【第90話】日没の門と日の出の門
バイゼルと名乗る第三の世界からの干渉体との、重苦しくも衝撃的な対話を終えた我々は、重い足取りでゼレナ山脈を下り、ガバレリア領の魔法師団へと帰還する途についていた。
その道中、ゼレナ山脈の麓に差し掛かったあたりで、ガルシアさんとは別れることになった。彼は自分の小屋へ戻るためだ。
「もし魔界へ行く算段がついたら、必ず私にも声をかけてくれ」
別れ際、ガルシアさんは背中に背負った剣の柄を叩きながら、笑みを浮かべてそう言った。
強敵との死闘を何よりも喜びとする顔を見て、俺は背筋に冷たいものを感じた。
もしかして、この人。魔界という未知の領域で、本場の魔族たちを相手に思う存分戦い抜く気でいるのだろうか。世界最高の剣士とはいえ、最近ちょっと戦闘狂の度合いが常軌を逸してきている気がしてならない。
ガルシアさんを見送った後、俺たちはガバレリア領の中心地へと急ぎ、魔法師団の施設にあるいつもの会議室に集まった。
重い扉を閉め、防音の結界が張られていることを確認すると、さっそくエルウィンさんが今後の対策を切り出した。
「さて、我々に課せられた最初の難関は、魔界への入り口となる残り二つの『黄泉の門』を見つけ出すことです。しかし、広大な世界を闇雲に探していても時間は無為に過ぎるだけだ。そこで、情報の収集を二手に分かれて行いましょう」
おお、さすがはエルウィンさんだ。
俺なんて、どこにあるかも分からない門をどうやって探せばいいのかまったく分からず途方に暮れていたというのに、すでに頭の中では理路整然とした計画が組み上がっているらしい。
「エルザ嬢、カール、そしてクレム。君たち三人は、再びカルバン領に向かってください。黄泉の門の伝承や魔界の存在について、この国で最も深く研究し、詳しい知識を持っているのは、間違いなくドノヴァン師でしょうからね」
「そう来ると思ってたわ」
エルザは扇子を口元に当てながら、静かに頷いた。彼女自身も、これ以上の情報を得るためには、父親の知識に頼るしかないと考えていたようだ。
「そして、私とジャックの二人で、過去の文献と各国の統計データを洗い直します」
エルウィンさんは卓上に広げた白紙の地図を指差した。
「黄泉の門が存在し、長年その魔力の影響を受けている土地には、必ず何らかの歪みが生まれるはずです。たとえばカルバン領のように、特定の属性である『闇の魔術師』が異常に多かったり、領地の規模や人口の割に、強力な魔術師の数が突出して多い領地を洗い出します」
あぁ、なるほど。
確かに、魔界のエネルギーが漏れ出ているならば、その土地に住む者たちの魔力的な性質に影響が出ないはずがない。黄泉の門を抱えていたカルバン領の特徴とそっくりな場所を探すということか。
「別れ際、バイゼルが忠告していましたが、黒幕であるアン・テラがこのまま黙って我々の行動を傍観しているとは思えません。いずれ何らかの直接的な妨害を仕掛けてくるはずです。手遅れになる前に、早急に魔界への道を確保しましょう」
エルウィンさんのその言葉を合図に、俺たちはさっそく二つの班に分かれ、慌ただしく行動を開始したのだった。
◆カルバン領へ向かうトリオ
数日後。俺とエルザ、クレムの三人は、先日限界まで魔硝石を運び出したばかりのカルバン領の屋敷を再び訪れていた。
「おかえり、エルザ」
応接室に現れたドノヴァン師は、娘の姿を認めてわずかに目元を和ませた。
「今度こそ、ゆっくりしていきなさい……と言いたいところだが、一体どうしたんだ? つい先日別れたばかりではないか。もう魔硝石のエネルギーを使い切ってしまったのか? それとも、持ち帰った分では足りなかったのかね?」
あまりにも早い再訪に、ドノヴァン師は首を傾げて驚いている。
「お父様。実は、魔硝石の件とは別に、どうしてもお父様の知識をお借りしたい相談があって来ました……」
エルザは居住まいを正し、銀の城で起きた出来事の顛末を語り出した。
バイゼルとの接触、明らかになった調律の真実、そして世界の崩壊を止めるために魔界をこの世界から切り離さなければならないこと。
「信じ難い、驚きの事実だな……。そして、魔界を切り離せば、この世界から『魔力』そのものが消失することになる、か……」
すべてを聞き終えたドノヴァン師は、深く重い息を吐き出した。
生涯を魔道の探求に捧げ、魔法師として最高峰まで上り詰めた彼からすれば、魔力が失われる世界というのは、自分のこれまでの人生そのものを否定されるに等しい。魔術師であれば、誰もが強い抵抗と喪失感を覚えるだろう。
彼は腕を組み、目を閉じてしばらく深く考え込んでいた。しかし、やがてゆっくりと目を開くと、その瞳にはすでに迷いはなかった。
「……だが、世界そのものが崩壊し、すべての命が消え去るという結末を前にしては、個人の執着で悩んでいても仕方がないな。生き残らねば、明日を語ることもできんのだから」
さすがはカルバン領の魔術師団を束ねる長としての顔を持つ男だ。状況を俯瞰し、最悪を避けるための切り替えの早さは見事と言うほかない。
「それで、君たちがわざわざ私の元へ来た理由は、世界のどこか別の場所にあるはずの『黄泉の門』の在り処を知りたいからだな?」
俺たちが揃って強く頷くと、ドノヴァン師は苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振った。
「うーん、参ったね。正直に言おう。私にもまったく分からん。どうしたものか……」
そりゃそうだろう。
もし、他の場所にもう一つの黄泉の門があると知っていれば、わざわざ自分の領地の地下にある門だけに執着する必要はなかった。謀反計画の根本的な戦略を見直すことだって出来たはずだ。俺も、おそらく彼は知らないだろうとは予想していた。
「お父様、お願い。何か少しでも心当たりはないの? ほんの些細なヒントになりそうな伝承でもいいの!」
エルザが身を乗り出して食い下がる。
「……そうだな」
ドノヴァン師は記憶の底を探るように天井を見上げた。
「確固たる証拠ではないが、一つだけ思い出したことがある。はるか昔、カルバン領の門から魔族が観測されたという古い記録を残した書物の中に、その魔族が発したとされる言葉が記されていたのだ。その魔族は、我々の先祖に向かってこう言ったそうだ。『日没の門へようこそ』と」
日没の門。
その言葉の響きに、俺の思考が急速に回転し始める。
「我々のリディア国は、このセーズ・テラという世界の大陸全体で見れば、はるか西側に位置する扱いだからな。太陽が沈む場所にある門だから、日没の門。……もしその呼び名に規則性があるのならば、はるか東側に位置する国に、対となる『日の出の門』が存在するのかもしれない」
ドノヴァン師の言葉を聞いた瞬間、俺の直感が鋭く反応した。
もしかして、だが。
西側に位置する『日没の門』があるカルバン領では、闇属性の魔術師が異常に多く生まれ、闇魔術が栄えた。
だとするならば、東側に位置する『日の出の門』がある場所では、まったく逆の現象が起きているのではないだろうか。
「なぁ、エルザ。もしかしてだけど……」
俺は隣に座るエルザの顔を見た。
「以前に、魔法学校でグスタフ学長から聞いた話を覚えてるか? はるか東にある、光の魔術大国『シャリーク国』のどこかの領に、その門があるって可能性はないか?」
シャリーク国。それは、世界でも珍しい光属性の魔術師が多数在籍する国家だ。俺が光魔法の適性を持っていたことで、学長から少しだけ話を聞いたことがあった。
「……ふふっ」
エルザは俺の顔を見て、小さく笑みをこぼした。
「私も、長年カールと一緒に居て考え方が似てきたのかしら。まったく同じことを思ってたわ。日の出の門と、光の魔術大国。あまりにも出来過ぎているもの」
確たる根拠はない。だが、俺たちの胸の中には、点と点が線で繋がったような確信めいたものがあった。俺たちはドノヴァン師に深い礼を言い、有益な推論を胸に抱いて、急ぎガバレリア領への帰路についたのだった。
◆各国調査組
同じ頃、ガバレリア領の執務室では、エルウィンとジャックが机に山積みになった膨大な資料と格闘していた。
「こうして改めて詳細に調べてみると、各国ごと、あるいは各領ごとに、本当に明確な魔力的な特徴が出るものですねぇ」
ジャックが目をこすりながら、羊皮紙の束をめくって感嘆の声を上げた。
「あぁ。そもそも、独り立ち出来ないような貧弱な領地は、中長期的な歴史の波で見ると他国に吸収されるか淘汰されていくからな。一つの領、一つの国として長年成り立っているということは、他にはない何らかの強みや魔力的な恩恵を隠し持っているものだよ。特に、中規模以上の勢力を誇る領や国はね」
エルウィンは羽ペンを走らせながら、冷静に分析結果をまとめていく。
「そして……エルウィン団長。私が調べた中で、どうしても気になる国が一つあります。闇属性の偏りではないのですが、異常なまでに『光属性』の魔術師が目立っている国が」
ジャックが指差した資料の先には、大陸の東端に位置する国の名前があった。
「東の大国、シャリークですね。……ええ、私もちょうど同じ結論に達したところです。この国の光属性の魔力濃度と、高位魔術師の排出率は、明らかに他の国に比べても異質すぎる。自然発生的なものではなく、何らかの巨大なエネルギー源……それこそ、黄泉の門のようなものが干渉しているとしか思えません」
エルウィンは確信に満ちた声で断言した。
「我々の調査の第一候補は、このシャリーク国に絞ってみましょう」
◇ ◇ ◇
数日後。
再びいつもの会議室に、二手に分かれていた五人が集結した。
俺たちは互いに簡単な調査報告を行い、持ち帰った情報をすり合わせた。
ドノヴァン師の記憶から導き出された『日の出の門』と『光の魔術大国』という推論。
そして、過去の文献と各国の魔術師の統計データから導き出された、シャリーク国の異常な数値。
アプローチの仕方は全く違ったにもかかわらず、五人で導き出した結論は、見事に『シャリーク国』という一点で完全に重なり合ったのだ。
「これは……もはや偶然とは思えませんね」
エルウィンさんが静かに呟いた。
「ああ。何か運命のようなものを感じるぜ」
俺も深く頷いた。
未知なる黄泉の門は、シャリーク国にある。
そう確信した俺たち五人は、世界の運命を切り開くため、はるか東の光の魔術大国『シャリーク国』へと旅立つことを決意したのだった。




