【第96話】イグリスの取引と人間の真実
「お前たち……先日の事件の関係者か?」
魔族は鋭い視線で我々をねぐり、少し警戒したように言った。
なるほど。
彼らの立場になって客観的に考えてみれば、この反応が当たり前か。
突如として魔族の一人が気が狂い、まだ開門の時期ではない日没の門(カルバン領)を無理やりこじ開けて地上界へ行ったと思ったら、そのまま日没の門が物理的に破壊されてしまったのだ。
そして、その数ヶ月後に、今度は二百年以上も利用されていなかった日の出の門から、強力な魔力を持つ正体不明の来訪者が現れた。
警戒しない方がおかしい。
「はじめまして。我々はリディア国の魔術師です。先日の日没の門の破壊による被害があまりにも大きかったため、原因究明のために魔界の調査へやってきました」
エルウィンさんが一歩前に出て、冷静に告げた。
さすがはエルウィンさんだ。とっさに嘘ではないが、真実でもない……いや、第三の世界がどうのという文脈で考えれば完全に嘘なんだが、彼らの警戒心を解くためのもっともらしい理由で会話を切り出す。
「……」
だが、魔族はまだ警戒を解いていないようだった。
「人間はすぐに保身の嘘をつく。信用ならない」
魔族はそう冷たく言い放つと、ふと視線を動かした。
「そこのお前。お前が話せ」
そう言って魔族が指差した先は、エルザだった。
我々の中で唯一の若い女性。たしかに、嘘偽りなく純粋な真実を聞き出そうとするなら、この人選は正しいように思える……のだが。
よりにもよって、この息をするように策を弄する魔女を選ぶとは。この魔族、人を見る目がないかもしれない。
「私は、日没の門を管理しているカルバン領のエルザ・ローゼンベルクと申しますわ」
エルザは優雅に一礼し、堂々と名乗った。
「おぉ、ローゼンベルク家の者か。その家名なら聞いた事があるぞ」
魔族は少しだけ警戒を解き、『イグリス』と名乗った。
エルザはそこから、カルバン領での爆発事故(に偽装した黄泉の門破壊)の顛末や、その後、国の指示で偶然この日の出の門を発見した……という、絶妙に真実を織り交ぜた嘘八百を並べ立てた。
「……と言う理由で、私たちはここにいますわ」
「ふむ。この門の開門まではまだ数か月の時間があったはずだが、我々と地上界の時間の流れの多少のズレは昔からよくあったしな。調査タイミングでたまたま門が出て来るとは、君たちは運が良い」
イグリスはエルザの作り話にあっさりと納得した。
そして答える。
「先日の仲間の暴走によって亡くなった地上界の者たちへの哀悼の意は示すが、我々も困惑しているのだ。なぜあいつが狂ったのか、理由などまったくわからん」
さて、相手の懐に入り込んだこの後、エルザはどう交渉するつもりだ?
「なるほど、分かりました。それでは……いくつか確認とお願いがあります」
エルザは扇子を閉じ、真剣な顔になった。
ここからが勝負だ。
「我々は一度、国に調査結果を持って帰ります。その後に改めてここへと訪問させてもらいたいです。ついては、このままこの門を開けておいてもらうことは可能でしょうか? もしくは、我が領の地下にある日没の門を修復して、再び繋げていただくことは出来ないでしょうか?」
イグリスは訝しげに眉をひそめた。
「出来る出来ないは別にして、なぜ我々がそんな面倒なことをしてやる必要があるのだ?」
「あくまでローゼンベルク家としての想定ですが……あなた方も『人という贄』が、定期的に必要なんじゃないですか?」
エルザは、相手の核心を突くようにじっとイグリスの目を見た。
「我が家門として、以前から黄泉の門の取引をさせていただいていたので、何となくですが、そう感じるのですわ」
「……」
イグリスが顎に手を当てて考えている。
「ふむ。いいだろう。こちらの日の出の門の開門時間を、大幅に伸ばすことは難しいが……お前たちの領地にある日没の門を直して開くことは可能だ。日没の門の次元核は先日の暴走で壊わされてしまったが、今は使われていない『正午の門(3つ目の門)』から次元核を持ってきて修復しよう。お前たちは、地上界側の日没の門の形を、土魔法でも使って正確に再現せよ。そうすれば、こちらから開いてやろう」
おぉ。まさかの交渉成立だ。
これで、わざわざシャリーク国まで来なくても、カルバン領から直接魔界へアクセスできるようになる。
「その代わり……」
イグリスは冷酷な笑みを浮かべた。
「贄を500人用意しておくことだ。その条件でよければ、再び道を繋いでやろう」
なるほど。彼らも贄が欲しいわけだ。そのために、現在唯一安定して運用されていた日没の門は復活させたいのだろう。
そこで、エルザが本質的な質問を投げた。
「カルバン領でも、長らく魔族の方と直接お会いしたことがなかったので、この機会にぜひ知りたいのですが……。我々から捧げられる『贄』は、一体何のために必要なのですか?」
これは俺も純粋に聞いてみたかった。単に食べるためなのか、それとも魔力の生贄なのか。
「!!」
その質問を聞いたイグリスは、心底驚いた顔で目を見開いた。
「今の地上界では、そんな基礎的な世界の理すら忘れてしまったというのか!?」
彼は、我々の無知をやや呆れた顔で見下ろした。
「ふぅ、仕方ない。忘却の彼方にあるというなら、簡単に説明してやろう」
そう言って、イグリスは語りだした。
魔族は、人間100名分の魂の贄をもって、一人の新たな魔族を産む(転生させる)ことが出来るのだという。
いや、正確な説明にするなら、『人間とは、もともと一人の魔族を100個に分裂させて作られた存在』なのだそうだ。
え? どういうこと??
あまりにもスケールの違う、驚きの情報がいきなり出てきた。
イグリスの話によれば、遥か昔。魔族は強大な魔力と不老に近い寿命を持ち、強力過ぎるがゆえに、個体としての完成度が高くなりすぎ、簡単に数を増やすことが出来なくなっていたらしい。
種族として成熟しきったために、新たな命が生まれず衰退しはじめていた、と。
そこで、当時の魔界を統べる魔王様が、幾人かの魔族の魂と肉体を100に分裂させ、敢えて魔力も寿命も少ない、不完全で弱い存在である「人間」を地上界に作り出した。
だから、今も人間と魔族は、かなり近い(というより根源が同じ)種族だとのこと。
弱い人間を、地上界というモンスターが多数いる「弱肉強食」の過酷な環境にさらし、短い寿命の中で必死に生き抜かせ、多産と多様性を作ろうとしたらしい。
そして、その過酷な環境で揉まれ、様々な経験を積んだ人間100人の魂を再び回収し、結合させることで「より強力で優秀な一人の新しい魔族を産む」という、壮大な種族の生存戦略を立てることになったらしい。
魔族は、下位種族である人間から魂の贄をもらい、種を存続させる。
その対価として、人間は魔族から、地上で繁栄するための力である「魔力」を貰う。
人間と魔族は、本来そういう共生(あるいは飼育)関係だったらしいのだ。
さすがのエルウィンさんも、この世界の根幹を揺るがす真実に驚きを隠せないようだった。そんな情報は、今や地上界のどの歴史書や禁書庫にも残っていない。
「無理もない。所詮人間は、長くとも150年程度しか生きられない短命な種族だからな。何世代も経てば、己のルーツという大事な情報も途絶えよう」
我々は、あまりの神話的な情報に、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。




