイラは息を呑んだ。
レナも表情を変える。
ミリアが目を見開く。
ソフィアは静かに背筋を伸ばした。
カティアだけは驚きと興味が半々だった。
アルトは五人を見回す。
「準備期間は短くなる、負担も増える」
「だが」
そこで言葉を切る。
そして。
静かに告げた。
「時間がある保証は無い」
部屋は再び静寂に包まれた。
昨日までの休日。
帝都の街並み。
買い物。
笑い声。
そんな日常が遠く感じる。
アルトは五人を見回した。
そして、話を続ける。
「早速だが、本日より予定を変更する」
全員が顔を上げた。
「基礎体力訓練を増やす」
レナが小さく頷く。
そこまでは予想していた。
「並行して」
アルトは続ける。
「青晶石を利用した意思疎通実験を開始する」
今度はカティアが反応した。
「もうですか?」
「ああ」
アルトは頷く。
「君達は既に適性条件を満たしている」
「検証段階へ移行する」
カティアは何かを考え込む。
興味を抑えきれていない表情だった。
アルトは構わず続けた。
「さらに」
「青晶石の性質理解」
「星の力への接触実験も行う」
今度はソフィアが僅かに表情を変える。
さきほど聞いたばかりの話だ、まだ実感も無い。
しかし、それを実際に試す段階へ進むらしい。
「実験はどこで行うのですか?」
アイラが尋ねた。
アルトは答える。
「地下施設だ」
「現在準備中の仮設実験場を使用する」
五人が顔を見合わせた。
仮設。
その言葉が引っ掛かった。
最初に口を開いたのはミリアだった。
「仮設?」
アルトは頷く。
「正式運用前の施設だ」
「現在の試験はそこで行う」
レナが腕を組む。
「という事は」
「本来の施設は別にあるのですか?」
アルトは少しだけ沈黙した。
そして。
「ある」
短く答える。
部屋が静まる。
「どこに?」
ミリアが尋ねる。
アルトは首を横に振った。
「それについては後日説明する」
即答だった。
これ以上話すつもりは無いらしい。
カティアが不満そうな顔をする。
誰も追及しなかった。
アルトが今話さないと決めた時は。
何を言っても変わらない。
それを五人も理解し始めていた。
「まずは仮設実験場で訓練を行う」
アルトは言う。
「第二段階試験の開始だ」
その言葉に。
五人は自然と姿勢を正した。
昨日までとは違う。
何かが動き始めている。
そんな予感があった。
そして誰も気付いていなかった。
その実験場が。
彼女達の運命と常識を覆すことを。
◇
会議室を出た後。
五人はアルトの後に続いていた。
研究棟の廊下を進む。
見慣れた道だった。
訓練場。
講義室。
食堂。
この数ヶ月で何度も歩いた場所だ。
今日は違った。
アルトは地下へ続く通路へ向かっている。
「地下って初めてですよね」
ミリアが小声で言う。
アイラも頷いた。
第三庁舎で生活している。
だが地下へ降りた事は一度も無かった。
普段は立入禁止になっている区域だ。
重い鉄扉を抜ける。
階段を降りる。
さらに扉。
さらに階段。
次第に空気が変わっていく。
研究施設というより。
どこか古い遺跡へ向かっているような感覚だった。
「思ったより厳重ですね」
ソフィアが呟く。
レナも周囲を見回していた。
警備兵の数が明らかに増えている。
やがて、最後の扉が開かれた。
五人は思わず足を止める。
広い。
地下空間とは思えないほど広かった。
天井は高く。
壁面には無数の青い結晶が埋め込まれている。
淡い光が室内を照らしていた。
床にも青晶石が走るように配置されている。
まるで巨大な回路だった。
「これは……」
カティアが思わず呟く。
研究者としての好奇心が抑えきれない。
部屋の中央。
そこには半径十数メートルほどの巨大な円形の窪みがあった。
円周には複雑な紋様が刻まれている。
そして。
その周囲を囲むように。
五つの台座が設置されていた。
それぞれの台座には青晶石が組み込まれている。
人が一人立てる程度の大きさだった。
「ここに立つのですか?」
アイラが尋ねる。
アルトは頷いた。
「ああ」
短い返答だった。
ミリアは周囲を見回す。
壁。
床。
台座。
至る所に青晶石が使われている。
その量は今まで見たものとは比較にならない。
「こんなに沢山……」
ソフィアが思わず声を漏らす。
アルトは中央の窪みへ歩いていく。
そして静かに言った。
「これらの大半は採掘したものではない」
五人が顔を上げる。
「過去の魔王戦場より発掘された青晶石だ」
部屋が静まる。
アルトは続ける。
「各地で回収された破片」
「埋没していた結晶」
「遺跡化した戦場から発見された残存物」
「それらを帝国が回収し、精製し、再結晶化した」
カティアの目が大きく開く。
研究者として。
その意味が理解出来たからだ。
「再結晶化……」
信じられない技術だった。
青晶石は天然資源ではない。
少なくとも現在の帝国では生成出来ない。
それを加工し、再利用している。
「百年以上の研究成果だ」
アルトは言う。
「帝国は魔王戦争の終結後も研究を続けてきた」
静かな声だった。
だが、その言葉の重みは大きかった。
アイラは壁へ埋め込まれた青晶石を見る。
淡く光る結晶。
美しい。
だが同時に、その一つ一つが。
かつて誰かが戦った痕跡でもあった。
そう思うと、見え方が少し変わった。
アルトは五つの台座を見渡した。
そして。
静かに言う。
「そこへ立て」
アルトに言われるまま。
五人はそれぞれの台座へ移動した。
青晶石が埋め込まれた台座。
足元から淡い青い光が漏れている。
アイラは周囲を見回した。
中央の円形窪地。
壁面の青晶石。
床に刻まれた複雑な紋様。
どう見ても何かが起こりそうだった。
「準備は良いな」
アルトが言う。
五人は頷く。
そして。
待った。
数秒。
十秒。
三十秒。
何も起こらない。
ミリアがそっと隣を見る。
レナも立ったままだ。
カティアは辺りを見回している。
ソフィアも困惑していた。
「……」
沈黙。
さらに数秒。
やはり何も起こらない。
「えっと」
最初に口を開いたのはミリアだった。
「終わりですか?」
部屋が静かになる。
アルトは首を横に振った。
「いや」
「現状では何も起こらない」
五人が顔を見合わせる。
それなら、なぜ立たせたのか。
全員が同じ事を考えていた。
アルトは中央の窪みへ歩いていく。
そして。
円の中心を見下ろした。
「この施設は未完成だ」
静かな声だった。
「未完成?」
アイラが尋ねる。
アルトは頷く。
「正確には」
「起動に必要な中核部品が存在しない」
カティアの目が光る。
研究者の顔だった。
「部品?」
「鍵だ」
アルトは答えた。
部屋が静まる。
「この施設を動かすための鍵が必要になる」
五人は周囲を見回した。
これだけの施設。
これだけの青晶石。
それでも足りないらしい。
「現在研究所で製作中だ」
アルトは続ける。
「完成は近日中を予定している」
レナが腕を組む。
「つまり」
「それまでは待機ですか」
アルトは首を横に振った。
「違う」
即答だった。
「むしろ逆だ」
五人の視線が集まる。
「完成した時点で第二段階試験は開始される」
「準備期間は限られている」
アルトは台座を見渡した。
「基礎体力の向上」
「青晶石の性質理解」
「意思疎通訓練」
「星の力に関する知識習得、全て並行して進める」
ミリアが思わず呟く。
「結構大変そうですね……」
「大変だ」
アルトは否定しなかった。
「だから今のうちに慣れてもらう」
静かな声だった。
だが、そこには迷いが無い。
アイラは再び周囲を見る。
壁に埋め込まれた青晶石。
床を走る青い結晶。
五つの台座。
そして。
中心に描かれた巨大な円。
今は何も起こらない。
鍵が完成した時。
この施設は本来の姿を見せるのだろう。
そう思うと、少しだけ背筋が寒くなった。
そして同時に。
胸の奥で小さな期待も生まれていた。
だが。
その期待を見透かしたようにアルトが口を開く。
「勘違いするな」
五人の視線が集まる。
「ここは完成していない」
静かな声だった。
「今日見せたのは施設そのものだ、試験ではない」
ミリアが思わず肩を落とす。
「やっぱりそうですよね」
カティアは逆だった。
むしろ興味が増している。
「完成したら何が起きるんですか?」
アルトは少しだけ考えた。
そして、首を横に振る。
「分からん」
即答だった。
五人が揃って固まる。
「分からないんですか?」
今度はソフィアだった。
アルトは頷く。
「正確には予測段階だ」
そう言って中央の窪地へ視線を向ける。
「青晶石の反応は確認されている」
「だが施設全体を起動させた事はまだ無い」
アイラは思わず周囲を見回した。
これほどの施設なのに。
まだ誰も完成形を見た事がないらしい。
「起動に必要な部品が存在しないからだ」
レナが尋ねる。
「その鍵ですか」
「ああ」
アルトは短く答えた。
「現在研究所で最終加工中だ」
それ以上の説明は無かった。
何となく。
まだ話すつもりが無いのだろうと全員が理解する。
「完成は近い」
アルトは続ける。
「数日以内を予定している」
部屋が静まる。
数日。
思ったより短い。
「それまでに準備を終えてもらう」
アルトは五つの台座を見渡した。
「体力訓練」
「知識教育」
「青晶石理論」
「共鳴現象」
「意思共有訓練」
「全て予定を前倒しする」
ミリアが小さく呟く。
「休み明けなのに……」
「だからだ」
アルトは即答した。
ミリアが口を閉じる。
反論出来ない。
レナは既に覚悟を決めたような顔をしていた。
ソフィアも静かに頷く。
カティアに至っては何やら楽しそうですらある。
アイラはそんな仲間達を見回した。
少し前なら。
ここまで自然な空気にはならなかっただろう。
休日。
買い物。
食事。
何気ない時間だった。
だが、それは確かに五人の距離を縮めていた。
「本日の見学は以上だ」
アルトが言う。
「戻るぞ」
五人は台座から降りる。
その時だった。
アイラはふと足を止めた。
壁に埋め込まれた青晶石。
その一つが、ほんの一瞬だけ。
脈打つように光った気がした。
「……?」
見間違いだろうか。
再び見る。
だが。
もう何も変わらない。
ただ静かに青い光を放っているだけだった。
「アイラ?」
ミリアの声が聞こえる。
「どうしました?」
「いや」
アイラは首を振った。
「何でもない」
そう答えながら。
もう一度だけ青晶石を見る。
やはり何も変わらない。
気のせいだったのかもしれない。
その時のアイラは知らなかった。
静かに眠っていると思われていたその施設が。
既に。
僅かに目を覚まし始めていた事を。
誰も気付いていなかった。
その異変が。
静かに。
確実に。
近付いている事に。
◇
その日から。
候補者達の新たな訓練が始まった。
朝は基礎体力訓練。
朝食を終えると講義室へ向かう。
青晶石に関する研究資料の読解。
星の力についての理論。
過去の実験記録。
これまで断片的にしか教えられてこなかった内容を、今度は体系的に学ぶ事になった。
「思ったより難しいですね……」
資料へ目を落としながらソフィアが呟く。
「専門用語が多過ぎる」
ミリアも顔をしかめた。
対照的にカティアは楽しそうだった。
次々と資料を読み進めている。
「面白いですよ」
「どこがだ」
レナが呆れたように言う。
「全部です」
即答だった。
アイラは苦笑する。
どうやら研究者の感覚は理解出来そうにない。
午前中の講義が終わる頃には全員の頭が少し疲れていた。
そして。
昼食を終えると地下実験場へ向かう。
午後からは意思共有訓練だった。
五人はそれぞれの台座へ立つ。
青晶石は静かに光っている。
アルトは中央で記録用紙を片手に様子を見ていた。
「それで」
ミリアが手を挙げる。
「結局何をすれば良いんですか?」
アルトは顔を上げる。
「自由にやってみろ」
「雑ですね!?」
即座にミリアが抗議した。
だがアルトは気にした様子も無い。
「何をもって成功とするのかも定かではない」
「成功条件も不明」
「発動条件も不明」
「だから試す」
研究者らしい答えだった。
「つまり手探りという事ですか」
レナが確認する。
「ああ」
アルトは頷く。
「研究とはそういうものだ」
部屋が静まり返る。
五人は顔を見合わせた。
話しかけるのか。
考えるのか。
集中するのか。
何をすれば良いのか分からない。
それでも。
やるしかなかった。
「聞こえますかー?」
真っ先に始めたのはミリアだった。
当然。
何も起こらない。
「だからそういうものではないと思うぞ」
レナが呆れたように言う。
しかし、そのレナも方法は分かっていなかった。
しばらくして。
全員が思い思いの方法を試した。
集中してみる。
目を閉じてみる。
同じ言葉を思い浮かべる。
呼吸を合わせてみる。
だが、結果は変わらない。
沈黙だけが続いた。
やがて、アイラが小さく手を挙げた。
「一つ聞いても良いですか」
アルトが視線を向ける。
「何だ」
アイラは少し言葉を選んだ。
そして、率直に尋ねる。
「この訓練に意味はあるのでしょうか」
部屋が静かになる。
ミリアもソフィアも思わず頷いた。
実は全員が同じ事を考えていた。
アイラは続ける。
「施設はまだ完成していません」
「鍵も完成していない」
「現状では何も起こらないと説明されました」
そこまで言って。
少しだけ困った顔をする。
「なら」
「今やっている事に意味はあるのでしょうか」
率直な疑問だった。
レナも腕を組んだまま黙っている。
おそらく同意見なのだろう。
アルトはしばらく考えていた。
やがて静かに口を開く。
「逆に聞くが」
五人の視線が集まる。
「鍵が完成したとして」
「何をするのかも分からないまま、今日突然ここへ連れて来られ」
「実験を始めると言われて、君達は対応出来るのか」
誰も答えない。
アイラも考える。
答えは分かっていた。
無理だ。
地下施設を見たのも今日が初めて。
青晶石についても学び始めたばかり。
施設の構造も。
実験の目的も。
理解しきれていない。
そんな状態で実験を始めても混乱するだけだろう。
「この施設を動かす事が目的ではない」
アルトは続ける。
「まずは理解する事だ」
「自分達が何のためにここにいるのか」
「何を目指しているのか」
「何を行おうとしているのか」
静かな声だった。
だが、その言葉には重みがあった。
「星巫女計画は単なる実験ではない」
「君達自身が計画の中心だ」
「だから理解が必要になる」
ミリアが少しだけ真面目な顔になる。
アルトは五つの台座を見回した。
「それに」
そこで言葉を切る。
「この場所に慣れてもらう意味もある」
五人は周囲を見回した。
地下実験場。
壁面に埋め込まれた青晶石。
中央の巨大な円形窪地。
独特の静けさ。
初めて入った時の緊張感はまだ残っている。
「実験が始まれば、君達は長時間ここで過ごす事になる」
「環境に慣れる事も準備の一つだ」
レナが小さく頷いた。
軍でも似たような事はあった。
新しい装備。
新しい配置。
新しい戦場。
まずは慣れる。
それだけで結果は変わる。
「そして」
アルトは最後に言った。
「何も起こらないとは限らない」
カティアが反応する。
「どういう意味ですか?」
「青晶石には既に微弱な変化が見られる」
部屋が静まる。
「共鳴か」
「環境要因か」
「候補者の影響か」
「まだ判断は出来ない」
アルトは記録用紙を閉じた。
「だから観察する、だから試す」
「だから今日ここにいる」
五人は顔を見合わせる。
納得したとは言い難い。
少なくとも意味が無い訳ではないらしい。
先は長そうだった。
そうして。
手探りの訓練は続いた。
翌日も。
その翌日も。
意思共有訓練に大きな進展は無かった。
五人はそれぞれ思いつく方法を試し続ける。
心の中で話しかける。
同じ言葉を思い浮かべる。
景色を共有する。
呼吸を合わせる。
時には全員で円になって意見を出し合う事もあった。
結果は変わらない。
それでも少しずつ変化はあった。
地下実験場そのものには慣れ始めていたのだ。
休憩時間になると。
誰からともなく施設内を見て回るようになった。
壁面へ埋め込まれた青晶石。
床を走る結晶回路。
中央の巨大な円形窪地。
最初は圧倒されていた空間も。
今では少しだけ身近なものになりつつあった。
アイラはふと思う。
それはどこか、自分達に似ていた。
最初に顔を合わせた頃、五人の間には距離があった。
互いの事を知らず、何を考えているのかも分からない。
必要以上に踏み込む事もなかった。
今は違う。
食堂で顔を合わせれば自然と会話をする。
訓練中に意見を交わす事も増えた。
休日には五人で街へ出掛ける事さえある。
時間をかけて。
少しずつ慣れていったのだ。
それはこの地下実験場も同じだった。
初めて訪れた時は圧倒されるばかりだった場所が。
今では自分達の日常の一部になりつつある。
「ここ、意外と広いですよね」
ミリアが壁沿いを歩きながら言う。
「確かに」
ソフィアも周囲を見回した。
「毎日来ているのに全部見た気がしません」
カティアは相変わらず設備に興味津々だった。
暇さえあれば観測装置や青晶石を眺めている。
レナはそんな三人を見ながら小さく息を吐いた。
アイラは思わず笑みを浮かべる。
少なくとも。
ここへ来たばかりの頃なら。
こんな光景は想像も出来なかっただろう。
最初は訓練場にしか見えなかったこの場所を。
少しずつ自分達の居場所として認識し始めている事を。
そして。
変化はもう一つあった。
最近、天候が安定しない。
激しい嵐ではない。
だが、突然雨が降る。
風が吹く。
晴れていた空が曇る。
そんな日が続いていた。
第三山岳国境警備隊にいた頃の感覚が。
アイラの胸に小さな違和感を残していた。
◇
そんな日々が続いていた。
意思共有訓練は相変わらず成果が見えない。
青晶石の講義も続いている。
地下実験場にも慣れた。
それでも。
大きな変化は無かった。
少なくとも。
その日までは。
◇
朝の講義室。
いつものように五人が席へ着いていた。
資料を広げるカティア。
眠そうなミリア。
静かに本を読んでいるソフィア。
レナは腕を組みながら窓の外を眺めていた。
アイラも資料へ目を落としている。
そこへ、アルトが入室した。
いつも通りだった。
だが、アイラは違和感を覚えた。
僅かだが。
表情が硬い。
緊張しているようにも見える。
アルトは教壇へ立つ。
そして。
手に持っていた小箱を机へ置いた。
コトリ。
小さな音が響く。
「本日の講義は中止する」
五人が顔を上げた。
カティアなどは驚きで目を瞬かせている。
講義を中止するなど初めてだった。
アルトは小箱へ視線を落とした。
そして。
静かに言う。
「鍵が完成した」
部屋が静まり返る。
誰もすぐには反応出来ない。
数秒遅れて。
ミリアが口を開いた。
「完成……?」
「ああ」
アルトは頷く。
「地下実験場起動用媒体、最終調整を終えた」
その言葉に。
空気が変わった。
今まで聞かされてきた話。
地下実験場。
青晶石。
意思共有。
星巫女計画。
全てが急に現実味を帯びる。
レナが腕を解いた。
ソフィアも背筋を伸ばす。
カティアは興奮を隠せていない。
アイラは自然と小箱へ目を向けた。
アルトはそれを手に取る。
ゆっくりと蓋を開いた。
そこにあったのは。
五つの指輪だった。
銀色の台座。
そして中央に埋め込まれた赤い結晶。
光を受けて静かに輝いている。
宝石のようにも見える。
だが、どこか違う。
見ているだけなのに。
妙な存在感があった。
「これが……」
ソフィアが小さく呟く。
アルトは頷く。
「これより第二段階試験を開始する」
静かな声だった。
しかし、その言葉の重みは今までとは違った。
アルトは小箱を開いたまま五人を見回した。
「前へ」
呼ばれた五人は順番に机の前へ並ぶ。
アルトは一人ずつ小箱から指輪を取り出した。
銀色の輪。
そして中央には小さな赤い結晶。
光を受けるたびに静かに輝いている。
「装着しろ」
あまりにも簡潔だった。
だが。
五人は顔を見合わせる。
「今ですか?」
ミリアが尋ねる。
「ああ」
アルトは頷いた。
「実験開始までは常時携行してもらう」
そう言われ。
五人はそれぞれ指輪を受け取る。
思ったより軽い。
だが不思議な存在感があった。
ミリアはしばらく眺めていた。
「綺麗ですね」
思わず漏れた言葉だった。
「確かに」
ソフィアも小さく頷く。
宝石のようにも見える。
だが。
どこか違う。
上手く説明出来ない感覚だった。
「はめれば良いのですか?」
カティアは興味深そうに指輪を観察している。
既に研究対象を見る目だった。
「好きな指で構わない」
アルトが答える。
五人はそれぞれ指輪へ視線を落とした。
そして。
ゆっくりと指にはめる。
その瞬間。
何故だろう。
少しだけ緊張した。
別に特別な意味がある訳ではない。
研究用装備。
ただそれだけだ。
それなのに。
女性にとって指輪というものは少し特別だった。
ミリアは何度も手を眺める。
「なんだか変な感じです」
「付け慣れていないからだろう」
レナが言う。
そのレナ自身もさり気なく指輪を見ていた。
おそらくアクセサリーを付ける機会などほとんど無かったのだろう。
アイラも似たようなものだった。
第三山岳国境警備隊時代。
装飾品は禁止されていた。
こうして指輪を付ける事自体が珍しい。
ソフィアは少し照れたように微笑む。
「綺麗ですね」
「そうですね」
アイラも思わず頷いた。
その横で。
カティアだけは反応が違った。
「結晶構造が気になります」
全員がそちらを見る。
「やっぱりそうなるのか」
レナが呆れたように言った。
思わず笑いが漏れる。
ほんの僅かだったが。
緊張していた空気が和らいだ。
だが、アルトだけは五人の様子を静かに観察していた。
指輪を装着した瞬間の反応。
体調変化。
表情。
呼吸。
全てを記録している。
研究者として。
そして計画責任者として。
見逃す訳にはいかなかった。
◇
その日の午後。
五人は再び地下実験場へ集められていた。
見慣れた空間。
壁面へ埋め込まれた青晶石。
床を走る結晶回路。
中央の巨大な円形窪地。
そして。
五つの台座。
いつもと同じ光景だった。
違うのは、それぞれの指に嵌められた赤い指輪だけだった。
「配置につけ」
アルトの声が響く。
五人はそれぞれの台座へ向かう。
アイラは自分の位置へ立ちながら周囲を見回した。
ミリアは少し緊張した様子だった。
ソフィアは静かに呼吸を整えている。
レナはいつも通り冷静に見えた。
カティアは興味を隠しきれていない。
それぞれ表情は違う。
全員が少なからず緊張していた。
今日までとは違う。
初めて施設が起動するかもしれないのだ。
壁際には研究員達が並んでいる。
記録用紙。
観測装置。
測定器具。
皆が固唾を飲んで見守っていた。
アルトは中央へ立つ。
そして静かに言った。
「目を閉じろ」
五人は従う。
「余計な事は考えなくていい」
「まずは意識を落ち着かせろ」
地下実験場が静まり返る。
聞こえるのは呼吸音だけだった。
数秒。
十数秒。
さらに時間が過ぎる。
その時だった。
五人の指輪が。
淡く光り始めた。
最初は本当に僅かだった。
だが確かに光っている。
赤い結晶の奥から。
淡い輝きが漏れ出していた。
「なっ――」
研究員の一人が思わず声を上げる。
「反応しました!」
別の研究員も叫ぶ。
ざわめきが広がる。
その声に驚き、五人は反射的に目を開いた。
瞬間、光が消えた。
まるで最初から何も無かったかのように。
地下実験場は静寂に戻る。
「……?」
ミリアが自分の手を見る。
アイラも指輪を見つめた。
何も変わらない。
赤い結晶は静かなままだ。
「今のは」
ソフィアが呟く。
カティアは慌てて指輪を観察している。
レナも僅かに眉をひそめていた。
アルトは何も言わない。
壁際の研究員達へ視線を向ける。
研究員達は興奮を隠せていなかった。
「記録を確認しろ」
アルトが言う。
「全てだ」
研究員達が一斉に動き出す。
観測装置の数値を確認する者。
記録用紙へ書き込む者。
指輪が光った時間を測定する者。
室内に慌ただしい声が飛び交った。
五人は台座へ立ったまま、その様子を見ていた。
何が起きたのか、自分達にはまだ分からない。
ただ指輪が光った、それだけだった。
「主任」
青晶石の観測を担当していた研究員が声を上げる。
アルトがそちらを見る。
「一部の青晶石にも反応を確認しました」
室内が静まる。
「規模は?」
「極めて微弱です」
研究員は観測記録へ目を落とした。
「壁面北側の三か所、床面の伝導路にも一時的な数値上昇があります」
「台座から中央部へ向かうように反応が移動していました」
カティアが顔を上げる。
「指輪だけではなかったのですね」
研究員は頷いた。
「はい」
「完全な起動には至っていません」
「ですが、青晶石側にも明確な反応がありました」
アルトは何も言わず、中央の円形窪地へ視線を向けた。
指輪。
台座。
床を走る青晶石。
そして中央部。
微弱ではある。
だが、確かに繋がった。
アルトは研究員から記録用紙を受け取る。
数値に目を通す。
一度だけでは判断出来ない。
偶然の可能性もある。
環境の影響も否定出来ない。
それでも、これまで何の反応も示さなかった施設が。
指輪を装着した五人の集中に合わせて反応した。
その事実は大きかった。
「成功ですか?」
ミリアが恐る恐る尋ねる。
アルトは記録用紙から目を離さない。
少しだけ考える。
そして答えた。
「少なくとも」
五人の視線が集まる。
「指輪が鍵として機能する可能性は確認出来た」
カティアの表情が明るくなる。
ソフィアは安堵したように息を吐いた。
レナは静かに指輪を見つめる。
アイラも自分の手へ目を落とした。
先程まで淡く光っていた赤い結晶。
今は何事もなかったように沈黙している。
「今日はここまでですか?」
ミリアが聞く。
アルトはすぐには答えなかった。
手元の記録用紙へ視線を落とす。
指輪の発光。
青晶石の反応。
台座から中央部へ向かった微弱な変化。
一度の結果だけで判断するには早い。
「今回の結果を精査する必要がある」
アルトは静かに言った。
研究員達が顔を上げる。
「観測記録」
「反応時間」
「各台座の数値」
「青晶石側の変化」
「全てを確認する」
それから五人を見る。
「今日はここまでとする」
ミリアが少しだけ安堵したような顔をした。
アルトは続ける。
「以降の時間は各自に任せる」
「休んでも構わない」
「資料を読んでもいい」
「指輪を観察してもいい」
カティアの目が僅かに輝く。
おそらく休む気はない。
「ただし」
アルトの声が少しだけ低くなる。
「指輪は外すな」
五人が自分の手元を見る。
赤い結晶は静かなままだった。
先程まで光っていたとは思えないほど。
「常時装着した状態での変化も記録する」
アルトは言う。
「違和感があればすぐに報告しろ」
「体調」
「感覚」
「夢」
「何でもいい」
ソフィアが小さく頷く。
「承知しました」
レナも続く。
他の三人もそれぞれ返事をした。
アルトは研究員達へ向き直る。
「解析を始める」
その一言で。
室内は再び慌ただしく動き出した。
五人は台座を降りる。
それぞれが自分の指輪を見つめながら。
◇
五人が返事をした後。
アイラがふと自分の手元へ視線を落とした。
赤い結晶の指輪。
常時装着。
その言葉が少し引っ掛かる。
「一つよろしいでしょうか」
アルトが顔を上げる。
「何だ」
「基礎体力訓練の際はどうすれば良いのでしょう」
アイラは指輪を示した。
「走行訓練や組手もあります」
「そのままでは破損する可能性があります」
確かにそうだった。
転倒。
接触。
器具への引っ掛かり。
訓練中に指輪を着けたままにするのは危険だった。
「外してもよろしいのでしょうか」
アルトは少し考える。
その時だった。
「それでしたら」
壁際にいた女性研究員が声を上げた。
手元の箱を開き。
中から細い鎖を取り出す。
「こちらをお使いください」
差し出されたのは。
銀色のネックレスだった。
装飾はほとんど無い。
細い鎖と。
先端に小さな留め具が付いているだけだった。
女性研究員はアイラの前へ歩いてくる。
「運動時は指輪を外し」
「こちらへ通して身に着けてください」
そう言って。
留め具を開いて見せる。
指輪を鎖へ通し。
胸元に下げられる構造らしい。
「身体から離さなければ良いのですか?」
ソフィアが尋ねる。
「現時点ではその認識で問題ありません」
女性研究員は頷いた。
「指へ装着している場合と」
「首から下げた場合」
「反応に差が出るかどうかも確認します」
カティアが興味深そうにネックレスを見る。
「装着位置も実験条件になるのですね」
「はい」
研究員は答えた。
「ですので」
五人へ視線を向ける。
「訓練中も外したままにはしないでください」
一人ずつ、同じ形のネックレスが渡される。
アイラは受け取った鎖を手のひらへ載せた。
思っていたより細い。
軍用装備というより。
普通の装飾品に見える。
ミリアも同じ事を思ったらしい。
「指輪の次はネックレスですか」
小さく笑う。
「段々アクセサリーが増えていきますね」
「研究器具だ」
レナが言った。
「分かっていますけど」
ミリアは鎖を持ち上げる。
「見た目は完全にネックレスですよ」
ソフィアも少し楽しそうに眺めていた。
カティアは留め具の構造を確認している。
そしてレナも。
興味が無いような顔をしながら。
一度だけ胸元へ当てて長さを確かめていた。
アイラはその様子を見て。
小さく笑いそうになる。
指輪。
ネックレス。
どちらも本来なら。
自分達の生活とはあまり縁の無い物だった。
それを実験のために身に着ける事になる。
少しだけ不思議な感覚だった。
「紛失するな」
アルトが言う。
その一言で。
五人は同時に表情を引き締めた。
やはりこれは。
装飾品ではない。
計画のための重要な装備なのだ。
それでも。
ネックレスを手にしたミリアの顔が。
少しだけ嬉しそうだった事を。
誰も指摘しなかった。
◇
地下実験場を出た五人は、
それぞれネックレスを手にしていた。
細い銀色の鎖。
指輪を通すための簡素な留め具。
研究器具。
そう説明されている。
だが、見た目だけなら普通の装飾品だった。
廊下を歩きながら、ミリアは何度も手の中の鎖を眺めている。
「本当にネックレスですね」
「さっきからそればかりだな」
レナが言う。
「だってネックレスですよ?」
「研究器具だ」
「見た目の話です」
ミリアは納得していない。
その横で、カティアは留め具の構造を観察していた。
「かなり単純な造りです」
「壊れにくさを優先したのでしょう」
「そこを見るんですね……」
ソフィアが少し笑う。
アイラは自分の手元へ視線を落とした。
指輪。
ネックレス。
どちらも今までの生活には縁の薄い物だった。
それを、これから毎日身に着ける事になる。
まだ少し実感が無かった。
やがて、居住棟へ続く廊下へ差し掛かる。
そこで五人の足が止まった。
アルトから言われたのは。
以降の時間は各自に任せる。
それだけだった。
部屋へ戻る。
資料を読む。
休む。
好きにして良い。
だが。
急に自由を与えられると、それはそれで困る。
「どうします?」
最初に口を開いたのはミリアだった。
誰もすぐには答えない。
レナは腕を組む。
「部屋へ戻ればいいだろう」
「戻って何をするんですか?」
「休む」
「まだ夕食まで時間がありますよ」
「だから休むんだ」
「面白くないないです」
「休息に面白さを求めるな 」
いつものやり取りだった。
ソフィアが苦笑する。
カティアは少し考え込んでいた。
「今回の反応について整理しておきたいです」
「それなら」
ミリアがすぐに反応する。
「談話室に行きませんか?」
レナが眉をひそめる。
「なぜ全員で行く必要がある」
「全員で実験内容を理解するためです 」
珍しく、それらしい理由だった。
レナは何も言い返さない。
アイラも少し考える。
確かに、一人で部屋へ戻る気にはなれなかった。
指輪が光った。
青晶石も反応した。
初めて明確な結果が出た。
だが、何が起きたのかは誰にも分からない。
そんな状態で一人になるより。
誰かと話していた方が落ち着く気がした。
「行こう」
アイラが言う。
ミリアの顔が明るくなる。
「決まりですね」
誰が決めた訳でもない。
それでも、五人は自然と同じ方向へ歩き出していた。
◇
談話室。
窓から午後の光が差し込んでいる。
机。
長椅子。
本棚。
見慣れた部屋だった。
五人はそれぞれ好きな場所へ座る。
ミリアは長椅子。
ソフィアはその隣。
レナは向かいの椅子。
カティアは机の近く。
アイラは窓際へ腰を下ろした。
しばらく。
誰も話さなかった。
静かな時間だった。
だが、気まずくはない。
第三庁舎へ来たばかりの頃なら。
同じ沈黙でも意味が違っただろう。
互いを警戒し。
何を話せば良いか分からず。
ただ距離を測っていた。
今は違う。
話さなくても。
同じ部屋にいられる。
それだけの関係になっていた。
ミリアが自分の指輪を眺める。
「光りましたね」
誰に言うでもなく呟いた。
「見れば分かる」
レナが返す。
「そういう意味じゃありません」
ミリアは少しだけ身を乗り出す。
「本当に光ったんですよ」
「今までは何も起きなかったのに」
ソフィアも指輪へ視線を落とした。
「少し不思議な感じでした」
「何か感じましたか?」
カティアがすぐに尋ねる。
ソフィアは考える。
「いいえ」
「特には」
「私もだ」
アイラも答える。
レナも小さく頷いた。
ミリアは残念そうな顔をする。
「私も何も感じませんでした」
カティアは自分の指輪を見つめる。
「発光だけでは判断出来ません」
「青晶石にも反応があった」
「そこが重要です」
完全に研究者の顔だった。
レナが小さく息を吐く。
「休むつもりではなかったのか」
「今は休憩中です」
「頭は使っていますが」
「それは休憩なのか?」
誰も答えられなかった。
やがて、ミリアがネックレスを持ち上げる。
「ところで」
全員の視線が集まる。
「これ、どうやって付けます?」
部屋が静かになった。
実験の話は。
一度止まった。
全員が手元のネックレスを見る。
細い銀色の鎖。
小さな留め具。
特別複雑な構造には見えない。
「指輪を通すだけだろう」
レナが言う。
「それは分かっています」
ミリアは少し不満そうに答えた。
「どの指輪から外すか悩んでいるんです」
「一つしかないだろう」
「そういう意味じゃありません」
レナが額へ手を当てる。
その間に。
カティアは指輪を外していた。
迷いは無い。
赤い結晶を確かめるように一度眺め。
そのまま鎖へ通す。
「留め具を外して」
「ここへ通せば良いだけです」
説明するように言う。
「早いですね」
ソフィアが少し驚く。
「構造は確認済みです」
カティアは当然のように答えた。
指輪を通した鎖を首へ回す。
だが、背後の留め具へ手が届かない。
一度。
二度。
指先が空を切る。
「……」
カティアの動きが止まった。
ミリアが口元を緩める。
「手伝いましょうか?」
「お願いします」
即答だった。
ミリアが立ち上がり。
カティアの後ろへ回る。
細い鎖を受け取り。
留め具を合わせる。
小さな音が鳴った。
「出来ました」
カティアは胸元へ視線を落とす。
赤い指輪が鎖に通され。
首元で静かに揺れていた。
「不思議ですね」
ソフィアが言う。
「指に付けている時とは少し印象が違います」
確かにそうだった。
指輪として見れば研究器具だった。
だが、鎖へ通せば赤い石を用いた首飾りにも見える。
「思ったより可愛いですね」
ミリアが言う。
「装備に可愛さは必要ない」
レナが返す。
だが、その視線はカティアの胸元へ向いていた。
ミリアはそれを見逃さなかった。
「付けてみます?」
「自分で出来る」
「まだ何も言ってませんよ」
「顔に書いてある」
レナは指輪を外した。
少しだけ慎重な手付きだった。
鎖へ通し。
首へ回す。
そして、留め具へ手を伸ばす。
一度で留めた。
「さすがですね」
「何がだ」
「何でもありません」
ミリアは笑いを堪えていた。
ソフィアも指輪を外す。
小さな赤い結晶を掌へ載せ。
少しだけ眺めてから鎖へ通した。
「私もお願いしてよろしいですか?」
隣にいたミリアへ背を向ける。
「もちろんです」
ミリアが留め具を留める。
ソフィアは胸元へ下がった指輪へ触れた。
「少し落ち着きませんね」
「分かります」
ミリアも頷く。
「普段こういう物を付けないので」
今度は自分の指輪を外す。
外した瞬間、少しだけ寂しそうな顔をした。
「どうした?」
アイラが尋ねる。
「いえ」
ミリアは指輪を鎖へ通す。
「指輪として付けるのも悪くなかったなと思って」
レナが呆れたように息を吐いた。
「実験器具だと言っただろう」
「分かっています」
「でも気分の問題です」
ミリアはソフィアへ背を向けた。
留め具を留めてもらい。
満足そうに胸元の指輪を見る。
残ったのはアイラだった。
四人の視線が自然と集まる。
「何だ」
「いえ」
ミリアが答える。
「ベルク少尉は自分で出来るのかなと思いまして」
アイラは何も言わず指輪を外した。
鎖へ通し。
首へ回す。
留め具へ手を伸ばす。
一度失敗した。
誰も何も言わない。
二度目。
また指先が届かない。
談話室が妙に静かになる。
アイラは小さく息を吐いた。
「……誰か頼む」
ミリアが勢いよく立ち上がった。
「はい!」
「なぜそんなに嬉しそうなんだ」
「気のせいです」
留め具が小さく鳴る。
アイラの胸元にも。
赤い指輪が静かに収まった。
五人は互いを見る。
同じ銀色の鎖。
同じ赤い指輪。
まるで揃いの装飾品だった。
「なんだか」
ミリアが呟く。
「お揃いですね」
誰もすぐには答えなかった。
だが。
否定する者もいなかった。
初めて顔を合わせた頃なら。
こんな事を思う者はいなかっただろう。
今では。
五人で同じ物を身に着けている事が。
少しだけ嬉しく感じられた。
五人は互いの胸元を見る。
同じ銀色の鎖。
そこへ通された赤い指輪。
「なんだか」
ミリアが小さく笑う。
「お揃いですね」
誰もすぐには答えなかった。
だが、否定する者もいない。
場所や事情が違っていれば。
新しく手に入れた装飾品を見せ合い、
付け方に戸惑いながら笑う。
年頃の女性達の何気ない時間に見えただろう。
少なくとも、今の五人の姿だけを見れば。
帝国の命運を左右する計画に関わっている者達だとは、
誰も思わなかったに違いない。
レナが胸元の指輪へ触れる。
「浮かれるな」
そう言いながらも。
外そうとはしなかった。
ミリアはそれを見て笑う。
ソフィアも口元を緩める。
カティアは赤い結晶を光へ翳している。
アイラはそんな四人を眺めながら、
自分の胸元へ下がった指輪へそっと触れた。
不思議な時間だった。
実験の途中である事も。
これから何が始まるのかも。
ほんの僅かな間だけ。
忘れてしまいそうになるほどに。




