【第87話】次元のさざ波と、悪趣味な観客たち
「……今の話だけでは、アン・テラ(第1の世界)が完全な悪であるとは言い切れませんね」
静まり返った銀の城の広間に、エルウィンさんの酷薄なまでに冷静な声が響き渡った。
その言葉に、俺だけでなくエルザやクレム、ジャック兄さんも驚いて彼を見る。
『おぉ……さすがは優秀な魔術師。見事なまでの論理的思考だ』
中枢を乗っ取ったバイゼルが、心底感心したような、あるいは愉快そうな声を上げた。
『あの老獪なヴォルクの言葉に、君たちが簡単には騙されなかった理由がよくわかるよ』
(えっ……?)
俺は床に座り込んだまま、自分の両手を見つめた。
アン・テラが全ての元凶だと聞いて、世界を巻き込んだ理不尽な惨劇に俺はガタガタと震えてしまっていたというのに……マジか。エルウィンさん、この絶望的な状況でまだ相手の言葉を疑うほど冷静に分析していたのか。
エルウィンさんは目を細め、虚空のスピーカーに向かって自らの疑問を口にした。
「たしかに、キャトル・テラ(第4の世界)を自分たちの世界へ引き寄せてしまったのは、知的好奇心の暴走が生んだ『意図しない事故』だったのでしょう。そして、衝突を回避するためにアン・テラの一部の人々が取った姑息な身代わり手段は、決して許されるべきものではありません。……しかし」
エルウィンさんの理路整然とした言葉が、冷たい石造りの広間に響く。
「自分たちの世界を守るために、当時の上層部がパニックに陥り勝手にやってしまった……と言われれば、それを理由にアン・テラという『世界そのもの』を絶対悪として責めるのは、少々極端な話です。
さらにその後、『サンク・テラ(第5)』と『シス・テラ(第6)』のペアが衝突によって両世界とも完全崩壊するのを観測した。このままでは、他の世界も共倒れになってしまう……そう危惧したアン・テラが、過去のキャトル・テラでの失敗を反省し、せめて片方の世界だけでも救おうとした。それが、第7から第14までの世界における、裏世界を犠牲にする『調律』という苦肉の策だった……とも解釈できるかもしれません。冷酷な功利主義ではありますが、絶対悪とは言い切れない。
……それとも、アン・テラが第5以降の世界に『人為的に衝突を引き起こした』という、明確な証拠でも見つかったのですか?」
エルウィンさんの鋭い指摘に、少しの沈黙が落ちた。
『……いや。キャトル・テラの崩壊以外に関しては、アン・テラが直接的に物理干渉を行ったという、人為的な痕跡は見られなかったよ』
バイゼルはあっさりとそれを認めた。
「ならば、それでもなお、あなたがアン・テラを絶対的な悪であると決めつける理由は何ですか? 世界の存亡を懸けて我々に協力を求める以上、当然、それだけの『理由』があるはずだ」
『ふふっ……あはははっ!』
バイゼルは、まるで極上の喜劇を見たかのように笑い声を上げた。
『いや、素晴らしい。理解が早くて本当に助かるよ。優秀な生徒を持つ先生というのは、きっと今のような誇らしい気持ちになるのだろうな』
ひとしきり笑った後、バイゼルの声から一切の感情が抜け落ち、絶対零度の真剣なトーンへと戻った。
『キャトル・テラと我々トロワ・テラの衝突を強引に回避するためにアン・テラが使った、時空を歪める技術。……あれは、どうやら次元そのものに、彼らの想像を絶するほど巨大な影響を与えていたようだ』
バイゼルの語る真実は、多世界の法則そのものを揺るがす恐ろしいものだった。
『静かな湖水に巨大な岩を投げ込めば、波が立つだろう? それと同じだ。彼らが歪めた次元の狭間に、巨大な「さざ波」が発生した。そして、震源地であるアン・テラに近い次元に存在していた表裏のペア世界に、一気に強烈な干渉を与えてしまったのだ』
その結果、ドミノ倒しのように、次から次へと表と裏の世界が引き寄せられ、距離が縮まるという最悪の連鎖状況に陥ってしまった。
さらに不幸なことに、最初に衝突してしまった『サンク・テラ(第5)』と『シス・テラ(第6)』の対消滅による巨大なエネルギーの爆発が、その次元のさざ波をさらに強化し、破滅の連鎖を決定づけてしまったのだという。
(なるほど……)
俺は唇を噛み締めた。
最初の衝突は故意ではなかったかもしれない。だが、次元規模のドミノ倒しを引き起こしたのは、間違いなくアン・テラの身勝手な次元干渉のせいだ。すべてアン・テラのせいだと言っても過言ではない。
『アン・テラの引き起こした不慮の事故と、無茶な回避策のせいで、次から次へと無数の世界が崩壊の危機に瀕した。この事実だけでも、彼らの世界が「償いきれない大罪を犯した」と言えるだろう。……だが』
バイゼルの声に、底知れぬ憎悪が混じる。
『我々トロワ・テラも、ただ事故を起こしただけの彼らを「世紀の詐欺師」などとは呼ばない』
「では……なぜですか?」
エルウィンさんが問う。
『彼らは、衝突の元凶となった次元のさざ波を完全に止め、引き寄せられた表裏世界の距離を安全に引き離す技術を……とうの昔に「確立している」のだよ』
「「「……え!?」」」
俺たち全員の口から、同時に驚愕の声が漏れた。
その事実の持つ意味の大きさに、思考が追いつかない。
アン・テラは、世界の衝突を根本から回避する手段を持っている?
にもかかわらず、その技術を使わずに、世界をそのまま衝突させ……片方を『調律』と称して崩壊させているということになるのか?
「ふざけるな……ッ!!」
俺は立ち上がり、思わず虚空に向かって声を荒げていた。
レベル90を超えた俺の莫大な魔力が、感情の昂りに呼応して広間の空気をビリビリと震わせる。
「世界の崩壊を止められる技術があるのに、何で『調律』なんて回りくどい手段で、わざわざ裏の世界を崩壊させていってるんだよ!? 何のためにそんな胸糞悪いことを……!!」
『そう。それこそが彼らの最大の秘密。私が彼らを「世紀の詐欺師」と呼んで軽蔑している最大の理由だ』
バイゼルの声が、銀の城の広間に冷たく響き渡る。
『彼らは、半永久的な寿命を得て、文明の極致に達し、徹底的に「退屈」していた。だからこそ……表裏世界の衝突という未曾有の危機と、その絶望の中で足掻く世界の住人たち。そして、最終的に片方の世界が消滅し、もう片方の世界が「救済」されるという一連の事象すべてを――極上の「ショー(ドラマ)」として楽しんでいるのだよ』
「……ショー、だと?」
ジャック兄さんが、信じられないというように呻いた。
『ああ。高みの見物を決め込み、次元のモニター越しに、必死に生きようとする君たちを下品に笑いながら鑑賞している。あのヴォルクも、そのショーを現場で指揮する「劇のディレクター」のようなものさ。……ちなみに』
バイゼルは、トドメを刺すように残酷な事実を突きつけた。
『ここ、セーズ・テラは「16番目」の世界。つまり、偶数番号を与えられた「裏の世界」だ。彼らは最初から、君たちの世界を救う気など微塵もなかった。劇的なショーのクライマックスとして、君たちの世界を意図的に崩壊させ、消し去る予定だったのだよ』
「――――ッ」
あまりにも非道な、そしてあまりにも理不尽な事実に。
俺は今度こそ、立っていることすらできず、激しい目まいを覚えてその場に膝をついた。
世界を救うと信じていた調律は、退屈した神々(アン・テラ)が楽しむための、ただの悪趣味な『死のリアリティショー』に過ぎなかったのだ。




