【第93話】地底湖の脅威と狂気の潜入作戦
なぜ黄泉の門は二百年以上も使われず、封印されたままになっているのか。
その謎を解き明かすため、我々は二手に分かれて行動を続けることになった。エルウィンさんとエルザは、街に残ってさらに文献や裏社会の情報を探る。俺とクレム、そしてジャック兄さんの三人は、野盗たちが教えてくれた荒野にあるという巨大な洞穴の探索へと向かうことになった。
街からひたすら歩き続け、荒涼とした風景がどこまでも広がる場所にその洞穴はあった。入り口は崩れた岩と枯れ木に巧妙に隠されており、事前に場所を聞いていなければ絶対に見つけられないような作りになっていた。
「俺って、やたらと洞穴と関わりが深い人生だな……」
俺はぽっかりと口を開けた薄暗い入り口を前にして、そんなどうでもいい感想を抱かずにはいられなかった。十歳の時に落ちた試練の祠から始まり、カルバン領の地下、そして今回のシャリーク国の洞穴。世界を救うための旅路は、常に日の当たらないじめじめとした地下とともにあるらしい。
気を取り直して、俺たちは洞穴の中へと足を踏み入れた。
内部は思ったよりも広く、岩肌は湿気を帯びて滑りやすくなっていた。たしかに小型のモンスターが多く生息している気配はするのだが、俺たちの近くには一匹たりとも姿を現さなかった。
おそらく、モンスターたちは本能的に相手の魔力量を感知するすべを持っているのだろう。レベル90という、化け物じみた魔力を持つ俺に、自ら近づいてこようとする命知らずなモンスターなどいるわけもなかった。
警戒を解かずにしばらく地下へと降りていくと、静かな水音が聞こえてきた。想定していた通り、豊かな地下水脈が流れていたのだ。
水の流れを見ると、どうやら山脈の方角から街の方へと向かって流れてきているようだ。俺たちは、水脈の脇にある細い足場を頼りに、水源である山の方へと向かってしばらく歩き続けることにした。
奥へ進むにつれて道には徐々に勾配が出てきて、足元の水の流れも激しく速くなってきた。そろそろ山脈の地下深くに近づいているのではないか。
そう推測しながら進んでいると、水脈の本流から少し外れた脇の壁に、大きな横穴が開いているのを見つけた。一応そちらも確認してみようと中を覗き込むと、そこにはとてつもなく巨大な空間が広がっていた。
空間は完全な暗闇に包まれており、俺たちが立っているのはその巨大な空洞の中腹あたりの崖っぷちのようだ。上を見上げても天井は見えず、下を覗き込んでも底が見えない。広さも深さもまったく分からない、奈落のような場所だった。
下手に強力な光魔法を放ってあたりを照らせば、もしも上層部に警備の者がいた場合、一発で見つかってしまう危険がある。
そこで俺は、出発前にエルザから借りていたパペットを懐から取り出した。
「洞穴の調査なら、これがちょうどいいわ。視覚共有の魔法と組み合わせなさい」
そう言って渡されたのは、手のひらサイズの「コウモリ」のパペットだった。
俺は魔力を込めてパペットを起動させると、コウモリの視界、すなわち音波の反響を利用して地形を把握する魔力的な感覚と自分の意識を共有し、暗闇の底へとコウモリを羽ばたかせた。
コウモリパペットが音もなく旋回しながらだいぶ下まで降りていったあたりで、広大な平面が広がっているのを感知した。大きな水たまり……いや、これは湖だ。地底湖というやつだろう。
上層のどこかから、滝のように大量の水がこの地底湖へと流れ込んでいる音が反響して聞こえてくる。
俺はコウモリを操り、湖面に沿うようにして山脈側の方へと移動させてみた。
しばらく湖上を飛んでいると、湖面の脇に不自然に広い陸地があるのを発見した。よく見ると、その場所だけは人の手で綺麗に平らに整地されており、古い石造りの階段が設けられていた。
「お? ここが黄泉の門がある場所か?」
俺は慎重にコウモリを近づけてあたりを見渡したが、予想に反してその空間はそこまで広くなかった。カルバン領の地下にあった巨大な祭壇のようなものはない。
さらに音波で地形を詳細に探ってみると、その石造りの階段は、途中で途切れることなくそのまま地底湖の深くへと続いていることが分かった。
「あぁ、なるほど。黄泉の門が設置されている場所そのものが、水没してしまったのか……」
だが、俺はすぐに疑問を抱いた。
たかが地下水で水没した程度のことで、国家の命運を握る黄泉の門をあっさりと諦めるだろうか。有能な魔術師がいれば、水を退けることなど造作もないはずだ。
これは、ただの水没ではない。水の中をもう少し調査する必要があるな。
そう判断した俺は、少しだけコウモリパペットの高度を下げ、湖水に近づけてみた。
その瞬間だった。
波一つなかった地底湖の表面が突如として爆発したように盛り上がり、中から超巨大な魚影が空高く飛び出してきたのだ。
鋭い牙がびっしりと並んだ巨大な顎が、宙を舞うコウモリパペットを丸飲みにしようと迫る。
俺はとっさに魔力を操作し、すんでのところで空中で軌道を変えてその一撃を躱した。
ガコンッ、という恐ろしい噛み合わせの音が暗闇に響き渡る。
巨大魚はそのまま重々しい水飛沫を上げて湖へと落ちていったが、その際、跳ね上がった湖水の数滴がコウモリパペットの羽根の部分にかかってしまった。
すると、ジュウッという嫌な音とともに、水がかかった羽根の部分が瞬く間にドロドロに溶け出したのだ。
「おいおい! なんだこのひどい湖は!」
コウモリを安全な高度まで引き上げた。
なるほど、これで黄泉の門が使われなくなった理由が完全に理解できた。これはどうしようもない。
ただでさえ真っ暗闇で身動きの取りづらい広大な地底湖。そこに、俺を一飲みにできそうな巨大魚モンスターが棲み着いており、さらにその湖水は、触れたものを即座に溶かしてしまう恐ろしい性質を持っている。強酸の湖といったところだろうか。
たぶん、水や土の魔法を操る高位の魔術師が複数人がかりで対応しようとしたのだろうが、この過酷な環境と凶暴なモンスターを前にしては被害が大きすぎたのだろう。
どこぞの領の魔術師のように、本気で国家転覆を企んだり、他国へ攻め入ろうとする野心でもない限り、多大な犠牲を払ってまでこの門を維持する理由はなかったのだ。これまでに蓄えた莫大な魔硝石を使えば、国を支える魔力草を育てるには十分だと判断したのだろう。
さて、とりあえずはこれで最大の目的であった「黄泉の門の正確な場所」、「二百年以上も封印されていた理由」、そして「警備の目を掻い潜る潜入ルート」が判明した。
これ以上の長居は無用だ。俺は溶けかけたコウモリパペットを回収し、クレムたちと共に急いで宿屋へと戻ることにした。
◇ ◇ ◇
「おお、実に見事です。よくぞ無事にそこまでの情報を持ち帰ってくれました!」
宿屋の部屋に戻って報告を終えると、いつもは辛口なエルウィンさんが珍しく手放しで褒めてくれた。
「ちょっとカール、あのコウモリのパペット、細かい細工が必要で作るのすごく大変だったんだからね! 羽根を溶かすなんて信じられないわ」
その代わり、俺の報告を聞いたエルザからは容赦のない嫌味が飛んできた。
俺が心から手放しで喜べる平穏な日は、果たして来るのだろうか(涙)
「さて、状況は把握できましたが、どう対処したものでしょうか」
エルウィンさんは顎に手を当て、深い思案に沈んだ。
「水ごと弾き飛ばすような派手な大魔法を使えば対処は可能かもしれませんが、そのような強大な魔力の波動を放てば、地上にいるシャムス領の警備兵たちに一瞬で勘付かれてしまいます。隠密裏にあの地底湖を突破するのは、極めて難しいでしょうね……」
室内に重い空気が流れる。
すると、壊れたコウモリパペットを指先で弄っていたエルザが、不意に俺の方を見て尋ねてきた。
「ねえ、カール。その酸の湖から飛び出してきたっていう魚型のモンスターは、どれくらい大きかったの?」
「あぁ、だいぶ巨大だったぞ。中型モンスターなら余裕で一飲みに出来そうな、とんでもない大きさだった」
俺がそう答えると、エルザは扇子で口元を隠し、瞳を怪しく輝かせた。
「……だったら、決まりね。その巨大なモンスターを倒して、私のパペット魔法で『操り人形』にしてしまいましょう!」
エルザはとても楽しそうな声で、とんでもないことを言い出した。
「外側が酸に耐えられるモンスターの肉体なら、問題ないでしょ? 私たちがそのモンスターのパペットの口の中に入って、地底湖の底にある門まで探索に向かうのよ。完璧な偽装潜入じゃない!」
マジで言ってる? それ。
……というか、もう何というか、この一族の倫理観の欠如と言うか、目的のためなら手段を選ばない狂気の発想には恐れ入る。魔物の死骸の口の中にみんなで入り込んで、酸の湖を潜行するなんて、誰が想像するだろうか。
まぁ、今更俺が常識を説いたところで何も始まるまい。
「ふむ……たしかに、その方法であれば周囲の魔力感知も誤魔化せますし、酸の湖も安全に潜行できそうですね。素晴らしい発想です、エルザ嬢」
エルウィンさんも、少しも躊躇することなくその狂気の作戦に賛同してしまった。このコンビ、本当に恐ろしい。
「よし、方針は決まりました。さっそく必要な物資の準備をして、地底湖へと向かってみましょう」
エルウィンさんの号令により、俺たちは巨大モンスターの体内を移動するという前代未聞の潜入作戦に向けて、慌ただしく準備を進めるのであった。




