3.
真面目なミウノは喫茶店の女将にもそれなりに信用され、働き続けました。
それなのに何故か一度も給金は貰えませんでしたが、(喫茶店の制服代でしょうか……?確かにとても可愛くて高級そうですものね)と思ったミウノは、深く追及することもしませんでした。
元々幼少期から無償の働きには慣れていたのもあります。
(今日は仕事の合間にショーケースをピカピカに磨き上げてみせますわ!……ふふふ、なんだか私、喫茶店では結構それなりの店員に見えているのではなくて?誰も貴族だなんてきっと思いませんわね!)
それに、大抵仕事のことしか頭になかったのです。
給金など発生しなくともミウノの家は学費を払えていましたし、毎日たった2時間で、学業にはそれほど支障もありませんでしたから。
働き始めてから2ヶ月ほど経った頃でしょうか。
「今日から奥の部屋の給仕も頼むよ」
「……?奥の部屋?」
女将にそう言われて入ったその部屋は、少し空気が澱んだ、薄暗い部屋でした。澱みの原因は何らかの煙だったのですが、ミウノは鼻が効かなかったため、全く分かりませんでした。
でも造りは表より明らかに豪華で、部屋は狭いのに、上にシャンデリアまで掛かっていたのです。
そこには何人かの男女がたむろしていました。知らない者ばかりでしたが、殆どは男で、皆見目麗しく、上級貴族かのようでした。
(上級貴族の方々……?いえ、違いますわね。確かにどなたも容姿端麗で清潔感もありますけれど、なんだか着ている服があまりにも違っておりますもの……)
だって、毎日ミウノは寮内で本物の貴族たちが着ている私服を見ていますから。
ミウノが入っているのは女子寮でしたから見るのは貴族令嬢の私服ばかりでしたが、貴族たちは自分の家族を誇りに思っていることが多いのか、それともミウノが何故かそういう話をされやすいのかは分かりませんが、家族の肖像画とやらを見る機会も多かったのです。
(とにかく万が一上級貴族の方々だったとしても、失礼がないようにいつも通り働いておけば問題ありませんわね!)
そう思ったミウノは、奥の部屋担当になってからも、いつもと変わらず働き続けました。それに、その部屋の隅のテーブルには時々ではありましたが、あの浮浪者の男が座っていたのです。
(あっ……!今日はいましたわ!最近あの道で見かけないと思いましたけれど、一体どうやって生きていらっしゃるのかしら。とにかく顔色は悪くなさそうですし、後でこっそり水を持っていってあげましょう)
「はい、どうぞ」
しばらく仕事をし、合間を見てミウノがグラスの水を差し出すと、男は目を見開いてまた少し笑いました。
「おまえ……いや、いい。元気そうだな」
「はいっ!今は暑いですし、水分補給は大事ですからね?倒れないようにしてくださいませ!」
ミウノは仕事の合間でしたから、それだけを言ってサッと男から離れました。
その浮浪者の男は殆ど話さないのに、見た目も彼らからは明らかに浮いているのに、その部屋でボスと呼ばれている男からはかなり目をかけられている様子でした。
ボスはあからさまに見た目に金をかけ、美しい王子かのような容姿にしていたのですが……。それでもその男をそばに置くということは、ボスは外見至上主義ではないのでしょうか。それとも、浮浪者の男が物凄く仕事ができるのでしょうか。
「今夜はホテルカージナルで接待をする。白商家のノンさんが近くに来てくれるってよ。女も用意した。ギンも来るか?」
「……ああ」
「ノンさんはたぶん鉱山に詳しい女を選んで用意した別室に行くだろうから、この女の隣に座るのは考えろよ。ノンさんが消えたら後は自由にしてていい。時間になったらおまえらもそれぞれ好きな女を連れていけ」
「うひょー。今日もいい女揃えてますねえ」
「こいつ胸でかくね?」
「お、こいつ最近ちょっと有名な踊り子だろ?見たことあるわ」
「へー。でも俺はパス。色気が足りねーなあ」
「後で裸見て決めりゃいいだろ」
「あいつら札束見せりゃすぐ脱ぐからな」
「いや、やっぱ金で顔を貴族っぽく調整してるのが効いてるんじゃね?」
「俺らは他の団とは違って見た目には金かけてるからな」
「ボスはどうするんすか?」
「俺は嫁に接待って言ってるからな。ホテルの中で別室取って最後に残った子の相手をするよ」
「ボスの女は厳しいからなー」
「探偵つけられてるっすよ絶対」
「んなことは分かってんだよ。でも接待なら仕方ないって言い伏せてきた」
「仕事っすからねえ」
「女は接待の大事さを全然分かっちゃくれねえ」
「ほんとほんと。こっちだって毎晩接待で乾く暇もなくて苦労してるっての」
「おまえはやりすぎな?一回治療院行っとけ」
「へーい」
浮浪者の男はギンと呼ばれていました。ギンだけは、いつも少しだけミウノが聞いていないかを気にしているようでした。だから、ミウノは何も聞いていないふりをしたのです。
(なんでギンなのでしょうね……?銀要素はどこにもないですけれど……)
産まれた時につけられた名前だとすれば、かなり失礼な話ですが、何かの符牒だと思ったミウノはそう思っていました。
それに、よく見ているとギンは片足が悪そうでした。
(もしかして片足は義足なのかもしれませんわね……。だから銀製造の義足でギン?)
ミウノはその部屋の怪しげな男女のことなど気にもしませんでした。ミウノがその喫茶店にまで呼ばれたのすら、何故なのか分かりませんでしたから。ギンがミウノのことを少し気に入って自分のそばに置きたがったのでしょうか。
よく考えたら喫茶店で働き始めてから奥に通されるまで2ヶ月も経っていますから、気に入られていたとしてもそれまで完全に放置されていたわけで、ミウノは全く気に入られたとも思っていなかったのですが……。
いえ、女将には気に入られたのかもしれません。
「おいギン、また引っ越すのかよ」
「……ああ」
「女が出来たもんな」
「……」
「ギンまで女持ちかよー!」
「ボスが世話した女だろ?見た目はなかなかだったぜ。まあ、ボスの女は別格だが」
「いいなー!どこの風呂から上がった女だよ!」
「……薬屋の裏の」
「あー!あそこか!」
「高級店じゃねえか!」
「マジかよ!あの店の女はかなり改造されまくった後だからな!」
「完成品かよ!いいなー!」
「いやでも結構ムチムチだよ。なあ?」
「……見た目はなんでもいい」
「そのわりには改造入りまくってるじゃねーか!ま、ボスが選んだ女を断れるわけもねえか」
「なーんだ、デブかよ。俺はパス」
「俺も早く女を世話されてーな。俺だってある程度見た目が良けりゃなんでもいいや」
「おまえは無理だろ。すーぐ遊びの女をしゃぶ漬けにするじゃねえか」
「だってその方が後々使い勝手良くてさあ……」
「おまえは犬みたいに従順なのが好きだからな。そのあとやるこっちの身にもなれよ」
「いやあ……。でもなんか良くね?なんでもしてくれるぜ!2人呼んだときなんか最高でさあ」
「後処理に困るんだよ。少しは上手くやれや」
「そうそうギン。どこ住んだんだ?」
「……後で送る。おまえも近くに住むか?あそこの土地はまだ余ってて結構広い空き家がある」
「あー……悪くないかもな。俺んとこのガキもそろそろ増えそうだし」
「……今度買い方を教える」
「頼むわ!」
その集団は接待とやらで女と頻繁に遊んでいるようでしたが、(わあ……すごい。なんだかすごい世界ですわね!あの方々は夢の国にでも住んでいるのかしら?)と思っていたミウノは、彼らを疑問にも思いませんでした。
(ギンさんは恋人?か婚約者?がいらっしゃるのかしら?あまり喋らない方なのにすごいですわ!ボスとかいう方は、よほど面倒見が良いのでしょうね!)
純粋なミウノは素直にそういう世界だと受け入れていたのです。言葉の認識はちょこちょこズレた解釈をしていましたが。
そこで時々、ミウノはこんな会話まで見聞きしていました。
「今日はあそこの株を上げに行く」
「いつもの時間ですか?」
「……いや、いつもより少しずらそうか」
「ボスが上げ始めたら便乗しやす」
「毎回毎回助かりやす」
「誰にもいうんじゃねーぞ」
「うっす」
無防備にそんな会話をしていた彼らはおそらく、端で静かにテーブルを拭いていたミウノには気付かなかったのでしょう。ミウノはギンと同じで、色々と溶け込みやすかったですから。
ギンはいつも通り、静かにその会話を聞いていました。少しミウノを気にしながら。
あからさまな視線ではありませんでしたが、ミウノには分かりました。
(あの人、なんでいつも私が聞いているかどうか気にしているのでしょう……?)
ミウノはいつだって疑問に思っていました。ただの給仕としての採用であれば、そんなにミウノの仕事ぶりを気にする必要はないはずです。
(……!あっ!サボらないか見張っているのかしら?真面目に働いていると証明しないと!)
ギンが気にしている内容は明らかでした。それは明確な相場操縦行為で、その王国の刑法では、個人投資家であっても10年以下の懲役もしくは3,000万円以下の罰金、またはその両方が科されるほどの犯罪でしたから。
それを集団で行っている時点で、彼らが美しいかどうかは関係なく、貴族ですらない犯罪組織だったのですが、貧乏貴族の娘で株取引をしたこともないミウノは全く気付きませんでした。
相場操縦には、様々な種類がありますが、すべて違法です。しかも、刑事罰だけではなく、行政処分や証券口座の制限が行われる可能性までありました。
それに、知識がある者が外側から見ていると明らかに不自然でした。有名な個人投資家ならともかく、異常な速度で急成長している集団投資家なんて、何か後ろ暗いことに手を出しているに違いないのです。
だってそうでなければ、そのうちの何割かはただのギャンブル依存症として脱落するはずですから。
ただ、今思うと、女の身でその盗賊団に近付いて全く興味を持たれず、貶されず、ほとんど認識されず、普通の給仕として完璧に溶け込めたミウノもちょっと不自然な存在だったのです。




