第十一話 王都の休日
春の陽射しが王都アウグストを照らしていた。
石畳の大通りには人々が行き交い、露店には色とりどりの果物や野菜が並んでいる。商人達の威勢の良い声が響き、焼きたてのパンの香りが風に乗って流れていた。
王都は今日も平和だった。
その賑わいを少し離れた場所から見つめながら、ユリウスは小さく息を吐いた。
(緊張するな……)
王城騎乗隊へ異動してから数日。
今日が初めての護衛任務だった。
正確には研修に近い。
先輩隊員と共に王女フィーナの外出護衛を務める。
本来ならば名誉な任務だ。
だが。
目の前の王女は。
「へぇ……」
露店の前で立ち止まり、果物を興味深そうに眺めている。
「これは何ですか?」
「南方から入った果物ですよ、お嬢ちゃん」
店主が笑顔で答えた。
フィーナは何度も頷いている。
どう見ても王女には見えなかった。
王宮で見た時はもっと近寄り難い存在だと思っていた。
だが今は。
どこにでもいる好奇心旺盛な少女にしか見えない。
「ユリウス」
隣を歩く先輩隊員が小声で言う。
「気を抜くなよ」
「はい」
慌てて背筋を伸ばす。
すると先輩隊員が苦笑した。
「そんなに固くなるな」
「ですが……」
「初めてだからな」
そう言って肩を軽く叩かれる。
ユリウスは少しだけ肩の力を抜いた。
それでも周囲への警戒は続ける。
市民に紛れて歩く。
距離を取りながら見守る。
必要以上に目立たない。
それが今日の任務だった。
「お嬢様、本日は随分と熱心ですね」
侍女が声を掛ける。
「当然です」
フィーナは真面目な顔で答えた。
「王都を知るのも勉強ですから」
立派な答えだった。
実際、嘘ではない。
店主と話をし。
市場を歩き。
雑貨屋を覗き。
本屋に立ち寄る。
王女として必要な経験でもある。
だからユリウスも疑わなかった。
今日の外出には別の目的がある事を。
(熱心なお方だな)
そう思う。
王都の店を見て回り、市民の暮らしに触れる。
王族として大切な事だ。
少なくともユリウスはそう思っていた。
その頃。
フィーナの頭の中では。
(リリエはどこでしょう……)
別の事が大半を占めていた。
王宮で聞いた少女。
リアナ・エルム。
占いがよく当たるという不思議な花屋の娘。
一度会ってみたい。
ただそれだけだった。
もちろん王宮でそう言えば許可は出ない。
だから今日は王都視察という名目で外出している。
嘘ではない。
ただ本音を全部言っていないだけだ。
四軒目の花屋を後にした頃。
侍女は確信していた。
やはりそうだ。
お嬢様は何かを探している。
雑貨屋。
本屋。
市場。
そこまでは良い。
だがその後、必ず花屋へ立ち寄る。
しかも王都でも有名な店ではなく、小さな個人店ばかりだ。
「お嬢様」
侍女が声を掛ける。
「何でしょう?」
フィーナは何事もない顔で振り返った。
「本日は随分と花屋をご覧になりますね」
「そうでしょうか?」
即答だった。
怪しい。
とても怪しい。
「四軒目です」
「偶然ですよ」
「そうですか」
「そうです」
視線が泳いだ。
侍女は内心で苦笑する。
昔から分かりやすい。
何か気になる事があると一直線になる。
そして隠し事があまり上手ではない。
「ところで」
侍女は何気ない調子で言った。
「リリエという花屋をご存知ですか?」
フィーナの足が止まる。
本当に一瞬だった。
だが十分だった。
「い、いえ?」
少しだけ声が上擦る。
「そうですか」
「そうです」
「知りませんか」
「知りません」
二回言った。
侍女は確信する。
王宮で聞き取りを行った日から様子がおかしかった。
原因は間違いなくリアナ・エルム。
今日は王都視察ではなく、その花屋を探しているのだろう。
もちろん悪い事ではない。
むしろ年相応で微笑ましい。
だから黙っている。
一方。
少し離れた場所を歩くユリウスは何も気付いていなかった。
(熱心なお方だな)
王都の商店を見て回り、市民の暮らしを学ぶ。
そういう研修だと思っている。
実際、嘘ではない。
ただ本当の目的を知らないだけだ。
その時だった。
「ん?」
買い物籠を抱えた女性が足を止めた。
明るい茶色の髪。
人懐っこい笑顔。
そして見覚えのある顔。
サラだった。
「どうしたの?」
サラはフィーナへ気軽に声を掛ける。
「何か探してる?」
その瞬間。
ユリウスの目が見開かれた。
(え?)
思わず二度見する。
なぜサラがここにいるのか。
ではない。
なぜよりによって、お嬢様へ話しかけているのか。
そちらだった。
反射的に一歩踏み出しかける。
だが止まる。
危険はない。
サラに害意などあるはずもない。
侍女も動いていない。
むしろ。
侍女は小さく笑みを浮かべていた。
(見つけましたね、お嬢様)
そんな顔だった。
一方のフィーナは。
探していた手掛かりが向こうから歩いて来た事に気付き、内心で喜びを隠していた。
「どうしたの?」
サラは気軽に声を掛けた。
「何か探してる?」
フィーナは思わず顔を上げる。
ようやく手掛かりを見つけた。
そんな気持ちだった。
「あの、お花屋さんを探していて」
「花屋?」
「はい」
サラは首を傾げる。
王都には花屋などいくらでもある。
わざわざ困るほどの事でもない。
「どこの?」
フィーナは少しだけ嬉しそうに答えた。
「リリエというお店です」
その瞬間。
サラの表情が変わった。
「リリエ?」
「はい」
「もしかしてリアナのとこ?」
フィーナの顔がぱっと明るくなる。
「知っているんですか?」
「知ってるも何も」
サラは胸を張った。
「親友だよ」
何故か誇らしげだった。
ユリウスは少し離れた場所で額を押さえたくなる。
やはり始まった。
リアナの話になるといつもこうだ。
「リアナさんに会ったことがあるんですか?」
「あるも何も毎日のように会ってるよ」
サラは笑う。
「今朝も会ったし」
フィーナの目が少し大きくなった。
王宮で聞いた時は、どこか不思議な人物という印象だった。
だが。
目の前の女性の話し方からすると、随分と身近な存在らしい。
「リアナさんはどんな方なんですか?」
その質問にサラは一瞬だけ考える。
そして。
「変な子」
即答だった。
フィーナが目を瞬かせる。
「変な方なんですか?」
「うん」
サラは迷いなく頷いた。
「良い意味で」
全く説明になっていない。
「優しいし」
「はい」
「花好きだし」
「はい」
「可愛いし」
「はい」
「変」
「そこなんですね」
フィーナは思わず笑ってしまった。
サラもつられて笑う。
その様子を見ながら侍女は内心で感心していた。
初対面の相手とここまで自然に話せる人間はそう多くない。
お嬢様も楽しそうだ。
王宮ではなかなか見せない表情だった。
「それで?」
サラは首を傾げる。
「リアナに何か用?」
フィーナは少し考えた。
どこまで話して良いものか。
「少し会ってみたくて」
それだけ答える。
嘘ではない。
むしろ本音だった。
サラはじっとフィーナを見る。
身なりは良い。
言葉遣いも綺麗。
育ちも良さそうだ。
だから最初はどこかの商家のお嬢様かと思った。
だが。
リアナに会いたい理由が分からない。
そして、ふと。
ある可能性が頭をよぎる。
嫌な予感だった。
「もしかして……」
サラの表情が少し引きつる。
「占い?」
フィーナは嬉しそうに頷いた。
「はい!」
サラの笑顔が固まった。
「……はい?」
「リアナさんの占いのお話を聞いて」
フィーナは楽しそうに続ける。
「ぜひ会ってみたいと思ったんです」
サラは沈黙した。
数秒。
いや。
もっと長かったかもしれない。
「……あ」
小さく呟く。
フィーナは首を傾げる。
「?」
「私だ」
「え?」
「原因私だ」
真顔だった。
フィーナは意味が分からない。
サラは両手で顔を覆った。
「エマさんに怒られる……」
今度は本気だった。
遠くから見ていたユリウスは思った。
(何を言っているんだ、この人は)
侍女は小さく肩を震わせる。
何となくだが。
事情が分かった気がした。
そしてサラは顔を覆ったまま呟く。
「絶対私のせいだ……」
「何がですか?」
「たぶん全部」
ますます意味が分からなかった。
だが本人だけは深刻そうだった。
「だって凄かったんだもん……」
サラは小さく呟く。
「え?」
「聞いてよ」
顔を上げた。
どうやら話し始めるらしい。
「前にね」
「はい」
「リアナが崖崩れるから近付くなって言ったの」
フィーナの表情が変わる。
王宮で聞いた話だ。
「それで?」
「本当に崩れた」
「はい」
「だから凄いじゃん」
「はい」
「だから話した」
「はい」
「いっぱい話した」
「はい」
「すごく話した」
フィーナは思わず笑ってしまう。
何となく想像できた。
「市場で話して」
「はい」
「ラルカ亭で話して」
「はい」
「常連さんにも話した」
「はい」
「たぶん王都中に広がった」
誇らしげだった。
そして。
次の瞬間。
「……あ」
再び固まる。
「やっぱり私だ」
「そうかもしれませんね」
侍女が思わず呟いた。
サラが勢いよく振り向く。
「ですよね!?」
「いえ、私は何も」
「エマさんに怒られる!」
本日二度目だった。
ユリウスは視線を逸らした。
否定できない。
「リアナは怒らないんだけどね」
サラは肩を落とす。
「怒らないんですか?」
フィーナが聞く。
「怒らない」
即答だった。
「じゃあ大丈夫では?」
「大丈夫じゃない」
今度も即答だった。
「リアナは怒らない」
「はい」
「でもエマさんが怒る」
「なるほど」
何となく理解した。
「怖いんですか?」
サラは少し考えた。
そして。
「怖い」
真面目な顔で頷いた。
「すごく怖い」
そこだけ妙に説得力があった。
侍女が口元を隠す。
ユリウスは笑いそうになるのを堪えた。
フィーナも肩を震わせている。
「でも」
サラは急に表情を明るくした。
「せっかくだし案内するよ」
「本当ですか?」
フィーナの顔がぱっと明るくなる。
「うん」
サラは胸を張った。
「リリエならすぐそこだから」
その言葉を聞いた瞬間。
フィーナは思わず前のめりになった。
ようやく。
探していた場所へ辿り着ける。
そんな期待が胸の中に広がる。
一方。
侍女は小さくため息を吐いた。
(見つかってしまいましたね)
半分呆れ。
半分微笑ましい。
そんな気持ちだった。
そしてユリウスは。
(最初から私に聞けばよかったのでは……)
という言葉を飲み込んだ。
言ったら負けな気がした。
リリエの店内には花の香りが満ちていた。
店先には色とりどりの花々が並び、春の日差しを受けて揺れている。
窓から差し込む光は柔らかく、昼下がりの店内は穏やかな空気に包まれていた。
その一角で。
リアナは花束を作っていた。
淡い青色の花を一本取り。
白い花を添える。
少し離れて全体を見る。
そしてまた一本加える。
慣れた手付きだった。
「また考え事?」
店の奥からエマの声が飛ぶ。
リアナは顔を上げた。
「分かりますか?」
「分かるわよ」
即答だった。
「いつも見てるんだから」
エマは帳簿を閉じながら言う。
「王宮の件でしょ?」
リアナは少しだけ視線を落とした。
否定しない。
それだけで答えになっていた。
先日の王宮での聞き取り。
その最後に持ち掛けられた話。
王女フィーナの相談役。
そしてお目付役。
王宮側としては正式な任命ではなく打診に近い。
だが。
打診だからこそ悩む。
「嫌なの?」
エマが尋ねた。
「嫌ではありません」
リアナは首を横に振る。
本当に嫌ではなかった。
王女自身にも悪い印象はない。
むしろ。
どんな子なのか興味があるくらい。
「なら何が問題なの?」
リアナは手元の花を見る。
数秒考えてから答えた。
「私に務まるのでしょうか」
エマは思わず吹き出した。
「そこ?」
「そこです」
リアナは真面目だった。
「王女様ですよ?」
「知ってる」
「相談役ですよ?」
「知ってる」
「お目付役ですよ?」
「だから知ってるって」
エマは呆れたように笑った。
リアナは本気で悩んでいる。
昔からそうだった。
難しい事は平気なのに。
自分自身の事になると途端に自信が無くなる。
「私より適任の方はいくらでもいると思います」
「いないから来たんでしょ」
エマはあっさり言った。
リアナは言葉に詰まる。
確かにそうだった。
王宮には優秀な人間が山ほどいる。
それでも自分に話が来た。
理由はあるはずだ。
「それに」
エマは立ち上がる。
「お嬢様が気に入ったんじゃないの?」
「まだお会いしてませんが・・・」
「そうなの?」
リアナは苦笑した。
そんなものだろうか。
自分にはよく分からない。
店の外から子供達の笑い声が聞こえる。
春の風が花の香りを運んでいく。
穏やかな昼下がりだった。
リアナは窓の外を見る。
王宮。
王女。
相談役。
お目付役。
自分とは縁のない話だと思っていた。
だが。
気付けばその話は目の前まで来ている。
「まあ」
エマは肩をすくめた。
「どうせ悩んでも結論出ないでしょ」
「それはそうですね」
リアナも苦笑する。
結局のところ。
今ここで考えても答えは出ない。
王宮側の話もまだ正式なものではない。
ならば今は目の前の仕事をするしかない。
「よし」
エマは手を叩いた。
「リアナ」
「はい?」
「気分転換がてら買い物行ってきて」
リアナが首を傾げる。
「買い物ですか?」
「花瓶用の紐が切れそうなの忘れてたの」
エマは棚の方を指差した。
確かに残りは少ない。
「あと包装紙も」
「ああ」
「あと帰りにパン屋寄ってきて」
「増えてませんか?」
「増えてる」
エマは即答した。
リアナは小さく笑う。
どうやら最初から買い物へ出すつもりだったらしい。
「少し歩いてきなさい」
エマは柔らかい声で言った。
「考えすぎると良い花束作れなくなるわよ」
リアナは手元の花束を見る。
確かに。
少し考え込みすぎていたかもしれない。
「分かりました」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
エプロンを外し。
買い物籠を手に取る。
春の陽射しが差し込む扉を開けると、暖かな風が頬を撫でた。
「リリエならこの通りを――」
サラが説明しかけた時だった。
「サラ」
後ろから声が飛んだ。
サラの肩がびくりと震える。
聞き慣れた声だった。
恐る恐る振り返る。
「店長……」
ラルカ亭の店長だった。
買い出しの途中らしく、大きな麻袋を肩に担いでいる。
店長はフィーナ達を一瞥する。
身なりの良い少女。
その付き添いらしい女性。
そして少し離れた場所にいる数人。
特に気にも留めなかった。
王都では珍しくない光景だ。
問題はそこではない。
「買い物は終わったのか?」
「オワッテマセン」
正直だった。
「そうか」
店長は頷く。
「なら何してる」
正論だった。
サラは言葉に詰まる。
「えっと……」
「うん」
「道案内?」
疑問形だった。
店長が額を押さえる。
「またか」
「またじゃないもん」
「まただろ」
否定できなかった。
サラは視線を逸らす。
「だって困ってたし」
「だからって買い物途中で放り出すな」
「でもリリエ探してるんだよ?」
「だから?」
「リアナに会いたいんだって」
店長は少しだけ眉を上げた。
それだけだった。
「それで」
「案内してあげようかなって」
「お前がか」
「私しか知らないし」
店長は深いため息を吐く。
いつもの事だった。
サラは昔からこうだ。
困っている人を見ると放っておけない。
そして余計なことまで首を突っ込む。
「案内するなとは言わん」
「本当!?」
サラの顔がぱっと明るくなる。
「ただし」
次の瞬間、固まった。
「荷物くらい置いてこい」
買い物籠を指差される。
サラは数秒考えた。
そして。
「なるほど!」
何かを理解した顔になる。
「行ってきます!」
次の瞬間には走り出していた。
「待て」
遅い。
もういない。
店長はしばらく無言だった。
風だけが吹く。
やがて。
大きなため息が漏れる。
「あのバカ……」
頭を掻く。
「案内人が案内される人置いていきやがった」
フィーナは思わず吹き出した。
侍女も口元を隠している。
確かにその通りだった。
当の本人だけが気付いていない。
店長はもう一度ため息を吐く。
「すぐ戻ると思います」
どこか諦めたような口調だった。
どうやら日常らしい。
そしてフィーナは少しだけ安心した。
リアナの周りには。
どうやら面白い人達が集まるらしい。
その時だった。
遠くからざわめきが聞こえてきた。
最初は誰かが大声で呼び込みでもしているのかと思った。
だが違う。
人々が次々と通りの端へ寄っていく。
露店の店主達も商品を少し下げ始めた。
「ん?」
フィーナが首を傾げる。
通りの向こうを見る。
何か大きな集団が近付いてきていた。
荷馬車。
馬。
護衛らしい男達。
その列は思っていたよりも長い。
「何かあるんですか?」
フィーナが店長へ尋ねた。
「ああ」
店長は振り返る。
「行商隊ですよ」
「行商隊?」
「地方を回って商売してる連中です」
フィーナは興味深そうに隊列を見つめた。
荷馬車には布が積まれ。
別の馬車には樽が載っている。
中には見たこともない品もあった。
「長いんですね」
「護衛も兼ねてますから」
店長が説明する。
「盗賊避けですよ」
「なるほど」
フィーナは感心したように頷いた。
「隊列を組んで移動するんです」
「だから道を空けるんですね」
「そういう事です」
既に周囲の人々は慣れた様子で端へ寄っていた。
王都では珍しくない光景らしい。
フィーナ達も自然と人の流れに合わせる。
侍女がフィーナの肩に手を添えた。
「お嬢様、こちらへ」
「はい」
だが。
ちょうどその時。
前方から子供が走ってきた。
母親が慌てて追いかける。
人の流れが一瞬だけ乱れた。
荷馬車が近付き。
人々がさらに端へ寄る。
通りを挟むように人垣ができた。
ほんの数秒。
本当に数秒だった。
荷馬車がゆっくりと目の前を通り過ぎていく。
大きな車輪が石畳を軋ませ。
馬の蹄の音が響く。
フィーナは通りの向こうを見る。
そこには侍女の姿があった。
「お嬢様!」
何か言っている。
だが聞こえない。
フィーナも手を振った。
侍女も振り返してくる。
大丈夫そうだった。
だから最初は気にしていなかった。
少し待てば終わる。
それだけだと思った。
だが。
一台。
また一台。
さらに一台。
荷馬車はなかなか途切れない。
「長いですね……」
思わず呟く。
店長の姿も見える。
侍女の姿も見える。
だが遠い。
ほんの数歩先なのに。
今は渡れない。
周囲の人々も同じように待っていた。
だから危険ではない。
それは分かっている。
それでも。
少しだけ。
心細かった。
王宮ではこんな経験は滅多にない。
常に誰かが傍にいた。
侍女がいて。
護衛がいて。
何かあればすぐ声が届く。
それが当たり前だった。
だが今は違う。
荷馬車の音。
馬のいななき。
人々の話し声。
その全てに侍女の声が埋もれてしまう。
フィーナはぎゅっと服の裾を握った。
大丈夫。
ほんの少し待つだけ。
そう思う。
なのに。
時間が妙に長く感じた。
その時だった。
「大丈夫ですか?」
突然。
優しい声が聞こえた。
フィーナはびくりと肩を震わせる。
驚いて振り返った。
そこには一人の女性が立っていた。
買い物籠を抱えている。
穏やかな表情。
どこか安心する雰囲気。
だが。
今のフィーナにはそんな事を考える余裕はなかった。
突然話しかけられた事に驚いてしまったのだ。
「え……」
思わず声が詰まる。
女性は少しだけ目を丸くした。
そしてしゃがみ込む。
視線を合わせるように。
「ごめんなさい」
柔らかな声だった。
「驚かせてしまいましたね」
フィーナは首を横に振ろうとする。
だが上手く言葉が出てこない。
気付けば目元が少し熱くなっていた。
泣くほどではない。
泣いていない。
でも。
少しだけ心細かったのだ。
それを自分でも認めたくなかった。
「大丈夫ですよ」
女性は微笑む。
「向こうにご家族の方がいますか?」
フィーナは小さく頷いた。
女性は通りの向こうを見る。
侍女が必死に手を振っている。
なるほど。
事情は何となく分かった。
「行商隊ですね」
女性は苦笑した。
「たまにあるんです」
フィーナはようやく言葉を絞り出す。
「長いんですね……」
「そうですね」
女性も隊列を見る。
「今日は特に長い方かもしれません」
フィーナは少しだけ安心した。
目の前の女性は落ち着いている。
だからだろうか。
自分の不安も少しだけ薄れていく。
女性は立ち上がった。
「終わるまで一緒に待ちましょうか」
その言葉に。
フィーナは小さく頷いた。
「行商隊を見るのは初めてですか?」
フィーナは少し驚く。
「分かるんですか?」
「何となくです」
女性は微笑んだ。
「珍しそうに見ていたので」
図星だった。
フィーナは少し恥ずかしくなる。
「初めてです」
素直に答えた。
「最初は皆そうですよ」
女性も行商隊へ視線を向ける。
荷馬車には様々な荷物が積まれていた。
布。
木箱。
樽。
見たことのない道具まである。
「どうして今日はこんなに多いんですか?」
フィーナが尋ねる。
女性は少し考えた。
そして思い当たったように頷く。
「もうすぐ春灯祭ですから」
「春灯祭?」
初めて聞く名前だった。
「春が来たことを祝うお祭りなんです」
女性は穏やかに説明する。
「王都だけじゃなくて、近くの村や町の人達もたくさん来るんですよ」
「皆さんで?」
「はい」
女性は頷いた。
「農家の方が育てた作物を持ってきたり」
「商人さんが珍しい品を持ってきたり」
「広場には沢山のお店が並びます」
フィーナの目が少し輝く。
話を聞くだけで楽しそうだった。
「夜になると」
女性は少しだけ笑った。
「藁で作った飾りを燃やすんです」
「燃やすんですか?」
「はい」
「家族や友人やお店ごとに作るんですよ」
「何を作るんですか?」
「色々です」
女性は考える。
「動物だったり」
「鳥だったり」
「その年の願いだったり」
「その作った物を、お店の前や玄関前に飾って願いを届けるんです」
フィーナは静かに耳を傾ける。
「そしてお祭りの日、最後に広場に持ち寄って」
女性は遠くを見るように言った。
「春の火に願いを預けるんですよ」
フィーナは思わず行商隊の向こうを見た。
まだ見ぬ祭りを想像する。
笑い声。
灯り。
春の夜風。
そして夜空を照らす大きな火。
きっと綺麗だろう。
「行ってみたいです」
気付けばそう口にしていた。
女性は少しだけ驚いたようだった。
だがすぐに微笑む。
「きっと楽しいですよ」
フィーナも笑う。
そして。
ほんの少しだけ表情を曇らせた。
「でも」
「?」
「私はたぶん無理ですね」
女性は首を傾げた。
だが理由は聞かなかった。
フィーナも説明しない。
王女だから。
祭りへ行くとしても。
遠くから眺めるだけ。
人々の輪の中へ入ることはできない。
それが当たり前だった。
「そうですか」
女性はただ穏やかに頷く。
「でも綺麗なんでしょうね」
フィーナが言う。
女性は微笑んだ。
「はい」
春の陽射しのような優しい笑顔だった。
「とても綺麗ですよ」
春の陽射しのような優しい笑顔だった。
フィーナは行商隊の向こうを見つめる。
まだ見ぬ春灯祭。
広場を埋める人々。
夜空を照らす炎。
想像するだけで少し胸が躍った。
「見てみたいです」
小さく呟く。
女性は微笑んだ。
「きっといつか見られますよ」
フィーナは曖昧に笑った。
そうだといい。
だが現実はそう簡単ではない。
そんな事を思う。
その時だった。
行商隊の列に少し変化が生まれた。
荷馬車の間隔が広がり始める。
終わりが近いのかもしれない。
向こう側では侍女がほっとしたような顔をしていた。
フィーナも少し安心する。
「もうすぐ終わりそうですね」
「そうですね」
女性も頷いた。
そして。
ふとフィーナを見る。
「お一人でお買い物ですか?」
自然な質問だった。
フィーナは少し迷う。
嘘は苦手だ。
けれど本当の事も言えない。
「いえ」
向こう側を見る。
「一緒に来た人とはぐれてしまって」
女性も視線を向けた。
侍女が手を振っている。
事情は分かったらしい。
「それなら大丈夫ですね」
女性は安心したように言った。
「皆さん心配しているみたいですし」
フィーナは思わず笑った。
確かにそうだった。
侍女は必死だ。
少し申し訳ない。
「ありがとうございます」
自然とそう言葉が出た。
「声を掛けてくださって」
女性は少し驚いたようだった。
そして小さく首を振る。
「困っている子がいたら普通ですよ」
その言葉にフィーナは少しだけ目を丸くした。
王宮ではあまり聞かない言葉だった。
当たり前のようで。
どこか温かい。
「お姉さんは王都の人なんですか?」
今度はフィーナが尋ねる。
女性は少し考えてから頷いた。
「そうですね」
「ずっと王都で?」
「はい」
「お仕事は?」
フィーナの質問に女性は少しだけ笑った。
「花屋です」
フィーナの心臓が小さく跳ねた。
だがまだ気付かない。
王都に花屋は沢山ある。
そう思ったからだ。
「花屋さんなんですね」
「はい」
「お花は好きですか?」
女性が尋ねる。
「好きです」
フィーナは素直に答えた。
「見るのも好きですし、育てるのも好きです」
「育てるんですか?」
今度は女性が少し驚く。
「少しだけですけど」
フィーナは笑う。
王宮の庭の片隅。
自分で世話をしている花壇がある。
女性もどこか嬉しそうだった。
「それは素敵ですね」
そして、何気なく続ける。
「私の働いている店にも来てみますか?」
フィーナは顔を上げた。
「どちらのお店なんですか?」
女性は答える。
ごく自然に。
何の気負いもなく。
「リリエです」
その瞬間。
フィーナの思考が止まった。
「……え?」
聞き間違えたかと思った。
今、何と言っただろう。
女性は不思議そうに首を傾げる。
「どうしました?」
フィーナは女性を見る。
もう一度見る。
栗色の髪。
穏やかな笑顔。
買い物籠。
優しい声。
そして。
王宮で聞いた名前。
サラが親友だと言う人。
ずっと会いたかった人。
「リリエ……?」
思わず聞き返す。
女性は頷いた。
「はい」
そして、少しだけ微笑んだ。
「花屋リリエです」
フィーナは言葉を失った。
花屋リリエ。
聞き間違いではなかった。
何度も探していた名前。
王宮で聞いた名前。
そして。
今日会いたいと思っていた人がいる店。
「どうしました?」
女性が不思議そうに首を傾げる。
フィーナは慌てて首を振った。
「い、いえ」
声が少し上擦る。
落ち着こうとする。
だが無理だった。
心臓が妙に騒がしい。
女性はそんなフィーナを見て少し笑った。
「花がお好きなら、きっと気に入ると思いますよ」
その言葉にフィーナは思わず尋ねていた。
「そのお店には……」
女性が待つ。
「リアナさんはいますか?」
言ってから少し後悔した。
いきなりだったかもしれない。
だが。
女性は特に気にした様子もなく答える。
「いますよ」
フィーナの心臓がさらに跳ねる。
「今日はお店に?」
「いえ」
女性は買い物籠を少し持ち上げた。
「今は私が買い物中なので」
そこまで言ってから。
ふと気付いたように笑う。
「ああ」
そして。
ごく自然に続けた。
「私がリアナです」
世界が止まったような気がした。
フィーナは瞬きをする。
一回。
二回。
三回。
目の前の女性を見る。
穏やかな笑顔。
買い物籠。
春の陽射し。
そして。
王宮で聞いた名前。
サラが親友だと言っていた人。
ずっと探していた人。
「え……」
やっと声が出る。
「リアナさん?」
「はい」
リアナは頷いた。
何がそんなに驚く事なのか分かっていない。
フィーナは思わず笑ってしまった。
拍子抜けしたのだ。
もっと特別な人を想像していた。
もっと不思議な人を想像していた。
だが。
目の前にいたのは。
困っている子供に声を掛ける。
どこにでもいそうな優しい女性だった。
「どうかしましたか?」
リアナが少し心配そうに尋ねる。
フィーナは首を横に振った。
「いえ」
そして。
少しだけ嬉しそうに笑う。
「やっと会えました」
今度はリアナが首を傾げる番だった。
○
その頃。
サラは全力で走っていた。
「しまったぁぁぁ!」
王都の石畳を駆け抜ける。
買い物籠は置いてきた。
荷物も置いてきた。
案内する相手も置いてきた。
我ながら酷い。
「何やってるんだろ私……」
今さらだった。
「急がないと」
息を切らしながら元の場所へ向かう。
もし帰ってしまっていたらどうしよう。
そんな不安もあった。
やがて。
先ほど別れた通りが見えてきた。
「あっ!」
だが。
そこには行商隊の列があった。
荷馬車。
馬。
商人達。
通りを埋める長い列。
「行商隊?」
思わず呟く。
その時だった。
「サラ」
聞き慣れた声。
びくりと肩が跳ねた。
振り向く。
そこには腕を組んだラルカ亭の店長がいた。
「店長」
「案内人」
「はい」
「案内する相手を放っておくな」
「はい……」
反論できない。
完全に自分が悪い。
店長は呆れたようにため息を吐く。
「急いだんです」
「置いていったがな」
「はい……」
ぐうの音も出ない。
サラは肩を落とした。
その時。
ふと視界の端に女性が映った。
通りの向こう側。
二十代くらいだろうか。
身なりの良い女性が落ち着かない様子で辺りを見回している。
誰かを探しているようだった。
「あの人どうしたんだろ」
サラが呟く。
店長もちらりと見る。
「さあな」
だが。
その女性は本当に落ち着かない様子だった。
誰かに声を掛けるべきか。
向こうへ行くべきか。
迷っているように見える。
サラは少し気になった。
だが今はそれどころではない。
まずは案内相手だ。
行商隊の列を見る。
まだ続いている。
そして。
ようやく最後尾の荷馬車が通り過ぎた。
人々が少しずつ動き始める。
通りが開く。
サラはほっと息を吐いた。
「よかった」
その瞬間だった。
向こう側が見えるようになる。
サラは目を瞬かせた。
一回。
二回。
三回。
そして固まる。
そこにいたのは。
先ほどまで探していた少女。
そして。
買い物籠を抱えたリアナ。
二人は並んで立ち。
まるで前から知り合いだったかのように話をしていた。
「……え?」
サラの思考が停止する。
店長も目を細める。
数秒の沈黙。
やがてサラは震える声で呟いた。
「私……」
店長は嫌な予感がした。
「案内」
サラの肩が震える。
「必要なかった?」
そして頭を抱えた。
「私、何のために走ったのぉぉぉ!?」
通りに悲鳴が響いた。
○
「私、何のために走ったのぉぉぉ!?」
遠くから悲鳴のような声が聞こえた。
フィーナが思わず振り返る。
聞き覚えのある声だった。
リアナも同じ方向を見る。
そして。
小さく瞬きをした。
「あれ」
知っている声だった。
人混みの向こう。
頭を抱えている女性が見える。
「サラ?」
リアナが呟く。
フィーナもそちらを見る。
「あの方ですか?」
「はい」
リアナは少し困ったように笑った。
「友人です」
フィーナは思わず納得する。
何となく分かった。
とても分かった。
その時だった。
「お嬢様!」
今度は別の声が響く。
振り返る。
行商隊が通り過ぎ、道が開いていた。
侍女が駆け寄ってくる。
その後ろにはユリウス達の姿もあった。
「ご無事ですか?」
侍女の声には安堵が滲んでいた。
フィーナは少し申し訳なさそうに笑う。
「大丈夫です」
「本当に?」
「本当にです」
侍女はようやく息を吐いた。
どうやらかなり心配していたらしい。
フィーナは少し反省する。
その様子を見ながら。
リアナはほっと胸を撫で下ろした。
どうやら本当に迷子ではなかったようだ。
「良かったですね」
自然にそう言葉が出る。
フィーナはリアナを見る。
そして少しだけ笑った。
「はい」
短い返事だった。
けれど。
先ほどまでよりずっと明るい声だった。
リアナも微笑む。
春の風が二人の間を通り抜ける。
その時。
フィーナはふと思った。
もう少し話していたい。
そう思う相手は久しぶりだった。
だが。
侍女達も来た。
これでお別れかもしれない。
そう考えると。
少しだけ残念だった。
そして。
リアナもまた気付いていない。
目の前の少女が。
目付役を依頼されている、王女フィーナ・アウグスト本人だという事に。
「お嬢様」
侍女はようやく落ち着きを取り戻したようだった。
乱れた呼吸を整えながらフィーナを見る。
「本当にご無事で何よりです」
「心配を掛けてしまいました」
フィーナは素直に頭を下げた。
侍女も少し困ったように笑う。
どうやら怒る気はないらしい。
その時だった。
侍女の視線が隣へ向く。
買い物籠を抱えた女性。
穏やかな笑顔。
そして聞き覚えのある名前。
「失礼ですが……」
侍女が口を開く。
「リアナ・エルム様でしょうか?」
リアナは少し驚いたように目を瞬かせた。
「はい」
短く頷く。
フィーナが小さく肩を竦めた。
もう隠せそうになかった。
侍女は丁寧に一礼する。
「先日は王宮へのご協力、ありがとうございました」
リアナも軽く頭を下げた。
「いえ」
そこで。
侍女はフィーナへ視線を向ける。
フィーナも観念したように小さく笑った。
「ご紹介が遅れました」
侍女が言う。
「こちらはフィーナ・アウグスト様です」
数秒。
沈黙。
リアナはフィーナを見る。
フィーナも少しだけ気まずそうに笑う。
そして。
リアナは小さく頷いた。
「あぁ……」
驚きより先に。
何かが繋がったような顔だった。
「そういう事だったんですね」
フィーナが首を傾げる。
「何がですか?」
リアナは少しだけ笑った。
「春灯祭のお話です」
「あ……」
今度はフィーナが納得する番だった。
「私はたぶん無理ですね、と仰っていましたから」
リアナは穏やかに続ける。
「理由が分かりました」
フィーナは苦笑した。
確かに説明していなかった。
説明できなかったとも言える。
「驚きましたか?」
少しだけ不安そうに尋ねる。
リアナは考える。
そして正直に答えた。
「少しだけです」
そう言いながらも。
表情はあまり変わっていない。
むしろ納得の方が大きかった。
言葉遣い。
立ち居振る舞い。
どこか品のある雰囲気。
今思えば気付ける要素はいくらでもあった。
「気付きませんでした」
リアナは少し恥ずかしそうに笑う。
フィーナも笑った。
「私も言いませんでしたから」
それは確かだった。
二人の間に柔らかな空気が流れる。
王女と花屋の娘。
本来なら遠いはずの立場だった。
だが不思議とそんな感じはしなかった。
少なくとも。
今この瞬間は。
その時だった。
「リアナぁぁぁ!」
遠くから聞き覚えのある声が響く。
全員が振り返る。
そこには。
全力でこちらへ走ってくるサラの姿があった。
「サラ?」
リアナが呟く。
サラは走る。
走る。
そしてフィーナの前で急停止した。
リアナを見る。
フィーナを見る。
侍女を見る。
もう一度リアナを見る。
数秒考える。
そして。
「私、今どこから説明すればいい?」
真顔だった。
リアナは小さくため息を吐いた。
どうやら平常運転らしい。
フィーナは思わず笑う。
侍女も口元を隠していた。
サラだけが状況についていけていない。
「サラ様」
フィーナが声を掛ける。
「さ、さま!?」
反射的に返事をする。
「ありがとうございました」
サラは首を傾げた。
何に対する礼なのか分からない。
だが。
何となく良い事を言われている気はした。
「どういたしまして?」
やはり疑問形だった。
その様子にリアナが小さく笑う。
すると。
侍女が一歩前へ出た。
「お嬢様」
その一言で空気が変わる。
フィーナも察した。
時間だった。
「もうですか?」
少しだけ残念そうな声になる。
侍女は申し訳なさそうに頷いた。
「はい」
「そろそろ戻らなければなりません」
フィーナは小さく息を吐いた。
本当なら。
リリエへ行きたかった。
もっと話もしたかった。
花の話も。
春灯祭の話も。
聞いてみたい事は沢山ある。
けれど。
今日は十分勝手をした。
これ以上は我儘だろう。
「分かりました」
そう答える。
だが視線は自然とリアナへ向いていた。
リアナも察したらしい。
穏やかに微笑む。
「今日はありがとうございました」
フィーナが言う。
「こちらこそ」
リアナも頭を下げた。
短い沈黙。
フィーナは少しだけ迷った。
そして。
「今度はちゃんとリリエへ行きます」
そう言った。
リアナは少し驚いたようだった。
だがすぐに笑う。
「お待ちしています」
その言葉に。
フィーナの顔がぱっと明るくなる。
まるで約束を貰った子供のようだった。
侍女はそんな様子を見て少し安心した。
今日の外出は想定外の事ばかりだった。
だが。
悪い出会いではなかったらしい。
「では失礼します」
フィーナは一礼する。
リアナも頭を下げた。
そして。
フィーナ達は王宮へ向かって歩き出す。
途中で何度か振り返る。
その度にリアナが小さく手を振っていた。
やがて人混みの中へ姿が消える。
リアナはしばらくその方向を見つめていた。
「行ったねぇ……」
隣から声がする。
サラだった。
いつの間にか復活している。
「行きましたね」
「結局あの子、一体どこの子だったんだろ?」
リアナが瞬きをする。
「どこの子?」
「うん」
サラは腕を組む。
「身なり良かったし」
「お嬢様っぽかったし」
「どこかの貴族かな?」
リアナは数秒黙った。
そして。
「あの方ですか?」
「うん」
「フィーナ・アウグスト様ですよ」
サラも頷く。
「へぇ」
数秒。
沈黙。
風が吹く。
鳥が鳴く。
そして。
サラの動きが止まった。
「……誰?」
リアナは少し驚いた。
「王女様です」
さらに数秒。
沈黙。
サラの顔から血の気が引いていく。
「え?」
「え?」
「王女様?」
「はい」
「私が案内しようとしてた子?」
「そうですね」
「途中で置いてきた子?」
「そうですね」
「王女様?」
「王女様です」
理解した。
理解してしまった。
サラは空を見上げる。
そして。
ゆっくりと白目を剥いた。
「うわぁ……」
「今さらですか」
「今だからだよぉぉぉ!」
王都の通りに悲鳴が響いた。
◇
夕方。
花屋リリエ。
店内には柔らかな夕陽が差し込んでいた。
窓辺の花々が橙色に染まっている。
エマは帳簿を閉じながら顔を上げた。
「お帰り」
「ただいま戻りました」
「ただいまぁ……」
サラの声だけ元気がない。
エマが眉をひそめる。
「何かあったの?」
サラは無言で椅子に座る。
そして。
「私ね」
「うん」
「王女様置いてきた」
エマが固まった。
数秒。
沈黙。
「は?」
「置いてきた」
「何を言ってるの?」
「私もそう思う」
サラは遠い目をした。
リアナは苦笑する。
そして事情を説明し始めた。
やがて。
話を聞き終えたエマは額を押さえた。
「サラらしいわね」
「怒らないの?」
「今さら何を怒るのよ」
エマは苦笑した。
サラも苦笑する。
そして。
少しだけ店内に笑いが広がった。
穏やかな時間だった。
やがて。
笑い声が落ち着く。
エマはふとリアナを見る。
「それで?」
静かな声だった。
リアナは意味を理解する。
王宮からの話。
相談役。
お目付役。
先日から悩んでいた事。
リアナは窓の外を見る。
夕暮れの王都。
春の風。
店先で揺れる花々。
そして。
今日出会った少女を思い出した。
春灯祭の話を聞いて目を輝かせていた少女。
少し寂しそうに笑った少女。
もっと話していたいと思った少女。
リアナは小さく笑う。
「そうですね」
静かな声だった。
「引き受けようかと思います」
エマも笑った。
サラは目を丸くする。
春の風が窓から吹き込み。
花々を優しく揺らした。
リアナはその様子を見つめながら思う。
今日の出会いは。
きっと悪いものではなかった。
そんな気がした。




