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白き竜への鎮魂歌(レクイエム)  作者: 栢瀬千秋
始まりの街・アベントゥーラン
12/18

第12話:大公邸

 ――アベントゥーラン・領主館


「さて、それでは今回の依頼を受けてもらいたいんだが……今からするかね?」

「よろしければ」

「うむ、既にこちらは準備しているよ」


 依頼については問題ないので、レオニスとプエラリフィアは共に大公に連れられて応接室を出る。

 応接室を出てしばらく歩き、館の裏庭に出るとそこは訓練場になっており、騎士たちが整列して待機していた。


「傾注!」


 先頭の騎士団長と思わしき人物がそう声を上げ、騎士たちは足を揃えて姿勢を正す。

 その様子を見ながら、よく訓練された騎士たちである、とレオニスは見ていた。


(さて……彼らに何を見せるか……しかし、少ないな?)


 演武が依頼内容とはいえ、無様な姿を見せるつもりはない。

 同時に、騎士たちを落ち込ませるようなものでもいけない。

 そう思いつつレオニスは考えていたが、不思議なことに人数が少なく感じる。


「楽にせよ、諸君」


 大公の声に、皆が「休め」の姿勢を取る。

 その様子を満足げに見ながら、大公がさらに言葉を続ける。


「さて、先日我が娘の窮地を救ってくれた、若き実力者を今日は呼んでいる。諸君にはこれから、冒険者らしい戦い方……つまりは実戦的な戦い方を知ってもらう」


 そこまで告げられた時点で、レオニスは納得した。

 数人見える騎士たちは、先程応接室にいた者たちであり、よくよく見ると皆若い。


(実戦経験が少ないのか)


 恐らく、先日の盗賊の襲撃の際、盗賊の攻撃の仕方に対応できなかったのだろう。

 盗賊というのは、戦闘能力から言えば素人に毛が生えた程度。

 だが騎士すら撤退に追い込むという理由は、その容赦のなさと使う手段の問題にある。


「(フィアは分かったか? 今回の目的)」

「(うむ。ダーティプレイが出来なかったんじゃろ)」


 プエラリフィアに小声で話しかけるレオニスに、プエラリフィアが返す。

 まさしくプエラリフィアの言う通りだ。彼らは、“騎士らしく”戦うことは出来ても、本当に“戦争”する事が出来ていない。

 それを理解した二人は、これからの動きを考える。


「――まず、二人の模擬戦を見てもらおうと思う。よろしく頼むぞ」

「ええ。承知いたしました」


 レオニスはそう言うと、プエラリフィアと共に訓練場の中央で向かい合った。


 ◆ ◆ ◆


 レオニスが剣を抜き、プエラリフィアが短剣を両手に構える。

 そして、大公が審判役として立とうとして……即座にレオニスが動いた。


「むっ!」


 ――キイイィィィンッ!!


 一瞬の踏み込みで接近したレオニスが、横薙ぎに剣を振るう。


「なっ!? それは卑怯では……!」


 騎士の一人が声を上げるが、大公はレオニスの様子を見ながら笑う。


(どうやら、こちらの状況と依頼の本当の目的(・・・・・)を分かってくれたようだ)


 大公はこう見えて――軽いように見せて――実際は非常に貴族らしい。

 もちろん冒険者をしていたこともあって大らかではあるが、利用できるものは徹底して利用していくスタイルだ。

 特に、自分の部下たちが不甲斐ない場合は、“現実的な方法”で教える事が多い。


 ――キンッ! ガキィンッ! ギリギリギリッ!


 そう大公が考える間にも、模擬戦の状況は変わっていく。

 最初こそ押していたレオニスだが、プエラリフィアの動きが複雑で、かつ立体的な動きになったことで押されて始めていた。


(ほう、あれは蒼月流か)


 大公は冒険者時代、徒手格闘をメインにした拳闘士だった。

 とはいえ、大公家の一員である事に変わりはなく、剣についても相応の知識を持っている。

 そのため、現在レオニスが使っている剣術が何かを理解する事に、困難はなかった。


(蒼月流は堅実で、騎士の剣として有名だが……それでもああまで使えるとは)


 蒼月流とは、別名『騎士の剣』と言われる剣術だ。

 大陸で最も修得者が多いとされる剣術であり、そして基礎の剣。

 簡潔で、無駄がなく、故に基礎としてどこの騎士団でも使われる剣術だ。

 だが、本当に修得するには相当の訓練が必要で、基礎的だからこそ応用するには本人の努力が必要とされるのだ。


「さて……この演武の意味を皆が分かるのかどうか……」


 そう呟きながら大公は少年を見る。

 少年は年齢の割に……いや、年齢を遥かに超えて思考が成熟しているし、強かだ。

 立場の違いから彼は一歩引いているが、ギルドから聞いた話からすると単なる平民とは思えない話しぶりだ。

 そんな人物の模擬戦闘、それには意味があってしかるべきと考えても、深読みではないだろう、と大公は考えている。


「それにしても、二人ともよく体力が保つな。そろそろ動きが悪くなるかと思っていたが……」


 実のところ、レオニスとプエラリフィアの体力がというより、二人とも自己強化の魔術を使っているために続けられている状態だったりするのだが。

 いずれにせよ、大公はそろそろ良い頃合いと思い、声を張り上げた。


「そこまで!」


 そう言うと即座に飛び下がり、お互い剣を納めるレオニスとプエラリフィア。

 その息はぴったりであり、お互いの動きや手すらも言葉なく遣り取りできるようだ。


「よい演武だった! まずは素晴らしい戦いを見せてくれた二人に、盛大な拍手を!」


 二人の模擬戦を唖然とした様子で眺めていた騎士たちだが、大公の言葉には即座に反応したようだ。

 ハッとすると直ぐに拍手を鳴らし、二人の健闘を称える。

 その様子を見ながら、大公はニヤリと笑うのであった。


 ◆ ◆ ◆


「ふう……」


 大公の大きな声に、お互いが剣を退き、納める。

 プエラリフィアとの動きはまさに“一糸乱れぬ”という言葉が当てはまるであろう。

 自分が考える方向に攻撃を捌き、望むところに攻撃を放つ。

 そしてそれを、まるで自然であるかのように見せる。

 恐らく、プエラリフィア相手だからこそ出来たことだ、とレオニスは感じていた。


(不思議だが、彼女の考えというか方向性が俺には分かるんだよなぁ……)


 最初に自分をマスターとしたときの、契約の関係だろうか。

 そんな事を考えるレオニスの側に、プエラリフィアがやってくる。


「大丈夫かえ? 結構本気で攻撃したんじゃが」

「ああ、大丈夫だ。それに、フィアの動きはどういうわけか分かるんだよ」


 二人で戦っていたのは剣のみではない。

 お互い蹴りや拳、肘鉄など徒手も込みで戦っていた。

 しかも、模擬戦とはいえお互い真剣を使っていたため、それも考えるとお互い怪我が全くないというのは、どこか異様だ。


「ふむ……お主もか。妾もこう言ってはなんじゃが、お主の動きは読めるんじゃよ」

「ほー……」


 どうやらプエラリフィアもレオニスと同じ事を感じていたらしい。不思議そうな表情をして首を傾げている。


「最初のマスター契約の関係か?」

「否定はできんが……それにしても、ここまで繋がりを深めるものではないし、のう……」


 旧世界の住人だったプエラリフィアにすら分からないとお手上げだな、と思いつつレオニスは苦笑する。

 だが、ふとプエラリフィアが呟く。


「まるで、魔道書とその主のようじゃな」

「はは、そうなるとお前が魔道書か?」

「じゃのう」


 クスクス、と笑いながらお互いその話を流す。

 だが、レオニスはその言葉が無性に引っ掛かるのであった。




「――ということで、諸君らに期待されるのは『命令を遂行し、主や民を生き残らせる』ということだ。陳腐な騎士道物語は今日まで、今後の成長を期待するぞ」

『『はいっ!』』


 どうやら大公の訓示が終わったらしい。

 案の定、レオニスの予想通りこの演武は“実戦”のあり方を見せるものだったらしい。

 騎士たち――特に若い騎士たちにとっては驚きだろうが、実戦において騎士道精神、などというものは意味を成さない。

 もちろん、国同士の定常的な領地紛争の場合などはできる限り相手を捕虜にする戦いが行われるため、正々堂々、というのが暗黙のルールとなっている。

 さらに言えば、捕虜を得て賠償金を得るために、武器も先を丸めた致死性の低い武器を使うのも事実だ。

 だがそれは、教科書の戦争であり、さらに言えばお互いが取り決めて行う“正式な戦争”の場合。

 実際に盗賊であったり、侵略者として攻撃してくる相手の場合は、真剣が使われるので死者が出る。

 しかも、そこに騎士道精神は……ない。


(国家の取り決めによる戦争は、あくまで形式に則る。だが、実戦は、生き残るための戦いだ。そこに正義はなく、生きるか死ぬかの二つだけ)


 残酷だが、それが真実だ。

 それを大公は騎士たちに教えるためにレオニスたちを呼び、そしてレオニスたちはそれに応えたのである。


「いや~、それにしても素晴らしいものを見せてくれた! どうだね、このまま騎士たちとの手合わせもしてくれるかい?」


 嬉しそうに話しかけてくる大公。

 それに対してレオニスは笑みを浮かべつつ、口を開く。


「まだ、詳しく伺っていないので、少しお話させていただいても?」

「流石に引っ掛からないか……分かったよ」


 このまま頷いていたら、恐らく固定額の報酬で終わっていたかもしれない。

 いや、そうでなくとも、追加報酬については恐らく雀の涙レベルだっただろう。

 そこを看破され、大公は苦笑しながら話し合うことにするのであった。


 ◆ ◆ ◆


 話し合いを終え報酬を決めると、レオニスとプエラリフィアは騎士たちとの手合わせを始めた。

 まずはレオニスが一人の騎士と打ち合い、勝利を収め、現在プエラリフィアが一人の女性騎士と手合わせをしている。


「はああっ!」

「足元!」

「くっ!」


 プエラリフィアはレオニスほどではないにせよ、かなり優れた剣士だ。

 特に、スピードを生かした戦い方や立体的な動きによる翻弄を得意とするため、ある場合騎士たちにとっては天敵のような動きである。

 プエラリフィアからの指摘を受けつつ、女騎士は必死に攻撃を捌こうとするが、さらなる追撃を仕掛けるプエラリフィア。


「意識を分散させよ! 足元ばかり気にするでない!」

「くうっ……!」


 プエラリフィアの指摘に顔を歪めながらも、諦める気配はない女性騎士。

 だが、そこはどうしても経験の差が出てきており、最終的には地面を転がされて模擬剣を喉に突きつけられることになった。


「そこまで! プエラリフィア殿の勝利!」

「……」


 その言葉と同時に、プエラリフィアは無言で剣を退く。

 そして、ゆっくりと剣を鞘に納める……その瞬間。


「――ッ!!」


 負けを宣言された女性騎士は、無言で模擬剣を握り直すと、背を向けたプエラリフィアに向けて剣を振るう。


「む」


 だが、それに対してチラリと肩越しに振り返ると、プエラリフィアは振るわれた剣の腹に向けて後ろ蹴りを放ち、その剣を跳ね飛ばす。


「はあっ!」


 しかしそうされながらも女性騎士は懐に飛び込みながら、今度はナイフで攻撃を放つ。

 それはかなり鋭い一撃であり、普通であれば致命傷は避けられないだろうものだ。

 とはいえ、プエラリフィアは普通とは言えないわけで。


「――中々の一撃、じゃが!」


 その腕を掴み、逆に自分の方に引き寄せる。

 それに抵抗しようと女性騎士が踏ん張ろうとするが、その踏ん張りに合わせて今度は押し出され、身体が浮いたところを足を掬われて転がされる。


「――これで、仕舞いじゃ」


 そう言いながらプエラリフィアは、転がった女性騎士の顔の横に足を勢いよく叩きつける。

 その音の大きさに、ようやく周囲が状況に気付いたのだろう、ざわめきが広がっていく。

 そしてその中の一人、審判を務めていた騎士がプエラリフィアに頭を下げていた。


「申し訳ありません、プエラリフィア殿! あのような騎士にあるまじき行動を……」


 その騎士は、女性騎士が行った不意打ちに関して頭を下げる。

 だが、プエラリフィアはその騎士に冷めた視線を向けていた。


「何を言うておるのじゃ? 妾がいつ、この騎士を咎めた?」

「えっ……し、しかし騎士として……」


 そう口にする騎士に対し、さらにプエラリフィアの目がつり上がった。

 だが、彼女はそれ以上は言わずにレオニスに視線を向ける。


「レオニス」

「分かっている」


 プエラリフィアが名を呼ぶと、即座にレオニスは動き出して審判の騎士を引っ張りつつ訓練場の中央に向かい、突然相手に打ち掛かりだした。

 必死に回避し、悲鳴を上げつつもどうにか体勢を立て直そうとする騎士。

 だがレオニスはそれを許さぬとばかりに追撃を繰り返し、息つく間を与えない。

 その様子を視界の隅に収めながら、プエラリフィアは先程相手にした女性騎士に向き直った。


「よくやった」

「え……」


 何故褒められるのか、分からないと言わんばかりの表情で女性騎士がプエラリフィアを見る。

 その様子を見ながら、さらにプエラリフィアは言葉を続けた。


「お主らに求められておるもの、それは理解できたかの?」

「……あっ」


 何かに気付いたのか、ハッとした表情をする女性騎士を見ながら、プエラリフィアは訓練場に目を向けつつ言葉を続ける。


「騎士のあり方など、妾には分からん。じゃが、お主より長く生きておる以上、綺麗事だけで済まぬ状況などはよく知っておる」

「……」

「お主が守るのは、自分の誇りか? それとも主の命や命令か? 望まれるのは……特にお主らのような立場に望まれるのは、過程よりも『結果』であろう?」

「……そうですね。仰るとおりです」


 それだけ言うと、プエラリフィアは口を閉じて訓練場を見やる。

 そこではひたすらに転がされる騎士と、それに驚き、恐れながら遠巻きにする他の騎士たちの姿。


「さて……どうするのかのう?」


 そう呟くプエラリフィアの声を聞き、女性騎士は一つ溜息を吐くと、模擬剣を手に訓練場に向かうのであった。


 ◆ ◆ ◆


 ――夜、大公邸


「いや、本当に君たちのおかげで上手くいきそうだよ! 流石は新鋭の冒険者! このありがたき出会いに乾杯!」


 そんな言葉と共にワインの入ったグラスを掲げる大公。

 大公は、レオニスとプエラリフィアを晩餐に招待し、二人もそれに参加していた。

 なお、この晩餐会は個人的なものらしく、あとは大公一家のみ参加している。


「私も外から見ておりましたが、お強いのですわね」

「恐れ入ります、大公妃殿下」


 レオニスは和やかな笑みを浮かべながら、話しかけてきた大公妃と会話する。

 下手に飾らず、謙遜も自惚れることもなく。

 ただ柳が風に吹かれるように。


「それにしても、レオニス君。君はかなり剣に詳しいようだね。どこで習ったんだい?」

「……祖父が、剣に通じておりまして。幼い頃から徹底的に鍛えられました」

「ほう……お祖父さんが、か。かなりの腕前なのだろうな」

「ええ、武術館を開いていました。といっても、ここからは遠いところですが」


 レオニスの言葉に対し、少し目を見開く大公。

 だがそれ以上は追及せず、別の話になる。


「……食事はどうだね? 好き嫌いはないようだが、何か好きなものはあったかい?」

「どれもとても美味しいですよ。それにしても、流石はギレーナですね、食材が豊富だ」

「そう言ってくれると嬉しいよ。とはいえ、海産物だけは難しいんだがね」


 ギレーナは内陸だ。

 そのため、海産物を得るのは難しい。

 もちろん水源は豊かなのだが、唯一の問題はそれだった。

 だからこそ、マーシャントブルグのような商業の中心とも言うべき都市を作り上げ、その物流を握ることで塩を筆頭に必要なものを得られるようにしたのである。


「とはいえ、塩だけはしっかりと押さえられている。多少の海産物などは気にする必要はないでしょう」

「……」


 レオニスの言葉にニヤリとした笑みを浮かべた大公は、どこか満足げだ。

 そうしているうちに食事も済み、食後のデザートが出る。どうやら焼き菓子のようだ。


「ほう、これは……」

「少し奮発してね。娘を助けてくれたお礼もかねて、準備させてもらった」


 思わぬお菓子に目を見開くレオニスに対して、悪戯が成功した少年のような、嬉しそうな表情を向ける大公。

 とはいえ、その目だけは何かを探るような目をしている。


「珍しいお菓子でしょう? これは……」

「そうそう! 珍しいお客さんが来られてね! ついでに購入させてもらったんだ」


 公女と思わしき少女が口を開こうとしたところを、結構な強引さで割り込んでくる大公。

 その様子に公女はムッとした表情をしたものの、直ぐに表情を改める。

 恐らく大公の性格からして、割とよくある事なのだろう。

 だが、レオニスはその様子を見ながら僅かに警戒度を上げる。


(わざと出所をぼかしたな)


 そんな事を考えつつも、表情は変えずに紅茶に口を付けるレオニス。

 なお、プエラリフィアは唯ひたすらに紅茶とお菓子を楽しんでる。

 ちらと彼女を見て苦笑しながら、レオニスは大公に話しかける。


「珍しいとは? それに、お客さんというと……商人でしょうか」

「ほう、よく分かったな?」

「ここ数日、アベントゥーランではそれらしき方々を見ておりませんから。考えられるとしたら、マーシャントブルグでしょう」


 そう言いながらレオニスは紅茶を一口飲むと、少しだけ眉を上げた。

 すると、大公もそのレオニスの様子を見て口を開く。


「おや、気になるかね?」

「……ええ、かなり珍しい紅茶ですね。何か香り付けをされているのでしょうか」

「ああ、それも菓子と一緒に購入したものだよ。知っているかい、これはコールマン商会の一推し商品だそうでね……とある姫のために作られたものだそうだ」

「……そうですか」


 一瞬、レオニスの表情に寂しげなものが混ざる。


「む? どうしたのかね?」

「……いえ、少し前の事を思い出しまして」

「ふむ……」


 大公は訝しげにするも、しかしそれ以上レオニスに深く聞くことはなく時間が過ぎていく。

 その中で話しかけてきた公女が、レオニスが討伐した盗賊たちに追われていた馬車に乗っていたことなどが分かり、ひとしきりお礼を言われるだけでなく、是非護衛になって欲しいと請われたり。

 無論レオニスはそれに頷くことはなかったが。

 結局、その日は領主邸に滞在する事になる、レオニスとプエラリフィアであった。


 ◆ ◆ ◆


 ――夜中、大公の執務室


「よく来てくれたね、レオニス君」

「いえ、とんでもない。どうやら私にのみお話があるとか」

「ああ」


 大公の執務室に呼ばれたレオニスは、執務室のソファーに大公と対面で座っていた。

 大公はナイトガウン姿、レオニスは簡単なシャツとズボンを着ているだけだ。


「……少し位、武装するかと思っていたがね」

「おや、それは些か礼を失する行動でしょう。それに、大公殿下であれば私たちを不利な状況に追いやることはないかと」


 レオニスの言葉に、深く頷き笑みを浮かべる大公は、レオニスを見ながら口を開いた。


「レオニス君……率直に聞きたい。君は今後、何をするつもりだね?」

「……というと?」


 大公の意味深な質問に対し、レオニスも疑問で返す。


「他言するつもりはない。だが、君は庶民というには、あまりにも我々に慣れている。……貴族の出身かね?」

「ああ……そういうことですか」


 大公の疑問に対し、得心したかのように頷くレオニス。

 なお、大公は単純に貴族かどうかを知りたいわけではない。

 貴族であれば、属する国が存在する。例え今は貴族籍を離れていたとしても、血筋として貴族であるならば、出身国との繋がりというものは少なくない影響を持つ。

 簡単に言うならば、諜報のために動いているのではないか、と疑われているのだ。


「……貴族の出身では、ないですね」


 笑みを浮かべながらそう告げるレオニスの言葉に、大公は目を眇める。

 だが、大公が追及をする前にレオニスは言葉を続けた。


「大公殿下には、出身をお伝えしておきましょう。……私は、グラン=イシュタリアの出身です」

「!」

「ですので、そうご心配なさらないでも大丈夫ですよ」

「……そうか」


 その言葉に、大公は一つ溜息を吐いた。

 レオニスの出身――グラン=イシュタリア王国は、この世界で最も古く、最も強力で、最も広い領土を持つ大国だ。

 そして、その気質は専守防衛であり、攻め込むことを望まない。

 なにせ国土の広さ故、全て自国にて賄うだけでなく、他国を支える程に地力があるのだから。

 もちろん、情報収集はする事はあれども、まずレオニスのような冒険者、それも少年を使って諜報活動をするとは思えない。


「ま、それならば心配する必要はないのかな……呼びつけて悪かったね。今後、何かあれば私が力になろう。この国が不利益とならない限りは」

「ええ、ご安心ください。是非とも共存と参りましょう、私は平和な関係を望んでいますし……それに私は、あの国では生き辛かったのですから」

「……属性の件か」


 流石大公、というべきだろう。

 レオニスの属性についても、聞き及んでいるらしい。

 それに対して口元に人差し指を当てつつ、「内緒ですよ」と言うとレオニスは立ち上がる。

 そして、執務室から出ようとしたところで、大公は一つレオニスに投げかけた。


「しかし、かの国の出身なら、今日の菓子や紅茶も知っていたのかね? 初めて見るという表情ではなかったが」


 そう言う大公に対し、レオニスは苦笑を返す。


「焼き菓子……マドレーヌと、【プリンセス・セルティ】ですか?」

「――!」


 正確にその名を言い当てたレオニスに対し、大公は目を見開く。

 その様子を肩越しに見ながら、レオニスは一言告げた。


「……あれは私にとって、懐かしいものですよ」


 それだけ言って立ち去るレオニスと、思わずソファーから腰を浮かせる大公。

 そして扉が閉まると同時に、大公はソファーに深く腰を下ろし、片手の平で額を覆う。


「…………冗談だろう」


 その呟きが、空しく執務室に響き、そして空気に溶けていった。

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