第十話 始まりの日
第三庁舎での最初の夜は、
浅い眠りのまま過ぎていった。
朝。
起床の鐘は無かった。
代わりに、
部屋の扉が短く二度叩かれた。
「候補者各員」
廊下から声がする。
「三十分後、第一会議室へ集合」
それだけだった。
アイラは目を開ける。
一瞬だけ、
自分がどこにいるのか分からなかった。
見慣れない天井。
整いすぎた部屋。
机の上の施設規則。
そして。
第三庁舎。
昨日の出来事が一気に戻ってくる。
アイラは小さく息を吐いた。
「……夢じゃなかったか」
軍服へ着替える。
鏡の前で襟を整える。
いつもの動作だ。
だが、
いつもの朝ではなかった。
第一会議室には、
既に四人が揃っていた。
レナ・クロフト中尉。
カティア・ローゼン少尉。
ソフィア・エーレン軍曹。
ミリア・フォークナー少尉。
全員、表情は硬い。
昨日より落ち着いてはいる。
だが、
警戒が解けた訳ではない。
アイラは軽く会釈し、
空いている席へ座った。
会話は無かった。
ただ、
互いの存在を確認するような視線だけが交わされる。
やがて、扉が開いた。
入ってきたのはアルト・ヴェルナーだった。
昨日と同じ軍服。
昨日と同じ鋭い目。
だが。
今日は少しだけ印象が違った。
アルトは席へ向かう前に、
五人を見渡した。
「おはよう」
予想外の言葉だった。
一瞬だけ反応が遅れる。
やや遅れて、
「おはようございます」
レナを先頭に全員が返答した。
アルトは軽く頷く。
「眠れたか?」
今度はさらに意外だった。
軍の会議室で最初に聞く言葉ではない。
五人は顔を見合わせる。
やがて。
ソフィアが口を開いた。
「少し緊張しましたが、問題ありません」
「そうか」
アルトは頷く。
ミリアも続いた。
「慣れない場所なので、少しだけ」
「正直で結構だ」
アルトは短く返した。
アイラは何も言わなかった。
だが。
アルトの視線が一瞬だけこちらを向いた気がした。
見透かされたような感覚。
不思議と嫌な感じはしない。
だが落ち着かない。
「新しい環境だ」
アルトは言う。
「慣れるまでは時間が掛かる」
「特にここは普通の施設ではない」
それについては誰も異論が無かった。
昨日一日で十分理解している。
アルトは席へ着く。
そして初めて、本題へ入った。
「改めて自己紹介しよう」
五人の視線が集まる。
一拍置く。
「第三庁舎研究主任」
さらに続ける。
「ヴェルディア帝国軍中央研究局所属アルト・ヴェルナー大佐だ」
空気が僅かに変わった。
昨日は名乗らなかった階級。
少尉や軍曹が直接話す機会などほとんど無い立場だ。
レナ中尉でさえ、
表情を引き締めている。
アルトはその変化を気にする様子もない。
「そして」
「諸君をここへ招集した責任者でもある」
静かな言葉だった。
だが。
その意味は重い。
アイラは思う。
やはり、偶然ではなかったのだと。
アルトは続ける。
「諸君は帝国軍内から選抜された」
「勤務成績」
「適性評価」
「精神評価」
「過去の行動記録」
「その他多数の要素を総合した結果だ」
カティアが僅かに眉を動かした。
ミリアは黙ったまま聞いている。
「これから諸君には共同生活を行ってもらう」
「期間は未定」
「行動には一定の制限がある」
「外部との接触も管理される」
昨日聞いた内容だった。
だが。
改めて聞くと重みが違う。
「理由は一つ」
アルトは五人を見る。
「帝国にとって重要な任務だからだ」
誰も口を挟まない。
「国家の将来に関わる研究」
「そう理解してもらって構わない」
説明はされている。
だが。
肝心な部分は何も分からない。
アイラだけではない。
全員が同じ顔をしていた。
レナが口を開く。
「質問をよろしいでしょうか」
「許可する」
「任務内容は」
当然の質問だった。
アルトは少しも表情を変えない。
「現時点では説明できない」
予想通りの返答。
アルトはそこで終わらなかった。
「ただし、一つだけ言える」
部屋が静かになる。
「この任務は」
「諸君のうち誰か一人では成立しない」
全員が反応した。
一人ではない。
五人。
それが前提だと言う。
なぜなのかは分からない。
アルトは立ち上がった。
「本日より基礎評価を開始する」
「順位を付けるためのものではない」
「能力だけを見るものでもない」
その言葉に。
アイラは少しだけ引っ掛かりを覚えた。
能力を見ない評価とは何だ。
「諸君が何を理解し」
「どう判断し」
「どのように行動するか」
「それを見る」
アルトはそれだけ告げた。
説明されている。
やはり腑に落ちない。
第三庁舎。
共同生活。
五人。
そして評価。
全てが繋がっているようで、
何か一つ大切な部分だけが隠されている。
「十分後、訓練棟へ移動する」
アルトは資料を閉じた。
「質問は後だ」
そう言って席を立つ。
五人は黙ってその背中を見送った。
誰もまだ知らない。
今日行われる評価が、
能力を測る試験ではなく、
自分の役割を理解し、
他者とどう関わるかを見るためのものだということを。
会議室を出ると、
案内役の士官が先頭に立った。
「訓練棟へ移動する」
短い説明だけだった。
五人は黙って後に続く。
第三庁舎の内部は思っていた以上に広かった。
長い廊下。
磨き上げられた床。
等間隔に並ぶ照明。
窓の外には研究棟が見える。
白衣姿の研究員達が慌ただしく行き交い、
荷車には書類箱や資材が積まれていた。
そのさらに奥。
高い塀に囲まれた区画が見える。
警備兵の姿も多い。
普通の軍施設とは少し違う。
だが、
何が違うのかまでは分からない。
ただ、どこか息苦しい。
そんな空気があった。
誰もこちらに話しかけない。
視線を向ける者も少ない。
まるで最初からそこにいる人間のように扱われている。
それが逆に不自然だった。
「歓迎されていないのは確かだな」
前を歩きながらレナが小さく呟く。
ミリアが苦笑する。
「歓迎されていたら、もう少し説明があると思います」
誰も否定しなかった。
やがて外へ出る。
朝の空気はまだ少し冷たい。
第三庁舎本館を振り返る。
灰色の巨大な建物。
装飾らしい装飾は無い。
実用性だけを追求したような姿。
まるで要塞だった。
その脇を抜け、渡り廊下を進む。
目的地はすぐ見えた。
訓練棟。
本館に負けない大きさの建物だ。
高い天井。
広い搬入口。
軍用車両も出入りできそうな造りだった。
アイラは少しだけ警戒を強める。
いよいよ始まる。
そう思った。
射撃か。
体力測定か。
それとも模擬戦か。
どれも軍人としては慣れたものだ。
だが。
中へ入った瞬間。
全員が足を止めた。
広い。
想像以上に広かった。
天井は二階建ての建物ほど高い。
訓練場。
倉庫。
資材置き場。
複数の区画が一つの建物の中に収まっている。
まず目に飛び込んできたのは、
訓練設備ではなかった。
木箱だった。
大量の木箱。
大小様々。
積み上げられた箱が壁のようになっている。
奥には棚。
資材。
机。
書類箱。
研究機材らしき木枠まで見える。
その量は異常だった。
アイラは思わず眉をひそめる。
何をするつもりだ。
レナも同じ事を思ったらしい。
視線が自然とアルトへ向く。
アルトは木箱の山の前で立ち止まった。
そして。
何でもない事のように言った。
「本日はこちらの整理を手伝ってもらう」
沈黙。
誰も反応できなかった。
アイラは耳を疑う。
整理。
今、整理と言ったのか。
アルトは続ける。
「運搬先は札に記載してある」
「分からない場合は研究員へ確認しろ」
それだけだった。
説明は終わりらしい。
誰も動かない。
動けない。
何か続きがあると思った。
試験内容。
評価項目。
制限時間。
そういった説明が。
だが無い。
「質問はあるか」
アルトが聞く。
レナが口を開いた。
「大佐」
「何だ」
「本日の目的は」
アルトは数秒だけ考えた。
そして答える。
「整理だ」
それだけだった。
作業が始まる。
誰もただの整理だとは思っていなかった。
アイラは最初の木箱へ近付く。
持ち上げる。
重い。
だが運べる。
問題はそこではない。
何を見られている。
そればかりが頭をよぎる。
横を見る。
レナは周囲を観察している。
カティアは箱の札を確認している。
ソフィアは動線を見ている。
ミリアは倉庫と木箱の配置を見比べていた。
全員同じだ。
荷物より。
アルト・ヴェルナーの意図を探っている。
一時間後。
何も起きない。
二時間後。
まだ何も起きない。
昼になっても。
午後になっても。
何も起きない。
研究員が時折記録を取る。
それがまた気になる。
何を書いている。
運搬数か。
作業時間か。
それとも別の何かか。
アイラには分からない。
分からないまま、
木箱を運び続ける。
気付けば。
自然と役割が出来ていた。
誰が決めた訳でもない。
アイラは重い荷物を運び。
レナは全体を見て指示を出し。
カティアは分類と整理を行う。
ソフィアは安全確認を行い。
ミリアは配置と運搬経路を把握する。
誰も話し合っていない。
それでもそうなっていた。
その様子を。
少し離れた場所で。
アルトは黙って見ていた。
夕方。
最後の木箱が倉庫へ収まる。
窓の外は赤く染まり始めていた。
アルトは時計を見る。
「ご苦労だった」
それだけだった。
終わりらしい。
五人は思わず顔を見合わせる。
ミリアが小さく呟く。
「……本当に片付けだったんでしょうか」
誰も答えられなかった。
答えられる者は、
ここにはいなかった。
夕食は昨日と同じ食堂だった。
昨日と違う事があるとすれば、
全員が疲れている事くらいだった。
肉料理。
スープ。
パン。
決して悪くない内容。
だが。
食事よりも気になる事があった。
「……結局」
最初に口を開いたのはミリアだった。
「何だったんでしょうね」
誰も聞き返さない。
何の話か分かっている。
レナがスープを口に運ぶ。
「分からん」
短い。
だが。
その答えに全員が頷いた。
カティアが言う。
「ただの整理ではないと思います」
「理由は?」
アイラが聞く。
「研究員がずっと記録を取っていました」
確かにそうだった。
何かを書いていた。
あれが気にならなかった者はいない。
「行動観察かもしれません」
ソフィアが言う。
「私もそう思います」
ミリアも続く。
「じゃあ試験か?」
アイラが聞く。
誰も答えない。
試験。
そう考えるのが自然だった。
だが、どこか違和感もあった。
レナが静かに言う。
「試験にしては説明が無い」
「普通なら評価基準くらい話す」
それもその通りだった。
軍の試験ならなおさらだ。
目的。
条件。
評価項目。
必ず説明される。
今回は何も無かった。
「大佐は何を考えているんでしょうね」
ミリアが苦笑する。
その言葉に、全員が少しだけ笑った。
今日初めてだった。
もっとも。
誰一人として答えを持っていなかったが。
食事を終え、
居住棟へ戻る。
昨日ほどの緊張感は無い。
だが、安心もしていない。
アイラは部屋の前で足を止めた。
「では」
短く言う。
「また明日」
ソフィアが答える。
「おやすみなさい」
ミリアも続く。
レナは軽く手を上げるだけだった。
それだけのやり取り。
だが、昨日には無かったものだった。
アイラは部屋へ入る。
扉を閉める。
静かな部屋。
ベッドへ腰を下ろす。
今日一日を思い返す。
第三庁舎。
アルト・ヴェルナー。
大量の木箱。
そして。
あの男の意図。
やはり分からない。
だが。
一つだけ分かる事もあった。
自分だけではない。
他の四人も同じだ。
同じように悩み。
同じように考えている。
アイラは小さく息を吐く。
窓の外では帝都の灯りが揺れていた。
第三庁舎での二日目が終わろうとしていた。
翌朝。
窓から差し込む光でアイラは目を覚ました。
帝都の朝は早い。
薄いカーテン越しに入る朝日が部屋を淡く照らしている。
しばらく天井を見上げる。
静かだった。
第三庁舎の朝は妙に静かだ。
兵舎なら違う。
誰かの声。
足音。
金属音。
朝の喧騒がある。
だがここには無い。
まるで建物全体が息を潜めているようだった。
アイラはベッドから起き上がる。
窓へ近付く。
三階の部屋からは帝都の一部が見えた。
遠くに並ぶ建物。
煙突から立ち上る煙。
朝日に照らされた街並み。
人々が動き始めているのが見える。
その景色はどこか遠かった。
自分だけ別の場所にいるような感覚。
第三庁舎は帝都の中にありながら、
帝都から切り離されている。
そんな印象があった。
朝食を終え、
五人は第一会議室へ向かう。
昨日より足取りは軽い。
理由は単純だった。
今日は何か分かるかもしれない。
そんな期待が少しだけあった。
会議室の窓からは中庭が見える。
整備された芝生。
噴水。
そして白衣姿の研究員達。
平和な光景だった。
だが。
高い外壁と警備兵の存在が、
ここが普通の施設ではない事を思い出させる。
アイラが席へ着く。
レナは既に腕を組んでいた。
カティアは資料へ目を通している。
ソフィアは静かに窓の外を見ていた。
ミリアは手帳を開いて何かを書いている。
昨日より少しだけ自然だった。
ほんの少しだけ。
やがて扉が開く。
アルトが入ってきた。
後ろには昨日と同じ研究員が二人。
書類を抱えている。
「おはよう」
アルトが言う。
五人も返す。
昨日より声が揃っていた。
アルトは席へ着く。
机の上に資料を置く。
窓から差し込む朝日が横顔を照らしていた。
その表情からは何も読み取れない。
数秒。
静かな時間が流れる。
そして。
アルトは資料を閉じた。
「昨日の作業だが」
その一言で空気が変わる。
やはり来た。
誰もがそう思った。
レナの視線が鋭くなる。
ミリアは手帳を閉じた。
カティアも顔を上げる。
アルトはそんな様子を気にした風もなく続けた。
「諸君は何だと思った?」
会議室の窓の外では噴水の水が静かに流れている。
だが。
部屋の中は静まり返っていた。
誰もが、
その答えを考えていた。
最初に口を開いたのはレナだった。
「適性試験かと」
即答だった。
迷いが無い。
アルトは頷く。
「理由は」
「説明が少な過ぎました」
レナは腕を組んだまま続ける。
「候補者を集めておいて、いきなり倉庫整理では意味が通りません」
「なるほど」
アルトは短く返した。
否定しない。
肯定もしない。
次にカティアが口を開く。
「私は行動観察だと思いました」
「続けろ」
「整理そのものではなく、各人がどう動くかを見ていたのではないかと」
「何故そう思った」
「研究員が記録を取っていました」
アルトはまた頷く。
窓の外から鳥の鳴き声が聞こえた。
会議室は静かなままだ。
「ミリア少尉」
「協調性の確認だと思いました」
ミリアは手帳を閉じる。
「共同生活が前提なら、当然必要になるので」
「そうか」
「ソフィア軍曹」
「私も似た考えです」
ソフィアは少し考える。
「ただ、評価というより確認に近い印象でした」
その言葉に。
アルトの目が僅かに細くなった気がした。
ほんの一瞬だった。
アイラは見逃さなかった。
「ベルク少尉」
最後に視線が向く。
アイラは少し考える。
昨日の事を思い出す。
重い木箱。
終わらない作業。
研究員の記録。
そして。
何も説明しないアルト。
「何か意味があると思いました」
「意味?」
「ただ荷物を運ばせるためだけには見えませんでした」
アルトは数秒黙った。
やがて。
小さく笑った。
昨日も見た。
あの僅かな笑みだった。
「面白いな」
誰に向けた言葉なのか分からない。
アルトは椅子へ背を預ける。
そして。
静かに言った。
「では逆に聞こう」
部屋の空気が変わる。
窓の外では噴水の水が陽光を反射していた。
その音だけが妙に大きく聞こえる。
「もし私が昨日」
「これは試験だ」
「評価対象だ」
そう言っていたら。
アルトは五人を見渡した。
「諸君は同じ行動を取ったか」
誰も答えなかった。
いや。
答えられなかった。
アイラは思い返す。
最初に箱を持った時。
試験だと明言されていたら。
もっと違う動きをしていたかもしれない。
レナも同じだったらしい。
腕を組んだまま黙っている。
カティアは視線を落としていた。
ミリアも何かを考えている。
ソフィアだけが静かにアルトを見ていた。
「人は面白い」
アルトが言う。
「試験だと言われた瞬間」
「試験用の行動を取る」
静かな声だった。
説教ではない。
責めてもいない。
ただ事実を述べているようだった。
「私は点数に興味が無い」
五人の視線が集まる。
「知りたいのは」
「諸君が何を考え」
「何を見て」
「どう行動するかだ」
会議室が静まり返る。
その言葉は妙に納得できた。
だが。
同時に分からなくもなった。
この男は。
何をしようとしているのだろう。
アルトは机の上の資料を閉じる。
「ちなみに」
何気ない口調だった。
「昨日の作業は本当に必要だった」
一瞬。
全員の思考が止まる。
「研究棟移設に伴う資材整理だ」
窓の外で噴水が水を吹き上げる。
誰も何も言えなかった。
アルトは続ける。
「予定より半日早く終わった」
「研究員達からも感謝されている」
真顔だった。
冗談を言っているようには見えない。
つまり。
本当に整理だったらしい。
アイラは思わずレナを見る。
レナもこちらを見ていた。
同じ事を考えている顔だった。
ミリアが小さく呟く。
「……本当に整理だったんですね」
「そうだ」
アルトは即答した。
「整理だ」
再び沈黙。
だが。
今度は昨日とは違う。
五人とも気付いていた。
整理だった。
それは本当だろう。
だが。
それだけではない。
アルトは間違いなく見ていた。
何を見ていたのかは分からない。
だが。
それだけは全員が理解していた。
◇
王都。
王城外郭。
城兵詰所。
訓練を終えた兵士達が武具を片付けていた。
その中で、一人の若い兵士が呼び止められる。
「ユリウス」
声を掛けたのは小隊長だった。
ユリウスは振り返る。
「はっ」
「お前に辞令が出た」
周囲の兵士達も顔を上げる。
異動は珍しくない。
だが。
王城勤務ともなれば話は別だ。
小隊長は紙を差し出した。
「来月より王城騎乗隊へ配属だ」
一瞬。
ユリウスは言葉を失った。
王城騎乗隊。
王都でも限られた者しか所属できない部隊。
城の警備。
王族護衛。
式典警護。
王国の顔とも言える存在だった。
「おめでとう」
誰かが言う。
周囲からも祝福の声が上がる。
だが。
ユリウス自身はまだ実感が湧かなかった。
辞令を見つめる。
王城。
騎乗隊。
そして。
ふと脳裏に浮かぶ。
花屋の少女。
リアナ・エルム。
最近妙に噂を聞く娘だった。
「どうした」
小隊長が笑う。
「嬉しくないのか」
ユリウスは慌てて姿勢を正した。
「いえ」
「光栄です」
その答えに嘘は無かった。
だが。
彼自身も知らない。
この異動が。
これから始まる出来事へ繋がっていく事を。
王国もまた。
静かに動き始めていた




