表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

第十一話 王都の休日

春の陽射しが王都アウグストを照らしていた。

石畳の大通りには人々が行き交い、露店には色とりどりの果物や野菜が並んでいる。商人達の威勢の良い声が響き、焼きたてのパンの香りが風に乗って流れていた。

王都は今日も平和だった。

その賑わいを少し離れた場所から見つめながら、ユリウスは小さく息を吐いた。

(緊張するな……)

王城騎乗隊へ異動してから数日。

今日が初めての護衛任務だった。

正確には研修に近い。

先輩隊員と共に王女フィーナの外出護衛を務める。

本来ならば名誉な任務だ。


だが。

目の前の王女は。

「へぇ……」

露店の前で立ち止まり、果物を興味深そうに眺めている。

「これは何ですか?」

「南方から入った果物ですよ、お嬢ちゃん」

店主が笑顔で答えた。

フィーナは何度も頷いている。

どう見ても王女には見えなかった。

王宮で見た時はもっと近寄り難い存在だと思っていた。

だが今は。

どこにでもいる好奇心旺盛な少女にしか見えない。

「ユリウス」

隣を歩く先輩隊員が小声で言う。

「気を抜くなよ」

「はい」

慌てて背筋を伸ばす。

すると先輩隊員が苦笑した。

「そんなに固くなるな」

「ですが……」

「初めてだからな」

そう言って肩を軽く叩かれる。

ユリウスは少しだけ肩の力を抜いた。

それでも周囲への警戒は続ける。


市民に紛れて歩く。

距離を取りながら見守る。

必要以上に目立たない。

それが今日の任務だった。

「お嬢様、本日は随分と熱心ですね」

侍女が声を掛ける。

「当然です」

フィーナは真面目な顔で答えた。

「王都を知るのも勉強ですから」

立派な答えだった。

実際、嘘ではない。

店主と話をし。

市場を歩き。

雑貨屋を覗き。

本屋に立ち寄る。

王女として必要な経験でもある。

だからユリウスも疑わなかった。

今日の外出には別の目的がある事を。


(熱心なお方だな)

そう思う。

王都の店を見て回り、市民の暮らしに触れる。

王族として大切な事だ。

少なくともユリウスはそう思っていた。

その頃。

フィーナの頭の中では。

(リリエはどこでしょう……)

別の事が大半を占めていた。

王宮で聞いた少女。

リアナ・エルム。

占いがよく当たるという不思議な花屋の娘。

一度会ってみたい。

ただそれだけだった。

もちろん王宮でそう言えば許可は出ない。

だから今日は王都視察という名目で外出している。

嘘ではない。

ただ本音を全部言っていないだけだ。


四軒目の花屋を後にした頃。

侍女は確信していた。

やはりそうだ。

お嬢様は何かを探している。

雑貨屋。

本屋。

市場。

そこまでは良い。

だがその後、必ず花屋へ立ち寄る。

しかも王都でも有名な店ではなく、小さな個人店ばかりだ。

「お嬢様」

侍女が声を掛ける。

「何でしょう?」

フィーナは何事もない顔で振り返った。

「本日は随分と花屋をご覧になりますね」

「そうでしょうか?」

即答だった。

怪しい。

とても怪しい。

「四軒目です」

「偶然ですよ」

「そうですか」

「そうです」

視線が泳いだ。

侍女は内心で苦笑する。

昔から分かりやすい。

何か気になる事があると一直線になる。

そして隠し事があまり上手ではない。

「ところで」

侍女は何気ない調子で言った。

「リリエという花屋をご存知ですか?」

フィーナの足が止まる。

本当に一瞬だった。

だが十分だった。

「い、いえ?」

少しだけ声が上擦る。

「そうですか」

「そうです」

「知りませんか」

「知りません」

二回言った。

侍女は確信する。


王宮で聞き取りを行った日から様子がおかしかった。

原因は間違いなくリアナ・エルム。

今日は王都視察ではなく、その花屋を探しているのだろう。

もちろん悪い事ではない。

むしろ年相応で微笑ましい。

だから黙っている。

一方。

少し離れた場所を歩くユリウスは何も気付いていなかった。

(熱心なお方だな)

王都の商店を見て回り、市民の暮らしを学ぶ。

そういう研修だと思っている。


実際、嘘ではない。

ただ本当の目的を知らないだけだ。

その時だった。

「ん?」

買い物籠を抱えた女性が足を止めた。

明るい茶色の髪。

人懐っこい笑顔。

そして見覚えのある顔。

サラだった。

「どうしたの?」

サラはフィーナへ気軽に声を掛ける。

「何か探してる?」

その瞬間。

ユリウスの目が見開かれた。

(え?)

思わず二度見する。

なぜサラがここにいるのか。

ではない。

なぜよりによって、お嬢様へ話しかけているのか。

そちらだった。

反射的に一歩踏み出しかける。

だが止まる。

危険はない。

サラに害意などあるはずもない。

侍女も動いていない。

むしろ。

侍女は小さく笑みを浮かべていた。

(見つけましたね、お嬢様)

そんな顔だった。

一方のフィーナは。

探していた手掛かりが向こうから歩いて来た事に気付き、内心で喜びを隠していた。


「どうしたの?」

サラは気軽に声を掛けた。

「何か探してる?」

フィーナは思わず顔を上げる。

ようやく手掛かりを見つけた。

そんな気持ちだった。

「あの、お花屋さんを探していて」

「花屋?」

「はい」

サラは首を傾げる。

王都には花屋などいくらでもある。

わざわざ困るほどの事でもない。

「どこの?」

フィーナは少しだけ嬉しそうに答えた。

「リリエというお店です」


その瞬間。

サラの表情が変わった。

「リリエ?」

「はい」

「もしかしてリアナのとこ?」

フィーナの顔がぱっと明るくなる。

「知っているんですか?」

「知ってるも何も」

サラは胸を張った。

「親友だよ」

何故か誇らしげだった。


ユリウスは少し離れた場所で額を押さえたくなる。

やはり始まった。

リアナの話になるといつもこうだ。

「リアナさんに会ったことがあるんですか?」

「あるも何も毎日のように会ってるよ」

サラは笑う。

「今朝も会ったし」

フィーナの目が少し大きくなった。

王宮で聞いた時は、どこか不思議な人物という印象だった。

だが。

目の前の女性の話し方からすると、随分と身近な存在らしい。

「リアナさんはどんな方なんですか?」

その質問にサラは一瞬だけ考える。

そして。

「変な子」

即答だった。


フィーナが目を瞬かせる。

「変な方なんですか?」

「うん」

サラは迷いなく頷いた。

「良い意味で」

全く説明になっていない。

「優しいし」

「はい」

「花好きだし」

「はい」

「可愛いし」

「はい」

「変」

「そこなんですね」

フィーナは思わず笑ってしまった。

サラもつられて笑う。

その様子を見ながら侍女は内心で感心していた。

初対面の相手とここまで自然に話せる人間はそう多くない。

お嬢様も楽しそうだ。

王宮ではなかなか見せない表情だった。

「それで?」

サラは首を傾げる。

「リアナに何か用?」

フィーナは少し考えた。

どこまで話して良いものか。


「少し会ってみたくて」

それだけ答える。

嘘ではない。

むしろ本音だった。

サラはじっとフィーナを見る。

身なりは良い。

言葉遣いも綺麗。

育ちも良さそうだ。

だから最初はどこかの商家のお嬢様かと思った。

だが。

リアナに会いたい理由が分からない。

そして、ふと。

ある可能性が頭をよぎる。

嫌な予感だった。

「もしかして……」

サラの表情が少し引きつる。

「占い?」

フィーナは嬉しそうに頷いた。

「はい!」

サラの笑顔が固まった。

「……はい?」

「リアナさんの占いのお話を聞いて」

フィーナは楽しそうに続ける。

「ぜひ会ってみたいと思ったんです」

サラは沈黙した。


数秒。

いや。

もっと長かったかもしれない。

「……あ」

小さく呟く。

フィーナは首を傾げる。

「?」

「私だ」

「え?」

「原因私だ」

真顔だった。

フィーナは意味が分からない。

サラは両手で顔を覆った。

「エマさんに怒られる……」

今度は本気だった。

遠くから見ていたユリウスは思った。

(何を言っているんだ、この人は)

侍女は小さく肩を震わせる。

何となくだが。

事情が分かった気がした。

そしてサラは顔を覆ったまま呟く。

「絶対私のせいだ……」

「何がですか?」

「たぶん全部」

ますます意味が分からなかった。

だが本人だけは深刻そうだった。

「だって凄かったんだもん……」

サラは小さく呟く。

「え?」

「聞いてよ」

顔を上げた。

どうやら話し始めるらしい。

「前にね」

「はい」

「リアナが崖崩れるから近付くなって言ったの」

フィーナの表情が変わる。

王宮で聞いた話だ。

「それで?」

「本当に崩れた」

「はい」

「だから凄いじゃん」

「はい」

「だから話した」

「はい」

「いっぱい話した」

「はい」

「すごく話した」

フィーナは思わず笑ってしまう。

何となく想像できた。

「市場で話して」

「はい」

「ラルカ亭で話して」

「はい」

「常連さんにも話した」

「はい」

「たぶん王都中に広がった」

誇らしげだった。


そして。

次の瞬間。

「……あ」

再び固まる。

「やっぱり私だ」

「そうかもしれませんね」

侍女が思わず呟いた。

サラが勢いよく振り向く。

「ですよね!?」

「いえ、私は何も」

「エマさんに怒られる!」

本日二度目だった。

ユリウスは視線を逸らした。

否定できない。


「リアナは怒らないんだけどね」

サラは肩を落とす。

「怒らないんですか?」

フィーナが聞く。

「怒らない」

即答だった。

「じゃあ大丈夫では?」

「大丈夫じゃない」

今度も即答だった。

「リアナは怒らない」

「はい」

「でもエマさんが怒る」

「なるほど」

何となく理解した。

「怖いんですか?」

サラは少し考えた。

そして。

「怖い」

真面目な顔で頷いた。

「すごく怖い」

そこだけ妙に説得力があった。

侍女が口元を隠す。

ユリウスは笑いそうになるのを堪えた。

フィーナも肩を震わせている。

「でも」

サラは急に表情を明るくした。

「せっかくだし案内するよ」

「本当ですか?」

フィーナの顔がぱっと明るくなる。

「うん」

サラは胸を張った。

「リリエならすぐそこだから」

その言葉を聞いた瞬間。

フィーナは思わず前のめりになった。


ようやく。

探していた場所へ辿り着ける。

そんな期待が胸の中に広がる。

一方。

侍女は小さくため息を吐いた。

(見つかってしまいましたね)

半分呆れ。

半分微笑ましい。

そんな気持ちだった。

そしてユリウスは。

(最初から私に聞けばよかったのでは……)

という言葉を飲み込んだ。

言ったら負けな気がした。


リリエの店内には花の香りが満ちていた。

店先には色とりどりの花々が並び、春の日差しを受けて揺れている。

窓から差し込む光は柔らかく、昼下がりの店内は穏やかな空気に包まれていた。

その一角で。

リアナは花束を作っていた。

淡い青色の花を一本取り。

白い花を添える。

少し離れて全体を見る。

そしてまた一本加える。

慣れた手付きだった。

「また考え事?」

店の奥からエマの声が飛ぶ。

リアナは顔を上げた。

「分かりますか?」

「分かるわよ」

即答だった。

「いつも見てるんだから」

エマは帳簿を閉じながら言う。

「王宮の件でしょ?」

リアナは少しだけ視線を落とした。

否定しない。

それだけで答えになっていた。


先日の王宮での聞き取り。

その最後に持ち掛けられた話。

王女フィーナの相談役。

そしてお目付役。

王宮側としては正式な任命ではなく打診に近い。

だが。

打診だからこそ悩む。

「嫌なの?」

エマが尋ねた。

「嫌ではありません」

リアナは首を横に振る。

本当に嫌ではなかった。

王女自身にも悪い印象はない。

むしろ。

どんな子なのか興味があるくらい。


「なら何が問題なの?」

リアナは手元の花を見る。

数秒考えてから答えた。

「私に務まるのでしょうか」

エマは思わず吹き出した。

「そこ?」

「そこです」

リアナは真面目だった。

「王女様ですよ?」

「知ってる」

「相談役ですよ?」

「知ってる」

「お目付役ですよ?」

「だから知ってるって」

エマは呆れたように笑った。

リアナは本気で悩んでいる。

昔からそうだった。

難しい事は平気なのに。

自分自身の事になると途端に自信が無くなる。


「私より適任の方はいくらでもいると思います」

「いないから来たんでしょ」

エマはあっさり言った。

リアナは言葉に詰まる。

確かにそうだった。

王宮には優秀な人間が山ほどいる。

それでも自分に話が来た。

理由はあるはずだ。

「それに」

エマは立ち上がる。

「お嬢様が気に入ったんじゃないの?」

「まだお会いしてませんが・・・」

「そうなの?」

リアナは苦笑した。

そんなものだろうか。

自分にはよく分からない。

店の外から子供達の笑い声が聞こえる。

春の風が花の香りを運んでいく。

穏やかな昼下がりだった。

リアナは窓の外を見る。

王宮。

王女。

相談役。

お目付役。

自分とは縁のない話だと思っていた。

だが。

気付けばその話は目の前まで来ている。

「まあ」

エマは肩をすくめた。

「どうせ悩んでも結論出ないでしょ」

「それはそうですね」

リアナも苦笑する。

結局のところ。

今ここで考えても答えは出ない。

王宮側の話もまだ正式なものではない。

ならば今は目の前の仕事をするしかない。


「よし」

エマは手を叩いた。

「リアナ」

「はい?」

「気分転換がてら買い物行ってきて」

リアナが首を傾げる。

「買い物ですか?」

「花瓶用の紐が切れそうなの忘れてたの」

エマは棚の方を指差した。

確かに残りは少ない。

「あと包装紙も」

「ああ」

「あと帰りにパン屋寄ってきて」

「増えてませんか?」

「増えてる」

エマは即答した。

リアナは小さく笑う。

どうやら最初から買い物へ出すつもりだったらしい。

「少し歩いてきなさい」

エマは柔らかい声で言った。

「考えすぎると良い花束作れなくなるわよ」

リアナは手元の花束を見る。

確かに。

少し考え込みすぎていたかもしれない。

「分かりました」

「いってらっしゃい」

「いってきます」

エプロンを外し。

買い物籠を手に取る。

春の陽射しが差し込む扉を開けると、暖かな風が頬を撫でた。


「リリエならこの通りを――」

サラが説明しかけた時だった。

「サラ」

後ろから声が飛んだ。

サラの肩がびくりと震える。

聞き慣れた声だった。

恐る恐る振り返る。

「店長……」

ラルカ亭の店長だった。

買い出しの途中らしく、大きな麻袋を肩に担いでいる。

店長はフィーナ達を一瞥する。

身なりの良い少女。

その付き添いらしい女性。

そして少し離れた場所にいる数人。

特に気にも留めなかった。

王都では珍しくない光景だ。

問題はそこではない。


「買い物は終わったのか?」

「オワッテマセン」

正直だった。

「そうか」

店長は頷く。

「なら何してる」

正論だった。

サラは言葉に詰まる。

「えっと……」

「うん」

「道案内?」

疑問形だった。

店長が額を押さえる。

「またか」

「またじゃないもん」

「まただろ」

否定できなかった。

サラは視線を逸らす。

「だって困ってたし」

「だからって買い物途中で放り出すな」

「でもリリエ探してるんだよ?」

「だから?」

「リアナに会いたいんだって」

店長は少しだけ眉を上げた。

それだけだった。


「それで」

「案内してあげようかなって」

「お前がか」

「私しか知らないし」

店長は深いため息を吐く。

いつもの事だった。

サラは昔からこうだ。

困っている人を見ると放っておけない。

そして余計なことまで首を突っ込む。

「案内するなとは言わん」

「本当!?」

サラの顔がぱっと明るくなる。

「ただし」

次の瞬間、固まった。

「荷物くらい置いてこい」

買い物籠を指差される。

サラは数秒考えた。

そして。

「なるほど!」

何かを理解した顔になる。


「行ってきます!」

次の瞬間には走り出していた。

「待て」

遅い。

もういない。

店長はしばらく無言だった。

風だけが吹く。

やがて。

大きなため息が漏れる。

「あのバカ……」

頭を掻く。

「案内人が案内される人置いていきやがった」

フィーナは思わず吹き出した。

侍女も口元を隠している。

確かにその通りだった。

当の本人だけが気付いていない。

店長はもう一度ため息を吐く。

「すぐ戻ると思います」

どこか諦めたような口調だった。

どうやら日常らしい。

そしてフィーナは少しだけ安心した。

リアナの周りには。

どうやら面白い人達が集まるらしい。

その時だった。

遠くからざわめきが聞こえてきた。

最初は誰かが大声で呼び込みでもしているのかと思った。

だが違う。

人々が次々と通りの端へ寄っていく。

露店の店主達も商品を少し下げ始めた。

「ん?」

フィーナが首を傾げる。

通りの向こうを見る。

何か大きな集団が近付いてきていた。

荷馬車。

馬。

護衛らしい男達。

その列は思っていたよりも長い。


「何かあるんですか?」

フィーナが店長へ尋ねた。

「ああ」

店長は振り返る。

「行商隊ですよ」

「行商隊?」

「地方を回って商売してる連中です」

フィーナは興味深そうに隊列を見つめた。

荷馬車には布が積まれ。

別の馬車には樽が載っている。

中には見たこともない品もあった。

「長いんですね」

「護衛も兼ねてますから」

店長が説明する。

「盗賊避けですよ」

「なるほど」

フィーナは感心したように頷いた。

「隊列を組んで移動するんです」

「だから道を空けるんですね」

「そういう事です」

既に周囲の人々は慣れた様子で端へ寄っていた。


王都では珍しくない光景らしい。

フィーナ達も自然と人の流れに合わせる。

侍女がフィーナの肩に手を添えた。

「お嬢様、こちらへ」

「はい」

だが。

ちょうどその時。

前方から子供が走ってきた。

母親が慌てて追いかける。

人の流れが一瞬だけ乱れた。

荷馬車が近付き。

人々がさらに端へ寄る。

通りを挟むように人垣ができた。

ほんの数秒。

本当に数秒だった。

荷馬車がゆっくりと目の前を通り過ぎていく。

大きな車輪が石畳を軋ませ。

馬の蹄の音が響く。

フィーナは通りの向こうを見る。

そこには侍女の姿があった。

「お嬢様!」

何か言っている。

だが聞こえない。

フィーナも手を振った。

侍女も振り返してくる。

大丈夫そうだった。

だから最初は気にしていなかった。

少し待てば終わる。

それだけだと思った。

だが。

一台。

また一台。

さらに一台。

荷馬車はなかなか途切れない。

「長いですね……」

思わず呟く。

店長の姿も見える。

侍女の姿も見える。

だが遠い。

ほんの数歩先なのに。

今は渡れない。

周囲の人々も同じように待っていた。

だから危険ではない。

それは分かっている。

それでも。

少しだけ。

心細かった。

王宮ではこんな経験は滅多にない。

常に誰かが傍にいた。

侍女がいて。

護衛がいて。

何かあればすぐ声が届く。

それが当たり前だった。

だが今は違う。

荷馬車の音。

馬のいななき。

人々の話し声。

その全てに侍女の声が埋もれてしまう。


フィーナはぎゅっと服の裾を握った。

大丈夫。

ほんの少し待つだけ。

そう思う。

なのに。

時間が妙に長く感じた。

その時だった。

「大丈夫ですか?」


突然。

優しい声が聞こえた。

フィーナはびくりと肩を震わせる。

驚いて振り返った。

そこには一人の女性が立っていた。

買い物籠を抱えている。

穏やかな表情。

どこか安心する雰囲気。

だが。

今のフィーナにはそんな事を考える余裕はなかった。

突然話しかけられた事に驚いてしまったのだ。

「え……」

思わず声が詰まる。

女性は少しだけ目を丸くした。

そしてしゃがみ込む。

視線を合わせるように。

「ごめんなさい」

柔らかな声だった。

「驚かせてしまいましたね」

フィーナは首を横に振ろうとする。

だが上手く言葉が出てこない。

気付けば目元が少し熱くなっていた。

泣くほどではない。

泣いていない。

でも。

少しだけ心細かったのだ。

それを自分でも認めたくなかった。

「大丈夫ですよ」

女性は微笑む。

「向こうにご家族の方がいますか?」

フィーナは小さく頷いた。

女性は通りの向こうを見る。

侍女が必死に手を振っている。

なるほど。

事情は何となく分かった。

「行商隊ですね」

女性は苦笑した。

「たまにあるんです」

フィーナはようやく言葉を絞り出す。

「長いんですね……」

「そうですね」

女性も隊列を見る。

「今日は特に長い方かもしれません」

フィーナは少しだけ安心した。

目の前の女性は落ち着いている。

だからだろうか。

自分の不安も少しだけ薄れていく。

女性は立ち上がった。

「終わるまで一緒に待ちましょうか」

その言葉に。

フィーナは小さく頷いた。


「行商隊を見るのは初めてですか?」

フィーナは少し驚く。

「分かるんですか?」

「何となくです」

女性は微笑んだ。

「珍しそうに見ていたので」

図星だった。

フィーナは少し恥ずかしくなる。

「初めてです」

素直に答えた。

「最初は皆そうですよ」


女性も行商隊へ視線を向ける。

荷馬車には様々な荷物が積まれていた。

布。

木箱。

樽。

見たことのない道具まである。

「どうして今日はこんなに多いんですか?」

フィーナが尋ねる。

女性は少し考えた。

そして思い当たったように頷く。

「もうすぐ春灯祭ですから」

「春灯祭?」

初めて聞く名前だった。

「春が来たことを祝うお祭りなんです」

女性は穏やかに説明する。

「王都だけじゃなくて、近くの村や町の人達もたくさん来るんですよ」

「皆さんで?」

「はい」

女性は頷いた。

「農家の方が育てた作物を持ってきたり」

「商人さんが珍しい品を持ってきたり」

「広場には沢山のお店が並びます」

フィーナの目が少し輝く。

話を聞くだけで楽しそうだった。

「夜になると」

女性は少しだけ笑った。

「藁で作った飾りを燃やすんです」

「燃やすんですか?」

「はい」

「家族や友人やお店ごとに作るんですよ」

「何を作るんですか?」

「色々です」

女性は考える。

「動物だったり」

「鳥だったり」

「その年の願いだったり」

「その作った物を、お店の前や玄関前に飾って願いを届けるんです」

フィーナは静かに耳を傾ける。

「そしてお祭りの日、最後に広場に持ち寄って」

女性は遠くを見るように言った。

「春の火に願いを預けるんですよ」

フィーナは思わず行商隊の向こうを見た。

まだ見ぬ祭りを想像する。

笑い声。

灯り。

春の夜風。

そして夜空を照らす大きな火。

きっと綺麗だろう。


「行ってみたいです」

気付けばそう口にしていた。

女性は少しだけ驚いたようだった。

だがすぐに微笑む。

「きっと楽しいですよ」

フィーナも笑う。

そして。

ほんの少しだけ表情を曇らせた。

「でも」

「?」

「私はたぶん無理ですね」

女性は首を傾げた。

だが理由は聞かなかった。

フィーナも説明しない。

王女だから。

祭りへ行くとしても。

遠くから眺めるだけ。

人々の輪の中へ入ることはできない。

それが当たり前だった。

「そうですか」

女性はただ穏やかに頷く。

「でも綺麗なんでしょうね」

フィーナが言う。

女性は微笑んだ。

「はい」

春の陽射しのような優しい笑顔だった。

「とても綺麗ですよ」


春の陽射しのような優しい笑顔だった。

フィーナは行商隊の向こうを見つめる。

まだ見ぬ春灯祭。

広場を埋める人々。

夜空を照らす炎。

想像するだけで少し胸が躍った。

「見てみたいです」

小さく呟く。

女性は微笑んだ。

「きっといつか見られますよ」

フィーナは曖昧に笑った。

そうだといい。

だが現実はそう簡単ではない。

そんな事を思う。

その時だった。

行商隊の列に少し変化が生まれた。

荷馬車の間隔が広がり始める。

終わりが近いのかもしれない。

向こう側では侍女がほっとしたような顔をしていた。

フィーナも少し安心する。

「もうすぐ終わりそうですね」

「そうですね」

女性も頷いた。

そして。

ふとフィーナを見る。


「お一人でお買い物ですか?」

自然な質問だった。

フィーナは少し迷う。

嘘は苦手だ。

けれど本当の事も言えない。

「いえ」

向こう側を見る。

「一緒に来た人とはぐれてしまって」

女性も視線を向けた。

侍女が手を振っている。

事情は分かったらしい。

「それなら大丈夫ですね」

女性は安心したように言った。

「皆さん心配しているみたいですし」

フィーナは思わず笑った。

確かにそうだった。

侍女は必死だ。

少し申し訳ない。


「ありがとうございます」

自然とそう言葉が出た。

「声を掛けてくださって」

女性は少し驚いたようだった。

そして小さく首を振る。

「困っている子がいたら普通ですよ」

その言葉にフィーナは少しだけ目を丸くした。

王宮ではあまり聞かない言葉だった。

当たり前のようで。

どこか温かい。

「お姉さんは王都の人なんですか?」

今度はフィーナが尋ねる。

女性は少し考えてから頷いた。

「そうですね」

「ずっと王都で?」

「はい」

「お仕事は?」

フィーナの質問に女性は少しだけ笑った。

「花屋です」

フィーナの心臓が小さく跳ねた。

だがまだ気付かない。

王都に花屋は沢山ある。

そう思ったからだ。

「花屋さんなんですね」

「はい」

「お花は好きですか?」

女性が尋ねる。

「好きです」

フィーナは素直に答えた。

「見るのも好きですし、育てるのも好きです」

「育てるんですか?」

今度は女性が少し驚く。

「少しだけですけど」

フィーナは笑う。

王宮の庭の片隅。

自分で世話をしている花壇がある。

女性もどこか嬉しそうだった。

「それは素敵ですね」

そして、何気なく続ける。


「私の働いている店にも来てみますか?」

フィーナは顔を上げた。

「どちらのお店なんですか?」

女性は答える。

ごく自然に。

何の気負いもなく。

「リリエです」

その瞬間。

フィーナの思考が止まった。

「……え?」

聞き間違えたかと思った。

今、何と言っただろう。

女性は不思議そうに首を傾げる。

「どうしました?」

フィーナは女性を見る。

もう一度見る。


栗色の髪。

穏やかな笑顔。

買い物籠。

優しい声。

そして。

王宮で聞いた名前。

サラが親友だと言う人。

ずっと会いたかった人。

「リリエ……?」

思わず聞き返す。

女性は頷いた。

「はい」

そして、少しだけ微笑んだ。

「花屋リリエです」

フィーナは言葉を失った。


花屋リリエ。

聞き間違いではなかった。

何度も探していた名前。

王宮で聞いた名前。

そして。

今日会いたいと思っていた人がいる店。

「どうしました?」

女性が不思議そうに首を傾げる。

フィーナは慌てて首を振った。

「い、いえ」

声が少し上擦る。

落ち着こうとする。

だが無理だった。

心臓が妙に騒がしい。


女性はそんなフィーナを見て少し笑った。

「花がお好きなら、きっと気に入ると思いますよ」

その言葉にフィーナは思わず尋ねていた。

「そのお店には……」

女性が待つ。

「リアナさんはいますか?」

言ってから少し後悔した。

いきなりだったかもしれない。

だが。

女性は特に気にした様子もなく答える。

「いますよ」

フィーナの心臓がさらに跳ねる。

「今日はお店に?」

「いえ」

女性は買い物籠を少し持ち上げた。

「今は私が買い物中なので」

そこまで言ってから。

ふと気付いたように笑う。

「ああ」

そして。

ごく自然に続けた。

「私がリアナです」

世界が止まったような気がした。


フィーナは瞬きをする。

一回。

二回。

三回。

目の前の女性を見る。

穏やかな笑顔。

買い物籠。

春の陽射し。

そして。

王宮で聞いた名前。

サラが親友だと言っていた人。

ずっと探していた人。

「え……」

やっと声が出る。

「リアナさん?」

「はい」

リアナは頷いた。

何がそんなに驚く事なのか分かっていない。


フィーナは思わず笑ってしまった。

拍子抜けしたのだ。

もっと特別な人を想像していた。

もっと不思議な人を想像していた。

だが。

目の前にいたのは。

困っている子供に声を掛ける。

どこにでもいそうな優しい女性だった。

「どうかしましたか?」

リアナが少し心配そうに尋ねる。

フィーナは首を横に振った。

「いえ」

そして。

少しだけ嬉しそうに笑う。

「やっと会えました」

今度はリアナが首を傾げる番だった。


その頃。

サラは全力で走っていた。

「しまったぁぁぁ!」

王都の石畳を駆け抜ける。

買い物籠は置いてきた。

荷物も置いてきた。

案内する相手も置いてきた。

我ながら酷い。

「何やってるんだろ私……」

今さらだった。


「急がないと」

息を切らしながら元の場所へ向かう。

もし帰ってしまっていたらどうしよう。

そんな不安もあった。

やがて。

先ほど別れた通りが見えてきた。

「あっ!」

だが。

そこには行商隊の列があった。

荷馬車。

馬。

商人達。

通りを埋める長い列。

「行商隊?」

思わず呟く。

その時だった。

「サラ」

聞き慣れた声。

びくりと肩が跳ねた。

振り向く。

そこには腕を組んだラルカ亭の店長がいた。


「店長」

「案内人」

「はい」

「案内する相手を放っておくな」

「はい……」

反論できない。

完全に自分が悪い。

店長は呆れたようにため息を吐く。

「急いだんです」

「置いていったがな」

「はい……」

ぐうの音も出ない。

サラは肩を落とした。

その時。

ふと視界の端に女性が映った。

通りの向こう側。

二十代くらいだろうか。

身なりの良い女性が落ち着かない様子で辺りを見回している。

誰かを探しているようだった。

「あの人どうしたんだろ」

サラが呟く。

店長もちらりと見る。

「さあな」

だが。

その女性は本当に落ち着かない様子だった。

誰かに声を掛けるべきか。

向こうへ行くべきか。

迷っているように見える。

サラは少し気になった。


だが今はそれどころではない。

まずは案内相手だ。

行商隊の列を見る。

まだ続いている。

そして。

ようやく最後尾の荷馬車が通り過ぎた。

人々が少しずつ動き始める。

通りが開く。

サラはほっと息を吐いた。

「よかった」

その瞬間だった。

向こう側が見えるようになる。

サラは目を瞬かせた。

一回。

二回。

三回。

そして固まる。

そこにいたのは。

先ほどまで探していた少女。

そして。

買い物籠を抱えたリアナ。

二人は並んで立ち。

まるで前から知り合いだったかのように話をしていた。


「……え?」

サラの思考が停止する。

店長も目を細める。

数秒の沈黙。

やがてサラは震える声で呟いた。

「私……」

店長は嫌な予感がした。

「案内」

サラの肩が震える。

「必要なかった?」

そして頭を抱えた。

「私、何のために走ったのぉぉぉ!?」

通りに悲鳴が響いた。


「私、何のために走ったのぉぉぉ!?」

遠くから悲鳴のような声が聞こえた。

フィーナが思わず振り返る。

聞き覚えのある声だった。

リアナも同じ方向を見る。

そして。

小さく瞬きをした。

「あれ」

知っている声だった。

人混みの向こう。


頭を抱えている女性が見える。

「サラ?」

リアナが呟く。

フィーナもそちらを見る。

「あの方ですか?」

「はい」

リアナは少し困ったように笑った。

「友人です」

フィーナは思わず納得する。

何となく分かった。

とても分かった。

その時だった。

「お嬢様!」

今度は別の声が響く。

振り返る。

行商隊が通り過ぎ、道が開いていた。

侍女が駆け寄ってくる。

その後ろにはユリウス達の姿もあった。

「ご無事ですか?」

侍女の声には安堵が滲んでいた。

フィーナは少し申し訳なさそうに笑う。

「大丈夫です」

「本当に?」

「本当にです」

侍女はようやく息を吐いた。

どうやらかなり心配していたらしい。


フィーナは少し反省する。

その様子を見ながら。

リアナはほっと胸を撫で下ろした。

どうやら本当に迷子ではなかったようだ。

「良かったですね」

自然にそう言葉が出る。

フィーナはリアナを見る。

そして少しだけ笑った。

「はい」

短い返事だった。

けれど。

先ほどまでよりずっと明るい声だった。

リアナも微笑む。

春の風が二人の間を通り抜ける。

その時。

フィーナはふと思った。

もう少し話していたい。

そう思う相手は久しぶりだった。

だが。

侍女達も来た。

これでお別れかもしれない。

そう考えると。

少しだけ残念だった。

そして。

リアナもまた気付いていない。

目の前の少女が。

目付役を依頼されている、王女フィーナ・アウグスト本人だという事に。


「お嬢様」

侍女はようやく落ち着きを取り戻したようだった。

乱れた呼吸を整えながらフィーナを見る。

「本当にご無事で何よりです」

「心配を掛けてしまいました」

フィーナは素直に頭を下げた。

侍女も少し困ったように笑う。

どうやら怒る気はないらしい。


その時だった。

侍女の視線が隣へ向く。

買い物籠を抱えた女性。

穏やかな笑顔。

そして聞き覚えのある名前。

「失礼ですが……」

侍女が口を開く。

「リアナ・エルム様でしょうか?」

リアナは少し驚いたように目を瞬かせた。

「はい」

短く頷く。

フィーナが小さく肩を竦めた。

もう隠せそうになかった。


侍女は丁寧に一礼する。

「先日は王宮へのご協力、ありがとうございました」

リアナも軽く頭を下げた。

「いえ」

そこで。

侍女はフィーナへ視線を向ける。

フィーナも観念したように小さく笑った。

「ご紹介が遅れました」

侍女が言う。

「こちらはフィーナ・アウグスト様です」

数秒。

沈黙。

リアナはフィーナを見る。

フィーナも少しだけ気まずそうに笑う。

そして。

リアナは小さく頷いた。

「あぁ……」

驚きより先に。

何かが繋がったような顔だった。


「そういう事だったんですね」

フィーナが首を傾げる。

「何がですか?」

リアナは少しだけ笑った。

「春灯祭のお話です」

「あ……」

今度はフィーナが納得する番だった。

「私はたぶん無理ですね、と仰っていましたから」

リアナは穏やかに続ける。

「理由が分かりました」

フィーナは苦笑した。

確かに説明していなかった。

説明できなかったとも言える。

「驚きましたか?」

少しだけ不安そうに尋ねる。

リアナは考える。

そして正直に答えた。

「少しだけです」

そう言いながらも。

表情はあまり変わっていない。

むしろ納得の方が大きかった。

言葉遣い。

立ち居振る舞い。

どこか品のある雰囲気。

今思えば気付ける要素はいくらでもあった。

「気付きませんでした」

リアナは少し恥ずかしそうに笑う。

フィーナも笑った。

「私も言いませんでしたから」

それは確かだった。


二人の間に柔らかな空気が流れる。

王女と花屋の娘。

本来なら遠いはずの立場だった。

だが不思議とそんな感じはしなかった。

少なくとも。

今この瞬間は。

その時だった。


「リアナぁぁぁ!」

遠くから聞き覚えのある声が響く。

全員が振り返る。

そこには。

全力でこちらへ走ってくるサラの姿があった。

「サラ?」

リアナが呟く。

サラは走る。

走る。

そしてフィーナの前で急停止した。

リアナを見る。

フィーナを見る。

侍女を見る。

もう一度リアナを見る。

数秒考える。

そして。

「私、今どこから説明すればいい?」

真顔だった。

リアナは小さくため息を吐いた。

どうやら平常運転らしい。


フィーナは思わず笑う。

侍女も口元を隠していた。

サラだけが状況についていけていない。

「サラ様」

フィーナが声を掛ける。

「さ、さま!?」

反射的に返事をする。

「ありがとうございました」

サラは首を傾げた。

何に対する礼なのか分からない。

だが。

何となく良い事を言われている気はした。

「どういたしまして?」

やはり疑問形だった。


その様子にリアナが小さく笑う。

すると。

侍女が一歩前へ出た。

「お嬢様」

その一言で空気が変わる。

フィーナも察した。

時間だった。

「もうですか?」

少しだけ残念そうな声になる。

侍女は申し訳なさそうに頷いた。

「はい」

「そろそろ戻らなければなりません」

フィーナは小さく息を吐いた。

本当なら。

リリエへ行きたかった。

もっと話もしたかった。

花の話も。

春灯祭の話も。

聞いてみたい事は沢山ある。

けれど。

今日は十分勝手をした。

これ以上は我儘だろう。

「分かりました」

そう答える。

だが視線は自然とリアナへ向いていた。

リアナも察したらしい。


穏やかに微笑む。

「今日はありがとうございました」

フィーナが言う。

「こちらこそ」

リアナも頭を下げた。

短い沈黙。

フィーナは少しだけ迷った。

そして。

「今度はちゃんとリリエへ行きます」

そう言った。

リアナは少し驚いたようだった。

だがすぐに笑う。

「お待ちしています」

その言葉に。

フィーナの顔がぱっと明るくなる。

まるで約束を貰った子供のようだった。

侍女はそんな様子を見て少し安心した。

今日の外出は想定外の事ばかりだった。

だが。

悪い出会いではなかったらしい。

「では失礼します」

フィーナは一礼する。

リアナも頭を下げた。

そして。

フィーナ達は王宮へ向かって歩き出す。

途中で何度か振り返る。

その度にリアナが小さく手を振っていた。


やがて人混みの中へ姿が消える。

リアナはしばらくその方向を見つめていた。

「行ったねぇ……」

隣から声がする。

サラだった。

いつの間にか復活している。

「行きましたね」

「結局あの子、一体どこの子だったんだろ?」

リアナが瞬きをする。

「どこの子?」

「うん」

サラは腕を組む。

「身なり良かったし」

「お嬢様っぽかったし」

「どこかの貴族かな?」

リアナは数秒黙った。


そして。

「あの方ですか?」

「うん」

「フィーナ・アウグスト様ですよ」

サラも頷く。

「へぇ」

数秒。

沈黙。

風が吹く。

鳥が鳴く。

そして。

サラの動きが止まった。

「……誰?」

リアナは少し驚いた。

「王女様です」

さらに数秒。

沈黙。

サラの顔から血の気が引いていく。

「え?」

「え?」

「王女様?」

「はい」

「私が案内しようとしてた子?」

「そうですね」

「途中で置いてきた子?」

「そうですね」

「王女様?」

「王女様です」

理解した。

理解してしまった。

サラは空を見上げる。

そして。

ゆっくりと白目を剥いた。

「うわぁ……」

「今さらですか」

「今だからだよぉぉぉ!」

王都の通りに悲鳴が響いた。


夕方。

花屋リリエ。

店内には柔らかな夕陽が差し込んでいた。

窓辺の花々が橙色に染まっている。

エマは帳簿を閉じながら顔を上げた。

「お帰り」

「ただいま戻りました」

「ただいまぁ……」

サラの声だけ元気がない。

エマが眉をひそめる。

「何かあったの?」

サラは無言で椅子に座る。


そして。

「私ね」

「うん」

「王女様置いてきた」

エマが固まった。

数秒。

沈黙。

「は?」

「置いてきた」

「何を言ってるの?」

「私もそう思う」

サラは遠い目をした。

リアナは苦笑する。

そして事情を説明し始めた。

やがて。

話を聞き終えたエマは額を押さえた。

「サラらしいわね」

「怒らないの?」

「今さら何を怒るのよ」

エマは苦笑した。

サラも苦笑する。

そして。

少しだけ店内に笑いが広がった。

穏やかな時間だった。


やがて。

笑い声が落ち着く。

エマはふとリアナを見る。

「それで?」

静かな声だった。

リアナは意味を理解する。

王宮からの話。

相談役。

お目付役。

先日から悩んでいた事。

リアナは窓の外を見る。

夕暮れの王都。

春の風。

店先で揺れる花々。

そして。

今日出会った少女を思い出した。

春灯祭の話を聞いて目を輝かせていた少女。

少し寂しそうに笑った少女。

もっと話していたいと思った少女。

リアナは小さく笑う。

「そうですね」

静かな声だった。

「引き受けようかと思います」

エマも笑った。

サラは目を丸くする。

春の風が窓から吹き込み。

花々を優しく揺らした。

リアナはその様子を見つめながら思う。

今日の出会いは。

きっと悪いものではなかった。

そんな気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ