第九話 選ばれた五人
それは数ヶ月前の話である。
王国の花屋で働く少女が神殿へ招かれるよりも前。
ヴェルディア帝国首都グラード。
巨大な蒸気機関車が長い汽笛を鳴らした。
白い蒸気がホームへ広がる。
重い車輪が軋みながら回転を止めた。
夕暮れの光が駅舎の鉄骨を赤く染めていた。
停車した列車の扉が開く。
乗客達が次々とホームへ降りていく。
商人。
旅行者。
兵士。
様々な人々が行き交う中、一人の若い女性士官が降り立った。
アイラ・ベルク。
帝国軍少尉。
カルドラ山麓の町に生まれ育った二十二歳の女性である。
帽子を軽く押さえながら駅舎を見上げた。
何度見ても大きい。
故郷の駅とは比べものにならない。
鉄骨で組まれた天井。
蒸気配管。
行き交う数千人の人々。
帝国最大の都市。
ヴァルグラード。
帝国の心臓部だった。
「相変わらずですね……」
思わず小さく呟く。
以前来た時も圧倒された記憶がある。
だが今回は違った。
観光でもなければ通常任務でもない。
今朝早く。
カルドラ山麓駐屯地を発つ列車の中で、
二人の軍人から簡潔な説明を受けた。
『中央司令部到着後、そのまま第三庁舎へ向かえ』
それだけだった。
だが。
アイラはその名前を知っていた。
第三庁舎。
軍研究局。
特殊開発局。
情報管理局。
帝国の極秘部門が集められた場所。
帝都でも限られた者しか出入りを許されない。
普通の少尉が呼ばれる場所ではない。
『質問はするな』
聞き返した時、
男は静かにそう告げた。
『到着後、全て説明される』
それ以上の説明は無かった。
列車は一日を掛けて帝都へ向かった。
途中の駅で何度も停車し、
貨物列車との調整もあった。
その度に考えた。
自分は何故呼ばれたのか。
だが答えは出ない。
軍人になって四年。
これほど機密性の高い命令を受けたのは初めてだった。
アイラは小さく息を吐く。
後は現地で話を聞くしかない。
ホームを歩き始める。
すると。
駅出口付近に軍服姿の男性が立っていた。
男性もアイラへ気付いたらしい。
迷う事なく近付いてくる。
「アイラ・ベルク少尉ですね」
「はい」
アイラは敬礼を返す。
男性も軽く敬礼した。
「第三庁舎より迎えに参りました」
やはりか。
アイラは内心で頷く。
迎えが来るだろうとは思っていた。
だが。
それでも少しだけ緊張する。
「案内します」
「よろしくお願いします」
短いやり取りだった。
男性士官は必要以上の会話をしない。
それが逆に機密性の高さを感じさせた。
駅舎を出る。
そこには黒塗りの軍用車両が停まっていた。
運転席にも軍人。
周囲にも軍人。
どう見ても普通ではない。
車へ乗り込もうとした時だった。
「少尉」
案内役の士官が声を掛ける。
「これより先で知り得た情報は全て機密扱いとなります」
アイラは思わず眉をひそめた。
「そこまでですか」
「はい」
迷いの無い返答だった。
冗談ではないらしい。
アイラは静かに車へ乗り込む。
窓の外では帝都の景色が流れていく。
高層建築。
蒸気塔。
巨大な工場群。
帝国が誇る技術都市。
だが。
車は中央司令部の方向へは向かわなかった。
中心街を抜け、
人通りの少ない区域へ進んでいく。
やがて。
高い塀に囲まれた巨大な施設が見えてきた。
警備兵。
監視塔。
幾重もの門。
軍施設には見える。
だが。
駐屯地とも兵器工場とも違う。
近づくにつれ、
空気そのものが変わっていくような気がした。
アイラは窓の外を見つめる。
第三庁舎。
その名は知っている。
軍人であれば誰もが一度は耳にする場所だ。
だが。
そこに何故自分が呼ばれたのかは分からない。
研究職でもない。
開発部門でもない。
情報局とも無縁だ。
だからこそ不気味だった。
◇
軍用車両は第一門を通過した。
だが終わりではなかった。
第二門。
第三門。
その度に車は停止する。
身分証の確認。
通行許可証の照合。
警備兵による目視確認。
駐屯地ですらここまで厳しくはない。
アイラは思わず窓の外へ目を向けた。
監視塔。
高い外壁。
巡回する武装兵。
研究施設というより要塞に近い。
やがて車は建物の前で停止した。
案内役の士官が扉を開く。
「到着しました」
アイラは車を降りた。
目の前には巨大な建物がそびえている。
装飾らしい装飾は無い。
実用性だけを重視した灰色の建築。
窓も少ない。
まるで外部から中を見せる気が無いようだった。
入口ではさらに検査が待っていた。
身分証確認。
所持品確認。
金属探知器。
軍施設でここまでやる場所をアイラは知らない。
「失礼します」
女性職員が敬礼する。
「武器を一時的にお預かりします」
アイラは腰の拳銃へ視線を落とした。
軍人として武器を預ける事には慣れている。
だが。
少しだけ違和感を覚える。
ここは敵地ではない。
帝国軍の施設だ。
それなのに。
まるで国家機密そのものを守っているような警備だった。
やがて全ての手続きが終わる。
案内役の士官が再び歩き始めた。
長い廊下。
白い壁。
無機質な照明。
すれ違う人々も独特だった。
軍服の人間もいる。
だが同じくらい白衣姿の研究員も多い。
誰もが忙しそうに資料を抱えていた。
そして。
誰一人として無駄話をしていない。
静かだった。
異様なほどに。
「こちらです」
案内役が立ち止まる。
重厚な扉。
金属製のプレート。
そこには簡潔に記されていた。
【研究主任室】
アイラは無意識に背筋を伸ばす。
ここまで来れば分かる。
呼び出したのは軍ではない。
研究部門だ。
そして。
その扉の向こうにいる人物が、
自分をここへ呼んだ張本人なのだろう。
案内役が扉をノックした。
「ベルク少尉をお連れしました」
一拍の沈黙。
そして。
「入れ」
低い声が返ってきた。
案内役の士官が扉を開く。
アイラは室内へ足を踏み入れた。
思っていたより質素な部屋だった。
壁一面に並ぶ資料棚。
地図。
報告書。
机の上には積み上げられた書類。
装飾品はほとんど無い。
部屋の主が実務を重視する人間である事が伝わってくる。
その机の向こうに一人の男が座っていた。
四十代半ばほどだろうか。
鋭い眼差し。
軍服姿。
研究者というより現役軍人に見える。
男は書類から目を上げた。
「アイラ・ベルク少尉」
「はい」
アイラは敬礼する。
男も軽く頷いた。
「アルト・ヴェルナーだ」
名前だけ告げる。
肩書きは言わない。
だが。
ここまでの警備を見れば、
相当な立場である事は分かる。
「座ってくれ」
アイラは促されるまま椅子へ腰を下ろした。
アルトはしばらく彼女を観察していた。
書類を見る。
本人を見る。
また書類を見る。
まるで面接だった。
やがて。
アルトは口を開く。
「率直に言おう」
机上の書類を閉じる。
「君にはある研究計画へ参加してもらう」
研究。
予想はしていた。
第三庁舎へ呼ばれた時点で、
その可能性は高いと思っていた。
だが。
次の言葉は予想外だった。
「君以外にも四名選抜されている」
「四名……ですか」
「合計五名だ」
アルトは淡々と続ける。
「年齢」
「身体能力」
「精神適性」
「学習能力」
「経歴」
様々な基準で選抜した結果だ。
「今後は五名で共同生活を送ってもらう」
アイラは思わず瞬きをした。
共同生活。
研究参加。
少尉の転属命令としてはかなり特殊だ。
「期間は?」
「未定」
即答だった。
「任務内容は?」
アルトは一瞬だけ沈黙した。
そして。
「現時点では説明できない」
予想していた返答だった。
「ただし一つだけ言える」
アルトの声が少し低くなる。
「これから君達が関わる研究は帝国の安定に必要なものだ」
部屋の空気が少しだけ重くなった。
アイラは黙って聞く。
「そして」
アルトは続ける。
「この施設で知り得た情報は全て機密扱いとなる」
「家族にもですか」
「当然だ」
迷いは無い。
「友人」
「上官」
「同僚」
「全てだ」
アルトは静かに言った。
「君は今この瞬間から別任務扱いとなる」
アイラは無意識に背筋を伸ばく。
冗談ではない。
ここへ来てから何度もそう感じていた。
だが。
今ようやく理解した。
これは単なる研究協力ではない。
帝国そのものが秘密裏に進めている計画なのだと。
夕食までまだ時間があった。
部屋にいても落ち着かない。
アイラは談話室へ向かった。
扉は開いていた。
中へ入る。
その瞬間。視線が集まった。
四人。
全員女性。
年齢は近い。
だが。
誰一人として気を抜いていなかった。
軍人特有の空気。
初対面の相手を観察する視線。
アイラも無意識に同じ事をしていた。
階級章。
姿勢。
手の位置。
靴の汚れ。
癖。
相手がどんな人間か。
軍人はまずそこを見る。
しばらく沈黙が続いた。
最初に口を開いたのは、
短く切り揃えた黒髪の女性だった。
「最後の一人か」
声は落ち着いている。
アイラは頷いた。
「アイラ・ベルク少尉」
「第三山岳国境警備隊所属です」
簡潔に名乗る。
すると。
黒髪の女性も立ち上がった。
「レナ・クロフト中尉」
中尉。
この場では最上位階級らしい。
「第七国境警備隊所属」
それだけ言って座る。
余計な事は話さない。
続いて。
眼鏡を掛けた女性が口を開いた。
「カティア・ローゼン少尉」
「第二技術開発局所属」
こちらも短い。
まるで報告だった。
三人目。
赤茶色の髪を後ろで束ねた女性。
「ソフィア・エーレン軍曹」
「第三区衛生部隊所属」
衛生兵。
珍しい配属だった。
最後の一人が口を開く。
「ミリア・フォークナー少尉」
「中央通信隊所属」
一番柔らかそうな印象だった。
だが。
その目はしっかり周囲を観察している。
油断している訳ではない。
アイラは内心で整理する。
国境警備。
技術開発。
衛生部隊。
通信隊。
そして自分。
共通点が見当たらない。
むしろ統一性が無さ過ぎる。
しばらく沈黙。
誰も雑談を始めない。
当然だった。
全員が同じ疑問を抱いている。
何故ここに呼ばれたのか。
そして。
他の四人は何を知っているのか、探っているのだ。
「……何か聞いているか?」
最初に沈黙を破ったのはレナ中尉だった。
誰に向けた質問でもない。
だが。
全員へ向けた問いだった。
誰も答えない。
やがて。
ソフィア軍曹が小さく首を振った。
「いえ」
「私もなにも」
カティアが続く。
アイラも同じだった。
知っているのは。
ここが第三庁舎であること。
そして。
帝国の重要な研究に関わるらしいこと。
それだけ。
レナは小さく息を吐いた。
「そうか」
再び沈黙が訪れる。
どうやら。
この場にいる全員が同じ状況らしかった。
その時だった。
廊下の向こうから足音が聞こえた。
規則正しい足音。
軍人のものだ。
全員の視線が自然と扉へ向く。
やがて。
扉が開いた。
現れたのは第三庁舎の士官だった。
「候補者諸君」
部屋を見渡す。
「全員揃ったようだな」
誰も返事はしない。
だが。
全員が姿勢を正した。
士官は気にした様子もなく続ける。
「夕食の時間だ、食堂へ案内する」
短い命令だった。
全員が立ち上がる。
まだ何も分からない。
互いの事も。
ここへ呼ばれた理由も。
これから何が始まるのかも。
だが。
一つだけ確かな事があった。
この場に集められた五人は、
既に元の生活から切り離されている。
そんな予感が、
誰の胸にもあった。
食堂へ向かう廊下を歩く。
先頭を士官。
後ろに五人。
会話は無い。
だが。
互いの存在は意識していた。
食堂は居住棟の一階にあった。
予想していたより広い。
一般兵の食堂というより、士官用の食堂に近い。
だが。
利用者は少ない。
研究員らしき白衣姿。
軍服姿の士官。
皆静かだった。
談笑している者はいない。
アイラ達が入ると、
何人かが視線を向けた。
そしてすぐに逸らした。
まるで興味を持ってはいけないかのように。
「好きな席へ」
士官はそれだけ告げる。
五人は顔を見合わせた。
そして自然と同じ卓へ向かった。
誰もそれを口にはしなかったが、
知らない施設で知っている顔は互いしかいない。
それだけの理由だった。
配膳を受ける。
肉料理。
スープ。
パン。
野菜。
士官向けとしては悪くない内容だった。
だが。
アイラは何を食べたのかほとんど覚えていない。
味も。
香りも。
よく思い出せなかった。
周囲が気になった。
向かいに座るレナ。
隣のカティア。
離れた席の研究員達。
食堂全体に漂う独特の空気。
そして。
自分達が何故ここにいるのか。
考える事が多過ぎた。
会話もほとんど無い。
時折。
食器の触れ合う音だけが響く。
誰もが同じだった。
食事を楽しんでいる訳ではない。
ただ。
食べている。
いや。
食べる作業をしている。
と言った方が近かった。
やがて。
最初に席を立ったのはレナ中尉だった。
「先に失礼する」
短く告げる。
誰も引き留めない。
レナはそのまま食堂を後にした。
続いてソフィア。
ミリア。
カティア。
そして最後にアイラが席を立つ。
気付けば。
食事は終わっていた。
だが。
何を食べたのか。
本当に思い出せなかった。
第三庁舎での最初の夜は、
それほどまでに落ち着かないものだった。
部屋へ戻る。
静かだった。
廊下にも人影は無い。
アイラは軍服の上着を脱ぎ、椅子へ掛けた。
机の上には、
施設規則と機密保持誓約書。
それらをしばらく眺める。
だが。
文字は頭に入ってこなかった。
今日一日で起きた事が多過ぎる。
第三庁舎。
アルト・ヴェルナー。
共同生活。
そして。
四人の候補者達。
ベッドへ腰を下ろす。
窓の外を見る。
帝都の夜景が遠くに見えた。
故郷のカルドラ山麓とは違う景色。
その時、ふと思った。
今頃。
駐屯地では夜勤の交代が始まっている頃だろう。
いつも通りの夜。
いつも通りの任務。
だが。
自分だけはそこにいない。
そして。
もう以前と同じ日常には戻れない気がした。
理由は分からない。
ただ。
そんな予感だけがあった。
アイラはゆっくり目を閉じる。
第三庁舎での最初の夜が更けていった。




